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バターの微笑み
02 ー 金色の狐
しおりを挟む誠が目を覚ますと、首の辺りが妙に重かった。体を起こそうとしたが、銀色が目に入る。そして、暖かさも。
耳元では、小さな呼吸音が聞こえてくる。
ああ、生きている。
たった、それだけのことだ。誠は泣きたくなった。
「きゅぅ…」
息が漏れる。自分より一回り大きな銀狼はその声を聞き取ったのか、ゆっくりと頭を起こすと、誠の頬の辺りをペロリと舐め上げた。
くすぐったくて銀狼の首元にぐりぐりとマズルを擦り付けていると、視界の端で動く物が見える。
そう言えば、結界を張っていたのだ。
すっかり忘れていた誠は、ふわりと尾を振った。その途端、レビ達が流れ込んで来る。
「班長…!」
「マコトさんも、無事で良かった…!」
次々にアレクセイと自分の無事を喜んでくれることが、ただただ嬉しい。誠はアレクセイの頬を鼻先で突ついて退いてもらうと、人型になった。アレクセイもそれに続くと、レビ達は一斉に二人に抱きつき、しばらく離れようとしなかった。
四人が落ち着いたのは、レイナルド達がやって来てからだった。詳しい話をオスカーから聞くと、どうやら誠が結界に篭った後は、いろいろと大変だったらしい。
アレクセイを刺したジュリオは、誠に吹き飛ばされて気絶したところをスルト騎士団員が確保。魔剣はクラウスとクルトが結界を張り、今のところは沈静化しているそうだ。地面に投げ出されている魔剣を見るが、確かに結界が張られていた。
そして、肝心な話はこれから。誠の進退についてだ。あれだけの力を見せつけ、今まで聞いたことも無い見たことも無い、九本の尾を持つ狐に変身したのだ。誠がアレクセイに玉を渡したのは見られていないらしいが、危険人物としてこれからどうするのかとレイナルド達とレビ達は話し合っていたそうだ。
本館へと連れて来られた誠は、当たり前だが居心地が悪い。昨晩会議を行っていた部屋の空気は重く、レイナルドをはじめ、騎士団の幹部らしき人物達の視線は、警戒と恐怖が混じったものが殆どだった。
重厚な長机の奥には、レイナルドが座っている。机の両脇には、平の団員の制服よりも飾りが多い制服を着込んだ連中が座っている。その様子を見ながら、誠とアレクセイは机の前に立っていた。
誠としては、獣人でも人間でも、そんな視線はどうでも良い。ただ、変に話がこじれてアレクセイの傍に居られなくなる方が、面倒臭い。自分の一挙手一投足が、アレクセイの足枷となるかもしれない。それを考えると、頭が痛かった。
小さく溜息を吐いたが、それを不安からと誤解したアレクセイは、誠の手をそっと握った。
「さて…どこから話せば良いものか」
レイナルドが腕を組みながらポツリと零す。
「答えは決まっているじゃないですか。彼を拘束。後に王都に護送。これしかないのでは?」
「しかし、暴れでもしたらどうする」
「あの力を見ただろう。それに、王都の研究班も興味を示すだろう」
「だが彼の力無くしては、この地は危険に陥っていた」
「そうは言ってもだな」
目の前の机が、この室内の境界線だ。中年オヤジ達は、好き勝手に話し合っている。誠は自分達が呼ばれた意味が、心底分からなくなっていた。
先に話し合いが済んでいたのではないのかとアレクセイを見るが、眉間に皺を寄せて前方を睨んでいるだけだった。誠は誰にも気付かれずに結界を張って防音対策をすると、アレクセイに話しかけた。
「…結界を張った。前向いて話してくれ」
「ああ」
「これさぁ…会議?俺ら、居る意味あんのかよ」
誠の機嫌が少し悪いのが分かったのか、アレクセイは繋いでいる手をにぎにぎと強弱をつけて遊びだした。
「無いな。まあ、辺境伯領も一枚岩じゃないからな。お歴々は未だに頭が固い連中が多いし、王都騎士団との折り合いもあまり良くない。辺境伯も、一応は頑張っているんだがな」
「なるほど…だから、このザマか」
誠の有用性を唱えるお歴々と、息子とアレクセイを救ってくれた誠を擁護する辺境伯と数人。この様子だと、レビ達が参加した「話し合い」も、同じ様子だったに違いない。
自分達の益を唱えるのは良いが、それでどうするのだろうか。王家に反旗を翻すのか、それとも同等の利益と権力を握りたいのか。どっちにしろ、誠が知ったことではない。それに誠が手を下すのは、アレクセイか自分の命が危なくなった時だけだ。
誰が貴様らの下につくものか。
誠は冷めた目で、その話し合いの様子を見ていた。
しかし、ずっと立っているのも辛いし暇だ。カフェでの仕事中も立ちっぱなしだが、ずっと同じ所で止まっている訳ではない。何だかんだ言って、いろいろと移動しているのだ。
「はー…腹減った」
ぐるりと首を回しながら言うと、アレクセイも同調する。
「そうだな。そろそろ朝食の時間だ」
「だろ?レビ達、どうしてんだろ」
「肉を焼くくらいはしているかもしれんな。それか、誠の料理を待っているか」
アレクセイは腹ペコの彼らを想像したのか、口元だけで笑っていた。
「…なぁ」
「何だ?」
「何も聞かないんだな」
こんな場所で聞けないのだろうが、どうしても気になってしまう。誠は画面の向こうで演じているような辺境伯達の寸劇を見ながら、ポツリと呟いた。
アレクセイは、誠の指を自分の指で器用になぞる。
「聞きたいさ。けれど、君が話したい時で良い。それに…」
「それに?」
「目が覚める前に、君に良く似た方に、夢で会ったよ」
「…それって」
自分に良く似た方と言われ、誠は息を飲んだ。思い当たる人物は、一人しか居ない。確かに遠野には牡丹に似た人は数人存命しているが、わざわざアレクセイに接触する意味は無いし、誠が異世界に居ることも知らないだろう。そして、誠が龍玉を渡したことも。
龍玉を持つ遠野の者は、己のツガイにそれを渡して諏訪の加護を与えると同時に、遠野の傘下に納めてしまう。だから牡丹はアレクセイの夢に現れることができた。
誠はそれをまだ、アレクセイに伝えられていない。一生を左右することなのだが、あの時はああするしか方法が見つからなかったのだ。
「ヨウコとかヨウカイと言うのはいまいち分からないが、君が森で出会った美しい狐だということは分かる」
「ん…。俺も、あの時の銀狼がアレクセイだって気付いたのは、昨日だったけど」
「そうだな。それを知った時、俺は二心を持っていないことに安堵したよ。…そして、このまま伝えたい言葉があるのだが。会議室でだなんて、ロマンチックの欠片も無いな」
「言えてる」
「だな。よし、とりあえず移動しよう」
アレクセイは誠の顔を見てから晴れやかな笑顔を浮かべると、結界を解くように頼んできた。
「お話の途中、失礼します。辺境伯、そちらの意見がまとまっていないのであれば、我々は結論が出るまで別棟で控えさせてもらいます」
キッパリと言い切る。
アレクセイは誠の手を引いて、部屋を出てしまった。背後から静止する声がいくつも飛んだが、二人は振り返ることはなかった。
そのまま本館を出て、敷地内からも出てしまう。アレクセイが案内したのは、すぐ近くの砂浜だった。この一体は警備の都合上、辺境伯のプライベートビーチとなっているらしく、海と白い砂浜を見渡せるように、白い漆喰で塗られたガゼボが設けられていた。
アレクセイはそこに誠を座らせると、手を取って跪く。
「本当は、公爵領の見晴らしが良い丘で、君に伝えたかったんだが」
そう言うとアレクセイは誠の指先に唇を落とし、すっと背筋を伸ばした。
「マコト…君とあの森で出会えたのは、きっと運命だ。…いや、運命なんて言葉は、君の前ではチープだが。けれど、俺の語彙力では、似合う言葉が見つからない」
アレクセイがこの状況で、自分に何を伝えたいのかは分かっていた。今まで言わせなかったのは自分だったが、いきなりだ。まだ心の準備はできていない。
けれど、熱を帯びたアイスブルーの瞳は真っ直ぐに自分を見つめている。その熱に、誠は飲まれてしまった。
誠はその色を見つめたまま、胸が高鳴るのを感じていた。
波音が優しく、二人を祝福するかのように音をたてる。
「俺は君に命を救われた。感謝している。だが、今度は俺が命の限り、君を守ると誓う。マコト…誇り高い狐の君よ。俺を君の伴侶に選んでくれないか」
飾りの無い言葉。けれど、言葉以上にアレクセイの熱が、誠に愛を謳っている。
この手を取ることが怖かった。でも、自分の龍玉を渡すほどの相手は、アレクセイしか居ないのは、とっくに自覚している。
誠はゆっくりと瞬きをした。波が照り返した光が、アレクセイの銀色を更に輝かせていた。
ああ、この人が俺のツガイなのか。
改めて認めると、途端に恥ずかしくなった。
誠は何とか頷く。すると瞬きをする暇もなく、アレクセイの腕の中に捕らわれてしまっていた。安心する暖かさだ。そして香る、ジャスミンとミント。
この中から抜け出そうなんて、できるはずがなかったのだ。
遠野の妖狐は、ツガイからは自分の好きな香りがすると言われている。ジャスミンもミントも、誠が好きな香りだ。だからどう足掻いても、この銀狼以外の手を取る選択肢は用意されていなかったのだろう。
そっと唇をなぞられると、反射的に少し口を開けてしまう。アレクセイはそんな誠を可愛いと微笑み、壊れ物を扱うかのように、そっと口づけをした。
そしてまた、波音。風が二人をそっと撫でていった。
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