媚薬恋愛〜堅物女隊長は貴公子顔の部下から一途に愛され落ち着かない〜

散りぬるを

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求められなかった者たち

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 シエラが目を覚ましたのは、明け方のことだった。部屋はまだ薄暗く、だが燭台の灯りを必要としない程度には明るかった。
 抱きしめられる格好で眠っていたらしく、目を上げればウルクの寝顔がそこにはあった。
 日中の快活さからは想像がつかないほど、静かで美しい寝顔だった。口づけをしすぎたせいか、唇が赤みを帯びていた。
 シエラはウルクの頬に触れ、そっと唇を重ねた。
 昨夜の記憶も、交わりの余韻も残っている。下腹部をそっと撫でれば、ウルクの昂りがまだここにあるような感覚があった。

「また欲しくなっちゃった?」

 ぱちっと目を覚ましたウルクが、掠れた声で囁いた。 
 寝起きの色っぽい声に心臓がドキドキと熱く騒ぎだす。ウルク相手にどうしたというのか。
 シエラは咳払いをして身体を起こした。

「朝食をとったら伯爵の別荘に戻るぞ」
「あ~あ、いつものシエラさんに戻っちゃった。昨日の夜はあんなに可愛い声で甘えてくれたのに」
「忘れろ」
「忘れない。絶対忘れない。《マーメイド》の製造方法わかったら、自分でも作ってみようかな。もちろん、シエラさん専用だよ」
「恐ろしいことを言うな」
「本気だって言ったらどうする?」

 くるりと振り返り、飄々と微笑む男を見下ろす。

「もれなく、わたしの拳の餌食になる。その覚悟があれば好きにしろ」
「わぁ……暴力反対。殴られたくないからやめておきます。その代わり」

 腕を掴まれて強く引き寄せられ、ウルクの腕のなかに戻ってしまった。

「もうすこしだけ、夢を見させて」

 切ない声が胸に迫る。
 シエラは抵抗することなく大人しくした。なぜか、そうしてやりたいと思った。

「身体の調子はどう、媚薬は抜けた?」
「ああ、異常はない」
「そっか。それならよかった。……収穫祭、終わっちゃったね。美味しいもの食べたかったな」
「来年があるだろ」
「そうだね。来年こそはシエラさんと収穫祭を楽しむ。もちろん、付き合ってくれるでしょう?」

 いつもの調子で尋ねてくるので、おそらく軽い冗談なのだろう。
 だから、いつもの調子でこう言い返せばいい。断る、と。
 
「……考えておく」

 思いとは裏腹に、口からは正反対の言葉がするりと滑り出た。
 
「えっ!? そうなの? 収穫祭嫌いって言ってなかった?」

 ウルクが目を丸めた。その驚き方があまりにも滑稽に見えて、ふっと笑いがこぼれる。
 
「嫌いだ。嫌いだが、色々と記憶が塗り替えられたから……もうどうでもいい」
「収穫祭にそんな嫌な思い出があったんだ」
「……わたしが社交界に出たのは、十六歳のときだった」

 これまで誰にも話してこなかった、話そうとは思わなかったことを口にしている。
 それほどまでに、ウルクの存在が自分のなかで馴染んでしまった。ウルクになら話してもいいかと思えた。自分なりの信頼の証だ。

「こんなわたしでも、社交界に出ることは胸を躍らせる出来事だったんだ。そしてその日が、収穫祭を祝う日だった。公爵家に招かれた祝いの席は、たくさんの貴族が集う会で、それはそれは盛大だった。初めて婚約者と顔を合わせたんだが、姿絵とは違って実際に見た婚約者は気の弱そうな男だった。これがいずれ自分の夫になる男かと不安に思った。そして、婚約者も含めて何人かの男と踊って、そろそろ帰ろうかというところでだ――みんなが見ている前で白亜化したんだ」
「あぁ……」
「ふと空を見上げ、美しい満月だなと眺めていたときだった。白亜化したお前なら知っているだろう。あのなんとも言えない澄んだ気持ちと、得体の知れない高揚感。風や光に溶け合うかのような未知の感覚。ほんの一瞬の出来事だった。周囲の悲鳴が届き我に返ったら、この姿になっていた。わたしが白亜化した瞬間は、たいそう美しかったそうだぞ。後日、ある令嬢がわたしを見舞ってくれた際に教えてくれた」
「最高の嫌味だね」
「ああ。いまでも時々思い出しては腹が立つ」
「貴族社会では白亜は歓迎されないって聞いたけど。それってもしかして」

 シエラは重く頷いた。

「白亜化したら子を宿せない。子孫を残せない身体になるからだ。貴族というものは血の繋がりにこそ価値がある。子を宿せないわたしは家にとっても、貴族社会においても役立たずだ。その後の扱いなど想像できる。だから、わたしは自らの意志で貴族という立場を捨て、天使協会に入った。白亜化したというだけで、嘲笑されることも、冷遇されることに我慢ならなかったからな」
「さすが」

 ウルクはばかにした風でもなく、ただ感心したように言った。
 だから、シエラも苦笑するだけだった。自分のプライドの高さが、あの日ほど役に立った日はないと思った。

「悲しかったね」

 ウルクにぎゅっと抱きしめられて、シエラは目を閉じた。ああ、と答えることができたのは奇跡だった。
 自分でも認めなくなかった感情だった。認めたら最後、人生に絶望してしまいそうで、怖くて認められなかった。そうだ、自分はずっと悲しかったのだ。悲しみを押し殺すために、自分にも他人にも厳しい姿勢をとってきた。優しくされるようなことがあれば、恐怖と悲しみに張り詰めていたものが一気に崩れて、自分を見失いそうになるから。

「でも、俺はそんなシエラさんのおかげで生きる道を選べた」
「なんのことだ」

 顔を上げたシエラに、ウルクは目を穏やかに細めた。
 
「シエラさんは覚えてるかな。協会の仕事でシエラさんが俺の住む町に来ていたんだ。当時、俺は白亜化したばかりで、自分って存在がなんなのか、わからなくなってた」

 目だけで先を促せば、ウルクは視線を天井に向けた。古い記憶を呼び起こすような視線の揺らぎを感じた。
 
「俺には兄貴がいて、将来の跡取り息子として期待されていた。もちろん、兄貴も優秀で両親の期待に応えていた。俺はというと、不出来で、兄貴が万が一死んだ時の保険。俺自身を見て褒められたことなんてなかった。お兄さんの手伝いができて偉いね、お兄さん想いね。それがお決まりの褒められ方だった。それがだよ、白亜化したら町中が俺を褒め称えた。俺が住んでた町は天使協会の教えが浸透していて、祝福にみんなが注目したんだ。両親も、祝福を授かったからには我が家は安泰だって喜んでくれて……母さんは俺にご馳走を用意してくれた。でもそれは全部、兄貴の好物だった。母さんは、俺の好きなものをなに一つ覚えてくれてなかった」

 だんだんと沈んでいく声に、シエラは相槌を打つことしかできなかった。

「俺って、いても、いなくてもいいかなって思ったら、死にたくなった。それで、どこで死のうかなって町を上から見ていたときだった。すごく綺麗な白亜がいた。背筋がピンと伸びて、近寄りがたい雰囲気で、すっごい早歩きだった。人通りから外れて、どこに行き、なにをするのかなと思って空からついて行ったら、路地裏で三人の男をたったひとりで締めてた。強くてかっこよくて、眩しかったよ」
「そんなこともあったな」

 確か、男たちを仲間に渡してウィッチの残党がいないか探していたときだった。いきなり空から声が降ってきたのだ。

『お姉さん、強いね』

 人が空中に浮いている。驚き尽くして、しばらく声が出なかったのをよく覚えている。

「お前、空を飛んでいるのか? すごいな、白亜でそんな奴見たことない」
「それはわたしの真似か?」

 シエラが苦笑すると、ウルクもクスッと笑った。
 ウルクはシエラに向き直り、シエラの髪を指ですいて優しく撫でつけた。

「初めてだった。兄貴のことも家のことも関係なく、すごいって言われたの。俺だけを見て、俺だけを褒めてくれた。あの瞬間に、俺はあなたに恋をした」
「え……」

 思わぬ告白に、シエラはきょとんとした。

「シエラさんを追って天使協会に入ったはいいけど、全然会えないんだもん。シエラさんの下につかせてくれたら大人しくするって協会に言ったら、願いが叶っちゃった」
「まさかお前……上層部に掛け合うためにわざと問題行動を起こしていたのか!?」
「ふふん」
「呆れた……」
 
 シエラは信じられないと嘆息した。
 可哀想な身の上話に同情をしていたが、こいつの中身はやっぱり変わらないようだ。
 自分の部下になってから大人しくなったのはそういうことだったのか。そもそも、ウルクの監督官という役目自体おかしかったのだ。個人に対して監督官を置くなんて話、聞いたこともない。何かがおかしいと薄々感じていたが、シエラの能力を買ってくれたという側面もあると思うようにしていた。まさか、この男が仕組んだことだとは。
 
「ほら、一途でしょう?」
「その笑顔をしまえ。悪魔より邪悪な笑顔に見えて仕方がない」
「ひどいなぁ。これでも俺、結構モテるんだよ? 町を歩けば、女の子の視線が集まる集まる」
「そんなことは知っている。だから不思議で仕方ない。なぜわたしなのか……。わたしはその辺の女が持つ、あ、愛嬌というものは持っていないだろう」
「そうだね」
「くっ」
「でも、虫を怖がるところとか、口紅を綺麗に引かないと気が済まないところとか。きつい言い方をするけど誰よりも面倒見が良くて、誰のことも見捨てない優しいところとか。全部が好き」

 ウルクの強い視線に、シエラは目を瞬いた。
 再び心臓が騒がしくなる。頬が熱くなるのはなぜなんだ。ウルクを目の前にしているだけで、どうにも心が落ち着かない。
 まさか、この男に恋をしたとでもいうのか。
 
 ありえない。
 
 一夜の交わりで気持ちが引っ張られているだけだ。ウルク・ティレットは部下で、仲間だ。恋仲になれば、今後の仕事に支障をきたすことは明白だ。
 シエラはウルクの抱擁から逃れて身体を起こした。

「帰るぞ」
「えっ、この雰囲気でそれ言う!?」
「帰るったら帰るんだ。りんごとパンくらいなら歩きながら食べられるだろう。さっさと帰るぞ」
「シエラさん、待って。ちょっと、着替えるの早いよ!」

 なぜか急に目を合わせることも、顔を見ることも怖くなった。
 恋愛感情というものを人生で抱いたことがない。協会に入ってからヤケになって男と寝たことはあるが、こんな感情になることなど一度たりともなかった。
 シエラはボタンの掛け違いに気づかないままスラックスを掴んだ。

「シエラさん、シャツが変だよ。直してあげるから、こっち向いて」
「い、いい。自分でやる」

 掴まれた腕を振り解こうとするが、グッと力を込められてびくともしなかった。
 
「あれ、もしかして俺のこと初めて意識してくれた? ふふっ、嬉しいなぁ」
「ふん、勘違いも甚だしい。誰がお前のことなど」
「そうなの? 俺たち、仕事も夜のほうも相性がいいと思うんだけどな」
「なっ、こんなこと一度きりだ! ちょ、えっ……キャア!」

 ベッドに押し倒され、唇を撫でられる。
 ぞくりとするような艶のある眼差しを向けられて、息を呑む。

「帰る前に、媚薬がちゃんと抜けたか確認しようね。あんな顔、仲間に晒したくないでしょう?」
「もう抜けた、抜けたからやめろ!」
「だーめ」
「あっ、んんっ……」

 媚薬の効果なんてとっくに切れているはずなのに、ウルクから与えられる快感に身体が強く反応する。
 深い口づけに抗うこともできず、諦めてウルクを受け入れた。
 チュッチュ、と背中に愛撫を受けながら、枕を抱きしめて嬌声をこぼす。
 
(一体どんな顔をして仲間たちの元に戻ればいいんだ……。ああ、きっと色々と探られる……こいつもこいつで、含みのある言い方をするんだろうな。最悪だ……)

 手のかかる部下にこれからも振り回される予感に、シエラは深くため息をこぼしたのだった。
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