最果ての少女は祈れない

ヤマナ

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終わる世界

彼らの想い

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先から考えていた『何故、レイド様は罪人への裁きに殺めるという手法を取るのか』という疑問に対する解答は、思っていたよりも早く得られました。 
それと言うのも、レイド様の二面性の一側面、『敵対者に対する容赦の無さ』は意外にも王城内では周知の事実であったようでして、護衛騎士の方々やメイドさん達と、その誰もがレイド様の罪人に対する残酷な仕打ちの噂話を知っている程だったのです。
そして、そんな事情を知る人達の中でも特に詳しくレイド様のお話を聞けたのが、レイド様の幼馴染として幼い頃から交流があったカルネからでした。

「殿下が7歳の頃まではね、あの方はまだ普通の子供だったのよ」

カルネはそのように語り、口火を切りました。

「殿下は当時から真面目で、だから幼いながらに王太子という自らの立場を理解し、日々の鍛錬と研鑽を怠らない人だったわ。 けれど、将来の話をする時は年相応でね。 良い王様になるって、いつも無邪気に語っていたりもしたのよ」

「レイド様にもそのような時期がおありになったのですね」

「ええ、そうなのよ。 それに、あの頃はまだ可愛げもあったわ。 剣術の授業で習ったばかりの型を見せてきたり、庭園で摘んだお花で栞を作ってプレゼントしてくれたりね……でもそれも、殿下の8歳の誕生日を境に変わってしまった」

それよりカルネの口から語られたのは、より明瞭なレイド様の過去の話。
生まれてよりの7年間、幼いレイド様は何不自由無く育まれ、何に染まるでもなく無垢な心のままに在ったのでしょう。 少なくとも、カルネが明確に境を区切って話すくらいには、話の前と後とでは別人に思える程に。
そんな境は、毎年のようにやって来る誕生日。
当時のレイド様にとっては、ただ当然に迎え、そして当然に祝われる行事であったのであろう特別な日。
そんな日に、悲劇は訪れたのです。

「その日に当時の王妃陛下、つまり殿下の御母君がご逝去されたのよ。 それも、殿下御付きの侍従によって毒を盛られてね」

カルネ曰く、王族の食事とは出されたものを先ずは従者が主の前で毒見をしてから食するものであるのだそうです。
そして国の王子の誕生日ともなれば、それはもう豪勢な食事がたくさん並べられたのであろう事は想像に難くなく、ならば当然この時も当時のレイド様のお付きとして仕えていた従者が毒見をしたのでしょう。
毒見とは、主がそれを行う従者への信頼があってこそ成立する手法です。 なにせ信頼出来ない者や虚言を吐くような嘘吐きになんて、毒見という自らの命を預けるにも等しい重要な役目を与えられる訳がありませんから。
けれども、彼らの世界において信頼とはあまりにも脆い。
故に、そうして裏切った毒見役の侍従の手によってレイド様と王妃陛下の食事に毒が盛られ、レイド様よりも先に食事に手を付けた王妃陛下が即効性の毒に倒れて、亡くなられた……。
以上が、過去のレイド様が変わってしまう原因となった事件の顛末です。

「その侍従は当時、殿下のお付きになってから3年目で普段から食事の毒見は勿論その他のお世話にも尽力的な、殿下もよく懐いていた人物だったの。 ……でも、結果的にその侍従は殿下を裏切った。 逮捕後の供述では普段の忠臣ぶりも、信頼を得ておいてから主犯の指示でいつでも殿下と王妃陛下を諸共暗殺出来るようにするための布石だったと語ったそうよ」

「………」

「この事件では実行犯の侍従の他に、その侍従の供述を元に当時王城勤務の文官だったとある子爵家当主が主犯として逮捕されたわ。 もっとも子爵の動機は不明で、子爵と侍従が裁かれる事はなかったけれど」

「……それは、どうしてでしょうか?」

「ナナシには少し言い辛い事なのだけれど……その、亡くなったからよ。 当時、詳しい状況まではレイスラークの情報網を持ってしても掴めなかったから噂でしか聞き及んでいないのだけれど、獄中で何者かに殺されたんだとか」

……ああ、そういう事ですか。
カルネの話に、ナナシが真っ先に思い付いたのは『口止め』という言葉でした。 そしてその想像はきっと、事実と相違ないのでしょう。
信じる事はあまりにも難く、生命の価値はあまりにも軽い。
此処は、そういう場所である。
ああ……なんて薄気味悪い、人の業でしょう。

「……そうですか。 そんな事が、あったのですね………」

だったら、レイド様がああまでも罪人に対して憎悪を向ける気持ちも理解出来なくはありません。
言ってしまえば、そうした輩はレイド様のお母様の仇。 憎んで然る道理があるのですから。
そして何より、話の限りでは侍従を操っていた子爵の背後には、まだ真の黒幕の気配があるようでした。 
だから多分、レイド様は今も尚その黒幕の影を追いかけているのでしょう。
お母様を殺された、その復讐心のままに。
……でも、理解出来るのはそこまでです。
命を奪うまでともなれば、いかにその感情の源が憎悪であるとて、やはり度し難い。
復讐心や憎悪、それらへの悪感情を向ける先が他へと伝播する。
それ自体は仕方のない事でしょう。 
だって、これも結局は人の感情論のお話なのですから。 だったら、そこに事象に対する必然性や正当性を求める事は、事実を論ずる上では不毛というものなのでしょう。
けれど話が司法、ましてや実際に人1人の命に関わる事であるのなら、また別の話です。
法とは、人1人の感情に依ってはならない。
なぜなら、それが法治国家に秩序を敷き、そして秩序は不動であってこそ一国の安定と民衆の社会性を促す要素であるのですから。
法理に感情を混ぜてしまえば、それは私情に他ならない。
今のレイド様の仰る『正しさ』とは、少なくともナナシの視点においてはそのように見える、歪なもの。
なら、それは正すべきものなのでしょう……けれど。

「……ナナシ? 大丈夫?」

「……は。 ああ、いえ、大丈夫です。 ちょっと、ボーッとしてしまっただけなので」

「そう……だったらいいのだけれど。 まあ、ナナシは病み上がりだものね。 わたくし、今日はここでお暇させていただくから、ゆっくり休みなさいね」

「はい……そうします。 おやすみなさい、カルネ。 また今度」


◆   ◆  ◆  ◆  ◆


帰っていったカルネには「おやすみなさい」と言ったものの、どうにも眠れません。 
身を横たえて、気持ち程度に虚の眼窩に瞼をしたとしても、意識までもは蓋を出来る訳でもなく。
そんな無沙汰からナナシは、眠気の代わりに去来した思いを呟きました。

「……レイド様のやり方は、正しくなんてないです。 けど…」

その呟きには、今までのナナシの価値観に沿った確信だけに非ず。
ほんの僅かに、揺れがありました。
もっとも、それでもナナシの価値観までもが揺らぎ、罪人を裁くと言いながら殺すレイド様のやり方の一切を肯定するという意味ではありません。
けれど同時に、一切を否定する訳でもなく。
ーーー罪は、罰を以て赦される。
しかし死んでしまえば人はそれまでで、懺悔はどこにも届かないまま、生きていた時の後悔も浮かばれず、存在の全てはただ泡沫の夢の如く消え失せるのみ。
それは、人1人の想いの否定なのです。 
だからこそナナシも、レイド様の殺す事による裁きを否定しました。
……けれども、殺す側とて想いはある。
カルネの話を聞いて、ナナシはそれに気付いてしまったのです。
それがどれだけ利己的であろうと、どれだけ他者を踏み付け否定し傷付けるものであったとしても、そうする事でしか満たされない、叶えられない想いであるのだという事を。
そして、レイド様のそれは『憎悪』であると。
だったら、ナナシはどうする事が正しいのでしょう?
レイド様が罪人の想いを処し殺す事で否定する事をナナシが止めるという事は、同時にレイド様の想いの否定にもなる。 
それは、本当に正しい事なのでしょうか。
大切な人を理不尽にも奪われ、そのせいで復讐心に駆られて、今尚幼い頃のその想いに執心したまま自らの憎悪の対象を『正義』という曖昧なもののためにと言い換えて裁きという名の死を与え続ける。
今の行いはとにかく、過去と過程を思えば一概に否定するには根深く強い想いがある。
それを知った以上、ナナシにはレイド様の想いを否定する事は難しい。
でも、レイド様のやり方は間違っている。
ナナシは、今尚そう思うのです。

「……難しい、ですね」

どうすればいいのでしょうか。
そもそも『何』を『どう』するのが最良なのかさえも、今のナナシには皆目検討がつかないのです。
否定すべきはレイド様のやり方で、けれどそれは同時にレイド様の想いの否定で……。
そして、そもそもナナシにはレイド様の抱える『憎悪』の在り方さえも、とんと理解出来なくて。

ーーーああ、誰か教えてくださいよ。

思考が行き詰まったナナシは虚空へと手を伸ばして、乞うように、しかし誰に尋ねるでもなく思考と呟きの狭間でそう漏らしました。
だって虚なこの身と心では、きっとレイド様の『憎悪』も、それどころか生者も死者も誰もが隔てなく抱えている『想い』なんてものさえ、ナナシには到底識る事しか出来はしないのですから。

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