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残月記番外編・反魂二
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男の席に用意された酒壷は先ほどまでの酒器とは違い、小さな壷の形をしている。
彼は満足そうに壷の中を覗き込むと、杯に注ぐことなく直接口をつけて豪快に飲み始めた。
唇から零れ落ちる透明な滴が店の溶けた蝋燭に照らされながら喉へと落ちる。
しかし、男は濡れた襟には気を留める事もなく、手の甲でグイっと唇の端を拭うと酒壷を膝の上に乗せたまま、心ここにあらずといった様子で天井へと視線を向けてしまった。
誰が見ても『初めからこれを注文すれば良かったのではないか?』と言いたげな表情ではある。
しかし、眼前に座す遠雷はそれどころじゃないといった表情で、唇を真一文字に結んだまま微動だにしていない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
顔色一つ変える事無く酒を飲み続けるこの男の仕草は誰が見ても、ゆったりと食事を楽しんでいるようにしか見えないだろう。
しかし、眼前に座る遠雷だけは違っていた。
「・・・・・・」
頬を伝う汗が顎へと落ちる。
座した姿勢のまま膝をグッと掴もうと手に力を込めるが、汗ばんだ感触のみが布越しに伝わるだけで圧力を感じない。
先程まで賑やかだったはずの客の声、カチャカチャと陶器の皿が触れ合う音も耳には届かない。
店内に入った際に感じた蒸気や、店内の温かさも全てが遠い過去のようだ。
眼前に置かれたままの蒸し器は変わらず蒸気を吹き出し続けている。
運ばれた料理はまだ温かく、冷めているようには見えない。けれど、急に温度を感じることが出来なくなった遠雷にとっては何処か遠い場所に思えてならなかった。
「・・・・・・」
何度も瞬きを繰り返し、少しでも心を落ち着けようと唾を飲み込もうとするのだが、カラカラと渇いた喉のせいでうまく飲み込むことが出来ない。
それどころか、心臓部を司る妖核の部分のみがドンドンと太鼓を鳴らすように五月蠅く響き、今にも飛び出してしまいそうだ。
「・・・っ・・・」
カクカクと止まらない指の震えを止めることも出来ないまま、遠雷は絶えずフウフウと荒い息を吐き続けている。
無意識にガチガチと顎が鳴り、体温が奪われていくのを感じながら、彼は先程よりも強く膝を掴む指に力を込めた。
「・・・?・・・」
俯きかけたその時、不意に視線を感じた遠雷が顔を上げてみれば、こちらを見る男と視線が重なった。
「・・・・・・」
どんな色も映さない、灰が降ったような瞳。
どんな闇をも染めてしまう黒曜石のような眼を前にして、触れてはいけないと思うのに触れずにはいられない。
そんな、危うさと妖艶さを秘めた欲望が遠雷の全てを暴こうと近づいてくる。
まるで蜘蛛の糸のように絡みつくその視線に、しまったと思った頃には遅かった。
幼子のように強張る愛弟子の弱さに、クッと口角を上げながら、眼前の男が嗤う。
その僅かな声を耳にした遠雷が反射的に席を立とうとしたその刹那、灰に埋まる瞳の奥から覗く黒紫の光が怪しく囁いたのだ。
「・・・・・・ぁ・・・」
先ほどまで見えていたはずの世界の全てが蓋で閉じられるかの如く、静かに、優しく彼の視界をゆっくりと剥ぎ取っていったのである。
彼は満足そうに壷の中を覗き込むと、杯に注ぐことなく直接口をつけて豪快に飲み始めた。
唇から零れ落ちる透明な滴が店の溶けた蝋燭に照らされながら喉へと落ちる。
しかし、男は濡れた襟には気を留める事もなく、手の甲でグイっと唇の端を拭うと酒壷を膝の上に乗せたまま、心ここにあらずといった様子で天井へと視線を向けてしまった。
誰が見ても『初めからこれを注文すれば良かったのではないか?』と言いたげな表情ではある。
しかし、眼前に座す遠雷はそれどころじゃないといった表情で、唇を真一文字に結んだまま微動だにしていない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
顔色一つ変える事無く酒を飲み続けるこの男の仕草は誰が見ても、ゆったりと食事を楽しんでいるようにしか見えないだろう。
しかし、眼前に座る遠雷だけは違っていた。
「・・・・・・」
頬を伝う汗が顎へと落ちる。
座した姿勢のまま膝をグッと掴もうと手に力を込めるが、汗ばんだ感触のみが布越しに伝わるだけで圧力を感じない。
先程まで賑やかだったはずの客の声、カチャカチャと陶器の皿が触れ合う音も耳には届かない。
店内に入った際に感じた蒸気や、店内の温かさも全てが遠い過去のようだ。
眼前に置かれたままの蒸し器は変わらず蒸気を吹き出し続けている。
運ばれた料理はまだ温かく、冷めているようには見えない。けれど、急に温度を感じることが出来なくなった遠雷にとっては何処か遠い場所に思えてならなかった。
「・・・・・・」
何度も瞬きを繰り返し、少しでも心を落ち着けようと唾を飲み込もうとするのだが、カラカラと渇いた喉のせいでうまく飲み込むことが出来ない。
それどころか、心臓部を司る妖核の部分のみがドンドンと太鼓を鳴らすように五月蠅く響き、今にも飛び出してしまいそうだ。
「・・・っ・・・」
カクカクと止まらない指の震えを止めることも出来ないまま、遠雷は絶えずフウフウと荒い息を吐き続けている。
無意識にガチガチと顎が鳴り、体温が奪われていくのを感じながら、彼は先程よりも強く膝を掴む指に力を込めた。
「・・・?・・・」
俯きかけたその時、不意に視線を感じた遠雷が顔を上げてみれば、こちらを見る男と視線が重なった。
「・・・・・・」
どんな色も映さない、灰が降ったような瞳。
どんな闇をも染めてしまう黒曜石のような眼を前にして、触れてはいけないと思うのに触れずにはいられない。
そんな、危うさと妖艶さを秘めた欲望が遠雷の全てを暴こうと近づいてくる。
まるで蜘蛛の糸のように絡みつくその視線に、しまったと思った頃には遅かった。
幼子のように強張る愛弟子の弱さに、クッと口角を上げながら、眼前の男が嗤う。
その僅かな声を耳にした遠雷が反射的に席を立とうとしたその刹那、灰に埋まる瞳の奥から覗く黒紫の光が怪しく囁いたのだ。
「・・・・・・ぁ・・・」
先ほどまで見えていたはずの世界の全てが蓋で閉じられるかの如く、静かに、優しく彼の視界をゆっくりと剥ぎ取っていったのである。
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