12 / 71
1章
第11話 森の中でかくれんぼ
しおりを挟む
「……よし」
シンバルケースを抱えた海茅は、一人だけになるために音楽室の教師控室に入った。そうっとケースを開け、紅色の布に包まれたクラッシュシンバルを取り出す。持ち上げると、ズシッとした重みが手にかかった。
OBの「シンバルナメんな」という言葉に頬をひっぱたかれた海茅。
あのときの、先輩や優紀の視線を落とした目は今でも忘れられない。彼女たちがOBに便乗して海茅に何かを言うことはなかったが、OBと同じ気持ちを少なからず持っていたことは感じ取れた。
希望楽器を担当させてもらえなかった短期パーカッション部員は、海茅の他にも二人いる。しかし彼女たちは割り当てられた楽器を一生懸命練習していた。
海茅だけが、まだパーカッション部員になりきれていない。
窓の外から、きれいなフルートの音色が聴こえる。駐輪場の日陰で練習している明日香だろうか。
海茅はふるふると首を振った。彼女はいつもそうだ。パート練習をしているときも、合奏のときだって、フルートのことばかり考えてしまう。
「そんなんじゃダメ。パーカッションの人たちに失礼」
シンバルに、しょっぱい雫が一粒落ちる。
これを認めてしまったらもう後戻りができない気がした。だが、認めなければ前に進めない。
だから海茅は自分の背中を押すために、声に出して言った。
「コンクールまでは、私はパーカッションなんだから」
海茅は軽くシンバルを叩いた。始めから渾身の一発を鳴らそうとしても難しいので、自分が一番鳴らしやすいところから練習したらいいと、OBに教えてもらった。
時たま空気の音しか出ないこともあったが、それなりに安定して音が鳴るようになった。
今までの海茅は音が鳴ればそれで良いと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
(シンバルの良い音……。どれが良い音なのか分からない)
海茅が途方に暮れているときに、ちょうど段原先輩が様子を見に来た。
「どう? 順調?」
「えっと……。ごめんなさい、シンバルの良い音が分からないです……」
段原先輩はぱちくりと目をしばたき、思わず顔をほころばせた。
「うん! シンバルの音って難しいよね。そういうときは、見本を聴くのがいいよ」
「見本?」
「課題曲には参考音源があるし、自由曲もプロが演奏してる動画があるよ。その曲以外の動画を観ても勉強になると思う。奏者によってシンバルの音色って違うから」
いつもより段原先輩の声色が弾んでいる。シンバルの良い音が分からないなんて言ったら怒られるのではないかと、ビクビクしていた海茅は胸を撫でおろした。
せっかくだからみんなで聴こうと、段原先輩はパーカッション部員を集め、参考音源を鳴らした。
海茅が参考音源を聴くのはこれで二度目だ。一度目のときはシンバルの音に注目していなかったので、ほとんど記憶に残っていない。
一年部員はパーカッションの楽譜を、二年生はフルスコア(全ての楽器のパートがまとめて書かれている楽譜)を広げて演奏に耳を傾けた。
「海茅ちゃん、もうすぐシンバルだよ」
段原先輩の言葉に頷いた海茅は、ドキドキしながらシンバルの音を待った。
(いち、に、さん、よん……)
星空だ、と海茅は思った。クラッシュシンバルが鳴った瞬間、OBのシンバルの音を聴いたときと同じように、星がちりばめられた紺色の夜空が目の前に広がる。
星たちは流れ星になり、いつの間にか消えていた。
あの、と海茅はおそるおそる手を挙げる。
「すみません。もう一回シンバルの音聴いてもいいですか?」
みんなで聴いているのに巻き戻したいなんて、迷惑なことを言っているのは分かっていた。嫌な顔をされるかなと心配したが、むしろ逆だった。
樋暮先輩は「聴こう聴こう!」と心なしか嬉しそうに頷く。
「みんなも海茅ちゃんみたいに、巻き戻したかったらどんどん言ってね!」
それからも海茅は、五回ほど巻き戻してシンバルの音に耳をこらした。あんまり熱心に海茅が聴いているものだから、シンバルを担当しない子たちもシンバルの音に注目していた。
海茅以外の一年部員も自分のパートのときに巻き戻しを希望した。
海茅は、優紀たちが担当する楽器の演奏も注意して聴いた。
今まではフルートばかり気にしていたので、こんなにもパーカッションが活躍しているなんて気付かなかった。
小鳥のように、フルートと同じメロディで音楽の森を軽快に駆けまわるシロフォン。
チューバと同じリズムを刻むバスドラムは、森の真ん中で佇む大木のように、森を支え見守っている。
そして小物打楽器は、時にイタズラをする妖精のように森を賑やかし、時に夜空にオーロラを架ける。
海茅の鼓動が、とくとくと速くなる。
今まで感じていた疎外感がなにか分かった気がした。海茅はかくれんぼのオニだったのだ。隠れている子たちを見つけられなくて、ずっと寂しかったし、なんだか腹が立っていた。
見つけられなくて当然だ。じゃんけんで負けてオニになってしまった海茅は、しょぼくれてその場から一歩も動いていなかったのだから。
勇気をふりしぼって一歩踏み出すと、案外近くに隠れている子たちがいた。一人を見つけると仲間が増え、どんどん見つけられるようになった。
海茅は顔を上げ、譜面に目を落としている六人のパーカッション部員を見た。
「……」
そっと、海茅は隣にいる段原先輩の腕に触れた。
段原先輩はキョトンとした目をしたが、すぐに目尻を下げる。
「どうしたの? 今どこか分からなくなっちゃった?」
そう言って先輩が、いつものように海茅の譜面をつついた。
「ここだよ」
海茅は譜面に目を戻し、震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「はい。みつけました」
それまで暗くて静かだった森が姿を変えた。指を目の上に添えないと眩しいほどに。
シンバルケースを抱えた海茅は、一人だけになるために音楽室の教師控室に入った。そうっとケースを開け、紅色の布に包まれたクラッシュシンバルを取り出す。持ち上げると、ズシッとした重みが手にかかった。
OBの「シンバルナメんな」という言葉に頬をひっぱたかれた海茅。
あのときの、先輩や優紀の視線を落とした目は今でも忘れられない。彼女たちがOBに便乗して海茅に何かを言うことはなかったが、OBと同じ気持ちを少なからず持っていたことは感じ取れた。
希望楽器を担当させてもらえなかった短期パーカッション部員は、海茅の他にも二人いる。しかし彼女たちは割り当てられた楽器を一生懸命練習していた。
海茅だけが、まだパーカッション部員になりきれていない。
窓の外から、きれいなフルートの音色が聴こえる。駐輪場の日陰で練習している明日香だろうか。
海茅はふるふると首を振った。彼女はいつもそうだ。パート練習をしているときも、合奏のときだって、フルートのことばかり考えてしまう。
「そんなんじゃダメ。パーカッションの人たちに失礼」
シンバルに、しょっぱい雫が一粒落ちる。
これを認めてしまったらもう後戻りができない気がした。だが、認めなければ前に進めない。
だから海茅は自分の背中を押すために、声に出して言った。
「コンクールまでは、私はパーカッションなんだから」
海茅は軽くシンバルを叩いた。始めから渾身の一発を鳴らそうとしても難しいので、自分が一番鳴らしやすいところから練習したらいいと、OBに教えてもらった。
時たま空気の音しか出ないこともあったが、それなりに安定して音が鳴るようになった。
今までの海茅は音が鳴ればそれで良いと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
(シンバルの良い音……。どれが良い音なのか分からない)
海茅が途方に暮れているときに、ちょうど段原先輩が様子を見に来た。
「どう? 順調?」
「えっと……。ごめんなさい、シンバルの良い音が分からないです……」
段原先輩はぱちくりと目をしばたき、思わず顔をほころばせた。
「うん! シンバルの音って難しいよね。そういうときは、見本を聴くのがいいよ」
「見本?」
「課題曲には参考音源があるし、自由曲もプロが演奏してる動画があるよ。その曲以外の動画を観ても勉強になると思う。奏者によってシンバルの音色って違うから」
いつもより段原先輩の声色が弾んでいる。シンバルの良い音が分からないなんて言ったら怒られるのではないかと、ビクビクしていた海茅は胸を撫でおろした。
せっかくだからみんなで聴こうと、段原先輩はパーカッション部員を集め、参考音源を鳴らした。
海茅が参考音源を聴くのはこれで二度目だ。一度目のときはシンバルの音に注目していなかったので、ほとんど記憶に残っていない。
一年部員はパーカッションの楽譜を、二年生はフルスコア(全ての楽器のパートがまとめて書かれている楽譜)を広げて演奏に耳を傾けた。
「海茅ちゃん、もうすぐシンバルだよ」
段原先輩の言葉に頷いた海茅は、ドキドキしながらシンバルの音を待った。
(いち、に、さん、よん……)
星空だ、と海茅は思った。クラッシュシンバルが鳴った瞬間、OBのシンバルの音を聴いたときと同じように、星がちりばめられた紺色の夜空が目の前に広がる。
星たちは流れ星になり、いつの間にか消えていた。
あの、と海茅はおそるおそる手を挙げる。
「すみません。もう一回シンバルの音聴いてもいいですか?」
みんなで聴いているのに巻き戻したいなんて、迷惑なことを言っているのは分かっていた。嫌な顔をされるかなと心配したが、むしろ逆だった。
樋暮先輩は「聴こう聴こう!」と心なしか嬉しそうに頷く。
「みんなも海茅ちゃんみたいに、巻き戻したかったらどんどん言ってね!」
それからも海茅は、五回ほど巻き戻してシンバルの音に耳をこらした。あんまり熱心に海茅が聴いているものだから、シンバルを担当しない子たちもシンバルの音に注目していた。
海茅以外の一年部員も自分のパートのときに巻き戻しを希望した。
海茅は、優紀たちが担当する楽器の演奏も注意して聴いた。
今まではフルートばかり気にしていたので、こんなにもパーカッションが活躍しているなんて気付かなかった。
小鳥のように、フルートと同じメロディで音楽の森を軽快に駆けまわるシロフォン。
チューバと同じリズムを刻むバスドラムは、森の真ん中で佇む大木のように、森を支え見守っている。
そして小物打楽器は、時にイタズラをする妖精のように森を賑やかし、時に夜空にオーロラを架ける。
海茅の鼓動が、とくとくと速くなる。
今まで感じていた疎外感がなにか分かった気がした。海茅はかくれんぼのオニだったのだ。隠れている子たちを見つけられなくて、ずっと寂しかったし、なんだか腹が立っていた。
見つけられなくて当然だ。じゃんけんで負けてオニになってしまった海茅は、しょぼくれてその場から一歩も動いていなかったのだから。
勇気をふりしぼって一歩踏み出すと、案外近くに隠れている子たちがいた。一人を見つけると仲間が増え、どんどん見つけられるようになった。
海茅は顔を上げ、譜面に目を落としている六人のパーカッション部員を見た。
「……」
そっと、海茅は隣にいる段原先輩の腕に触れた。
段原先輩はキョトンとした目をしたが、すぐに目尻を下げる。
「どうしたの? 今どこか分からなくなっちゃった?」
そう言って先輩が、いつものように海茅の譜面をつついた。
「ここだよ」
海茅は譜面に目を戻し、震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「はい。みつけました」
それまで暗くて静かだった森が姿を変えた。指を目の上に添えないと眩しいほどに。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
守護霊のお仕事なんて出来ません!
柚月しずく
児童書・童話
事故に遭ってしまった未蘭が目が覚めると……そこは死後の世界だった。
死後の世界には「死亡予定者リスト」が存在するらしい。未蘭はリストに名前がなく「不法侵入者」と責められてしまう。
そんな未蘭を救ってくれたのは、白いスーツを着た少年。柊だった。
助けてもらいホッとしていた未蘭だったが、ある選択を迫られる。
・守護霊代行の仕事を手伝うか。
・死亡手続きを進められるか。
究極の選択を迫られた未蘭。
守護霊代行の仕事を引き受けることに。
人には視えない存在「守護霊代行」の任務を、なんとかこなしていたが……。
「視えないはずなのに、どうして私のことがわかるの?」
話しかけてくる男の子が現れて――⁉︎
ちょっと不思議で、信じられないような。だけど心温まるお話。
【完】ノラ・ジョイ シリーズ
丹斗大巴
児童書・童話
✴* ✴* 母の教えを励みに健気に頑張る女の子の成長と恋の物語 ✴* ✴*
▶【シリーズ1】ノラ・ジョイのむげんのいずみ ~みなしごノラの母の教えと盗賊のおかしらイサイアスの知られざる正体~ 母を亡くしてみなしごになったノラ。職探しの果てに、なんと盗賊団に入ることに! 非道な盗賊のお頭イサイアスの元、母の教えを励みに働くノラ。あるとき、イサイアスの正体が発覚! 「え~っ、イサイアスって、王子だったの!?」いつからか互いに惹かれあっていた二人の運命は……? 母の教えを信じ続けた少女が最後に幸せをつかむシンデレラ&サクセスストーリー
▶【シリーズ2】ノラ・ジョイの白獣の末裔 お互いの正体が明らかになり、再会したノラとイサイアス。ノラは令嬢として相応しい教育を受けるために学校へ通うことに。その道中でトラブルに巻き込まれて失踪してしまう。慌てて後を追うイサイアスの前に現れたのは、なんと、ノラにうりふたつの辺境の民の少女。はてさて、この少女はノラなのかそれとも別人なのか……!?
✴* ✴* ✴* ✴* ✴* ✴* ✴* ✴* ✴* ✴*
【完結】アシュリンと魔法の絵本
秋月一花
児童書・童話
田舎でくらしていたアシュリンは、家の掃除の手伝いをしている最中、なにかに呼ばれた気がして、使い魔の黒猫ノワールと一緒に地下へ向かう。
地下にはいろいろなものが置いてあり、アシュリンのもとにビュンっとなにかが飛んできた。
ぶつかることはなく、おそるおそる目を開けるとそこには本がぷかぷかと浮いていた。
「ほ、本がかってにうごいてるー!」
『ああ、やっと私のご主人さまにあえた! さぁあぁ、私とともに旅立とうではありませんか!』
と、アシュリンを旅に誘う。
どういうこと? とノワールに聞くと「説明するから、家族のもとにいこうか」と彼女をリビングにつれていった。
魔法の絵本を手に入れたアシュリンは、フォーサイス家の掟で旅立つことに。
アシュリンの夢と希望の冒険が、いま始まる!
※ほのぼの~ほんわかしたファンタジーです。
※この小説は7万字完結予定の中編です。
※表紙はあさぎ かな先生にいただいたファンアートです。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。
すべての世界で、キミのことが好き♥~告白相手を間違えた理由
立坂雪花
児童書・童話
✨.゚・*..☆.。.:*✨.☆.。.:.+*:゚+。✨.゚・*..☆.。.:*✨
結愛は陸のことが好きになり、告白しようとしたけれど、間違えて悠真に告白することになる。そうなった理由は、悠真の元に届いたあるメールが原因で――。
☆綾野結愛
ヒロイン。
ピンクが大好きな中学二年生!
うさぎに似ている。
×
☆瀬川悠真
結愛の幼なじみ。
こっそり結愛のことがずっと好き。
きりっとイケメン。猫タイプ
×
☆相川陸
結愛が好きになった人。
ふんわりイケメン。犬タイプ。
結愛ちゃんが告白相手を間違えた理由は?
悠真の元に、未来の自分からメール?
☆。.:*・゜
陸くんに告白するはずだったのに
間違えて悠真に。
告白してからすれ違いもあったけれど
溺愛される結愛
☆。.:*・゜
未来の自分に、過去の自分に
聞きたいことや話したい事はありますか?
☆。.:*・゜
――この丘と星空に、キミがいる。そんな景色が見たかった。
✩.*˚第15回絵本・児童書大賞エントリー
散りばめられたきずなたち✩.*˚
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

児童絵本館のオオカミ
火隆丸
児童書・童話
閉鎖した児童絵本館に放置されたオオカミの着ぐるみが語る、数々の思い出。ボロボロの着ぐるみの中には、たくさんの人の想いが詰まっています。着ぐるみと人との間に生まれた、切なくも美しい物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる