神様の料理番

柊 ハルト

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バターの微笑み

01.5 − 金色の狐

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痛みは、一瞬だった。
自分は職に殉じて最期を迎えると思っていたのに、結果はこのザマだ。人生何が起こるか分からないと言うが、その通りだと思う。
けれど、自分の人生は、そう悪いものでは無かった。どこかに必ず居ると言われているツガイを、この歳で見つけられたのだ。
彼は不思議な人物だった。掴もうと思うと、風のようにスルリと抜け出しそうで、けれどこの腕に留まってくれる。苛烈な部分もあるが、基本的には優しいところもある。
ああ、そうだ。
アレクセイは目を閉じたまま、誠の姿を思い浮かべる。
自分が死んだ後、彼はどうするのだろうか。悲しませたいわけじゃない。けれど、もう自分にはどうすることもできない。
心残りがあるとすれば、誠との今後のことだ。
王都に着いたら両親に、一生を共にしたいヒトだと紹介したかった。何か問題を抱えているようだから、解決策を共に考えたかった。何もない日でも、一緒に居られれば楽しい日になるだろう。自分が作った料理を食べてもらいたかったし、もっと熱を分け合いたかった。
どうしてこの体は、もう動かないんだろう。
どうして、この体からは熱が奪われ続けているんだろう。

「マコト…」

呟く声は、誰にも聞こえない。
かと、思われた。

「…おーい」

死後の世界は、あるのか無いのか。そんな論争が、信者の間ではなされている。アレクセイは、死後の世界は無いと思っている。

「おーい。兄さんよ」

だが、この声の主は誰だろう。

「いい加減、目ぇ開けろよ!」

アレクセイの頭に、スパーンと小気味良い音と同時に衝撃が走る。その途端、もう二度と開かないと思っていたアレクセイの目が開き、白い空間をその目に映していた。そして、誠と良く似た人物も。

「よぉ。目ぇ覚めたか?って言っても、ここはお前の夢の中なんだけどな」
「…夢?」

バラの花に似た大きな花柄の衣装を着たその人物は、牡丹だと名乗る。ワインレッドよりも深い赤色は、彼には良く似合っていた。
自分の夢の中で、知らない人物と自己紹介をするのも変な感じだ。
アレクセイは起き上がると、牡丹と握手をした。誠よりも柔らかな手だったが、バラに似た芳香は似ていた。それに大きな耳も、九本ある尾も、誠とそっくりだ。いや、この場合は牡丹に誠が似ていると言った方が正解だろう。
誠の兄のように見えるが、それにしても狡猾そうな雰囲気を醸し出している。親戚か誰かだろうか。アレクセイは失礼のないように牡丹をそっと観察していた。

「ところで…俺は、死んだはずだと思うんですが」

聞きたいことは、たくさんある。
まずそれを聞くと、牡丹は誠と同じような笑い方をした。

「そうだな。正確に言えば、死にかけた…かな」
「では、まだ生きているんですか?」
「まあなぁ。けど、誠のおかげっつーか、誠のせいっつーか。だから、俺がこうして夢渡りができたんだけどな」
「夢渡り…?」

聞いたことのない言葉だ。
アレクセイは、同じ言葉で聞き返した。

「夢渡りっつーのは、言葉通り夢の中を渡るのさ。今、お前さんが寝ている状態だから、俺は夢を介してこの場に居る。けど、この術は遠野の者にしか通じない」
「トオノ…と言うことは、貴方はやはりマコトの…?」
「そ。誠のっつーか、遠野の始祖。ちなみに、年齢は秘密だ」

そう言って、牡丹はパチリとウインクをした。誠よりも妖艶なくせに、そのお茶目な仕草とのギャップにアレクセイは面食らう。
牡丹はそんなアレクセイの表情に笑いながら、話を続けた。

「誠がどこまでお前さんに遠野のことやアイツ自身のことを話してんのかは知らねぇが、恨まないでくれよ。アイツはアイツで、いろいろとややこしく考えてんだ」
「いえ…はい。いずれは話してくれると思っていますし、何か悩んでいるのも知っています。けど、何を言われても、俺はマコトを離してやれないし、生涯大事にしたいと思っています」
「そっか、そっか」

誠の両親よりも先に、始祖だという牡丹に結婚の挨拶もどきをしてしまったアレクセイに、牡丹はにんまりと笑う。
その笑い方も、誠と良く似ているなと、アレクセイは牡丹と向き合いながら考えていた。

「遠野の決定権の半分は、俺にある。俺はお前を認めてやるよ。まぁ…諏訪っつー始祖がいるんだけどよ。そっちの方は俺が抑えといてやる。アイツは俺に似た子孫が生まれると、妙に過保護になりやがるからよ」
「ありがとうございます。…と言うことは、俺がマコトを花嫁として迎えても良いと理解してよろしいのでしょうか?」
「ああ、もちろん。ただ、アイツは実家のカフェと遠野の仕事を大事にしてるからなぁ。ま、その辺りは話し合って決めてくれ。別に俺は、お前さんがウチに来ても良いし、誠がこの国に居たいっつーんなら動いてやっても良いし」
「…ボタン殿は、どうしてそこまで?」

随分、自分に都合の良い話だ。アレクセイが訝しむが、牡丹はケラケラと笑った。

「俺が大事なのは、俺が持ってる温泉宿と子供達だ。…まぁ、百歩譲って、ツガイである諏訪もな。子供や孫、子孫には、幸せになって欲しいんだ。そんだけ」

そう言い切る牡丹の目には、嘘が無い。
アレクセイは、本能的にそう感じていた。

「それで?他に聞きたいことは」

牡丹が促す。けれど、アレクセイは首を左右に小さく振った。

「後は、マコトに聞きますよ。これ以上は、俺が勝手に貴方から聞いても良いことでは無いでしょうから」

そう言うと、牡丹は笑みを濃くした。その途端、アレクセイにかかるプレッシャーは強く大きなものとなった。

「…頭の良い奴は好きだぜ、俺は」
「どうも」

魔獣や王族と対峙する時よりも強い何かに、押され気味になる。
しかし、ここで倒れでもすれば、誠は手に入らない。アレクセイの本能が、そう告げていた。
牡丹がゆらりと尾を揺らすと、空気が柔らかくなる。知らずに手を握っていたアレクセイは、そっと体の力を抜いた。

「一つだけ。一つだけ、教えといてやろう。お前さん、マコトの耳や尾を見たことは?」
「あります。貴方と同じ、金色に近い綺麗な毛並みの耳と尾でした」
「そうか。だったら…」

牡丹はそこで言葉を切ると、大きな狐に姿を変えた。見下ろされているが、それが牡丹なので不思議と怖くはなかった。

「これが俺の本性だ。まぁ、さっきの姿も本性なんだけど。んで、誠も俺よりは小さいけど、狐の姿を取れる」

アレクセイは、息を飲んだ。
大きさは違うが、はじまりの森で出会った狐を思い出す。牡丹よりも小さいと言うことは、もしかしたら…という考えが、頭をぐるぐると回っていた。胸の奥が、熱くなる。

「俺らの世界じゃ、妖狐って呼ばれている妖怪さ」
「ヨウコ…ヨウカイ…」
「そ。魔獣じゃないし、獣人でもない。けれどお前らと同じく話せるし考えることもできる。人を騙すのはお手の物。まぁ、誠は純粋な妖怪じゃねぇけど」
「そうですか」
「で?どうだ。この姿は、恐ろしいか」

それが本題だろう。狐の姿となった牡丹の視線は鋭いものとなっている。
アレクセイは、ふっと笑った。深いところに踏み込めなかった誠の、家族構成を聞いたことはない。けれど、誠はこんなにも愛されていることが、自分のことのように嬉しいのだ。

「いえ、まさか」

それは、アレクセイの本心だ。

「美しいと、思っています」
「そうかい。だったら、いいや」

牡丹は姿を人型に戻すと、アレクセイの肩をポンポンと叩く。

「せいぜい、可愛がってやってくれよ。あと、アイツにさ、素直になれって言っといてくれ」
「分かりました」

牡丹はアレクセイの答えを聞くと、「じゃあな」と言って消えてしまった。
残されたアレクセイは、さて、と改めて辺りを見回した。下手をすれば、上下左右が分からなくなる、真っ白な空間だ。牡丹は夢の中だと言っていたが、自分はどうすればこの夢から覚めるのだろうか。
早く、夢から覚めたい。そして、マコトを思い切り抱きしめたい。
アレクセイが強く思った瞬間、何に引っ張られる感覚がした。それに逆らわずに身を任せていると、途端に体が重くなる。
目を開けると、今度は真っ黒な世界が広がっていた。
いや、真っ暗、だろう。
アレクセイは体を起こすと、体を包んでいた柔らかな暗闇は体の横を流れる。薄紫の空が、頭上に広がっていた。
そして、金色。
大きな狐の尾が、アレクセイを守るように包んでいた。

「マコト…」

やはり、あの時の狐だ。
アレクセイは、すぐ傍にある狐の頬を優しく撫でていた。
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