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ミス
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長時間放置しなければよかった。
完全に漬けて頭ぶっ壊れるまで仕上げるつもりだった所に後藤が来てしまった。予定が狂った。
強い瞳を見て新川はため息をつく。言いくるめそうにない。こういう勘のいいタイプは嗅ぎ分けるのが得意だ。もしくは露骨に損得だけで人を選ぶ。
「病院に行こう。顔色が悪い」
新川は簡単な単語を繰り返して土屋の意識をそちらに集中させようとする。
黒いシャツの中の肌が汗ばむ。素人相手にこんなに緊張するのは久しぶりだ。それ以上に土屋の顔は汗で濡れている。
「手遅れになってもしらないよ」
飲み物を取りに行こうと土屋に背を向ける。ぐったりしていたはずの土屋が突然飛び起きて新川を突き飛ばす勢いでダイニングへむかい、包丁を手に取った。
「何の真似だ」
「あんた…何が目的だ…。俺をこんな体にして一体どうするつもりで」
「お前は病気だ。病院に行きたくないならおとなしく寝ていろ」
刃先を突きつけられても新川は顔色ひとつ変えずミネラルウォーターのペットボトルを土屋に差し出すが、勢いよく払い落とされて床が濡れた。
ズボンが濡れた所を新川が見る。わずかでも目線を外したのはプロとは思えないミスだった。
それだけ相手が子どもだと油断していたのかもしれない。
ドン!と体に衝撃を受けた。
体当たりしてきた土屋を抱えるように新川が倒れる。一瞬何が起きたのかわからなかった。
土屋が手にしていた包丁が腹に刺さっている。シャツが血を吸って重くなり、そこで自分が刺されたと自覚した。
「お前っ…、何の真似…!」
動くたび痛みが走る。土屋は新川の体を押さえるように重なっている。
「…俺になにした…、体が熱いし、ダルい……。俺をだましたのか?おかしいと思ったんだ、俺みたいなもんに近づいてくる人間にいい人なんかいない…」
怒りの顔に笑顔を貼り付けて土屋が言う。新川も優男の顔を捨てた。
手が届くダイニングテーブルの足をつかんで思い切り引っぱった。重い質量が土屋の頭に直撃して吹っ飛んでいく。体をひねったせいで刃はさらに深く体を貫いた。
「いっ…」
腹に刺さった包丁を見る。黒いシャツとズボンが血を吸う。先程の一撃が最後の力だった。新川はそのままゆっくり床に倒れた。
浅い呼吸を繰り返している新川にぼやけた天井が見える。そこに鬼の形相の土屋が重なった。
こんな所で死にたくない。
もうすぐ後藤と一緒にすごせる。何のしがらみもなく、自由に。
「死ね、オッサン」
土屋が柄を足で押し込む。
刃は新川の肉体を貫いて床まで届きそこで止まった。
「ああ。警戒解いても大丈夫だと思うよ。元締めは俺の知り合いだったから話はついた」
運転席で後藤は電話で説明している。ここ数日鳴りっぱなしだ。
だが今は自分の予感を優先すればよかった。
通話を切ってドアを開けた。どうも心がざわざわする。荒々しく革靴の音を鳴らしながらエレベーターまで歩き新川の部屋の階まで移動する。その時間がものすごく長く感じた。
インターホンを鳴らす。反応はない。
ドアに鍵がかかっていなかった。
「成斗!」
一歩入っただけで事態を理解した。部屋中に漂う血の臭い。吐き気を我慢しながらすぐ横のダイニングに行くと包丁が刺さったまま倒れている新川と、それを見下ろす若い男が立っていた。
「…死んじゃったかも」
土屋は体をふらつかせて静かに座り込んだ。よく見ると長谷川が飼っていた土屋とかいう男。佐伯に因縁ふっかけて西田が仲裁に入った話は聞いていた。
「成斗…」
倒れている新川の胸に耳を当てる。鼓動は感じない。
「ごめん…後藤さん……」
背後から土屋の弱々しい声がする。聞こえていなかったのか後藤は新川の顔を両手で包んでうなだれたままじっとその顔を見ていた。
「俺も、多分もうもたない…。警察に俺がやったと言ってくれ……」
背後からの雑音を後藤は完全に無視していた。
「成斗、勝手にもう一部屋借りたぞ。お前が嫌がっても一緒に住むからな。後出しでごめん」
目を開けたまま命尽きた新川にまるで生きているかのように話しかける。
「なあんて言ってももう聞こえないんだな…。こんな稼業じゃあろくな最期は迎えられねえな。ごめんな、いつもタイミング悪くて。ごめん、俺すぐ来ようとしてたんだけど電話が鳴って……、ちょっと遅れた。ごめん」
無表情のまま独白が続く。最後の最後まで土屋は無視されたままだった。
後藤はスマホを手に取り、警察に通報した。
緊急車両のサイレンが響いて警察と消防がバタバタと入ってくる。土屋も事切れたようだった。救急隊員が早くも撤収しようとしている。
「彼は清水の若衆です。担当の刑事さんにつないでください」
「君が第一発見者?確か双竜会の」
「後藤です」
大事そうに新川の体を抱えてうなだれている後藤の後ろ姿に老年の刑事が語りかける。
「あんたが来た時はもうこの状態だったんだな?」
「…俺が部屋に入った時はその子はまだ息があったけど新川は死んでた。詳しくはわからないです」
後ろで電話しているほかの刑事が後藤に近づいてくる。
『お前どうしてそんな所にいるんだ?今から行くから動くなよ。全くお前のまわりは事件しか起こらないな』
面倒事を全部押し付けておいて随分な言い草だ、だが今は反論する力はない。
「変わりました今井と言います、そちらの担当の…」
刑事が話しながら遠ざかっていく。狭い空間にどんどん人間が増えていく。後藤には半透明に見えて現実感がなかった。
「おい!」
誰かの大声が響く。水がパシャ、と跳ねる音。新川の体に重なるように後藤が倒れた。
完全に漬けて頭ぶっ壊れるまで仕上げるつもりだった所に後藤が来てしまった。予定が狂った。
強い瞳を見て新川はため息をつく。言いくるめそうにない。こういう勘のいいタイプは嗅ぎ分けるのが得意だ。もしくは露骨に損得だけで人を選ぶ。
「病院に行こう。顔色が悪い」
新川は簡単な単語を繰り返して土屋の意識をそちらに集中させようとする。
黒いシャツの中の肌が汗ばむ。素人相手にこんなに緊張するのは久しぶりだ。それ以上に土屋の顔は汗で濡れている。
「手遅れになってもしらないよ」
飲み物を取りに行こうと土屋に背を向ける。ぐったりしていたはずの土屋が突然飛び起きて新川を突き飛ばす勢いでダイニングへむかい、包丁を手に取った。
「何の真似だ」
「あんた…何が目的だ…。俺をこんな体にして一体どうするつもりで」
「お前は病気だ。病院に行きたくないならおとなしく寝ていろ」
刃先を突きつけられても新川は顔色ひとつ変えずミネラルウォーターのペットボトルを土屋に差し出すが、勢いよく払い落とされて床が濡れた。
ズボンが濡れた所を新川が見る。わずかでも目線を外したのはプロとは思えないミスだった。
それだけ相手が子どもだと油断していたのかもしれない。
ドン!と体に衝撃を受けた。
体当たりしてきた土屋を抱えるように新川が倒れる。一瞬何が起きたのかわからなかった。
土屋が手にしていた包丁が腹に刺さっている。シャツが血を吸って重くなり、そこで自分が刺されたと自覚した。
「お前っ…、何の真似…!」
動くたび痛みが走る。土屋は新川の体を押さえるように重なっている。
「…俺になにした…、体が熱いし、ダルい……。俺をだましたのか?おかしいと思ったんだ、俺みたいなもんに近づいてくる人間にいい人なんかいない…」
怒りの顔に笑顔を貼り付けて土屋が言う。新川も優男の顔を捨てた。
手が届くダイニングテーブルの足をつかんで思い切り引っぱった。重い質量が土屋の頭に直撃して吹っ飛んでいく。体をひねったせいで刃はさらに深く体を貫いた。
「いっ…」
腹に刺さった包丁を見る。黒いシャツとズボンが血を吸う。先程の一撃が最後の力だった。新川はそのままゆっくり床に倒れた。
浅い呼吸を繰り返している新川にぼやけた天井が見える。そこに鬼の形相の土屋が重なった。
こんな所で死にたくない。
もうすぐ後藤と一緒にすごせる。何のしがらみもなく、自由に。
「死ね、オッサン」
土屋が柄を足で押し込む。
刃は新川の肉体を貫いて床まで届きそこで止まった。
「ああ。警戒解いても大丈夫だと思うよ。元締めは俺の知り合いだったから話はついた」
運転席で後藤は電話で説明している。ここ数日鳴りっぱなしだ。
だが今は自分の予感を優先すればよかった。
通話を切ってドアを開けた。どうも心がざわざわする。荒々しく革靴の音を鳴らしながらエレベーターまで歩き新川の部屋の階まで移動する。その時間がものすごく長く感じた。
インターホンを鳴らす。反応はない。
ドアに鍵がかかっていなかった。
「成斗!」
一歩入っただけで事態を理解した。部屋中に漂う血の臭い。吐き気を我慢しながらすぐ横のダイニングに行くと包丁が刺さったまま倒れている新川と、それを見下ろす若い男が立っていた。
「…死んじゃったかも」
土屋は体をふらつかせて静かに座り込んだ。よく見ると長谷川が飼っていた土屋とかいう男。佐伯に因縁ふっかけて西田が仲裁に入った話は聞いていた。
「成斗…」
倒れている新川の胸に耳を当てる。鼓動は感じない。
「ごめん…後藤さん……」
背後から土屋の弱々しい声がする。聞こえていなかったのか後藤は新川の顔を両手で包んでうなだれたままじっとその顔を見ていた。
「俺も、多分もうもたない…。警察に俺がやったと言ってくれ……」
背後からの雑音を後藤は完全に無視していた。
「成斗、勝手にもう一部屋借りたぞ。お前が嫌がっても一緒に住むからな。後出しでごめん」
目を開けたまま命尽きた新川にまるで生きているかのように話しかける。
「なあんて言ってももう聞こえないんだな…。こんな稼業じゃあろくな最期は迎えられねえな。ごめんな、いつもタイミング悪くて。ごめん、俺すぐ来ようとしてたんだけど電話が鳴って……、ちょっと遅れた。ごめん」
無表情のまま独白が続く。最後の最後まで土屋は無視されたままだった。
後藤はスマホを手に取り、警察に通報した。
緊急車両のサイレンが響いて警察と消防がバタバタと入ってくる。土屋も事切れたようだった。救急隊員が早くも撤収しようとしている。
「彼は清水の若衆です。担当の刑事さんにつないでください」
「君が第一発見者?確か双竜会の」
「後藤です」
大事そうに新川の体を抱えてうなだれている後藤の後ろ姿に老年の刑事が語りかける。
「あんたが来た時はもうこの状態だったんだな?」
「…俺が部屋に入った時はその子はまだ息があったけど新川は死んでた。詳しくはわからないです」
後ろで電話しているほかの刑事が後藤に近づいてくる。
『お前どうしてそんな所にいるんだ?今から行くから動くなよ。全くお前のまわりは事件しか起こらないな』
面倒事を全部押し付けておいて随分な言い草だ、だが今は反論する力はない。
「変わりました今井と言います、そちらの担当の…」
刑事が話しながら遠ざかっていく。狭い空間にどんどん人間が増えていく。後藤には半透明に見えて現実感がなかった。
「おい!」
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