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≪ 鬼 ≫

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 煌仁をはじめ唯泉も篁も、翠子を動揺させまいと口を閉ざしているが、実は既に女官がふたり自害している。

 罪を詫びる遺書と共に山で発見された麗景殿の女官がひとり。そのあとに、もうひとり女官が入水自殺をした。

 恐らくそのふたりが直接毒を扱っていたのだろう。

 脅されていた女官たちは、自害した女官から自害したもうひとりの女官へ、それが何とは知らずに毒を渡した者たちだった。

 

「そういえば頭中将を見かけたがここに来たのか?」

「ええ。なんでも療養のために京を離れるとか。扇をくださいました」

 厨子棚から扇を取り出して唯泉に見せた。

「ここにも蝶が。なぜ私にこれをくださったのかはわかりませんが」

 唯泉は「意味を持たせないためであろうな」と皮肉な笑みを見せた。

「意味?」

「あちこちに蝶の絵のものを配ったとして、特別なわけじゃないと言いたいのだろう。早くも先を見越し、あやつは火の粉を避けて、明石に逃げたのだ」

 頭中将は左大臣家の御曹司だ。しかも関係者に扇を配っている。なにも知らないとは思えない。

「頭中将という男はなにしろ食えない男だからな。今回もどこまで関わっていたのか。今のうちから京を離れられたのでは、尻尾を捕まえるのは無理だろう」

 女性たちは救えたが、結局悪人はひとりも捕らえられない。

 それでは第二第三の犠牲者が出てくるのではないか。

 すっきりしない気持ちを抱え、うつむく翠子を心配したのか、唯泉は「姫のおかげだ」と明るい声で言う。

「ともかくも、またしてもそなたのおかげで、何人も助かった」

 でも、と言おうとして言葉を飲み込んだ。匙を指摘した後のときのように〝でも〟などと否定してしまったら、助かった人の喜びに水を差してしまう。

「そうですね、よかったです」

「心配いらない。必ず隠しきれない尻尾が出てくる。必ず捕まえるから大丈夫だ。あとは我らに任せておけ」

「はい」

「それより宴を楽しみにするといい。そろそろ知らせが来るだろうから」

 唯泉はにっこりと微笑んだ。



..***



 数日後、宮中で取り行われる宴の誘いが、翠子のもとにも届いた。

 篁が届けたのは知らせだけでなく、真新しく美しい十二単を朱依の分とふた揃え。

「なんと美しい!」

 朱依は翠子に合わせ瞳を輝かせる。

「姫さまにぴったり。色白のお肌にとってもお似合いですよ」

 女官も「ええ、よくお似合いです。お美しい」と褒め称えるが、翠子は眉尻を下げて戸惑った。

 宮中に来て以来、煌仁から数々の衣をもらっているが、今日届いた衣は格別に色も濃く鮮やかである。祝いの席に花を添える紅の薄様だ。白から濃い紅へと色が変わりゆく、かさねいろめであるが、ただ色が変わるだけではなかった。金糸銀糸の刺繍がきらきらと輝いている、胸を打つような美しい衣である。

 明るい色の衣に慣れてきたとはいえ、豪華すぎるのではと気後れしてしまう。

「で、でも、私は分不相応ではありませんか?」

 女官がふるふるとかぶりを振る。

「とんでもない。派手さで言うなら地味なほうですよ」

「え? これで地味?」

 女官は「皆さん、もっともっと派手です」と説明をする。

 宴の日、宮中の女性たちは衣を競い合い思う存分に着飾る。着膨れして歩けなくなる女官がいるくらいだ。

 と、そのとき几帳の隙間から、煌びやかな衣を着た女が見えた。

 女を振り向いた女官がクスッと笑う。

「あの方、姫さまのおばあさまのような歳の女官ですよ」

 遠目にも派手とわかる衣を着た女は、重たそうにゆっくりと歩いている。

 なるほどと納得した翠子は朱依と一緒にクスッと笑う。

「さあ、それでは姫さま。着替えましょうか」

 

 着替えたふたりは、迎えにきた篁の後ろからついていく。

 道すがら艶やかな衣裳をまとった女官や女房たちを見かけるので随分慣れてはきたが、どうにも気恥ずかしい翠子はうつむきがちに歩く。

「姫さま、本当に、天女のようにお美しい」

 朱依に嬉々として褒められて、ますます恥ずかしそうに扇で顔を隠した。

「ありがとう。朱依もとってもきれいだわ」

 朱依の衣の色合わせは紅の匂。濃淡さまざまな紅が目鼻立ちのくっきりとした朱依によく似合っている。

「ありがとうございます」

 ふふっと笑う朱依と翠子を振り返り、篁が眩しそうに目細める。

「おふたりとも、眩しいほど美しいですなぁ」

 まんざらでもなさそうに朱依がちらりと篁を見て、篁はハッとしたように目を瞬かせた。

 先を進むほどに賑わってきた。

 練習をしているのか、出迎えの調べなのか。笛や琴の音が響いてくる。

 宴の場所は、宮中でも後宮のある内裏を出た大内裏の広場。広場を囲むように屋根のある建物が並んでいる。

 翠子たちに用意された席は、端とはいえ正面なのですべてがよく見えた。

 女性たちの席には御簾が垂れていて色とりどりの袖が見える。その様子を見ているだけで美しさにうっとりとする。

「すごいわ。壮観ね」

「ええ、本当に」

 右も左も豪華絢爛。男たちも美しい。

 翠子の瞳は初めて見る夢の世界に輝く。

「長官、ちょっとよろしいですか?」

 振り向くと、困った表情の武官が篁に声をかけていた。

 検非違使は警備を司る。篁は長官であるので楽しむ余裕はないらしい。次々と部下に指示を与えたりと忙しくしていたが、ついにじっと座ってはいられなくなったようだ。

「少し席を外すが、部下を置いていくゆえ、あまり動くなよ?」

 朱依に念を押して席を立った。

「篁さまも大変ね」

「お仕事ですから仕方ないですよ」

 目の前にある懸盤(かけばん)には、食べきれないほどの料理にお酒が並ぶ。香ばしさや鼻口をくすぐる美味しそうな匂いだけでなく、これはなんだろうと目にも楽しい。

 やがて妓女の舞が始まり。公達の舞と続く。管弦と舞の共演である。

「ご覧ください、ほら、煌仁さまと唯泉さまですよ」

 ふたりは悠々と舞う。

 瞬きも忘れ、翠子はじっと見つめた。

 なんと力強く軽やかな舞だろう。

「朱依、男君の舞って悠々としているのね。大勢で奏でる管弦もなんて言ってわからないくらい素晴らしいわ」

「ほんとうに、なんて素敵なんでしょう。姫さま、あとで煌仁さまに見せていただきましょうよ。琵琶も教えていただいて、ね」

「そうね、そうね」

 自分が琵琶を奏で彼が舞い。あるいは逆でもいい。

 この前の満月の夜のように、また……。

 そう考えると、なんともいえない熱いものが胸の奥を満たしていく。

 たまらなく幸せで、どこか切ない想い。手を伸ばしたいけれど、もう少しのところで躊躇してしまうような――。

 翠子は時も忘れて見つめた。

 彼らの演目が終わりしばらくすると、「もうし祓い姫さま」と声がした。

 振り返るとそこにいたのは見知らぬ女性であるが、美しく静々とした女官だった。

「主上がお呼びです」

 帝が呼んでいる?

「は、はい」
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