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其の二

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 京の都に怪異は多いが、本当に人ならざるものが関わる事件は、実はそれほど多く無い。大概の不思議は人の手で行われる。
 さりながら、極まれに。
 本当に一握りながら、人知を超えた不思議というものも存在する。

 桂祐よしすけの元には、その本物・・に関わる事案ばかりが回されてくる。
 桂祐の目が、この世ならざる邪なものを見てしまうからだ。

 桂祐は、裕福な地方豪族の六男として播磨国はりまのくに飾磨しかまの浜近くで生まれた。
 赤子の頃からかんが強く、母親や乳母の手を焼かせる子どもだった。癇の強さは長じるに従って治まったが、物心着く頃からは目に見えぬ何かと話をするようになった。誰もいない空間に向かって話しかけ続ける息子を気味悪がった母親は、夫に何とかするよう訴えた。
 奇遇なことに、その当時播磨国の国司は、安倍一族の頭領が陰陽頭と兼任していた。それを知った桂祐の父親は、高名な陰陽師ならば何とかしてくれるに違いないと、伝手を辿って陰陽頭に息子を会わせたのだ。

 陰陽頭は何の異能も持たない唯の人だったが、観察力は人一倍鋭く、自分には感知できないものの、この世には異界と交われる異能の人が居ることを知っていた。彼は、桂祐もそうした異能の人だとすぐに気がついた。
 昔語りに語られる晴明公も、異界と交わる霊力を持っていたという。では、この不思議な童を上手く育てれば、晴明公の再来として利用できるのではないか?
 そう考えた播磨守兼陰陽頭は、桂祐を手元に引き取りたいと願い出た。

 突然の申し出に、もちろん父親は驚いた。しかしよく考えてみれば、持て余し気味だった末息子を何の良心の呵責もなく手放せる上、京で息子に官途が開けるのなら、その方が本人にとっても良いように思える。
 そう判断した父親は、桂祐をアッサリ手放した。

 こうして、桂祐は奇妙な運に導かれるまま、陰陽師となった。

 桂祐の異能は、陰陽頭が期待したような派手なものではなかったが、それなりに役には立った。見れば呪物に本物の力が宿っているかどうかを判断できるし、物の怪に憑かれたと訴える人に会えば、単なる精神異常なのか、本当に人外に取り付かれているかも見て取れる。しかし、誰が呪ったのかまでは分からないし、一人で物の怪を祓う力は無いので、それなり・・・・にか仕えない。中途半端なのだ。
 中途半端故に派手な働きもできず、ハッタリの利かない性格故に、雲上人たちからの覚えも目出度くない。

 桂祐自身は地味なお役所仕事だけしていたいのだが、陰陽頭や孝信は桂祐を晴明公の再来だと売り込みたいらしく、本物・・絡みの案件を積極的に探して引き受けている節がある。
 これでは身体がいくつあっても足りない。桂祐はしばしば仕事を辞めて故郷に戻りたいと思ったが、実家にはすでに桂祐の居場所はない。

───とにかく何とかやっていくしかない……

 桂祐は思い溜息をつきながら、いつも懐に入れている守り袋をそっと握った。


 閉庁後、間借りさせてもらっている安倍本家の邸に戻った桂祐は、用意されていた白い浄衣に着替え、孝信が差し回した桔梗紋入りの牛車に一人乗り込んだ。




 大抵の妖異あやかしは夜に出る。故に、桂祐よしすけは夜に働く。

 深更。内大臣藤原某が三条に構えた広大な邸宅の庭の隅で、桂祐は呪詛を運ぶ何者かが来るのを待っていた。白い浄衣の腰元に、魔除けの太刀を佩いている。魔除けとは言え、鋼の太刀だ。斬ろうと思えば人も斬れる。
 来るのが人間であれば、闇夜に目立つ白い衣で陰陽師がそこにいると分かれば大抵は怯む。怯まぬ相手であれば太刀を抜く。幼い頃に家を出たとは言え、桂祐はひなの野山育ちだ。都人よりは腕の覚えも多少はある……はずだ。広い庭の築山の影には、荒事に慣れた下人達も潜ませてあった。万事抜かりは無い。
 来るのが人外であっても、弱いものなら魔除けの太刀で斬ってしまえる。それが無理なら……と、桂祐は唾を飲み込んで懐に手をやる。気は進まないが方法はあった。


 緊張に息を詰めたまま時が過ぎ、痩せた月が傾いて西の山の端にかかる頃、それは来た。
 桂祐の目は、闇の中でも妖異を捉える。人の世に馴染まぬ者は、回りから浮いて見えるのだ。

 ぼうっと闇に浮かぶのは、烏帽子を被った壮年の男のように見えた。
 黒っぽい直衣を着込んだ身体は異様なほど背が高い。袖からはぽたり、ぽたりと滴が垂れ、ダラリと下げた片手に無造作に牡鹿の角を握っている。虚ろに空いた眼窩には瞳がはまっていなかった。左右に大きく揺れながら一歩、一歩と前に進む度、羽虫が一斉に飛び立つような耳障りな音がして、男の周りに黒い煙が立つ。男の足が踏んだ白砂は、黒く変わって異臭を放った。

 強い邪気を纏った、人ならざるもの。
 ずるり、ずるりと濡れた裾を引きずり、それは寝殿のきざはしに足をかけようとする。

「来たぞ! 者ども、かかれ!」
 桂祐は震える声で命じたが、潜んでいるはずの下人達から応えは無い。瘴気に当てられて気を失ったか、術で眠らされたのか。

 こうなったら自分でやるしかない。
 桂祐は腰から太刀を抜き、妖異の前に走り込んで制止した。
「ならぬ。戻れ」
 気を込めて命じると、骸骨のような顔が桂祐の方を向く。歯の無い真っ黒な口が開き、なまぐさい息が鼻を突いた。枯れ枝のような手が太刀に触れると、鋼の刃はたちまち錆で覆われる。
 桂祐は努めて怯えを顔に出さないよう奥歯を噛みしめ、錆びた刃を捨てて懐から新たな得物を取り出した。
「戻れ!」
 再び命じながら、懐から取り出したものを掲げて魔物に向ける。
 暁の空を映したような色の宝珠だ。傷一つない丸い珠は、消え残りのわずかな月光を集めて輝く。訳あって手に入った龍の宝珠だ。

 去れ、去ってくれと念じながら桂祐は宝珠を掲げて前に出たが、残念なことに此度の妖異には効かないようだった。
 人ならざる男は異様な唸り声を上げて、枯れ細った腕を桂祐へ向けて伸ばしてくる。跳んで逃げる桂祐の浄衣の袖が鋭い爪で引き裂かれた。

「くそっ……! 駄目か!」
 桂祐は後ろへ飛び退き、手に持った宝珠に息を吐きかけた。息に含まれた水分で表面が曇り、そこにボンヤリと人影が映る。
「出番だ、助けてくれ!」
 桂祐が切羽詰まった声で呼びかけると、突然、宝珠が目映い真昼の光を放った。怯んだ妖異が一歩後退する。

 光は一瞬真っ白に強く輝いた後、朝焼けの色にこごる。光の塊が溶けた後に、忽然と童子が姿を現した。
 桂祐の胸あたりまでしか背丈のない、十にもならないほどの子どもだ。暁色の水干すいかんを身につけ、腰に長大な黄金の太刀を佩いている。月も消えかけた暗闇の中で、童子の輪郭だけがほのかに光を放っていた

「アレを斬れ!」
 桂祐が迫り来る爪を必死で避けながら命じると、童子は切れ長の目を静かに開いた。
「早く!」
 急かしても、童子は刀の柄に手をかけたまま、もの言いたげに桂祐をじっと見る。その間にも妖異の攻撃が空を掻き、烏帽子を切り飛ばされた桂祐は、宝珠を取り落として玉砂利敷きの地面に手をついた。
「早う! お頼み申す!」
 桂祐は半泣きで声を上げる。童子は石榴のように赤く輝く目を桂祐にひたと向けたまま、口の形だけで『な』と言った。

 桂祐は苦虫をかみつぶしたような顔で激しく舌打ちし、
「……旭丸! 頼む!」
 と自らが童子に付けた名を呼んだ。
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