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第2章 恐怖の残渣

第40話 神聖なる葬送

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 ママ ママ
 メアリーが私のことをママって呼んでくれた。
 なんだろうこの気持ち。嬉しい、そして温かい。

「メアリーありがとう。充電完了したわ。行きましょう!」
 ぎゅっと抱きしめていた腕をほどいて、メアリーの目を見つめる。
「じゅうでん…?言葉の意味はよくわからないけれど、うん、いいわ!」
 そんな私に、メアリーは笑顔を見せてくれた…って、あ!また異世界にない言葉を使っちゃった。
 なんというか心にダメージを受けたとき、甘いものを食べたりかわいい動画を見たりすると癒されて心が満たされるじゃない?私はそれを充電されるって言ってたのよね。でも電気のない世界に充電はない…わよね?

 執務室に戻ると、斥候に出ていたエルフが入ってきて報告をしていた。
「以上、自分が最後になります。全員屋敷への避難は完了しております。」
「ご苦労じゃ、休憩を取りなさい。」
 長老がねぎらっている。

 いよいよ、ファントム・デーモンが接近してきた。防御の手はずは完璧だから、あとは私が魔法を使うだけ。さっきのような不意打ちに注意すれば大丈夫…大丈夫…と自分に言い聞かせる。
 そして、拍子抜けと言っていいのだろうか、ファントムデーモンはご丁寧なことに二体とも正面玄関に現れた。

「気を付けてね!」
「頑張って!」
「お願いします!」
 メアリーほか、たくさんのエルフと人間に見送られながら、私は領主邸の玄関ドアから外に出た。ここからは防御結界が張られていない、戦いの場所だ。
「さぁ、いくわよ!」
 そう言って自分で自分を奮い立たせる。

 …しかし、足が動かない。口の中がカラカラになっているし背中がうっすらと汗ばんでいる。
 緊張?いや、エルフの集落で戦闘した時には緊張なんてしていない。
 これは、そうだ「恐怖」だ。
 あの時、霊体をまさぐられた例えようのない酷い不快感。
 ひとたび捕まると、抵抗する力も失せるほどの嫌悪感。
 前回の戦闘で私の肉体と霊体はノーダメージ。でも心にしっかりと恐怖が刻み込まれていたのだ。

 あんな目にあうのは嫌だ、ここから逃げたい、怖い。
 でも、ここで逃げたらダメ、戦わないと。
 思考と感情と肉体が切り離されたかのように、それぞれが独立して動いている感覚。
「危ない!」
 その一言に我に返って、反射的に横に飛ぶ。
 次の瞬間、ファントムデーモンの拳が、私のいたところをめがけて振り下ろされた。

 足がすくむ。
 今のは辛うじて避けられたけれど、こんなおぼつかない足で次の攻撃も避けきれるだろうか。
 いくらファントム・デーモンの動きが鈍重だからって、私がそれ以上に鈍重になってたら、避けれるものも避けれない。
 ならば早く倒さないと!早く魔法を使わないと!
 死者の霊体を消し去るイメージで。
ハイリ神聖…」
 呪文を唱えようとしたその刹那、ファントム・デーモンの声が脳に響く。
『メあリー、めアリー…』

 それはまるで行方不明になったわが子を我武者羅がむしゃらに探す親の声ようだった。
 私のような付け焼刃の代理親とは違う、本当に本物の親の声。
 モンスターと化し、その声はしゃがれて、ひび割れているけれど、娘への愛情に満ちた親の声。
 必死に娘の姿を追い求める叫び声。

――ごめん、メアリー。私、この声を聴いちゃったら、戦えないよ…。

 私は両ひざをつき、がっくりと項垂うなだれた。
 自分自身のふがいなさ、無力さに涙が出てくる。

 すっかり戦意喪失した私。
 それをファントム・デーモンが見過ごすわけもなく、二体はゆっくりと私との距離をつめてきた。
 そして二体は蚊を叩くかのようにゆっくりと両手を広げる。
 誰もがもうダメだと思った瞬間、一人の少女がファントムデーモンと私の間に割って入ってきた。

 誰?
 顔を上げてその姿を確認する。
「メアリー!?」
 メアリーは危害を加えるなと言わんばかりに両手を広げて私をかばっている。
「もうこれ以上はやめて!パパ!ママ!」
 泣きながらメアリーがファントム・デーモンに向かって叫ぶ。
 ファントム・デーモンは振りかぶったところで動きを止めた。メアリーを認識しているのだろうか?

 でも今にでも攻撃を再開しそう…とても危険な状態であることは確かだ。
「メアリー、下がって!早く!防御結界の中に!」
 ぶんぶんと首を横に振って、メアリーが拒否を訴える。イヤイヤをする子供のように。
「メアリー、お願い!あなたは私と違って勇者の力はないんだから!レオンさんと同じで、霊体を刈り取られちゃうから!私は平気だから、あなたは逃げて!」
 私はありったけの声を張り上げてメアリーを諭す。
 でもメアリーは一向に聞き入れてくれない。
 ならば力づくでも…と思うが、無理やり連れて行こうにも相変わらず私の足は動かない。

 動け、動け、動け!
 私の体、どうして動いてくれないの!?
 いま動かないで、いつ動くのよ!

 1秒が10分にも思える。心の焦りは募るのに、でも全く動かない。
 このままだと、メアリーがファントム・デーモンに…。
 いやだ、それだけは絶対に嫌だ。
 前世で一人ぼっちで生きてきて、一人ぼっちで異世界転生して、ようやく家族と呼べる子と知り合えたんだ。もう二度と失いたくないの!

『ウごガがグァあア』
 脳内にまたファントム・デーモンの声が響く。酷く苦しんでいるようだ。
 おどろおどろしい叫び声がフェードアウトするように小さくなると、澄んだ男性の声が響いてきた。
「お願いします。娘を…娘を助けてください。」
 続けて
「あなたしか、頼める人がいないのです、ユメさん。」
 と、女性の声が響いてきた。

 まさかこの声…
「テオドールさん、ステファニーさん!?」
 でもどうして私の名前を?
「あなたの霊体に触れたとき、あなたの記憶も垣間見ました。」
「あなたなら、安心して娘を託せます。だからどうか、!。」
 人の記憶は霊体に刻まれるという。
 エルフの集落で戦った時に、ファントム・デーモンは私の霊体を取り込むことはできなかったけれど、私の記憶は見えたということだ。
 だから二人には私の名前、里親としてメアリーを迎えた事、勇者であること、全部お見通しなのだ。

「嫌です!記憶をご覧になったのならご存知でしょう?私なら、あなた達を蘇生だってできるんです!だからあなた達を失いたくない!これ以上、メアリーを悲しませないでください。」
 目の前のファントム・デーモンは明らかにテオドールさんとステファニーさんの意思が宿っている。こんなにはっきり二人を感じられるのに、倒せるわけがない。
「優しいのですね、ユメさん。でももう限界なのです。」
「私たちがこのモンスターを抑えていられるのも、あと僅かなんです。」
 今はテオドールさんとステファニーの意思で抑え込んでいるけれども、長くはもたないということなのかな。
 いや、たった二人の意思で抑え込めているのがそもそも奇跡なのかもしれない。

「私たちが…親である私たちが最愛の娘のメアリーを傷つけるなんて絶対にしたくないんです!」
「お願いします、どうか私たちが自我を失ってメアリーを襲う前に、あなたの手でこのモンスターを倒してください!」
 こんなのって…。
 こんなのってないよ!
 あんまりだよ!
 悲しすぎるよ!

「早く!」
「倒して!お願い!」

 もう、「ハイリグベアディグン神聖なる葬送」を唱えるしか選択肢がない。
 しかも迷ってる暇なんてない。
 無力。
 ただひたすらに、無力。
 能力値が最大カンストなだけで、私なんて無力なの!
 あああ!
 ごめんなさい!本当にごめんなさい!
 メアリー!テオドールさん!ステファニーさん!!

「うわあぁぁっ!」

――ハイリグベアディグン神聖なる葬送

 無我夢中で私が魔法を発動させると、周囲が白い光に包まれた。
 ぼうっと光るその先で、ファントム・デーモンにとらわれていた死者の霊体が細かな光となって砕け散り、続いて生者の霊体がふよふよと漂いながら四方八方に動くのがうすらぼんやりと見える。

 そして私とメアリーの前に、やや筋肉質で人懐っこい顔の人間の男性と、端正な輪郭に大きな瞳が愛らしいエルフの女性が現れた。
 名乗りはしなかったけれど、私はそれが誰かすぐにわかった。テオドールさんとステファニーさんだ。
「メアリー、大きくなったね。」
「本当。もう、一人前のレディね。」
 メアリーに優しく声をかける、それはまさに愛情のこもった父親と母親だ。
「パパ…ママ…。」
 この二人、メアリーにも見えて、声も聞こえているようだ。泣きながらもメアリーが返事をする。
「ユメさん、私たちの願いを聞き入れてくださってありがとうございました。」
「辛い役回りをさせてしまいましたね。でもお陰様でようやくくことができます。」
 そんな、感謝をされても困る。
 私は最悪の手段でしか解決できなかったのだから…。
「どうか、今回のことで責任を感じないでください、ね?」
「貴方はメアリーとそして私たち親子を救ってくださった勇者様なのですから…」
 私の心を読んだのか、それとも私が浮かない顔をしていたからか、二人に慰められてしまった。

「最後にメアリーに会えてよかった。」
「メアリー、ユメさんと仲良く幸せにね。」
 テオドールさんとステファニーさんが徐々に薄れて見えなくなっていく。
「パパ、ママ…!愛してる!」
 メアリーがそう言うと、テオドールさんとステファニーさんはニッコリ笑った。そして私に会釈した直後、その姿は完全に見えなくなった。
 風に乗って二人の言葉だけが聴こえてくる。

――私たちも愛しているよ
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