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第三章 化物侍女は化物に出会う

46. 化物侍女は仕事に赴く

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 皇都レコルト学園における一大行事、“宝探し”。
 馬車で三日程離れた街、ミレーナにおいて開催されるこの催しは、冒険者ギルド全面協力の元実現している。
 一学年だけとはいえ、その生徒数は百を超える。それだけの大人数の道中の安全や、ダンジョン内の安全を確保する為に数多くの冒険者が派遣されているのだ。
 この依頼は身入りが良い為に、冒険者からすると人気の依頼だ。だが生徒の生命を預かる分その責任は重く、ランクはシルバー以上と定められている。

「今年もこの季節か…」

 冒険者ギルド最上階に割り当てられた部屋。そこの主であるギルドマスターが、今朝届いたばかりの依頼書を見て呟いた。
 冒険者ギルドとしても学園からのこれらの依頼料は高く見積もられている為有難いものではあるが、依頼を受ける冒険者を管理する業務はかなりの重労働になる。

「さてどうしたものか…“あっち”との兼ね合いも決めねばな…」

 冒険者ギルド全面協力で行われる護衛。だが、護りを担当するのは冒険者だけでは無い。
 表と裏。その二つでこの行事は成り立っている事を知る者は少ない。ギルドマスターは“宝探し”の護衛関係を取り仕切る役割を持っている為、その事を知る数少ない人間の一人だ。

「ミレーナまでの移動の護衛…近頃魔物の生息域が推移しつつある事を鑑みると中々難儀だなぁ…」

 以前ヨルとティアラが遭遇したコカトリスに始まる、ゴールドランク相当の魔物の生息域は本来森の深い所だ。それらが最近街道近くで目撃されたという報告が相次いでいる。
 高ランク者からすれば稼ぎ時という認識だが、低ランク者からすれば堪ったものでは無いのが近頃の状況だ。

 元々魔物の生息域は様々な要因で常に変化している。だがそれはあくまで“横”の動きであって、今回のように“縦”で動く事は少ない。それがギルドマスターの頭を悩ませている原因の一つでもあった。

「……今あいつに頼むのは酷か」

 思い出すのは、黒髪の少女。戦闘力や情報収集力は申し分無いが、今動かすのは難しいとギルドマスターは思う。
 そもそもの話、ギルドマスターに彼女を動かす権限は無い。あくまで出来るのは“お願い”だけだ。

 ふと、ギルドマスターが机の引き出しを開ける。その中から覗くのは、茶色い葉巻。
 その内の一本を取り出してナイフで切り、魔術で火をつける。
 プカプカと浮かぶ煙と鼻に抜ける香りに、ギルドマスターは暫し放心する。中へと上る煙は夜の暗い部屋でもよく見えた。これは彼の数少ない息抜きの一つだ。

「……」

 だが息抜きをしても仕事が無くなる訳では無い。視界の端に映る書類の山に、折角の息抜きが台無しになるのをギルドマスターは感じた。
 仕方無くコトリと吸いかけの葉巻を灰皿へと置き、書類との睨み合いを再開しようとした丁度その時、部屋にノックの音が響いた。
 冒険者ギルドの職員がまた新しい書類を持って来たのだろうとアタリをつけてギルドマスターが入室を許可すると、扉を開いて現れたのは黒い外套を羽織った、冒険者ギルドの職員では無い小柄な少女。その姿を視認したところで、ギルドマスターが目を掌で覆った。

「…厄介事か?」
「存じ上げません。ただ私はここに来るよう命令されましたので」

 その返答にギルドマスターがその少女──ヨルに目線を投げ掛ける。
 用事があった訳では無く、ただこの冒険者ギルドに来る事を命令されたから来た。それが意味する事は一つしかない。

(成程…お見通しという訳か)

 頭に浮かぶは【黒蝶】を取り仕切る人物の顔。ギルドマスターという立場があれど会うことは難しいその人物にとって、ちっぽけな男ギルドマスターの悩み事など手に取るように分かるのだろうと、彼は自嘲した。

「……よし。ヨル、仕事の依頼だ。以前お前が比較的浅い場所で遭遇したコカトリスのように、強い魔物が深部から出て来ている兆候が見受けられる。これらの原因究明、可能ならば原因の排除を依頼したい。出来るか?」
「ご命令とあらば」
「……頼む」
「かしこまりました」

 その言葉を最後に、ヨルの姿が掻き消える。ギルドマスターも腕に覚えがある元冒険者だが、その動きを目で捉える事は叶わなかった。

 ──“化物”は、そこかしこに存在する。

「ははは…」

 最早、乾いた笑いしか出ない。
 机の上の葉巻は、もう残っていなかった。



 ◆ ◆ ◆



 ギルドマスターの執務室から抜け出したヨルは、以前コカトリスと戦った場所に向かっていた。
 コカトリスとの戦いに敗れ死んでいった彼らの遺体は冒険者ギルドの職員によって無事五体満足で回収されており、今あの場に残っているのはコカトリスの風の刃によって切り裂かれた地面や木の傷のみである。

「……」

 しゃがみ込み、指でなぞるのは地面に付いた赤黒い跡。ティアラを庇いヨルが傷を負った際に零した、ヨルの血だ。

「……は、出来ませんね」

 既に地面に染み込み固まった血を回収する事は誰であろうと不可能だ。
 致し方なくヨルが立ち上がり、辺りを見渡す。周囲に敵意は感じられないが、ヨルの嗅覚は微かな血の匂いを感じ取っていた。

「……縄張り争い、でしょうか」

 魔物の生息域が大きく変化する要因としては様々あり、その中でも良くあるのは魔物同士の生存競争による縄張り争いの結果、負けた者が追いやられる事で変化する事だ。
 だがその仮説が立証された場合、最悪な事態が想定される。それは───それだけの魔物が逃げる要因になった存在が居る、という事だ。

 ゴールドランク相当の魔物が逃げる相手。そんなものを相手取れる人間などほぼ居ない。ヨルであっても、難しいと言わざるを得ない。

「不用意な戦闘は避けるべきですが──っ」

 ヨルが飛び退き、先程まで立っていた場所から岩の棘が飛び出した。

「魔法を扱う魔物ですか…」

 先程まで察知できなかったその存在に、ヨルが警戒を強める。
 魔物の危険度はその攻撃力も判定の基準にはなるが、最も警戒されているのはその隠密性にある。
 気配を隠蔽するのに長けた魔物であった場合、上位の冒険者パーティーであれど何処から攻撃されているのかも分からぬまま、為す術なく壊滅に追い込まれる事が多いのだ。

 ヨルが辺りを警戒しながら、自らの記憶を探る。魔法を扱う魔物は限定されている上、土属性ならば尚更その数は少ない。

「─っ」

 僅かな地面の揺れと音で、ヨルは紙一重で岩の棘を躱していく。その間も辺りの気配を探るが、やはり引っ掛かる反応は無い。
 外套の中からナイフを三本取り出して指に挟み、反応の無い中でも感じた微かな違和感を頼りに投げ飛ばす。

 一本目。外れ。

 二本目。外れ。

 三本目。外れ。

「………」

 ヨルが投げたナイフは、全て何の変哲もないに突き刺さった。地面から生える棘の攻撃は止む気配を見せない。
 ヨルが持つナイフはあまり量が無い。適当に投げていては直ぐに攻撃手段を失ってしまう。

(……試して、みましょうか)

 ヨルがその手に何かを握る。それを勢い良く地面へと叩き付ければ、途端に大量の煙を吹き出した。
 これはある魔法植物の種子で、強い衝撃を与えると敵の目をくらませる煙幕を展開するという代物だ。これを持つ魔法植物は地面に張り巡らせた根から伝わる振動で敵の場所を把握する為、至近距離で展開されるとまず助からないと言われている。

 煙幕を展開すれば、敵からも、そしてヨル自身もその視界を奪われる。ヨルが試したかったのは、この状態でも敵の攻撃は行われるのかどうか。

「……やはり、そうですか」

 待てども地面から棘が生える兆候は無い。土属性の魔法を扱う魔物は、地においてその力に恥じぬ索敵能力を有する。
 ──つまり、索敵は視界に頼っていない。

 風が流れ、煙幕が晴れる。その瞬間、ヨルが外套のフードを脱ぎ去った。

「何処の誰かは存じ上げません。ですが私はギルドマスター様の命によりこの場におります。これ以上の妨害を続けるのであれば、それ相応の対応をさせていだきます」

 静かなヨルの声が森に響く。攻撃は、無い。

「……その言葉、誠か」

 少しの間を置いて、凛とした声と共に木の上から気配が発せられた。その方へとヨルが視界を向ければ、そこに居たのは口元を黒い布で隠し、肌に密着する様な無駄の無い装束に身を包んだ比較的小柄な影。その頭の上には三角の耳が揺れていた。

「誓って嘘は申しません。此方に戦闘の意思もございません」
「……先の攻撃を詫びたい」
「受諾いたします。私は此度の魔物の生息域の変化を調べる為にギルドマスター様より依頼を受け、この場におります」
「成程…目的は同じということか」
「はい。見たところ獣人の方とお見受けいたします」
「うむ」

 木の上から地面に降り立てば、その視線の高さはヨルとかち合った。

「私はとある方の命により、魔物の調査を行っていた。この場は立ち入り禁止区域に指定されていると聞き及んでいた故…」
「理解しております。目的が同じであると仰るのであれば、行動を共にする事を具申いたします」
「同感である。私の名はメルヒと申す。お主の名を聞かせて貰いたい」
「ヨルと申します」

 綺麗な所作でヨルが礼を返せば、感嘆の声がメルヒから零れた。

「その仕草…成程。貴族のお抱えという訳か」
「その問いにはお答えしかねます」
「いや、詮索するつもりは無い。こちらも秘密を抱える身故」
「感謝致します。では先ずは情報の共有を」
「うむ」

 先にヨルが現時点で判明している事、そしてそこから導かれる自らの予測を話す。それをメルヒは大人しく聞いていた。

「概要は把握した。此方も同じ情報を得ており、結論も同じだ。だがもう一つ情報を共有しよう」

 メルヒの話では、この先の森で何かが争ったような形跡を発見したそうだ。
 その痕跡は魔物同士の戦闘を示しており、その場には無惨にも殺された魔物の死骸がと言う。

「…残されていたのですか?」
「うむ。外傷は見受けられたが、それは戦いによって出来たものだ。肉を食らった形跡は無かった」
「……妙、ですね」
「同感だ」

 縄張り争いであったとしても、自らが打ち倒した魔物を放置する事はまず無い。常に食事を得られる保証が無い弱肉強食の世界において、食べられる時に食べておくというのは共通認識だからだ。

 戦い、打ち倒し、その肉は喰らわない。それが意味するのは、喰らう為に戦った訳では無いという事。

「……森の奥で、やはり大きな変化が起きている可能性が高いですね」
「そのようだ。…少し聞くがお主、耳は良いか?」
「? はい。今メルヒ様の心音が聞こえる程には」
「……流石にそこまでだとは思わなんだが。ならばこの音は聞こえるか?」

 ふとメルヒが胸元から細長い棒を取り出し、口にくわえた。その次の瞬間、ヨルの耳がピクリと震えた。

「…正直に申しますと、良い音ではありませんね」
「元より音色を奏でる為の笛では無い。これが聞こえるという事は獣人の血が入っているのかもしれんな」

 メルヒが吹いた笛は、所謂“犬笛”と呼ばれる類の物だ。特定の音を発する笛で、その音色は獣人などの生まれつき耳が良い種族にしか聞く事が出来ない。
 だがその音は単音かつ高音なだけのものである為、言い方を変えれば耳障りな音である。

(…笛とは違いますね)

 侍女長であるキャロルが持つ笛。それはヨルにしか聞こえない音色を奏でる、ヨルを呼ぶ為だけの笛で、その音はヨルにとって心地好いものだ。メルヒが吹いた笛とは比べるまでも無い。

「予備の笛を渡そう。何か見つけたのならば吹いて知らせよ。森は広大故手分けした方が良かろう」
「理解致しました。有難く御借り受けいたします」


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