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◆第一章
1.
しおりを挟む満月が赤い、夜だった。
オレは、雪兎 千翠。大学二年。
夏休み前の最後の授業が終わって、友達と夕飯を食べた帰り。
改札を出たら、目の前のビルの間に大きな月が見えた。
でっかい満月。赤くて、少し怖い。地球にぶつかってきそう。
……って、無いか、そんなこと。
そんな風に思いながら、駅から自宅マンションへと歩き出した。途中、スーパーに寄って、色々食材を購入。袋に詰めている間にも、スーパーの窓から赤い月が見える。
やっぱり、少し気味が悪い。
早く帰ろう。なんとなくそう思って、スーパーから出て、歩き出そうとした時だった。
ふと視線を感じて、何気なくその方向を見た瞬間。ぴたっと足が止まった。
ビルとビルの間。
一匹の黒い犬が座って、オレをまっすぐ見ていた。何だか、凛とした姿勢に、つい見入ってしまった。
「――――……」
数秒犬と見つめあってから、ハッと我に返る。
リードのようなものは、何も繋がっていないように見える。
……今時、放し飼いの犬?
そう思った時、黒い首輪が辛うじて見えた。ああ、毛と混ざって見えなかっただけか。よく見ると、首輪の中央あたりに、黄色っぽい、綺麗な石がぶら下がっている。
飼い犬なんだと少し安心したけれど、でも、その首輪に繋がっていそうなリードはやっぱり見えない。見回しても飼い主らしき姿も、無い。
オレは、その犬に近づき、一メートル位の所で立ち止まって、しゃがんだ。
「こんばんは」
そう話しかける。
「怖くないから、おいで」
笑顔で話しかけて手を広げると、すぐに犬は立ち上がり、オレの手の間に入ってきた。
あ。可愛い。こんなに凛々しいのに。
よしよし、と首の辺りを撫でてあげると、気持ち良さそうに見える。
絶対飼い犬だな。人に慣れてるし。
首輪に何か書いてないかな、迷子になった時の連絡先とかのタグを付けてる飼い主も居ると思うけど。
「ちょっと見せてね?」
首輪を一周見てみるけれど、飼い主の情報が書いてありそうなタグとかはついていない。近くでみると、琥珀色の綺麗な石もただの飾りみたいで、裏にも何も書かれていない。
「どこから来たんだろ……? どうしよう。……ここに居て、つかまっちゃったら困るよね」
そう話しかけると、犬はまっすぐオレを見つめている。
近くで見ても、この犬――――……ほんと、凛としていて、カッコいいなぁ。
黒と少し銀みたいな毛の混じった柴犬、みたいに見えるけど。
狼みたいに見える瞬間があると言うか。
「お前、カッコいいね。――――……飼い主、探してるだろうな。どうしようか」
こういう時って、どうしたらいいんだろうと迷って、スマホで「飼い犬 迷子」で検索してみる。
「えーと……最寄りの保健福祉事務所か警察にお知らせくださいだって。飼い主がここに届け出ることもあるって」
オレが読み上げている間も、その犬はじっとオレを見ていて、まるで言ってることが分かってるみたいだな、なんて思ってしまう。
「お利口だね。うーん……こういう役所って夕方までだよね……」
どうしよ。一晩、ここに置いておくわけにはいかないし。
……うちのマンション、ペットは可なんだけど。連れてっていいのかな。
「あのさ、お前、一晩うちに来る?」
……って聞いたって、返事する訳ないしなあ……どうしよう。
と思ったその時。オレの腕の間で座っていたその犬は、突然すっくと立ち上がった。後ろを振り返って、さっきまで座っていたところから、なにやら黒いリュックを口にくわえて、オレに渡した。
「え?」
荷物を持って、びっくりしているオレの前を、犬はテクテクと歩き出した。
「え、ちょっと待って」
飼い主でも来たのかなと思ったけど、飼い主のもとに走る訳ではなく。歩きながら、オレを振り返る。
「え……」
まるで、ついてこいと言わんばかりのその様子に、可笑しくなって、ぷ、と笑ってしまった。
「ちょっと待ってよ、何なの……」
何で、オレが後ろをついていく感じなの。
……ていうか、これってそういう意味なのかな? と不思議なんだけれど、犬はどう見ても、先に立ってオレを待っている……みたいに見える。
オレも立ち上がって、多分リュックは犬の飼い主の持ち物だろうと思って、肩にかけた。犬の後を追って横に並ぶと、犬はオレを見上げて、ワンと小さく鳴いた。
「――――……」
何、この子。変な犬。
クスクス笑ってしまう。
「ね、ちょっとさ、リードついてないのバレたら嫌がられると思うから、近くに居てほしいんだけど」
分かる訳ないと思いながらもオレを見上げている犬にそう言ったら。
見事なまでに、足元にくっついてきて、まるで盲導犬並み。多分、リードがないことを気にする人も居ないだろうと思う位、ぴったりついてくる。
「え。何。……もしかして、お前って、すっごく頭いい?」
オレが話してること、全部分かってるみたい。
犬って、ここまで頭良いんだっけ?
子供時代を過ごしていた施設に、犬が居たこともあったけど――――……ここまでだったかは、覚えていない。でも、可愛くて大好きだった記憶はある。
一人暮らしをする家を選ぶ時に、犬が飼えるところを選んだのは、いつか飼えたらいいなと思ったから。
でも、大学が思ったより忙しくて、半日以上居ないとなると可哀想で飼おうと思えずずっとそのままなのだけれど。
久しぶりに犬と触れ合って一緒に歩いていると、ちょっと楽しい。
やっぱり犬はいいなあ。可愛くて。なんて思いながら、オレは、歩いて十分の自分のマンションに、その犬と帰った。
――――……その後。
オレの人生が、全部変わっちゃうような、ことになるなんて。
ひとかけらも、思いもしなかった。
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