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バターの微笑み
01 ー 港街
しおりを挟む別館に戻ると誠は早速厨房に籠り、食事作りに取り掛かっていた。どうせこの後は誰も外に出ないだろうと、アレクセイが言っていたからだ。まだダイニングで待っていたレビ達は、誠達の無事を確認するや否や、仮眠をしてくると自室に行ってしまった。
時間を確認すると、もう少しで昼だ。起きて来るのは夜になるだろう。
アレクセイはフレデリクと話があるとのことで、ダイニングに居る。したがって、厨房には誠一人だ。こうしてゆっくり食事を作るのは、なぜか久し振りのように感じながら、材料を作業台に並べていった。
いくら気疲れをしているとは言え、昼時だと確認してしまうと妙に腹が減るのはなぜだろう。誠はバッグの中から二段のケーキスタンドを二つ取り出した。しっかりと昼食を作っても良いのだが、あの分だと話は長引きそうなので、摘める物を作るつもりだ。
作るのは、サンドイッチとスコーン、そしてフランス菓子のクラフティと、ダックワーズだ。スコーンは中にドライフルーツの入った、アメリカンスコーンにする。どれも生地を寝かせないので、二時間以内にはダイニングに出せるだろう。
ココットに流したクラフティと生地を焼いているうちに、ダッグワーズに挟むクリームを作ろうと食品棚を漁っていると、入り口に気配を感じた。もう向こうの話し合いの佳境は過ぎたのだろう。誠はバッグから焼き菓子を出し、後ろ手で緩やかに投げてやった。
「わっ…」
いきなりで驚いたのか、驚いた声が聞こえた。誠は笑いながら振り返った。
「何、お腹空いた?」
覗き込んでいたのは、ローゼスだった。その胸には受け取ったカヌレをしっかりと抱いている。
「いや…僕が参加すべき話し合いは終わったので、抜けて来ました。それで、お菓子の礼を…。ありがとうございます」
「そっか。わざわざ丁寧に、どうも。んで、何か用?」
ついつい「何かヨウカイ?」と言いそうになった。だが悲しいかな、この世界ではその自己紹介なオヤジギャグは通用しない。
ローゼスはいたって普通の表情をしていた。
「貴方は班長のツガイだから、兄嫁として仲良くしたいと思って」
「あー…そっかそっか」
誠は妙に納得した。アレクセイとフレデリクは兄弟だと聞いたが、職場も同じだし仲の良い様子から、今後もローゼスとの付き合いもあるだろう。親族とは仲良くしたいのは、どこの人間…いや、獣人でも同じだということか。
「けど、ローゼスって義理の兄って言うより、弟って感じだよな」
「なっ…!確かに僕の方が年下だろうが、兄嫁なんだから義理の兄だ」
こっちが素なんだろう。自分の前ですっかり猫を脱ぎ捨てたフレデリクの猫ちゃんは、腰に手を当ててふんぞり返っている。その様子がおかしくて、誠は吹き出してしまった。
「何だ?」
「いや。そっちが素なんだなって」
「あ…」
やっと気付いたかローゼスは慌てて言葉遣いを直したが、誠はそれを止めた。長い付き合いになるのなら、気楽な関係が良い。それでなくても、誠は何となくローゼスを気に入っていたからだ。
作業を見学したいというローゼスを近くに、誠は残りの工程をこなしていった。途中で出来上がったレーズンクリームを味見させてやったのは、弟が欲しかったからと、キラキラとした視線に負けたからだ。餌付けしている気分にならないでもないが、アレクセイとは違った美人がニコニコしているのを見るのは楽しい。
出来上がった物をワゴンに乗せてダイニングに行くと、予想外の人物が席を陣取り、アレクセイ達と紅茶を飲んでいた。
「よお」
こちらに気付いたその人物は、軽く手を上げた。誠は「さっきはどうも」と言いながらも、考えていたことは、作った軽食が足りるかどうか。それだけだった。
ケーキスタンドをテーブルに出すと、その人物、辺境伯であるレイナルドの目は見慣れぬそれに釘付けになっていた。
「これはまた…おっもしれぇもんだな。二段になっている皿か」
「三段のもあんだけどな。…で?この状況を、説明してくれるんだろ」
言いながら取り皿を置いていくと、アレクセイは手ずから紅茶を用意してくれ、自分の隣にティーカップを置いていた。誠の席はここだと、示してくれている。そんな独占欲が少し嬉しくて、誠は少し笑った。
ケーキスタンドは、基本的には下の軽食から食べるのだが、この際そんなルールは無視だ。トングで適当に取って真っ先にアレクセイの前に置いてやると、レイナルドはニヤニヤとした目でその様子を見ていた。
「何だよ」
「いんや。お前さん達、いつもそんな感じなのか?」
「そうだけど」
本来は身分が上である辺境伯かフレデリクに給餌をしなければならないだろうが、フレデリクにはローゼスが居るし、あんな会議の後だ。レイナルドの意図が分からないうちは、辺境伯よりも自分のツガイの扱いが上になるのは致し方無いというものだろう。
自分を優先してくれたのが嬉しいのか、アレクセイの尾はご機嫌に揺れていた。
「それで。アンタが何か企んでいたのは分かったけど、どういうことだったんだ?」
一応気を使い、レイナルドがサンドイッチを頬張ったのを確認してから自分もスコーンを齧る。
「多分アレクセイから少しは聞いているとは思うが、まぁ…今回の会議では、スルト騎士団の異分子の炙り出し…かな。なあ、フレデリク」
「私に振らないで頂きたいのだが」
ローゼスの皿にダックワーズを乗せながら、フレデリクが不機嫌そうに言った。
「大体、貴方がさっさとゴミの排除をしないのが問題でしょうが。だから王都騎士団とスルト騎士団の差が縮まないんですよ」
「うっへー。いつもながらキツいな、この王弟殿下は」
「…は?」
レイナルドの言葉に、誠は固まる。今、フレデリクのことを王弟と言ったのだろうか。
確認するためにアレクセイを見ると、アレクセイはしっかりと頷いた。
「えーと…ヴォルク家って公爵じゃあ…」
その疑問にも、アレクセイは頷く。
「そうだ。兄上は王弟だが、幼い頃からヴォルク家で育った。血は繋がっていないが、俺の兄だ」
「はー…なるほど。でも瞳の色は一緒だし、フレデリク様はよく見たらタレ目だけど、何かアレクセイと目元が似てるよな。あと、鼻筋とか」
「それはヴォルク家の五代前の当主の伴侶が、降嫁してきた王家の人間だからだろう。瞳の色は、その方譲りだと言われている」
「そうなんだ」
王侯貴族のことは殆ど知らないが、王弟が親族である公爵家で育つなぞ、王家で権力争いがありましたと暗に言っていることくらいは分かる。それに、尊大な態度がフレデリクには無駄に似合っていたので、その理由が分かっただけでも収穫だろうか。
ふと目が合ったフレデリクは、誠に対してニヤリと笑った。
「そうだ。だからマコトも私の弟になる。今度から私のことは、お兄ちゃんと呼びなさい」
明らかに悪の帝王感満載の人間から、良く響く低い声で「お兄ちゃんと呼べ」と言われた人間の気持ちを、誰が分かってくれるのだろうか。
再び固まってしまった誠に対し、アレクセイは頭を撫でて慰めていた。
「兄上、巫山戯たことを言っていると、マコトに嫌われますよ。いい加減貴方は何か企んでいそうな雰囲気が出ているんですから」
「私はいたって真面目なんだがな」
椅子の背に上体を預けたフレデリクは、優雅に紅茶を口に運ぶ。ローゼスはそれをよそに、スコーンをせっせと頬張っているだけだった。
「…そのことは、一旦置いといて。おっさん、話を進めてくれ」
やっと立ち直った誠はこの空気をぶち壊し、レイナルドに水を向けた。しかし当の本人はサンドイッチに夢中になっており、話どころではないようだ。
ケーキスタンドからサンドイッチが全て消えていたのを見たアレクセイが、自分の伯父を氷漬けにするのには十分な理由だ。誠の料理を独り占めすることは、万死に値する。
アレクセイの無言の怒りを察した誠は、自分とフレデリク達にそっと結界を張るのだった。
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