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第6話:『北関東グレイヴディガー』
◆16:決戦の朝-2
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十月の早朝は昨日にも増して肌寒い。
とくに板東川沿いから河原を遡って板東山中へと続くルートは、触れれば手が切れそうな冷水に大気の温もりが奪われて流され、凍えるような風が吹き抜けていた。
昨夜の酒もまだ抜けない早朝に起き出したおれ達は、再び板東山へと向かった。今回は昨日の県道から直接坂道を滑り落ちるルートを避け、時間をかけて河原を登っていくルートを選んだのであった。
昨日の戦闘からすでに半日以上経ってはいるが、板東川には未だ土石流の影響があるらしく、水はやや茶色に濁っている。
「ううぅぅ。寒い……。こんな事ならダウンと手袋も持ってくるべきだったぜ」
ぼやくおれが今着ているのは、昨日と同じジャケットである。坂でズタボロに裂け、河で泥まみれになったそれを昨日コインランドリーで無理矢理洗った結果、お気に入りのジャケットは大層無惨な様子へと成り果てていた。
なんだか喉も痛い。昨日川に落ちたし結構無理もしたので、もしかしたら風邪を引いたのかも知れない。
「そんな背中丸めてると余計に寒いよ!ほら、もっと手足を動かす!」
……朝からテンションが高い奴を見ると無性に腹が立つのはおれだけだろうか。
「お前、風邪ひいたことないだろ」
「うん。ないよ」
そうだろうさ。
わかりきったことを今さらながらに確認しつつ、さらに歩を進めていく。やがて周囲の木々が開け、多少なりとも見覚えのある場所に出た。
「陽司、ここって昨日の……」
「ああ。どっかの誰かさんが水洗式よろしく流された時の場所だよ」
「うぐ。って、アンタも一緒だったじゃない」
「そうだったか?」
大量の土砂が板東川に流れ込んだ影響で周囲の地形はだいぶ変化していたが、確かにここは昨日おれ達が『清めの渦』土直神靖彦と遭遇した場所である。あのトラップは強力な分、即興で仕掛けられる代物ではないはずだ。おれ達と遭遇する前、奴らがここに色々と仕掛けを施していたということは……。
「とりあえず、ここまで来ればいいんじゃないですか?」
おれの言葉にチーフは頷いて立ち止まる。そしてコートのポケットから取り出したのは、工場長から受け取っていた、小田桐氏愛用の万年筆だった。
「それではここで!元警視庁ヒミツ捜査官、須江貞氏による心霊捜査です!」
おれはTVのよくある番組の司会の真似をして場を盛り上げてみたが、当の本人は一向に感銘を受けた様子がなかった。
「俺の術はそう便利なものじゃないぞ。よっぽど強い”縁”のある品物がないと、そもそも発動も出来んのだし」
「その代わり、”縁”のある品物さえあれば外部の雑音に影響されないじゃないですか」
まあな、と言いつつ次に取りだしたのは、術の基点となる魔方陣を刻んだ銀のプレートと、同じく銀色に輝く一巻きの糸だった。
銀の糸の上端を指に巻き付け、下端で器用に万年筆をくくる。そして銀のプレートを地面におき、手帳から破り取った白紙のページをその上に載せる。その少し上に掌をかかげると、ちょうど掌から糸でつり下がったペン先が紙に触れるか触れないかのところで停止する形になった。
チーフが静かに目を閉じ、低く静かな声で呪文を唱える。
「――『盤石たる東司の皇。埋み朽つ色の即、逝きて還る縁の横糸を我が標と為せ』」
詠唱が終わると同時に、プレートと、そして銀の糸が淡い輝きを帯びた。やがてかすかに、糸に垂らされた万年筆が振り子のように揺れ始めた。
チーフがまったく掌を動かしていないのに、振り子のごとき揺れは次第に大きく、かつ不規則にぶれだした。そしてチーフがこころもち掌を下ろすと、揺れるペン先が紙に触れ、不規則な線を刻みつけてゆく。
いや、不規則ではなかった。刻みつけられていく無秩序とも思える線の羅列は、だがやがて集まり重なり交わり、いくつかの意味ある象形へと姿を変じてゆく。五分ばかり時間が経過した後、チーフは目を開き掌を閉じた。すると、今までの激しい揺れが嘘のように、万年筆は元通りまっすぐに垂れたままとなった。
プレートの上に置かれた紙を拾い上げるチーフ。そこにはたどたどしい、だがはっきりとした金釘文字で、
『 → 130m UNDER RED ROCK』
と、記されていた。
長年愛用したモノ、長年共に過ごしたヒトの間に繋がった、あるいは繋がるべく定められていた『縁』をたぐり、失われたものを見つけ出す失せ物探しの魔術。もともとこういった即物的でささやかな願いは、魔術のもっとも得意とする分野である。
どうにも戦闘能力に偏った連中が多いウチのメンバーが、まがりなりにも調査や交渉の仕事も引き受けることが出来るのは、ひとえにチーフのバランスの取れたこの能力によるところが大きい。
「北東の方向百三十メートル、赤い岩の下。そこに、この万年筆の持ち主が眠っているってことですね」
紙に描かれた矢印の位置をずらさないように注意しながら持ち上げ、指し示しながら目測で距離をはかる。ここからではうずたかく積み上げられた瓦礫と倒木、そして雑木林に遮られているため、獣道の向こう側から回り込むしかないようだった。目標ポイントを記憶し、頭の中の地図に見えないピンを刺す。
「それじゃあ向かうとしようか」
手早く魔術の小道具を仕舞い込むと、森の奥へと歩を進めるチーフ。その後におれ達が続こうとした時。
「陽司、河原の雑木林の奥に気配がある!」
真凛が小声で鋭い警告を発した。ああ。おいでなすったか。心身を戦闘態勢に整えていく真凛を軽く手を挙げて制し、おれはむしろのんびりとした声音で、雑木林の向こうに呼びかけた。
「おうい。そこにいるのはウルリッヒ保険の連中だろ。出てこいよ」
しばしの沈黙ののち。
「……あっちゃあ。やっぱばれてた?」
特に悪びれた様子もなく雑木林の向こうから姿を表したのは、昨日の連中。
妙なファッションの兄ちゃん、巫女さん。そしてシドウ・クロードとあともう一人、微妙に冴えないスーツ姿の男の四人だった。
とくに板東川沿いから河原を遡って板東山中へと続くルートは、触れれば手が切れそうな冷水に大気の温もりが奪われて流され、凍えるような風が吹き抜けていた。
昨夜の酒もまだ抜けない早朝に起き出したおれ達は、再び板東山へと向かった。今回は昨日の県道から直接坂道を滑り落ちるルートを避け、時間をかけて河原を登っていくルートを選んだのであった。
昨日の戦闘からすでに半日以上経ってはいるが、板東川には未だ土石流の影響があるらしく、水はやや茶色に濁っている。
「ううぅぅ。寒い……。こんな事ならダウンと手袋も持ってくるべきだったぜ」
ぼやくおれが今着ているのは、昨日と同じジャケットである。坂でズタボロに裂け、河で泥まみれになったそれを昨日コインランドリーで無理矢理洗った結果、お気に入りのジャケットは大層無惨な様子へと成り果てていた。
なんだか喉も痛い。昨日川に落ちたし結構無理もしたので、もしかしたら風邪を引いたのかも知れない。
「そんな背中丸めてると余計に寒いよ!ほら、もっと手足を動かす!」
……朝からテンションが高い奴を見ると無性に腹が立つのはおれだけだろうか。
「お前、風邪ひいたことないだろ」
「うん。ないよ」
そうだろうさ。
わかりきったことを今さらながらに確認しつつ、さらに歩を進めていく。やがて周囲の木々が開け、多少なりとも見覚えのある場所に出た。
「陽司、ここって昨日の……」
「ああ。どっかの誰かさんが水洗式よろしく流された時の場所だよ」
「うぐ。って、アンタも一緒だったじゃない」
「そうだったか?」
大量の土砂が板東川に流れ込んだ影響で周囲の地形はだいぶ変化していたが、確かにここは昨日おれ達が『清めの渦』土直神靖彦と遭遇した場所である。あのトラップは強力な分、即興で仕掛けられる代物ではないはずだ。おれ達と遭遇する前、奴らがここに色々と仕掛けを施していたということは……。
「とりあえず、ここまで来ればいいんじゃないですか?」
おれの言葉にチーフは頷いて立ち止まる。そしてコートのポケットから取り出したのは、工場長から受け取っていた、小田桐氏愛用の万年筆だった。
「それではここで!元警視庁ヒミツ捜査官、須江貞氏による心霊捜査です!」
おれはTVのよくある番組の司会の真似をして場を盛り上げてみたが、当の本人は一向に感銘を受けた様子がなかった。
「俺の術はそう便利なものじゃないぞ。よっぽど強い”縁”のある品物がないと、そもそも発動も出来んのだし」
「その代わり、”縁”のある品物さえあれば外部の雑音に影響されないじゃないですか」
まあな、と言いつつ次に取りだしたのは、術の基点となる魔方陣を刻んだ銀のプレートと、同じく銀色に輝く一巻きの糸だった。
銀の糸の上端を指に巻き付け、下端で器用に万年筆をくくる。そして銀のプレートを地面におき、手帳から破り取った白紙のページをその上に載せる。その少し上に掌をかかげると、ちょうど掌から糸でつり下がったペン先が紙に触れるか触れないかのところで停止する形になった。
チーフが静かに目を閉じ、低く静かな声で呪文を唱える。
「――『盤石たる東司の皇。埋み朽つ色の即、逝きて還る縁の横糸を我が標と為せ』」
詠唱が終わると同時に、プレートと、そして銀の糸が淡い輝きを帯びた。やがてかすかに、糸に垂らされた万年筆が振り子のように揺れ始めた。
チーフがまったく掌を動かしていないのに、振り子のごとき揺れは次第に大きく、かつ不規則にぶれだした。そしてチーフがこころもち掌を下ろすと、揺れるペン先が紙に触れ、不規則な線を刻みつけてゆく。
いや、不規則ではなかった。刻みつけられていく無秩序とも思える線の羅列は、だがやがて集まり重なり交わり、いくつかの意味ある象形へと姿を変じてゆく。五分ばかり時間が経過した後、チーフは目を開き掌を閉じた。すると、今までの激しい揺れが嘘のように、万年筆は元通りまっすぐに垂れたままとなった。
プレートの上に置かれた紙を拾い上げるチーフ。そこにはたどたどしい、だがはっきりとした金釘文字で、
『 → 130m UNDER RED ROCK』
と、記されていた。
長年愛用したモノ、長年共に過ごしたヒトの間に繋がった、あるいは繋がるべく定められていた『縁』をたぐり、失われたものを見つけ出す失せ物探しの魔術。もともとこういった即物的でささやかな願いは、魔術のもっとも得意とする分野である。
どうにも戦闘能力に偏った連中が多いウチのメンバーが、まがりなりにも調査や交渉の仕事も引き受けることが出来るのは、ひとえにチーフのバランスの取れたこの能力によるところが大きい。
「北東の方向百三十メートル、赤い岩の下。そこに、この万年筆の持ち主が眠っているってことですね」
紙に描かれた矢印の位置をずらさないように注意しながら持ち上げ、指し示しながら目測で距離をはかる。ここからではうずたかく積み上げられた瓦礫と倒木、そして雑木林に遮られているため、獣道の向こう側から回り込むしかないようだった。目標ポイントを記憶し、頭の中の地図に見えないピンを刺す。
「それじゃあ向かうとしようか」
手早く魔術の小道具を仕舞い込むと、森の奥へと歩を進めるチーフ。その後におれ達が続こうとした時。
「陽司、河原の雑木林の奥に気配がある!」
真凛が小声で鋭い警告を発した。ああ。おいでなすったか。心身を戦闘態勢に整えていく真凛を軽く手を挙げて制し、おれはむしろのんびりとした声音で、雑木林の向こうに呼びかけた。
「おうい。そこにいるのはウルリッヒ保険の連中だろ。出てこいよ」
しばしの沈黙ののち。
「……あっちゃあ。やっぱばれてた?」
特に悪びれた様子もなく雑木林の向こうから姿を表したのは、昨日の連中。
妙なファッションの兄ちゃん、巫女さん。そしてシドウ・クロードとあともう一人、微妙に冴えないスーツ姿の男の四人だった。
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