最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

説得

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「レイド様。 今日、もしお時間がありましたら、お散歩をご一緒して下さいませんか?」

カルネからレイド様の過去を聞いた翌日。
ナナシは朝食の後で、レイド様にそのようにお願いしました。

「……分かった。 昼食後に迎えに行く」

すると、レイド様はそのように短く返答して、すぐさまこの場より去って行かれました。 
まるで、言葉を交わす事を拒絶するように。
まあ返答が可否でなかったので、多分ナナシの目的を察したが故に、今は話さない方がいいと判ぜられての事なのでしょう。
ナナシと違ってレイド様は立場的にお忙しい方ですから。
込み入った話など、していられないでしょう。
しかしそれでも、自らにとって不都合な話であろう事など察しているのでしょうにナナシに付き合って下さるのはありがたい事です。
だって、結局はそれだけがナナシに出来る、唯一の事なのですから。
そうして約束の昼食後、ナナシはレイド様に介助を受けながらお散歩に出ました。

「最近は、またお忙しそうにしてますね。 ご無理はなされていませんか?」

「問題無い。 ナナシの方こそ、生活に不便や不満は……まあ、無いと答えるんだろうな。 だが、何か問題が起きてからでは遅いからな。 おかしな事や不便があれば、近くの誰にでも相談するといい」

歩き始めてすぐの間は、そのように近況報告のようなとりとめの無いお話を。
そして暫く歩いた後で、ナナシは本題を切り出しました。

「昨日、カルネからレイド様の昔の話を聞きました」

「……そうか。 それで、ナナシは俺の事をどう思った。 前に俺のやり方は間違っていると言った時のように、今度は私怨に駆られた身勝手な人間だと責めるのか?」

自虐的に、レイド様は言いました。

「いいえ……ナナシに、そんな真似は出来ません。 そんな、他人の想いを否定する事など、ナナシには断じて」

そんな言葉へのナナシの返答は、問いの否定。
それは、立場的なナナシのスタンスを示す返答です。
しかし、それで問答を終わらせる訳にはいきません。 だってそれでは、レイド様の行いをただ肯定するだけの事でしかありませんから。
大事なのはこれより先、ナナシ自身の想いを示す事なのです。

「ですが同時に、レイド様にもう誰も殺して欲しくもないのです。 例え罪人であろうとも、もう誰からも赦しの機会を奪わないでくださいませ」

過去に悲劇があって、だからこそレイド様は罪人を絶対に赦さない。
ナナシはそんな、レイド様の罪人に対する慈悲の無い罪人の処刑という行いの根幹にある『憎悪』の真意を知って、それが否定すべきでない彼の想いである事を知りました。
でも……。
それでも、それを知って尚ナナシにはレイド様のやり方はやはり許せるものではなく。 しかし、レイド様の想いもまた否定する訳にはいかず。
だからナナシに出来る事で残された道は、いつものように、ただ言葉を交わす事。
そうして、レイドの心変わりを促すしかないのです。

「なぜ、罪人達なんかの為にそうまで必死になるんだ。 ナナシだって毒を盛られただろう、苦しめられただろう。 それでも尚、なんでナナシは奴らを庇うんだ」

「庇う、というつもりはありません。 ナナシだって、罪は裁かれるべきだし、贖って赦されるべきものだと思いますから。 でも、その贖いは命を奪われる事ではないと、ナナシはそう思うのです」

罪とは前提に人があり、裁きも罰も人のもの。
贖いも、そして赦しでさえも人のためのものであるのならば、その全ては罪人が生きていてこそ成り立つ罪の始まりと終わりでしょう。
罪は裁かれて、しかし、いつか赦されて然るべきものなのです。
ならば、罪人の罰に死はあり得ません。
そして、赦しが無ければ救いも無く。
そうなれば無念の死は未練となり、死して魂のみとなってなお彼らを苛み続けるのです。

「ナナシは、ずっとずっと長い間『最果て』で一人死した魂を見送り続けてきました。 そんな彼らは、誰でも些細なものから大きなものまで未練を抱えていて、その為に還る事も出来ずに彷徨う者もいたくらいです」

人は、いつだって未練に縛られている。
失敗や後悔、人生の汚点、そして悔恨。
そんな取り返しの付かない、どうしようもなく過ぎ去ってしまった事象に取り憑かれながら生き、そして死んでいく生き物なのです。 そしてそれは、死してなお変わらなかった。
だからこそ、人は『人生に未練を残さないように』と言いながら生きるのでしょう。
『最果て』にてそういう魂達を多く見てきたナナシも、そうあるべきだと思います。
でも、誰もがそうあれる訳ではなく。
だから、未練を抱える魂もまた絶える事はないのです。 人とは誰しも、過ぎ去るばかりの時の中を生きているものであるが故に。 
そこに死者も生者も垣根などあろう筈が無く。
誰だって、そんな想念に囚われているのです。

「ナナシはそんな死した魂達を見る度、死してなお生きていた時の事に縛られナナシのような者に縋らなければ還る事さえ出来ないような彼らに、憐れみ…………を覚えるのです。 それはもちろん、レイド様が言うような罪人であっても」

「……そんな事、罪人どもの自業自得だろう。 許されざる罪を犯した、だからそうして死後に苦しむ事になるんだ」

「いいえ、それは違います。 人は死ねば終わりで、だからこそ死後にまで生前の業を背負い続けるような在り方が正しい筈がありません。 いつか命が潰えて終われる事こそ、正しい人の命の在り方でしょう」

「だったらなんだ。 罪人を赦してやれと、ナナシはそう言うのか? 人の性根はそう簡単には変わらない。 見過ごせば何度でも同じ愚行を際限なく繰り返すに決まっているぞ」

「確かに、そんな罪人だっているかもしれません。 けれど、だからと言って罪人の悉くを容赦無く殺め、赦される機会さえ摘んでしまうのはあんまりではないですか。 もちろん、レイド様の気持ちだって解ります。 幼い頃の事でお母君を亡くされて、それで罪人の事が憎らしいかもしれません。 その憎悪だって、レイド様にとって当然の権利かもしれません。 でもどうか、その憎悪を堪えて、慈悲の無い罪人の処刑を」

「やめてくださいませんか」と、そのように言葉を続けようとした刹那。
風を切るような、しかし自然現象のそれよりも随分とか細く、さりとて強く素速く空より飛来するかの如き音が聞こえました。
それはどんどん近付いて、やがてナナシの身体を「ドン」と押すような衝撃と共に止んで。
そしてその後、意識に身体が追い付いて今まさに先の続きを口にしようとすれば、先に出たのは言葉ではなく、毒を飲んだあの時と同じように鉄錆味の液体でした。

「ナナシ!!」

レイド様の焦る声が聞こえます。
ナナシはそれに何かしらの動作で応えようとしますが、しかし残念ながら、ナナシに今の状態でそう出来るような胆力など無く。 
両足から力は失せて、その場に崩れるのみでした。

「ナナシ、しっかりしろ! おい、誰か!! 賊だ、必ず捕えろ!」

「レイド、さま……」

「喋らなくていい、ナナシ……ああ、クソックソッ! どうしてまた、こんな……ッ!」

倒れそうなナナシを抱き留めたレイド様が、嗚咽混じりで今まで聞いた事ないくらいに困惑している様子の声と言葉を漏らして、ナナシの身を案じてくださっています。
大声でナナシの名を少し涙声になりながら、酷く不安そうに何度も何度も呼び掛けています。
その声を聞いて、ナナシは何となく合点がいきました。
……レイド様の『憎悪』の源泉。
本当の、彼の想い。
だったら、ナナシのやるべき行動は決まっています。

「ん、ンん……アァッ!!」

胸部のやや右斜め下辺りの異物感に手をやり、細長いそれを掴み、歯を食いしばって力の限り引き抜きます。
ナナシに刺さっていたそれは弓矢らしく、引き抜く際に鏃が肉を更に引き裂いたようで「ブチブチ」と音をさせていましたがそれでも何とか引き抜いて、肉が裂けた激しい痛みに襲われて叫び出しそうなのを唇を噛んで堪え、取り乱しているレイド様をナナシの胸元に抱き寄せました。

「ハァ、ハァ……落ち、ついてください。 ナナシは、生きてますから……息してて、心臓も脈打ってますから。 だから、どうか、安心して……ナナシ、死んだり、しませんから」

喉奥から溢れてくる血を飲み込みながら、それを吐き出さないようにして。
まるでおさなごに言い聞かせるように、ナナシの生命活動の証であるこの鼓動と共に、胸に抱くレイド様にナナシが死ぬ事は無いという事を伝えます。

「どうか、落ち着いてください。 ナナシは死にません、レイド様の前からいなくなったりしませんから」

「ナナシ……ああ、ああっ!!」

彼の嗚咽はやがて泣き声に。
ナナシは、このどうしようもなく憐れなおさなごを、その寂しさを慰めるようにして、治療のために連れて行かれるまで、ずっと抱きしめていたのでした。


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