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本編
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「好きです、付き合ってください」
告白の台詞と言われれば多分思い浮かぶであろう言葉。実際にこれを言ったり、言われた経験のある人はどれくらいいるのだろう。俺は言ったことはないが、言われたことならこれが初めてではない。だが、これまでの人生で人と付き合った経験はゼロだ。
たった今その言葉を発した相手は無言で見上げる俺の返事待っているのか、頬を染め緊張した面持ちで佇んでいる。美人だ。男だけど。うちの学校で『男子生徒の制服を着てる長身の美女』と言われれば彼のことで話が通じる。
名前は……名前なんてどうでもいい。どうせ俺には関係ないのだから。
俺が名前も知らない男を睨んでいた視線を逸らし地面を見るのと同時に、彼は痺れを切らした様子で声を上げた。
「あの……」
「あーはいはい、聞こえてますよ。で? 今度は何? 罰ゲーム? それとも俺の返事自体が賭けの内容になってるタイプかな」
「は……?」
「罰ゲーム?」と復唱する男の顔に視線を向けながら、これが演技ならたいした俳優だと冷めた感情を抱く。
時々あるのだ。俺に付き合ってくれと言う罰ゲームとか、言われたときの俺の反応を見て楽しむ類のやつ。案外カースト頂点の派手派手しいギャルとかより、顔は可愛いけどカースト2位より下に落ちるグループのがひどい。階層が下がるほど人口が多くなるせいだろうか。その分変な人が湧きやすいのかもしれない。
だが、この男は間違いなく頂点の分類だ。男子生徒の制服を着てる長身の美女。俺ですら噂話で聞いたことのある。実際に見たのはこれが初めてのはずだが。
「あんた絶対頂点なのに。誰に命令されるわけ?」
「えっと、あの……話が見えないのですが。その、俺の話は……」
まさか本気で返事を催促されているとは思わず、むしろ話が見えないのはこちらのほうだと目を眇める。ここまでバレてるなら騙せるはずがないことくらいわかるだろうに、往生際が悪い。
だが、ここで彼あるいは彼らのご要望に応える返事をしなければ拘束時間が長引くだけだ。経験上、下手に「わかってるんですよ罰ゲームってことくらい」という反応をするよりも、一度は騙されてやった顔をするほうがすぐに終わる。遊び慣れてる奴らは、悪ふざけの引き際がちゃんとわかっているのだろう。今回もそのパターンだと思った。
「いいよ、付き合おうか」
「え……え!?」
「俺のこと好きなんだろう?」
「ど、どうしよう、俺……嬉しい……っ」
男は感極まった表情をすると、すぐに目前の身体を抱き締めた。目前の身体、言うまでもなく俺の身体のことである。
「……おい」
「どうしよう、嬉しい、とっても嬉しいです……!」
「おい、ちょっと待て、止まれ!」
そのまま頬擦りを始めて唇すれすれにまで相手の唇が近づく。薄らとした血色のよい唇は口紅を塗ったくった女のものように赤々としている。形や厚みは確かに男のものだと感じるのに、色のせいで女のような印象を与えるのだ。
長い手脚に押さえ込まれもがく俺に気がついたのか、男ははっとした声で「あっ! すみません!」と叫んだ。
「俺、興奮しちゃって……だって、どうしよう、OKされると思ってなくて……」
「大袈裟すぎないか?」
まあ、演技なら多少オーバーなほうがいいもんな。きっと少し離れたところに仲間がいて、そいつらに見せつける為に派手なリアクションを取ってるに違いない。
「それで? 俺はいつまでこうしてればいいんだよ」
唇同士が引っ付きそうな距離からは離れたが、未だ俺の頬は男の滑らかな首元に埋まったままだ。慣れない人の熱を不快に感じながら男と俺の身体の間に腕を入れて少し力を込めると、存外簡単に距離が取れた。
だが、完全には離れない。苛立ちを隠さずに見上げた先では、男がうっとりと頬を染めこちらを見ていた。
「ごめんなさい、もう少しこのまま……余韻に浸らせてください」
「……あんたがそうしたいなら、そうすれば」
これはきっと罰ゲーム。恐らくこいつも命令された立場なんだろう。だから言われた通りの行動をしなければならないらしい。
人とつるむのは楽じゃない。俺はそういう煩わしさが苦手で、話を合わせていればいいところでも空気を無視していたら孤立してしまった。いわゆるスクールカースト底辺。俺の仲間なんてクラスで「二人組組んで」と言われたときにだけ会話をする田中くんくらいだが、田中くんも放課後には別のクラスの友人と楽しそうにしているのを知っている。俺が仲間意識を抱いているだけで、田中くんからすれば俺はただの「二人組組んで」と言われたときだけ会話する人かもしれない。多分そうだ。
卑屈で、ぼっちで、空気が読めない。俺はそういう人間だ。端的に言って社会性がない。俺に好かれる要素ないだろ。
「なあ、俺のどこが好き?」
俺を遊びの材料にしようとしてるのだから、これくらいの反撃は許されて然るべきだ。せいぜい答えに困ればいい。吃る姿を見て俺は笑うし、お世辞でも褒めてくれたらちょっと嬉しい。
俺がじっと見つめると、男は頬を赤く染めたままあわあわと口を開いたり、閉じたりを繰り返した。
「えっと、ええっと……」
「なに? やっぱ無いんだ。あんたから見た俺の評価、聞きたかったのに」
これは本心だ。だから聞けなくて少し残念。だが同時に予想通り慌てる姿が面白くて、蔑むように口端の片側だけが上がった。
強い力で抱き締められる。「違います……」と耳元で囁かれた。
「うお……っ」
女のような華奢な身体に似合わない力強さはアンバランスで、ひょっとしたら制服だとほっそりとした印象のある身体はそんなに細くないのかもしれない。
声は、男としては高いほうで女と思えば低い。性別知らない状態で聞けばどちらとも取れそうだ。中性的な声質は声変わりをした直後のような掠れ方をしていた。それが色気を感じさせる。
「沢山ありすぎて、すぐに言葉にできなくて」
「何でもいいよ。思いつくものから言えよ」
「……俺、人の外見のこと褒めるの苦手なんです。自分がされても嬉しくない。なのに、今こんなに近くに貴方がいると思うと顔や身体ばかりに目がいく」
「からだ」
顔はともかく、身体って。嘘にしたってちょっと変態くさい。
アドリブに弱いのかと踏み、そこから切り込むことにした。俺が詳しく促すと、言葉を選ぶようにたどたどしくも口を開く。
「例えば?」
「例えば……三白眼。広い白目部分が青白くて、真っ黒な虹彩部分の境がはっきりしてるところ。この瞳と目が合うと、じっと見られたいと思います。俺のほうから逸らせない」
「目付き悪いところ、と」
「こうやって触れてみて気付いたんですが、日に焼けた肌なのに滑らかな手の甲をしてますね。指が長い。爪が伸びっぱなしだから余計にそう見えます」
「苦労を知らない手な上手入れがされてないところ? それ本気で褒める気あんの?」
「これ、俺が好きなところ聞かれてるんですよね」
苦笑が上から降ってきた。褒められることを期待したが、そんなことなかった。自分で人に好かれる要素を見つけきれない人間は、他人にも見つけてもらえないらしい。
それにしてもこの茶番、いつまで続ける気なのだろう。
結局その日、俺のSNSには新しく友達が追加された。登録名は朝凪渚。
そういえばうちの学校で長身の美女呼ばわりされる男子高生は、そんな名前だった気がする。
■
俺こと雪柳雪の朝は遅い。下手に朝早くから教室に向かっても意味のわからない雑用を押し付けられるだけだからである。カースト底辺に押し付けるから断られないと信じて疑わない上に、俺が普通に断るものだから結果として俺だけ周囲からの評価が下がる。いいことがない。
どうせ早く着いたところで机に突っ伏して寝るだけだし、いつも席に鞄を下ろすのは予鈴が鳴るぎりぎりと決まっている。そのほうが朝の時間を有効に使えるから効率的だ。
が、その定説が今日崩された。他でもない朝凪渚が昨晩寄越したメッセージのためだ。
「雪さん! おはようございます」
「うおッ……眩しい……」
駅前で落ち合った朝凪が、頬を染め小首を傾げるように身体を傾ける。それだけで周囲に花でも舞ったかのような錯覚に陥る。立てば芍薬座れば牡丹と言うが、ド美人の挨拶は花も添え物になる威力があった。
「俺が登校する時間に合わせてしまいましたが、雪さんはいつももっと早いですか?」
「もっとずっと遅い。この時間は同じ学校のやつらが多いからほとんど乗らない。つーか話まだ続いてたんだな。罰ゲーム二日目の人初めてだよ」
「? まあ、行きながら話しましょうか」
昨晩俺のスマホに届いたメッセージは一緒に登校する旨と、時間と場所の指定である。俺はここでネタにもならないネタバラシが来るタイミングだと踏んでいた。
だが、時間通りに待ち合わせ場所に着いてみればそこには朝凪以外誰もいなかった。混み合った登校時間にはちらほらと同じ制服姿の奴らがいて、そいつらがひそひそと朝凪のことを見ている。朝凪はそんな視線に慣れているのか、眉一つ動かさず俺に挨拶をした。
それにしてもわざわざこの為だけに自分のSNSアカウントを使う度胸は買うが、それを俺が悪用するとは思わないのだろうか。もしかしたらサブ垢なのかもしれないが、それにしたって価値がある。朝凪渚と繋がりを持ちたい人は多くいるはずだ。
「俺、もっと雪さんのことが知りたいです。お昼もご一緒していいですか?」
「いいけど。俺いつも教室から出ないし5分で飯食い終わるよ」
残りの時間は机で寝てる。下手に席を立つと勝手に使われて予鈴ギリギリまで席に戻れないからだ。大抵の授業は困らないが、次が体育や移動教室のときなんかは困る。下手に教室から出ると時間割が変わった連絡も知らないままだし。誰もわざわざ俺個人に連絡なんてしてくれないから、自分で聞き逃さないように意識しておくしかない。
「じゃあ、俺が雪さんの教室に向かいます」
朝凪は1年生だと聞いた。俺は2年。上の学年の教室に来いというのに、全く躊躇いが感じられない。元々物怖じしない性格なのかもしれないが、そもそもこいつに脅威を感じる存在なんていないのだろう。なんたってカースト頂点様だ。
ひょっとしたら、この茶番自体実は罰ゲームではないのかもしれない。
暇を持て余したカースト頂点の遊び。からかって遊んでるだけ。そう思えば納得が行った。
誰にも命令されることなく朝凪の独断で動いてるから、彼が飽きるまでこの茶番は続くのだろう。
「昨日の話だけど」
「昨日?」
「俺のどこが好きかってやつ。身体以外の答え考えてくれた?」
「か、からだ……んんっ、そう答えたのは俺ですけど」
こいつが俺のことを好きだというのなら、俺はその反対の行動を取ればいいだけ。俺には得意なことより苦手なことのほうがずっと多いが、人に嫌われるのは得意なほうだ。
「目付き悪いところと手だっけ? あと短い舌とか鎖骨とか言ってたのはちょっと変態くさいなと思ったけど」
昨日は段々と雲行きが怪しくなったから会話をぶった切ったのだ。代わりに明日聞くから考えてこい、と言いつけて。
口を滑らせた自覚があるのか、変態くさいと言うと朝凪が気まずげに頬を掻いた。
「やっぱり……俺に優しいところでしょうか」
「嘘つけ優しいなんて初めて言われたわ」
あと朝凪に優しい人なんて珍しくないだろう。美人は無条件で優しくしてもらえるものだ。優しくしてもらえない顔つきをした俺の僻みではなく、俺自身が美人には優しくするからそう思う。世の中はそういう風にできている。誰にだって優しくしていたら、優しいやつの優しさが搾取されるだけだろう。
ただ、俺の優しさは限られた人にだけ発揮されるし、その対象は朝凪ではない。なぜなら俺は昨日まで朝凪渚の名前すらわからなかったからだ。俺の優しさはもっと、よく行く本屋の可愛い店員とか、毎朝の電車で顔を見る美人のOLとか、そういうのに分散されてる。名前も素性も、顔以外何も知らない人相手のほうが優しくできるから。
朝凪は何の自信があるのか、真っ直ぐと俺を見据えて「優しいですよ、雪さんは」と言った。昨日耳元で囁かれた声と同じく、少し掠れて色気のある声色で。
「……具体的なエピソードがないと不可」
「手厳しいですね」
俺は朝凪に優しくした覚えはないが、それでも朝凪に優しい人たちの気持ちはわかる。彼にはそういう魅力があるのだ。現に俺は、こうして優しいと言われただけで妙な気を起こしそうになっている。
やめとけばいいのに、好きになってしまいそうだ。
浮ついた気持ちを振り払うように「具体的なのないのかよ」と促したが、それ以上言う気はないらしい。俺が優しいという言葉は朝凪に嫌われる方法として何も参考にならなかった。
それにしても、周囲がにわかに騒がしい。十中八九朝凪が隣にいるせいだ。
「あんたいつもこんななの?」
「こんな?」
「ちょっと離れたところでひそひそされてさ、でも実際話しかけられはしないんだな」
「そうですね……入学したての頃は頻繁に知らない人に声を掛けられましたけど、俺、人見知り激しくて」
「……俺、本当に何も覚えないんだけど。朝凪って元々俺のこと知ってたの?」
「じゃなきゃ、雪さんが俺に優しい人だって知りませんよ」
朝凪は口に手を当ててくすくすと笑う。こんな上品に笑う男子高生そうそう見ない。
にしても、知り合いか。俺は人の覚えが悪いが、こんなにも整った顔立ちなら忘れたくても忘れられないだろう。こう言っちゃなんだが、朝凪が人違いしているとしか思えなかった。
まあ、これが誤解であれ罰ゲームであれ悪質な遊びであれ、俺が本気で朝凪に惚れてしまう前に嫌われれば済む話だ。朝凪は俺の初めてできた恋人だが、俺は彼のことを好きになってはいけない。
「……?」
俺の強メンタルであるはずの心臓がつきりと痛んだように感じた。
告白の台詞と言われれば多分思い浮かぶであろう言葉。実際にこれを言ったり、言われた経験のある人はどれくらいいるのだろう。俺は言ったことはないが、言われたことならこれが初めてではない。だが、これまでの人生で人と付き合った経験はゼロだ。
たった今その言葉を発した相手は無言で見上げる俺の返事待っているのか、頬を染め緊張した面持ちで佇んでいる。美人だ。男だけど。うちの学校で『男子生徒の制服を着てる長身の美女』と言われれば彼のことで話が通じる。
名前は……名前なんてどうでもいい。どうせ俺には関係ないのだから。
俺が名前も知らない男を睨んでいた視線を逸らし地面を見るのと同時に、彼は痺れを切らした様子で声を上げた。
「あの……」
「あーはいはい、聞こえてますよ。で? 今度は何? 罰ゲーム? それとも俺の返事自体が賭けの内容になってるタイプかな」
「は……?」
「罰ゲーム?」と復唱する男の顔に視線を向けながら、これが演技ならたいした俳優だと冷めた感情を抱く。
時々あるのだ。俺に付き合ってくれと言う罰ゲームとか、言われたときの俺の反応を見て楽しむ類のやつ。案外カースト頂点の派手派手しいギャルとかより、顔は可愛いけどカースト2位より下に落ちるグループのがひどい。階層が下がるほど人口が多くなるせいだろうか。その分変な人が湧きやすいのかもしれない。
だが、この男は間違いなく頂点の分類だ。男子生徒の制服を着てる長身の美女。俺ですら噂話で聞いたことのある。実際に見たのはこれが初めてのはずだが。
「あんた絶対頂点なのに。誰に命令されるわけ?」
「えっと、あの……話が見えないのですが。その、俺の話は……」
まさか本気で返事を催促されているとは思わず、むしろ話が見えないのはこちらのほうだと目を眇める。ここまでバレてるなら騙せるはずがないことくらいわかるだろうに、往生際が悪い。
だが、ここで彼あるいは彼らのご要望に応える返事をしなければ拘束時間が長引くだけだ。経験上、下手に「わかってるんですよ罰ゲームってことくらい」という反応をするよりも、一度は騙されてやった顔をするほうがすぐに終わる。遊び慣れてる奴らは、悪ふざけの引き際がちゃんとわかっているのだろう。今回もそのパターンだと思った。
「いいよ、付き合おうか」
「え……え!?」
「俺のこと好きなんだろう?」
「ど、どうしよう、俺……嬉しい……っ」
男は感極まった表情をすると、すぐに目前の身体を抱き締めた。目前の身体、言うまでもなく俺の身体のことである。
「……おい」
「どうしよう、嬉しい、とっても嬉しいです……!」
「おい、ちょっと待て、止まれ!」
そのまま頬擦りを始めて唇すれすれにまで相手の唇が近づく。薄らとした血色のよい唇は口紅を塗ったくった女のものように赤々としている。形や厚みは確かに男のものだと感じるのに、色のせいで女のような印象を与えるのだ。
長い手脚に押さえ込まれもがく俺に気がついたのか、男ははっとした声で「あっ! すみません!」と叫んだ。
「俺、興奮しちゃって……だって、どうしよう、OKされると思ってなくて……」
「大袈裟すぎないか?」
まあ、演技なら多少オーバーなほうがいいもんな。きっと少し離れたところに仲間がいて、そいつらに見せつける為に派手なリアクションを取ってるに違いない。
「それで? 俺はいつまでこうしてればいいんだよ」
唇同士が引っ付きそうな距離からは離れたが、未だ俺の頬は男の滑らかな首元に埋まったままだ。慣れない人の熱を不快に感じながら男と俺の身体の間に腕を入れて少し力を込めると、存外簡単に距離が取れた。
だが、完全には離れない。苛立ちを隠さずに見上げた先では、男がうっとりと頬を染めこちらを見ていた。
「ごめんなさい、もう少しこのまま……余韻に浸らせてください」
「……あんたがそうしたいなら、そうすれば」
これはきっと罰ゲーム。恐らくこいつも命令された立場なんだろう。だから言われた通りの行動をしなければならないらしい。
人とつるむのは楽じゃない。俺はそういう煩わしさが苦手で、話を合わせていればいいところでも空気を無視していたら孤立してしまった。いわゆるスクールカースト底辺。俺の仲間なんてクラスで「二人組組んで」と言われたときにだけ会話をする田中くんくらいだが、田中くんも放課後には別のクラスの友人と楽しそうにしているのを知っている。俺が仲間意識を抱いているだけで、田中くんからすれば俺はただの「二人組組んで」と言われたときだけ会話する人かもしれない。多分そうだ。
卑屈で、ぼっちで、空気が読めない。俺はそういう人間だ。端的に言って社会性がない。俺に好かれる要素ないだろ。
「なあ、俺のどこが好き?」
俺を遊びの材料にしようとしてるのだから、これくらいの反撃は許されて然るべきだ。せいぜい答えに困ればいい。吃る姿を見て俺は笑うし、お世辞でも褒めてくれたらちょっと嬉しい。
俺がじっと見つめると、男は頬を赤く染めたままあわあわと口を開いたり、閉じたりを繰り返した。
「えっと、ええっと……」
「なに? やっぱ無いんだ。あんたから見た俺の評価、聞きたかったのに」
これは本心だ。だから聞けなくて少し残念。だが同時に予想通り慌てる姿が面白くて、蔑むように口端の片側だけが上がった。
強い力で抱き締められる。「違います……」と耳元で囁かれた。
「うお……っ」
女のような華奢な身体に似合わない力強さはアンバランスで、ひょっとしたら制服だとほっそりとした印象のある身体はそんなに細くないのかもしれない。
声は、男としては高いほうで女と思えば低い。性別知らない状態で聞けばどちらとも取れそうだ。中性的な声質は声変わりをした直後のような掠れ方をしていた。それが色気を感じさせる。
「沢山ありすぎて、すぐに言葉にできなくて」
「何でもいいよ。思いつくものから言えよ」
「……俺、人の外見のこと褒めるの苦手なんです。自分がされても嬉しくない。なのに、今こんなに近くに貴方がいると思うと顔や身体ばかりに目がいく」
「からだ」
顔はともかく、身体って。嘘にしたってちょっと変態くさい。
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「例えば?」
「例えば……三白眼。広い白目部分が青白くて、真っ黒な虹彩部分の境がはっきりしてるところ。この瞳と目が合うと、じっと見られたいと思います。俺のほうから逸らせない」
「目付き悪いところ、と」
「こうやって触れてみて気付いたんですが、日に焼けた肌なのに滑らかな手の甲をしてますね。指が長い。爪が伸びっぱなしだから余計にそう見えます」
「苦労を知らない手な上手入れがされてないところ? それ本気で褒める気あんの?」
「これ、俺が好きなところ聞かれてるんですよね」
苦笑が上から降ってきた。褒められることを期待したが、そんなことなかった。自分で人に好かれる要素を見つけきれない人間は、他人にも見つけてもらえないらしい。
それにしてもこの茶番、いつまで続ける気なのだろう。
結局その日、俺のSNSには新しく友達が追加された。登録名は朝凪渚。
そういえばうちの学校で長身の美女呼ばわりされる男子高生は、そんな名前だった気がする。
■
俺こと雪柳雪の朝は遅い。下手に朝早くから教室に向かっても意味のわからない雑用を押し付けられるだけだからである。カースト底辺に押し付けるから断られないと信じて疑わない上に、俺が普通に断るものだから結果として俺だけ周囲からの評価が下がる。いいことがない。
どうせ早く着いたところで机に突っ伏して寝るだけだし、いつも席に鞄を下ろすのは予鈴が鳴るぎりぎりと決まっている。そのほうが朝の時間を有効に使えるから効率的だ。
が、その定説が今日崩された。他でもない朝凪渚が昨晩寄越したメッセージのためだ。
「雪さん! おはようございます」
「うおッ……眩しい……」
駅前で落ち合った朝凪が、頬を染め小首を傾げるように身体を傾ける。それだけで周囲に花でも舞ったかのような錯覚に陥る。立てば芍薬座れば牡丹と言うが、ド美人の挨拶は花も添え物になる威力があった。
「俺が登校する時間に合わせてしまいましたが、雪さんはいつももっと早いですか?」
「もっとずっと遅い。この時間は同じ学校のやつらが多いからほとんど乗らない。つーか話まだ続いてたんだな。罰ゲーム二日目の人初めてだよ」
「? まあ、行きながら話しましょうか」
昨晩俺のスマホに届いたメッセージは一緒に登校する旨と、時間と場所の指定である。俺はここでネタにもならないネタバラシが来るタイミングだと踏んでいた。
だが、時間通りに待ち合わせ場所に着いてみればそこには朝凪以外誰もいなかった。混み合った登校時間にはちらほらと同じ制服姿の奴らがいて、そいつらがひそひそと朝凪のことを見ている。朝凪はそんな視線に慣れているのか、眉一つ動かさず俺に挨拶をした。
それにしてもわざわざこの為だけに自分のSNSアカウントを使う度胸は買うが、それを俺が悪用するとは思わないのだろうか。もしかしたらサブ垢なのかもしれないが、それにしたって価値がある。朝凪渚と繋がりを持ちたい人は多くいるはずだ。
「俺、もっと雪さんのことが知りたいです。お昼もご一緒していいですか?」
「いいけど。俺いつも教室から出ないし5分で飯食い終わるよ」
残りの時間は机で寝てる。下手に席を立つと勝手に使われて予鈴ギリギリまで席に戻れないからだ。大抵の授業は困らないが、次が体育や移動教室のときなんかは困る。下手に教室から出ると時間割が変わった連絡も知らないままだし。誰もわざわざ俺個人に連絡なんてしてくれないから、自分で聞き逃さないように意識しておくしかない。
「じゃあ、俺が雪さんの教室に向かいます」
朝凪は1年生だと聞いた。俺は2年。上の学年の教室に来いというのに、全く躊躇いが感じられない。元々物怖じしない性格なのかもしれないが、そもそもこいつに脅威を感じる存在なんていないのだろう。なんたってカースト頂点様だ。
ひょっとしたら、この茶番自体実は罰ゲームではないのかもしれない。
暇を持て余したカースト頂点の遊び。からかって遊んでるだけ。そう思えば納得が行った。
誰にも命令されることなく朝凪の独断で動いてるから、彼が飽きるまでこの茶番は続くのだろう。
「昨日の話だけど」
「昨日?」
「俺のどこが好きかってやつ。身体以外の答え考えてくれた?」
「か、からだ……んんっ、そう答えたのは俺ですけど」
こいつが俺のことを好きだというのなら、俺はその反対の行動を取ればいいだけ。俺には得意なことより苦手なことのほうがずっと多いが、人に嫌われるのは得意なほうだ。
「目付き悪いところと手だっけ? あと短い舌とか鎖骨とか言ってたのはちょっと変態くさいなと思ったけど」
昨日は段々と雲行きが怪しくなったから会話をぶった切ったのだ。代わりに明日聞くから考えてこい、と言いつけて。
口を滑らせた自覚があるのか、変態くさいと言うと朝凪が気まずげに頬を掻いた。
「やっぱり……俺に優しいところでしょうか」
「嘘つけ優しいなんて初めて言われたわ」
あと朝凪に優しい人なんて珍しくないだろう。美人は無条件で優しくしてもらえるものだ。優しくしてもらえない顔つきをした俺の僻みではなく、俺自身が美人には優しくするからそう思う。世の中はそういう風にできている。誰にだって優しくしていたら、優しいやつの優しさが搾取されるだけだろう。
ただ、俺の優しさは限られた人にだけ発揮されるし、その対象は朝凪ではない。なぜなら俺は昨日まで朝凪渚の名前すらわからなかったからだ。俺の優しさはもっと、よく行く本屋の可愛い店員とか、毎朝の電車で顔を見る美人のOLとか、そういうのに分散されてる。名前も素性も、顔以外何も知らない人相手のほうが優しくできるから。
朝凪は何の自信があるのか、真っ直ぐと俺を見据えて「優しいですよ、雪さんは」と言った。昨日耳元で囁かれた声と同じく、少し掠れて色気のある声色で。
「……具体的なエピソードがないと不可」
「手厳しいですね」
俺は朝凪に優しくした覚えはないが、それでも朝凪に優しい人たちの気持ちはわかる。彼にはそういう魅力があるのだ。現に俺は、こうして優しいと言われただけで妙な気を起こしそうになっている。
やめとけばいいのに、好きになってしまいそうだ。
浮ついた気持ちを振り払うように「具体的なのないのかよ」と促したが、それ以上言う気はないらしい。俺が優しいという言葉は朝凪に嫌われる方法として何も参考にならなかった。
それにしても、周囲がにわかに騒がしい。十中八九朝凪が隣にいるせいだ。
「あんたいつもこんななの?」
「こんな?」
「ちょっと離れたところでひそひそされてさ、でも実際話しかけられはしないんだな」
「そうですね……入学したての頃は頻繁に知らない人に声を掛けられましたけど、俺、人見知り激しくて」
「……俺、本当に何も覚えないんだけど。朝凪って元々俺のこと知ってたの?」
「じゃなきゃ、雪さんが俺に優しい人だって知りませんよ」
朝凪は口に手を当ててくすくすと笑う。こんな上品に笑う男子高生そうそう見ない。
にしても、知り合いか。俺は人の覚えが悪いが、こんなにも整った顔立ちなら忘れたくても忘れられないだろう。こう言っちゃなんだが、朝凪が人違いしているとしか思えなかった。
まあ、これが誤解であれ罰ゲームであれ悪質な遊びであれ、俺が本気で朝凪に惚れてしまう前に嫌われれば済む話だ。朝凪は俺の初めてできた恋人だが、俺は彼のことを好きになってはいけない。
「……?」
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