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襲撃 3
しおりを挟む大きな物音がした気がして、それと同時に痛みを感じて急激に意識が目覚めた。部屋は真っ暗だけど今日は満月で月の明るい日だからか、窓から差し込んでいる月光である程度の事は認識できた。
ベットで寝ていた僕を庇うようにして誰かがいて、両手を広げている。キラキラ光るシルバーのアクセサリーのしっぽを見てすぐにリシャールだって気が付いた。
上半身を起こして彼を見上げようとすると、枕に何かがぽたりと落ちた。それは真っ赤な鮮血で、よく見てみるとベットの周りにはガラス片や細かい木材が散乱している。
「ぐ、っ……」
荒い吐息が聞こえて、ゆっくりと上を向くと、傷だらけのリシャールが苦しげな表情で僕を見下ろしていた。
頬や耳が切れていて血をにじませては落ちていく。その血液が僕の頬にぱたりと落ちて、リシャールは困ったように笑ってからくるっと振り返って、窓のある方を向く。
その背には、大きなガラス片がいくつか突き刺さっていて、僕をかばってこんなことになっているなんて、想像もしていなかった僕はそのガラスを見て何か異様な事態が起きていることだけは察した。
しかし、ふと思う。これは昼にリヒトお兄さんが窓を吹き飛ばしたのと同じようなことなのではないかと。
だってあの時は外側に窓ガラスが飛んでいったからああなったのであって、こちら側に吹き込んでいたら僕だってこんな風にハリネズミみたいになっていたかも……なんて。
そんなことを考えながら、なんだか現実味がわかなくて彼の背に刺さっているガラス片に触れてみる。そうすると指が簡単に切れて、リシャールの荒い呼吸に合わせてそれは小刻みに揺れている。
「っ、エ、エ、ムリ、やだ、ええ」
あまりのグロテスクさに呟くような声を漏らして、本当に彼の体に突き刺さっているのだと理解する。
「流石獣人、人間とは強度も感度も違うのだな」
そんな聞きなれない、僕と同じ年ごろの中世的な声が聞こえてきて、咄嗟にリシャールの背中から顔を出して窓の方を僕も見た。
「でも用事があるのは其方の主人なのだ。大人しく従わなければ殺す」
そこにいたのは、整った顔立ちの少年でこちらを真っ赤に光る瞳で見据えていた。月明かりにリヒトお兄さんと同じ銀髪が揺れていて、馴染みのある外見のはずなのに、殺すなんて物騒なことをリシャールに言っている。
「従う気はなさそうだな」
いまだに一歩も引かないリシャールをそう判断して、彼は動く、動いたと思った瞬間には、リシャールから血が噴き出していて、すぐに力なくリシャールは僕の方へと倒れこんでくる。
「っ、あ、りしゃっっ」
情けない事に恐怖のあまりうまく声が出ない。目の前の彼はその手を真っ赤に染めていて、完全に殺人鬼みたいだった。倒れてきたリシャールを抱き留めて彼の大きい体が床に落ちないように服を引っ張る。
血がだらだらと流れ出ていて、何とか止めようとリシャールの傷口の部分をぎゅっと圧迫した。
「ふ……ぐ、ナオくん逃げ、ないと」
意識は失っていなかったようで、リシャールは僕の腕を掴んでそう言った。しかしその間にも血はとめどなく流れ出していて、意味の分からなさと唐突さに混乱して、僕もわけもわからず涙をぼたぼた落としていた。
心臓が耳にあるのかと思うぐらい大きな音を立てていて、そのせいで目が回りそうだった。傷口を押さえている手にリシャールの生温かい血がべったりと付着して、気持ちが悪かった。
リシャールは荒い呼吸を繰り返して、僕は、ただ彼から言われたこともできずに、震えながら事の原因から目を背けてじっとしていた。
召喚された初日に、あんなに怖かったリシャールがこんな簡単に、瀕死にされて、今でも動けずに僕の手の中に納まっている。僕にはまるで、反撃するすべも、逃げるすべも思い浮かばない。
刃物の一つでも用心して持っていたら、何か違ったのかもしれないけれど、そんなの考えもしなかった。
こっちに来てから何度も怖い思いをしているというのに、いざとなっても体は動かないし、自分にできることも何にも思い浮かばない。
それに、こうしてリシャールが酷く傷つけられていて、それを抱えているこの状況はすでに、きっと手遅れの状態だと思うのだ。
「っ、ひっ、うう、う」
涙にぬれて視界は歪み、変な耳鳴りが聞こえ始める。
怖い目に合うのは、一瞬の出来事で、状況の把握が遅い僕は、気が付いたら手遅れになって、後はライオンの群れに囲まれた子供の草食動物みたいに、泣きながら襲われるのを待つしかできない。
でも、痛い事をされるまでの少しの間だけでも、現実逃避しようと、して原因を視界に入れないようにしてリシャールの事を見つめる。しかし、そんな短い間の現実逃避はすぐに終わって、ベットのすぐそばに綺麗な革靴が見えた。
「……、が……じゃな…………」
そのとたんに、酷い恐怖心から、視界が酷く歪んで何かを言っているということはわかるのに、彼の言葉が理解できない。言葉を言葉として認識できずに、ただ震えた。
「うっ」
突然、首筋にびりびりと痛みが走って、反射的に逸らしていた視線をもどして目の前にいる人を見る。自分の首からもリシャールと同じように、血が筋になって流れ落ちていて、庇うようにして押さえると生傷に手が触れて酷く痛む。
「意外と美味しいのだな。魔力がないのが味気ないが」
……おおお、美味しいって、おいしくない、僕、おいしくないから。
このまま食べられてしまうのが嫌でとにかく否定の言葉を考えながら、目の前の彼を見た。
彼は、僕の肌を切り裂いたその爪の血を味見のように舐めていて、後ずさろうと身を引くけれど、僕の膝の上に乗っているリシャールをまさか放っていくわけにもいかない。
おいてなんて行きたくない。でも死にたくない。
「魔力の濃度によっては連れ合いにしてあげなくもないぐらいだ」
何のことだかよくわからなかったけれど、手を伸ばされて、咄嗟に目をつむった。
死にたくないし、しかし、目の前の唐突にやってきた捕食者に、命乞いをしたって、まったく意味なんかないだろうと漠然と思っていた。
リシャールの服をぎゅうっと握りしめて、またいつ来るかも分からない痛みに怯えて、ただただ小さくなった。
きつく目をつむると、体がどこにあるかもわからないような浮遊感と、泣きすぎて頭痛がしていて自分の荒い呼吸の音が一番よく聞こえた。
しかし、酷く一秒が長く感じる今の体感でも、いつまでたっても、痛みはやってこない。それが彼が、怯える自分を見て楽しんでいるからなのだと最初は思ってさらに怖くなったけれど、そんなこともなく、次第に、呼吸は落ち着いて、そんなときに聞き慣れた声がした。
「誰かな、君」
短い言葉だったけれども、僕はその声を聴いてぱっと目を見開いた。
すでに少年は僕の前にはいなくて、部屋の入口付近に移動していた。僕は今の今までただ一人で怯えていただけのようで、あの殺人鬼と距離をとれたこと、それからきっともう大丈夫だということに安堵して、壊れてしまいそうなほど脈打っていた心臓がやっと通常運転に戻ろうとする。
「ああ、やっと出てきたか。私は、其方に用事があったのだ。しかし、人間がいるものだから驚いたぞ」
「誰だって聞いている、なにしてる、こんな夜更けにおしかけてきて」
その声は、酷く不機嫌そうで、ちらっとこちらを見たリヒトお兄さんと目が合った。それからお兄さんはすぐに視線を目の前の同じ銀髪に赤い目をした吸血鬼に戻す。
「確かに、其方は純血だな。この目で見るまで私は信じていなかったが……どういう導きなのだろう?」
リヒトお兄さんの問いに、吸血鬼は答えない。その瞬間に、お兄さんは瞳を炎みたいに真っ赤にして、昼間吹かせた突風を何の動作もなしに吹かせた。
何かがちぎれて飛んでいく音がして、そのあと熟れすぎた果実が、地面に落ちるみたいな音がしてそちらに視界を向けた。
……、……。
そこには吸血鬼の一部が転がっていて、それは確かに、腕で、先程まで僕らを攻撃していた、彼の体の一部だったものだ。
それか簡単に取れて、転がっている。使っていたのはあの昼に見た魔法のはずだ。
視線を戻すと、まったく形成は逆転していて、吸血鬼は、なくなった片腕の傷を押さえて、やや逃げ腰になっていて、リヒトお兄さんは先程と同じ質問をした。
「何しに来た。というか、誰かな君は」
「っ、其方、まさか、四元素魔術を?! 馬鹿な、純血の鬼族は人間の魔法など持ち合わせないのだ!!」
「知るか、そんなこと」
わめくような大きな声でそう言う彼に、リヒトお兄さんは、イラつきをそのままぶつけるみたいに言い放ってまた風を吹かせた。もう、見ていたくなくて、僕はそのままリシャールに視線を落とした。
だって今まで僕が怖かった殺人鬼みたいな、生き物を、自分のこの世界で一番近しい人間が、赤子の相手でもするみたいに傷つけていて、そしてそれを何も感じていないようなところなんかこれ以上みていたくなかった。
リヒトお兄さんは怒っているっていう理由だけで、他人にこんなことできる人間だという事を知りたくなかった。
確かに、僕と同じ世界から来た人間なのだとわかっているのに、きっと僕とは同じものを見ても同じ考えを持つ人間ではないということが、はっきりとわかってしまう。
今は、確かに僕はリヒトお兄さんに助けられたはずなのに、僕が手も足も出なかった捕食者と同じ土俵に立って、圧倒している彼は、僕からすればまた恐ろしい生き物であるという事を認めざるを得ない。
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