人災派遣のフレイムアップ

紫電改

文字の大きさ
上 下
366 / 368
第7話:『壱番街サーベイヤー』

◆30:砂漠の星のように-2

しおりを挟む
「――負けた!」

 五分近く、誰も身動き一つ出来なかった。

 異常な沈黙の中、意識を取り戻した颯真の第一声がそれである。

 天井を仰ぎ、颯真は絶叫した。

「負けた……」

 顔を覆い、呻く。


 それを笑う気にはなれなかった。

 気が遠くなるほどの鍛錬を注ぎ込み、技術を積み上げ。

 それでも僅かな差異、運で勝負は覆り、敗者には何も与えられない。

 武に生きるということは、そんな絶望と常に隣り合わせなのだ。


 真凛は、颯真に何も声をかけず、静かに座して、呼吸を整えていた。

 勝者からの同情は何より敗者を傷つける。真凛はそれをよく知っているのだ。ましてや紙一重の勝利である。一歩、いや、半歩間違えば、今頃、纏糸勁により絞られた雑巾のようにねじれて床に転がっていたのは真凛の方だったのかもしれないのだ。

 MBSのメンバー達は、当主候補の敗北をどのように受け取っているのか。おれは目を凝らしたが、いずれもサングラスをかけており読み取れない。失望か。あるいは――。

「……七瀬」

 顔を覆ったまま、颯真が声を絞り出した。

「……うん」
「……次は、俺が勝つ」
「次も、ボクが勝つ」
「俺だ」
「ボクだよ」
「…………ふん」

 流血した額を拭い、状態を起こす。

「師父のもとで修行のやり直しだ。四征拳の七句、八句に反応されたとなれば、もはや秘奥などともったいぶっている必要もない。全て学び、全て実戦で鍛え上げ――貴様に叩き込んでやる」
「そりゃいいね。ボクもさっきの立ち会いで、また色々コツが掴めそうな気がしてるんだ。自分だけの努力じゃ限界があるけど、君みたいな奴と戦えば、もっと強くなれる気がする」
「……つくづく化生だな。貴様は」

 ふらつく身を起こす。

「……だが。今の台詞。貴様にそのまま返す。今までは身内の者と拳を交わすばかりだった。お前のような男と戦い続ければ、きっと俺もまた、一人ではたどり着けない領域まで踏み入れる気がする」
「そうだねー、って、ん、んん?」
「なんだ?」

 おれは思わず、隣の美玲さんを見た。視線をそらす瞳術の使い手。――間違いない。知ってて黙ってたな?

「颯真。その、なんだ」

 誰かが声をかけねばならぬ。

 おれは皆の嫌がることが率先してできる、偉い子なのであった。外圧に屈したわけでは決してない。殺意のこもった視線がこちらに向く。

「今更何だ、亘理陽司。敗者を嘲りに来たか」

 貴様を殺すくらいの余力は残っているぞと言わんばかり。

 いや、その。まさか気づいていないわけではないだろうが。だって制服姿も見てたはずだぜ?

「そいつ、一応女だぞ?」
「……、……えっ?」



 フリーズしている颯真を尻目に、おれは美玲さんに話しかけた。

「これで決着、で問題ないですかね?」

 これ以上彼女に暗躍されてひっくり返されるのは、正直勘弁してほしかった。

『ご安心ください。メンツにかけて、貴方達の勝利は保証します』
「そりゃどうも。……仕事での対立じゃなきゃあ、アイツがMBSのトップに立つのは一向に構わなかったんですけどねぇ」

 颯真の他の兄弟の噂はおれも多少は耳にしている。いずれも性格や能力がなかなか尖っているようで、どう転んでも、あまり今後も良好な関係が築けるとは思えそうになかった。

『これは決して痛手ではありませんよ。貴方達には感謝をせねばなりません』
「そりゃまた……」
『拳はともかく、仕事としては坊ちゃまはまだまだです。敗北し、学ぶ程に強くなる。多少の回り道や秘奥の流出など、一人の王を誕生させるには大した不都合ではないのですからね』
「強がり、じゃなさそうですね」

 おれは肩をすくめた。

「さすがは大陸の考えだ。投資スパンが長すぎて、目先の仕事に追われるおれには到底真似できそうにありません」
『亘理さん。私からも聞きたかったのです。『箱』を開けたのは昨夜だとして。経産省に外務省。ルーナライナのアルセス派。いったいこれだけの絵を、いつのまに描きあげたんですか?』

 そこらへんは奥ゆかしく黙っているのが美徳という気もするが。

「……経産省と外務省は昔の仕事のコネとか先輩の上司とかをたどりましたよ。ルーナライナの人たちにコンタクトして信用してもらうのは大変でしたが、ビトール某をやっつけたことを土産話にしたら大層意気投合しまして。なんとか十二時間で仕込みを済ませられました」

 おれのコメントに、美玲さんはお返しとばかりに肩をすくめてみせたた。

『やはり、何を措いても貴方を先に制圧しておくべきでした。自由にしておくだけで貴方はリスクです』
「褒め言葉と受け取っておきますよ」



『あ……お、お前がルーナライナに戻ろうと、国王に何を上奏しようと』

 眼前で繰り広げられた超人的な武術に圧倒されっぱなしだったワンシムが、ルンバで運ばれる猫みたいな表情で口をぱくぱくと開閉した。

『私には後ろ盾がある。すぐにでも鉱脈を抑え、掘り出してやるぞ』
『構いません、叔父様』

 ファリスが視線を返す。ワンシムはそこでようやく気がついた。そこに居たのは、自分が知っている、争いを避け、宮中の端で息を潜めていた娘などでは、もうないということに。

『これは私の宣言に過ぎません。権限と地位がありながら、それを行使することを恐れ、何もしてこなかった今までと、決別するための。私は貴方達に与する勢力を排除し、ルーナライナに今一度、誇りと平穏を取り戻します』
『こ、小娘がッ!調子に乗りおって、何様のつもりか!?』

 その問いに、彼女は一瞬自答するようにも思えた。

 そして。静かにこう答えたのである。


『私はファリス・シィ・カラーティ。ルーナライナ国王アベリフの第三皇女にして、大帝セゼルの系譜に連なるものです』


 ワンシムは何か言い返そうとして、果たせず。

 半歩後ずさった。それは、ひょっとしたら後のルーナライナの姿を指し示していたようにも、おれには思えた。




「やー、おつかれさん。大変だったね。さ、これ以上変な因縁をつけられないうちに帰りましょ。忘れ物ない?」

 おれはぱたぱたと手を振って、皇女に帰り支度を促した。

「亘理さん。もしかして、取引の場に全員を集めて、『鍵』の謎を解いてみせたのは……叔父様でも、MBSの人たちでもなく。私のためだったのでしょうか?」

 結局のところ、この問題を解決できるのは、お宝でも異能力者でもなかった。それに思い当たった時点で、おれがやるべきことは定まったようなものだった。おれは野暮な答えはやめて、質問をあえて質問で返すことにした。

「ところでさあ、知ってる?。タンタル、タンタライズ。それには『焦らされる』の他にもう一つ意味があるんだってさ」
「え?」
「――耐え忍ぶこと。タンタルは発見から実用に至るまで、ずいぶんと試行錯誤や困難があったんだそうだ。でも、ついに彼らは目的を達した。そして今、あらゆるデバイスで、タンタルを用いたコンデンサが使われている。だから」
「はい。きっとこれから、今までとは比較にならないほど苦しい道のりが待っているでしょう。でも、決めたんです。セゼル大帝が、アルセス兄様が。切り開き、つなごうとしてきたこの道を、きっと、届かせてみせるって」

 皇女は笑った。可笑しくも、楽しいことでもないのに。

 だが、それは今までの控えめの笑みよりもはるかに――。

 砂漠の夜に広がる満天の星空のように、美しい笑顔だった。
しおりを挟む

処理中です...