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第三十章 決死行

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 しかしなぜ、ヘクターとせっかく再会できたセフィーゼが、悲痛な叫びを上げたのか――?
 それは、ヘクターの状態が普通ではないことが、誰が見ても明らかだったからだ。
 青竜刀を構えるヘクターは狂気に満ちた赤いオーラをまとい、ギラギラと光る目でこちらをにらみつけてくる。
 完全に僕たちを“敵”と見なし、今すぐにでも攻撃を仕掛けてきそうな雰囲気だ。
 
 そんなヘクターの異様な姿を見て、僕は一瞬、彼もヒルダの手によってアンデッド化されてしまったのかと思った。
 だが、よく観察してみると肌の血色はいいし生気も感じられる。死臭のようなものも感じない。
 彼はあきらかに生きている。普通の人間だ。
 ということは――

「ヘクター! いったいどうしたの? ねえ、何とか言ってよ!!」

 そんなセフィーゼの必死の叫びも、ヘクターの耳には届かない。
 それどころかヘクターは低い声で意味不明の言葉を発し、カッと目を見開き、セフィーゼに狙いを定めていきなり飛びかかってきた。

「セフィーゼ、ヘクターはまともじゃない! 逃げろ!」

 あまりのヘクターの変わりように、ぼう然としてその場に立ち尽くしていたセフィーゼも、僕の声で我に返った。
 振り降ろされたヘクターの青竜刀を軽くかわした後、魔法で一瞬だけ風で上昇気流を発生させ、自らその風にふわっと乗り体を空中に浮かせた。
 そしてそのまま、五メートルほどの高さの太い木の枝につかまり、ヘクターを見下ろして言った。

「ヘクター!! 今すぐ武器を捨てて攻撃をやめなさい! これはイーザの族長としての命令です!!」

 が、そんな風に言い方を変えてもちろん無駄。今のヘクターにはまったく通じなかった。
 もう間違いない。
 ヘクターはおそらくヒルダに操られ、狂戦士化してしまっているのだ。

 狂戦士ヘクターは攻撃の手を緩めない。
 木の上に逃げたセフィーゼをそこから落とそうと、鬼の形相で狂ったように青竜刀を振るい始めた。
 木を根本から切り倒すつもりだ。

 このままではまずい。
 もともと心根の優しいセフィーゼは、唯一の仲間だったヘクターを殺すことなどできるはずもない。

 ならば――

 たとえエルスペスを背負っていても魔法は使える。
 僕は一気に前に出て、ヘクターに向かって魔法を唱えた。

『キュア――!!』

 ヘクター目がけ、僕の手から薄い緑色の光が発せられた。
『キュア』の魔法は精神系の状態ステータス異常を治癒する魔法だ。 
 この魔法を使ってヘクターの狂戦士化を解除すれば、すべてが元通りになるはず――
 と、思ったのだが、ヒルダは僕よりも一枚上手だった。

「――!?」

 ヘクターの様子はまったく変わらない。血走った目をしながら、狂ったように青竜刀を木に叩きつけている。
 あれ? 『キュア』の魔法が効いていない――
 いや、違う!!
 
 僕は確認のため、もう一度ヘクターに向かって『キュア』の魔法を唱えた。
 すると、緑色の魔法の光が、ヘクターに届く前に跳ね返されたのがはっきりわかった。

 やられた。
 ヒルダは僕が『キュア』を使うことを予想して、あらかじめヘクターに魔法を跳ね返す『リフレクション』をかけておいたのだ。
 あるいは、ここまで長い時間『リフレクション』の効果が続くということは、なにか強力なマジックアイテムをヘクターに使用したのかもしれない。
 いずれにせよ、今のヘクターには『キュア』――いや、どんな魔法も跳ね返されてしまう。

 意表を突かれ焦る僕の存在に、ヘクターが気付いた。
 その途端に、攻撃対象が変わる。
 木を切り倒すことを中断したヘクターは、青竜刀を振り上げて、雄叫びを上げながらいきなりこちらに向かってきたのだ。 
 ほとんど一瞬で間を詰められてしまい、恐怖すら感じる暇さえなかった。
 エルスペスを背負ったまま、何もできないでいると、上の方からセフィーゼの呪文を唱える声が聞こえた。

『エアブレード!!』

 風の刃がヘクター目がけて飛んできた。
 いや待て! 
 今のヘクターに攻撃魔法を使っても跳ね返されてしまう。
 むしろこっちが危ない――
 
 が、僕たちの様子を木の上から見ていたセフィーゼには、そんなヘマはしなかった。
 『エアブレード』は、ヘクター本人ではなく、その武器、つまり青竜刀を狙って放たれたのだ。
 二メートル近い長さのある青竜刀に『リフレクション』の効果は及ばない。
 そして風の刃は魔法の壁に跳ねかえされることなく、見事、青竜刀の刃と柄をすっぱり二つに切断したのだった。

 いくら狂戦士状態だとはいえ、突然武器を失ったヘクターは驚いていったん攻撃を止めた。
 そこへ――

「ヘクター! あなたの相手はこの私よ!」

 セフィーゼが木の上から地面にひらりと着地して言った。

「グオオォ……」

 ヘクターが唸る。
 狂戦士の注意が再びセフィーゼに戻ったのだ。

「そんな風になって、可哀そうなヘクター……。さあ、こっちに来て!」

 セフィーゼが手招きをして、ヒルダが待ち構えている森の奥とは逆方向に、走り出した。
 彼女は自分が囮になってヘクターを引きつけ、僕たちを先に行かせる気だ。
  
「ねえ、早く!!」

 セフィーゼの単純な作戦に、ヘクターは釣られた。
 獲物を追う肉食動物のように、逃げるセフィーゼを捕まえようと突進を始めたのだ。

「ユウト――早く! ヘクターのことは私にまかせてあなたは魔女ヒルダを倒して!」

 ソフィーゼはそう叫び、深い森の中へ入っていった。
 ヘクターもそれを追って、僕の前から姿を消した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 こうしてついに、背中のエルスペスは別として、僕は一人ぼっちになってしまった。
 ヒルダとの対決はもう目の前に迫っているというのに、果たしてこんなことであの恐ろしい魔女に勝てるのか?
 リナを無事に救い出すことができるのか?

 それは99%不可能なことと思われた。
 ただし――
 残りの1%、たった一つのある方法を除いては……。
 
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