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過保護な主
過保護な主(8)
しおりを挟むエイギルの屋敷はガイトナー家が爵位を回復した際に王から名誉回復の証として贈られたもので、建てられて十年に満たない。
ラインハルトの屋敷と違って廊下の軋む音もしなかった。その上、トレイに載せた熱い茶が零れないように慎重に歩いたため、足音を立てることもなく書斎に辿り着いた。
扉をノックしようとしたユリウスは、部屋の中から聞こえてきた会話に思わず身を強張らせた。話題が自分のことだったからだ。
「……だが、ユーリはオメガだ。アルファの屋敷にオメガの使用人がいるのは、外聞が悪いんじゃないか? あらぬ噂が立つかもしれない」
「いつまでも、あいつを使用人にしておくつもりはない」
抑揚のないラインハルトの声は、普段通りのようでもあり、鼻に皺を寄せた渋面が想像できるようでもあった。
血の気が引き、指先が冷たくなっていく感覚がする。
聞かないほうがいいと頭の片隅で考えながらも、その場から動けなかった。
「そうだな。お前には既に心に決めた相手がいるんだし、誤解を招くようなことは避けたほうがいい。ユーリを解雇するときは、僕にも相談してくれ。ローザと相談してどこかよい嫁ぎ先を探そう」
……最初からわかっていたことだ。
売れ残りの自分を使用人として雇ってくれたのは、ラインハルトの温情によるもので、従僕として必要とされていたわけではない。優しくしてもらえたのも、ユリウスが従兄の義弟だったから。
わかっていたことなのに。そう遠くない将来、使用人としても彼の傍にいられなくなるという予感が、ユリウスの胸をひどく搔き乱した。
その胸の痛みに、ラインハルトに対し、いつのまにか主に対する以上の感情を抱いていたことを気づかされた。
その日の帰りの馬車で、自覚した感情をラインハルトに気取られぬよう、ユリウスは普段以上に陽気にお喋りし、姉家族とのひと時を楽しんだように振る舞った。「そんなに楽しかったか?」とラインハルトにも聞かれたから、ちゃんと彼の目を騙せていたのだろう。
けれど部屋で一人になれば、エイギルの「お前には既に心に決めた相手がいるんだ」という言葉が勝手に思い出され、なかなか寝付けなかった。
ラインハルトが心に決めた人……きっと非の打ち所がないほどに美しく、頭も性格も家柄も良い人なのだろう。
それに比べて自分は、王族の誰にも選ばれず、売れ残ってしまうような最底辺のオメガだ。
何者にもなれない。
誰にも愛されない。
ラインハルトにとっても、家族にとっても、オメガの自分がただの厄介者に思えて、今すぐにこの世から消えてしまいたい気分になった。
それでも、アルファとオメガが一つ屋根の下で暮らしているのだ。全く好みでなくとも、毎日顔を合わせていれば多少は絆されてくれるのではないかという浅ましい期待がなかったわけではない。
だが、それから程なくして、彼の意志をはっきりと突きつけられることとなった。
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