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番外 モブの弟、シオン・エイデンの悩み ⑦
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ぼくは、しっかりと兄上が温まったのを確認してから、湯船を上がり。脱衣場で、水滴を布で拭き上げてから。用意されていた寝間着を、兄上に着せた。
上からすっぽりかぶせるタイプの寝間着。兄上は、このタイプの着替えは持っていなかったから、たぶんラヴェルが。意識のない兄上の世話をしやすいように、客用の寝間着を貸してくれたのだろう。
兄上至上主義の、いけ好かない執事だが。仕事は出来る奴だ。
ぼくは、いつもの黒シャツ黒ズボンに着替える。
兄上を横抱きにして、浴場を出ると。陛下が彼の寝台に寝かせるように、うながしてきた。
どうやら、陛下は。兄上と離れたくないご様子。
まぁ。サロンの寝台は、ひとり用の簡易なものだし。王の寝台は、ふかふか布団に天蓋付きの、大の大人が三人寝ても余裕があるくらいの、立派なベッドなので。良いでしょう。
寝室に入り、兄上をベッドに横たえて。布団を胸までかけて、パフパフすると。兄上はモゾりと動いて、布団の外に手を出した。
陛下は、その兄上の手にはまる指輪に、目を止める。
「この指輪は?」
ぼくは、まず右手の指輪をさして、説明する。
「これが、バジリスクの指輪です。兄上が幼い頃、魔力が強すぎたことで。怪我などを恐れた両親が、魔力を封印したのですが。それを解放する鍵となるのが、その指輪でした。バミネに長らく奪われておりましたペンダントに、くっついていたのです」
「ペンダントを奪い返して、クロウに魔力が戻ったのだな? ペンダントを取り戻せば、弟を救う手立てになると、クロウは言っていたが。貴殿が?」
「はい。ぼくは、昼は猫になり、夜は人型に戻る、月影の呪いを誘発する液体を、バミネにかけられ。四歳の頃からそのような生活を送ってまいりました。液体を作った魔女は、バミネによって殺されたので。呪いを解く方法は、魔力で跳ね返すしかないと言われており。兄上の魔力が戻ったら、ぼくのことも直せるだろうと。ペンダントを取り戻すべく、兄上はバミネの依頼を受けて、この島に来たのです」
「おまえが、あの黒猫だったなんて…ちょっと想像つかねぇなぁ?」
ぼくと陛下の話に、セドリックが割って入るが。
そのとき、寝室の入り口で、声がした。
「私、クロウが戻ってきたと聞いて、来たのだけど。貴方が、チョンちゃん?」
シャーロットが、驚愕の眼差しでこちらを見ていた。
「キャーッ…」
そして、悲鳴を上げて、逃げていく。
ぼくは、呆気にとられた。
猫のときは、ぼくになんでも話してくれて、心を開いた友人のような気に、なったこともあったのだけど。
「…シオン、妹が、すまない。シャーロットはまだ子供で、人の心を思いやれない未熟なところがあるようだ」
陛下が、フォローしてくれるが。
「いいえ、仕方がありません。ぼくは、化け物のようなものです。ありのままのぼくを受け入れてくれるのは。いつだって、兄上と家族だけでしたから」
愛おしい気持ちで、ぼくは眠る兄上の頬にキスをする。
ぼくが猫になっても、兄上が態度を変えることはなかった。
いつだって、ぼくを可愛がってくれた。
大きな愛を示してくれた。かけがえのない兄上。
「島へ渡る前、王城の方が兄上の身辺を調べたみたいだけど。でも、なにも出なかったでしょう? 当然です。兄上は。第一には、バミネから身を隠し、これ以上の危害を加えられないよう配慮するため。そして、第二に、ぼくの、猫になる呪いを、誰にも知られぬために。店の最上階にこもって、日がな針仕事をしていたのです。まだ若いのに、外出も、娯楽も、人付き合いも、極力避けて。ひたすらチクチクと。ぼくの…ために」
本来なら、普通の若者のように、店の者と友達になったり、ランチで外に出掛けたり、女性とデートなんかも、してみたかっただろう。
でも、兄上は家族のために、いろんなものを我慢して。
でも、そんなの大したことないと言って、笑うのだ。
そんな献身の心にあふれた兄を、愛さずにはいられないだろう?
賢くて、美しくて、優しい兄上を、ぼくもみんなに自慢したかった。
でも。隠れているしかなかったのだ。
「だから、兄上の姿を見る者は、数少なく。情報も、ほぼなかったはずだ」
そして、ぼくは左の薬指にはまる指輪をさした。
「こちらのシロツメ草の指輪は。兄上は、陛下の頂き物を大層喜んで、すぐにも枯れるとわかっていても、その日のうちに巾着を作って、大事に取っておいたのです。ネックレスにして、肌身離さず持ち歩いていた。たぶん、兄上は。ほんの少し魔力の発露があったのでしょう。シロツメ草を無意識に枯らさぬようにして。今回の魔力解放で、氷のようなダイヤのような、硬い物質でコーティングした」
ぼくは、鋭い眼差しを陛下に向けて、憤りをあらわにした。
はっきり言ってやらないと、このクソ陛下に、兄上の純粋で、優しすぎる、愛情は伝わらないのだっ。
「道端の草を、結晶化するくらい。兄上は、陛下を愛しているんだっ。陛下のために、命を懸けて、海を泳いだんだっ。これほどの愛情を示しても、まだ、その重い腰を上げないというのなら。唯々諾々と、死の運命をのみ込むというのなら。ぼくは、兄上と陛下の結婚を認めない。兄上を、世界で一番、幸せな王妃にしてくださらないのなら。ヘタレのクソ陛下なんかに、ぼくの大切な兄上を渡せるものかっ」
すると、ぼくの言葉に、陛下のそばにいたセドリックが怒った。
「はぁ? ヘタレのクソ陛下だと? 不敬が過ぎるぞっ」
「シオン。クソ陛下って言っちゃダメって、いつも言ってるでしょっ?」
セドリックの言葉に同調して。突然、兄上も、そう叫んだから。
ぼくは反射的に、頭を下げる。
ぼくは、兄上に怒られるのが、一番こたえるのだっ。
「すみません、兄上。しかし、ぼくは…」
そして、ぼくもセドリックも陛下も、一斉に兄上の顔を見やるが…。
でも、兄上は、まだ目をつぶっていて。
口の中で、むにゃむにゃ言っている。
「おとなしくしていないと、島に連れて行ってやらないからなっ」
寝言だ。
ぼくは。猫耳があったら、イカ耳にしていただろう。
ついさっきまで憤っていた、ぼくが。兄上に怒られて、ペションとなっているところを見て。
セドリックが、笑いを吹き出した。
「ふはっ、クロウのやつ、夢の中で弟を怒っている。マジで、兄弟なんだな?」
ぼくは、さっきセドリックに…いや、誰にでも。ぼくと兄上は、確かに兄弟なのだと認めてもらいたかった。
顔つきが、似ていなくても。
ぼくは。兄上に育ててもらった。兄上の弟なのだ。
大好きな兄上と、似ていないとか。本当に兄弟か、なんて疑われるのが。ぼくは心底嫌なのだが。
そんな憂いを、兄上はたった一言で吹き飛ばしてしまう。
あぁ、やはり。ぼくの兄上はすごい。
ぼくの兄上なのだっ。
兄弟だと認められ、内心で誇らしい気分になっているぼくに。陛下が告げた。
「シオン、確かに我は腑抜けだ。自分では、この状況を打破できなかった。クロウの献身には、もちろん報いよう。ここで立たねば、王以前に、男ではない。万一、クロウがこの先、憂うことがあるようなら。我を殴りに来い!」
威厳と風格を漂わせた、この国の王が。ぼくに向かって、決然と言い放った。
さすがに、喉になにかが詰まるような、畏怖がある。兄上的に言うと、圧がすごい。
それに、セドリックが苦言を呈する。
「陛下? シオンに陛下を殴らせるなんて…」
「良い。我を殴る権利を、シオンに与える。無論、我がクロウを不幸にするなど、万にひとつもないことだがな?」
ぼくと、陛下は。
いけ好かないと思いながらも、向かう先は同じだ。
兄上の幸せを、一番に望む、同志。
兄上が、陛下と一緒でなければ、幸せではないと言うのなら。ぼくは、それをのみ込むしかないのだ。
「ところで、シオン。ずっと気になっていたのだが。夜は人型になると言っていたが、サロンのあの小さいベッドに、クロウと寝ていたのか?」
は? そこに引っかかるんですか? 陛下よ。
先ほどは王の風格とやらを感じたのに。なんか…小さいな。
ぼくは、兄上が言うところの、エロっぽい挑発的な笑みを浮かべて。うなずいた。
「えぇ。小さいベッドだったから。毎晩。ギューッ、と抱き合って、寝ていましたけど?」
「…だ、だき?」
陛下はこめかみをヒクヒクさせながら、絶句した。
いいね。溜飲が下がりますっ。
「待て、食事はどうしていたんだ? 一食分しか出していなかったぞ」
居間で軽食を用意していたアルフレドが、ぼくに質問してきた。
「兄上は少食なので、一食をふたりで分けて食べていましたけど? 足りない分は、パンを多めにもらっていたので、それで食いつなぎました」
「マジかっ? 俺はクロウがこの城にいる間、大きくなってもらいたくて、多めに食事を出していたのに。ふたりで食べていたら、太るわけねぇ!」
青色の短い髪をかきむしって、アルフレドはノーッと叫んだ。
料理人の誇りが傷ついてしまったかな? ごめんな。
パンはとても美味しかったよ。
「モグラは? 弟がモグラを捕まえてきたと、クロウが…」
陛下が、つぶやくように口にする。
先ほどから、引っかかる点が少しおかしいんですけど? 兄上に似てきましたね?
「猫のときに決まっているでしょう? この住居城館の花壇に、よくいるんですよ。猫になると、愛する人に貢ぎたくなるんですよねぇ?」
「あ、愛する人…」
またもや、ショックを受けたような顔でつぶやく陛下と。
「モグラが貢物…」
と、つぶやいて、腹を抱えて笑うセドリック。変な人たちだな。
「…イアン、さま」
そうしたら、ようやく兄上が、本当に目覚めた。
ぼくは嬉しくなって、声をかけようとしたが。
セドリックに肩を抱かれて、寝室から連れ出されてしまう。
くそぉ、わかっていますよ。恋人の時間を邪魔しちゃダメだってことでしょ?
でも、ぼくは兄弟ですよ? 身内っ。
しかし、まぁ。兄上が、命を懸けて会いに来たのは、陛下なのですから。ここは譲りましょう。
ちょっと、ですよ? ほんのちょっとの時間だけですからね?
「シオン様、少々、よろしいですか?」
居間に入ると、眉毛を下げた情けない顔のアイリスが、声をかけてきた。
うなずくと、手で、おいでおいでされる。
こういう仕草が、なんとなく、兄上と似ている感じがするな?
でもアイリスは、宇宙人だから。気は許さない。
兄上を気に入って、宇宙に連れ帰ってしまうかもしれないだろう? 怖い怖い。
そして、アイリスについて行くと。階段のところで、シャーロットが座り込んでいた。
王族の女性が、床に座るなんて。はしたないと、ぼくの母上なら怒るところです。
「ぼくが顔を出したら、気持ち悪がられるのではありませんか?」
女性を怖がらせる趣味はないです。
ちょっと拗ねた気持ちもあるが。ツンとして、言うと。アイリスは首を横に振る。
「殿下はチョン様に、内心を打ち明けていたのでしょう? でも、心の友であった子猫が、このような美男子だったと知って、恥ずかしくなったのです。決して、チョン様のことを、化け物だとか、怖いだとか、思って逃げたのではないのですよ?」
本当かよぉ? と、疑いの眼差しで、アイリスを見やる。
でも、まぁ。階段で丸くなっているシャーロットが可哀想にも思って。とりあえず、声をかけてみた。
「シャーロット殿下」
振り返ったシャーロットは、ぼくの顔を見て、顔をトマトみたいに真っ赤にして。
立ち上がると、ドレスの裾を払って身繕いした。
ああぁ、そんな、乱暴にするな。兄上は、この国一番のドレス職人である。そのそばにいつもいたぼくは、ドレスがぞんざいに扱われると、気が気でない。
兄上のように、ふわりと、やんわりと、指先で優しくしわを整えなさいっ。
「ごめんなさい、つい、びっくりして、逃げてしまって。だって、勉強が嫌で、さぼっちゃったところとか、もっとお兄様と遊びたいの、とか。子供っぽい、恥ずかしいところばかり、見られてしまったのだもの」
そう言いながら、両手で頬をおさえるが。トマト顔は、さらに赤くなっていく。
「アイリスのお菓子を食べちゃったところも、見ていたわよね? ああぁぁ、恥ずかしいわっ。チョンちゃん、人間なら、もっと早く言ってよぉ」
そんな無茶な、とぼくは思うが。
でも、アイリスが言うように、本当に怖がっているわけではないようだ。
それだけで、なんだか心が軽くなる。
シャーロットのこと、高飛車な小娘だと思っていたけど。拒否られて、それなりにがっかりしていたみたいだ。
なので。ぼくは…どういう意味かはわからないが。麗しいえろえろぼんばーだと、兄上が身悶える、とっておきの笑みを浮かべて。殿下に言った。
「フッ、シャーロット殿下、大丈夫ですよ。殿下が半泣きで刺繍ができないと叫んで、ベッドの上に大の字になって、足をバタバタさせていたことは。誰にも言いません」
すると、シャーロットは。赤い顔を、見事に青く変化させて。またもや、いやあぁぁぁーっと叫びながらどこかへ逃げていった。
どうした? 大丈夫か?
「もう、シオン様は女心がわかっていませんね? 陛下とクロウ様のラブラブチュッチュを見習って、勉強してください」
アイリスにも怒られてしまったが。
え? 嫌です。
つか、なんで怒られた? さっぱりわかりません。
まぁ、それは良いとして。
ぼくの悩みは、まだまだ尽きない。
兄上が危なっかしいのは、変わらないし。のほほんとして、ぽややんとして。放っておくと、ご飯を食べるの忘れて仕事しているし。暗くなっても気づかないで、いつまでもチクチクしているし。
ぼくがそばにいないと、本当に駄目なんだから。
それに、兄上が結婚したって。弟は一生、弟。
ぼくらは一生、兄弟なのですからね?
離婚したら即、縁が切れる陛下より、一生縁が切れないぼくの方が、上ですっ。
だから、そう簡単に、陛下に兄上を渡しはしませんよ。
ぼくの大切な、愛する兄上ですから。
上からすっぽりかぶせるタイプの寝間着。兄上は、このタイプの着替えは持っていなかったから、たぶんラヴェルが。意識のない兄上の世話をしやすいように、客用の寝間着を貸してくれたのだろう。
兄上至上主義の、いけ好かない執事だが。仕事は出来る奴だ。
ぼくは、いつもの黒シャツ黒ズボンに着替える。
兄上を横抱きにして、浴場を出ると。陛下が彼の寝台に寝かせるように、うながしてきた。
どうやら、陛下は。兄上と離れたくないご様子。
まぁ。サロンの寝台は、ひとり用の簡易なものだし。王の寝台は、ふかふか布団に天蓋付きの、大の大人が三人寝ても余裕があるくらいの、立派なベッドなので。良いでしょう。
寝室に入り、兄上をベッドに横たえて。布団を胸までかけて、パフパフすると。兄上はモゾりと動いて、布団の外に手を出した。
陛下は、その兄上の手にはまる指輪に、目を止める。
「この指輪は?」
ぼくは、まず右手の指輪をさして、説明する。
「これが、バジリスクの指輪です。兄上が幼い頃、魔力が強すぎたことで。怪我などを恐れた両親が、魔力を封印したのですが。それを解放する鍵となるのが、その指輪でした。バミネに長らく奪われておりましたペンダントに、くっついていたのです」
「ペンダントを奪い返して、クロウに魔力が戻ったのだな? ペンダントを取り戻せば、弟を救う手立てになると、クロウは言っていたが。貴殿が?」
「はい。ぼくは、昼は猫になり、夜は人型に戻る、月影の呪いを誘発する液体を、バミネにかけられ。四歳の頃からそのような生活を送ってまいりました。液体を作った魔女は、バミネによって殺されたので。呪いを解く方法は、魔力で跳ね返すしかないと言われており。兄上の魔力が戻ったら、ぼくのことも直せるだろうと。ペンダントを取り戻すべく、兄上はバミネの依頼を受けて、この島に来たのです」
「おまえが、あの黒猫だったなんて…ちょっと想像つかねぇなぁ?」
ぼくと陛下の話に、セドリックが割って入るが。
そのとき、寝室の入り口で、声がした。
「私、クロウが戻ってきたと聞いて、来たのだけど。貴方が、チョンちゃん?」
シャーロットが、驚愕の眼差しでこちらを見ていた。
「キャーッ…」
そして、悲鳴を上げて、逃げていく。
ぼくは、呆気にとられた。
猫のときは、ぼくになんでも話してくれて、心を開いた友人のような気に、なったこともあったのだけど。
「…シオン、妹が、すまない。シャーロットはまだ子供で、人の心を思いやれない未熟なところがあるようだ」
陛下が、フォローしてくれるが。
「いいえ、仕方がありません。ぼくは、化け物のようなものです。ありのままのぼくを受け入れてくれるのは。いつだって、兄上と家族だけでしたから」
愛おしい気持ちで、ぼくは眠る兄上の頬にキスをする。
ぼくが猫になっても、兄上が態度を変えることはなかった。
いつだって、ぼくを可愛がってくれた。
大きな愛を示してくれた。かけがえのない兄上。
「島へ渡る前、王城の方が兄上の身辺を調べたみたいだけど。でも、なにも出なかったでしょう? 当然です。兄上は。第一には、バミネから身を隠し、これ以上の危害を加えられないよう配慮するため。そして、第二に、ぼくの、猫になる呪いを、誰にも知られぬために。店の最上階にこもって、日がな針仕事をしていたのです。まだ若いのに、外出も、娯楽も、人付き合いも、極力避けて。ひたすらチクチクと。ぼくの…ために」
本来なら、普通の若者のように、店の者と友達になったり、ランチで外に出掛けたり、女性とデートなんかも、してみたかっただろう。
でも、兄上は家族のために、いろんなものを我慢して。
でも、そんなの大したことないと言って、笑うのだ。
そんな献身の心にあふれた兄を、愛さずにはいられないだろう?
賢くて、美しくて、優しい兄上を、ぼくもみんなに自慢したかった。
でも。隠れているしかなかったのだ。
「だから、兄上の姿を見る者は、数少なく。情報も、ほぼなかったはずだ」
そして、ぼくは左の薬指にはまる指輪をさした。
「こちらのシロツメ草の指輪は。兄上は、陛下の頂き物を大層喜んで、すぐにも枯れるとわかっていても、その日のうちに巾着を作って、大事に取っておいたのです。ネックレスにして、肌身離さず持ち歩いていた。たぶん、兄上は。ほんの少し魔力の発露があったのでしょう。シロツメ草を無意識に枯らさぬようにして。今回の魔力解放で、氷のようなダイヤのような、硬い物質でコーティングした」
ぼくは、鋭い眼差しを陛下に向けて、憤りをあらわにした。
はっきり言ってやらないと、このクソ陛下に、兄上の純粋で、優しすぎる、愛情は伝わらないのだっ。
「道端の草を、結晶化するくらい。兄上は、陛下を愛しているんだっ。陛下のために、命を懸けて、海を泳いだんだっ。これほどの愛情を示しても、まだ、その重い腰を上げないというのなら。唯々諾々と、死の運命をのみ込むというのなら。ぼくは、兄上と陛下の結婚を認めない。兄上を、世界で一番、幸せな王妃にしてくださらないのなら。ヘタレのクソ陛下なんかに、ぼくの大切な兄上を渡せるものかっ」
すると、ぼくの言葉に、陛下のそばにいたセドリックが怒った。
「はぁ? ヘタレのクソ陛下だと? 不敬が過ぎるぞっ」
「シオン。クソ陛下って言っちゃダメって、いつも言ってるでしょっ?」
セドリックの言葉に同調して。突然、兄上も、そう叫んだから。
ぼくは反射的に、頭を下げる。
ぼくは、兄上に怒られるのが、一番こたえるのだっ。
「すみません、兄上。しかし、ぼくは…」
そして、ぼくもセドリックも陛下も、一斉に兄上の顔を見やるが…。
でも、兄上は、まだ目をつぶっていて。
口の中で、むにゃむにゃ言っている。
「おとなしくしていないと、島に連れて行ってやらないからなっ」
寝言だ。
ぼくは。猫耳があったら、イカ耳にしていただろう。
ついさっきまで憤っていた、ぼくが。兄上に怒られて、ペションとなっているところを見て。
セドリックが、笑いを吹き出した。
「ふはっ、クロウのやつ、夢の中で弟を怒っている。マジで、兄弟なんだな?」
ぼくは、さっきセドリックに…いや、誰にでも。ぼくと兄上は、確かに兄弟なのだと認めてもらいたかった。
顔つきが、似ていなくても。
ぼくは。兄上に育ててもらった。兄上の弟なのだ。
大好きな兄上と、似ていないとか。本当に兄弟か、なんて疑われるのが。ぼくは心底嫌なのだが。
そんな憂いを、兄上はたった一言で吹き飛ばしてしまう。
あぁ、やはり。ぼくの兄上はすごい。
ぼくの兄上なのだっ。
兄弟だと認められ、内心で誇らしい気分になっているぼくに。陛下が告げた。
「シオン、確かに我は腑抜けだ。自分では、この状況を打破できなかった。クロウの献身には、もちろん報いよう。ここで立たねば、王以前に、男ではない。万一、クロウがこの先、憂うことがあるようなら。我を殴りに来い!」
威厳と風格を漂わせた、この国の王が。ぼくに向かって、決然と言い放った。
さすがに、喉になにかが詰まるような、畏怖がある。兄上的に言うと、圧がすごい。
それに、セドリックが苦言を呈する。
「陛下? シオンに陛下を殴らせるなんて…」
「良い。我を殴る権利を、シオンに与える。無論、我がクロウを不幸にするなど、万にひとつもないことだがな?」
ぼくと、陛下は。
いけ好かないと思いながらも、向かう先は同じだ。
兄上の幸せを、一番に望む、同志。
兄上が、陛下と一緒でなければ、幸せではないと言うのなら。ぼくは、それをのみ込むしかないのだ。
「ところで、シオン。ずっと気になっていたのだが。夜は人型になると言っていたが、サロンのあの小さいベッドに、クロウと寝ていたのか?」
は? そこに引っかかるんですか? 陛下よ。
先ほどは王の風格とやらを感じたのに。なんか…小さいな。
ぼくは、兄上が言うところの、エロっぽい挑発的な笑みを浮かべて。うなずいた。
「えぇ。小さいベッドだったから。毎晩。ギューッ、と抱き合って、寝ていましたけど?」
「…だ、だき?」
陛下はこめかみをヒクヒクさせながら、絶句した。
いいね。溜飲が下がりますっ。
「待て、食事はどうしていたんだ? 一食分しか出していなかったぞ」
居間で軽食を用意していたアルフレドが、ぼくに質問してきた。
「兄上は少食なので、一食をふたりで分けて食べていましたけど? 足りない分は、パンを多めにもらっていたので、それで食いつなぎました」
「マジかっ? 俺はクロウがこの城にいる間、大きくなってもらいたくて、多めに食事を出していたのに。ふたりで食べていたら、太るわけねぇ!」
青色の短い髪をかきむしって、アルフレドはノーッと叫んだ。
料理人の誇りが傷ついてしまったかな? ごめんな。
パンはとても美味しかったよ。
「モグラは? 弟がモグラを捕まえてきたと、クロウが…」
陛下が、つぶやくように口にする。
先ほどから、引っかかる点が少しおかしいんですけど? 兄上に似てきましたね?
「猫のときに決まっているでしょう? この住居城館の花壇に、よくいるんですよ。猫になると、愛する人に貢ぎたくなるんですよねぇ?」
「あ、愛する人…」
またもや、ショックを受けたような顔でつぶやく陛下と。
「モグラが貢物…」
と、つぶやいて、腹を抱えて笑うセドリック。変な人たちだな。
「…イアン、さま」
そうしたら、ようやく兄上が、本当に目覚めた。
ぼくは嬉しくなって、声をかけようとしたが。
セドリックに肩を抱かれて、寝室から連れ出されてしまう。
くそぉ、わかっていますよ。恋人の時間を邪魔しちゃダメだってことでしょ?
でも、ぼくは兄弟ですよ? 身内っ。
しかし、まぁ。兄上が、命を懸けて会いに来たのは、陛下なのですから。ここは譲りましょう。
ちょっと、ですよ? ほんのちょっとの時間だけですからね?
「シオン様、少々、よろしいですか?」
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うなずくと、手で、おいでおいでされる。
こういう仕草が、なんとなく、兄上と似ている感じがするな?
でもアイリスは、宇宙人だから。気は許さない。
兄上を気に入って、宇宙に連れ帰ってしまうかもしれないだろう? 怖い怖い。
そして、アイリスについて行くと。階段のところで、シャーロットが座り込んでいた。
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「ぼくが顔を出したら、気持ち悪がられるのではありませんか?」
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「ごめんなさい、つい、びっくりして、逃げてしまって。だって、勉強が嫌で、さぼっちゃったところとか、もっとお兄様と遊びたいの、とか。子供っぽい、恥ずかしいところばかり、見られてしまったのだもの」
そう言いながら、両手で頬をおさえるが。トマト顔は、さらに赤くなっていく。
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そんな無茶な、とぼくは思うが。
でも、アイリスが言うように、本当に怖がっているわけではないようだ。
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すると、シャーロットは。赤い顔を、見事に青く変化させて。またもや、いやあぁぁぁーっと叫びながらどこかへ逃げていった。
どうした? 大丈夫か?
「もう、シオン様は女心がわかっていませんね? 陛下とクロウ様のラブラブチュッチュを見習って、勉強してください」
アイリスにも怒られてしまったが。
え? 嫌です。
つか、なんで怒られた? さっぱりわかりません。
まぁ、それは良いとして。
ぼくの悩みは、まだまだ尽きない。
兄上が危なっかしいのは、変わらないし。のほほんとして、ぽややんとして。放っておくと、ご飯を食べるの忘れて仕事しているし。暗くなっても気づかないで、いつまでもチクチクしているし。
ぼくがそばにいないと、本当に駄目なんだから。
それに、兄上が結婚したって。弟は一生、弟。
ぼくらは一生、兄弟なのですからね?
離婚したら即、縁が切れる陛下より、一生縁が切れないぼくの方が、上ですっ。
だから、そう簡単に、陛下に兄上を渡しはしませんよ。
ぼくの大切な、愛する兄上ですから。
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あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
【本編完結】攻略対象その3の騎士団団長令息はヒロインが思うほど脳筋じゃない!
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突撃してくるピンク頭の女子生徒。
来るもの拒まずで全ての女性を博愛する軽薄王子。
二人の世界に入り込んで授業をサボりまくる双子。
何を考えているのか分からないけれど暗躍してるっぽい王弟。
俺を癒してくれるのはロベルタだけだ!
……えっと、癒してくれるんだよな?
最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。
はやしかわともえ
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のんびり書いていきます。
2023.04.03
閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m
お待たせしています。
お待ちくださると幸いです。
2023.04.15
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
更新頻度が遅く、申し訳ないです。
今月中には完結できたらと思っています。
2023.04.17
完結しました。
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます!
すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。
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そんな中、主人公があらわれるのを、まちながら日々を送っているはなし
BL要素は、軽めです。
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