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第四章:深淵より来たる水曜日

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 青葉五月は、努めて冷静に、自分の置かれた立場を理解し、分析し、対策を考えようとしていた。
 今自分のいるプレハブのような事務所、外に通じるドアにも窓にも全て鍵がかけられており、茉茉モモという人形に体の自由をかなり奪われている状況ではぶち破って脱出、というわけには行きそうにない。
 当たり前だが、ハンドバッグに入れていたスマホや財布、タロットカードや霊符ふだの類いはハンドバッグごと持ち去られている。服やアクセサリーに仕込んでおいた暗器も同様だ。
 一件事務所風ではあるが、この部屋に外部に連絡する手段はない。電話もインターホンも、端末は少なくとも一見して分かるところには置いていない。
 窓から見る限りこの部屋は大きな倉庫内部に作り付けられた事務所であり、窓は三面、ドアがある一面は倉庫内側に向いている。窓のない一面にもドアがあるが、施錠されており窓の類いもないため、そちら側に繋がっているだろう部屋がどうなっているかは分からない。その一面を背にするようにして自分は座らされており、自分が座っていた椅子は肘掛けもあるそれなりの安楽な椅子だが、それ以外には窓のある二面に面して事務机と事務椅子が四セットあるのみ、窓以外の壁の至る所に棚が設けられており、その棚にも、事務机の上にも無数の人形が置いてある。
 体は茉茉に影響され、ゆっくり歩くだけならまだしも、完全に自由に動かせるわけではないが、見聞きすることや思考は影響を受けていないらしい。そして、気を集中して探るまでもなく、無数の人形の中にはそれなりの数の、強い霊力、あるいは怨念を帯びたものが存在している事が、占い師であり拝み屋である五月には如実に感じられる。
 これらから、五月は以下の二つの結論を推定した。
 つまり、自力脱出及び外部への連絡は、現状ではまず不可能であること。そして、霊力を帯びた人形のうち最低一つ、恐らくは複数個はあの老人、張果ちょうかという、玄宗皇帝にも仕えた、八仙に数えられる仙人の名を騙る道士と繋がっている、それを通じて自分は監視されているに違いないということ。
 五月は、そこまで考え至ると、深くため息をついて肘掛けのある椅子に腰を落とした。

 ご丁寧に時計すらないこの部屋から、五月は外を眺めてみる。一面はほとんどが隣の倉庫の壁しか見えずあまり意味が無いが、もう一面からは恐らくは大型車が何台も出入りするのだろう倉庫の外のかなり広い駐車場と、駐車場が面する対面二車線ほどの道路、そしてその先に狭い緑地を挟んで海が見える。
 倉庫のある敷地内に停まる車も、表の道路を行き交う車も、そのほとんどが大型トラックかトレーラーであり、時折敷地内に見える作業員やトラックドライバーらしき人影から察するに、どうやらここはどこかの湾岸地域にある個人営業クラスの物流倉庫らしい。まっとうな物流会社にあの張果なる老人が間借りしているのか、それとも物流会社ごと張果の持ち物か、あるいは張果が所属する組織の持ち物かはわからない。どちらでもあり得ることだが、なるほどと、五月は思う。物流系を主に扱う経済ヤクザ、その非合法部門の、あの張果という老人はその工作部隊のトップあるいは参謀というところか。察するに、ここにある人形も、そうやってかき集めたに違いない。自分が依頼された仕事、不遇な人形を探すという名目のそれも、間違いなくその一端だったのだろう。そうやって集めた人形を何に使うのか、どうせろくな事ではないのも間違いないところだ。
 五月は、改めて倉庫内に面する窓を見る。丁度、海上コンテナを開封して、中身を倉庫内に作り付けられた冷蔵倉庫に納品しているところだった。
 それを見た五月の背筋に、冷たいものが走る。冷蔵倉庫に運び込まれているのは、遠くてよくは見えないがどうやら冷凍の牛肉か豚肉、革と内臓、頭と四肢の末端を外された、枝肉と呼ばれる状態のそれだった。だが、肉眼で確認こそ出来ないが、五月の拝み屋としての感覚は、それを敏感に感じ取っていた。冷凍の家畜に巧妙に混ざって、冷凍の人間の死体も運び込まれていることを。

「なんて事……」
 なるほど、牛の大きな骨盤の影に隠せば、税関のレントゲン検査も誤魔化せるのかも知れない。しかし、フォークリフトで次々に冷凍肉を運び込む作業員は、その事に気付いているのだろうか。
 だが、これで夕べの人民服の殭屍キョンシーの説明が付けられる。戸籍も人権も機能していない地域から、文字通りの冷凍肉として殭屍にする死体を輸入していたわけだ。でも、何のために?きっと、常人には思いもつかないような需要があるのだろう。夕べの、人を襲う殭屍など、むしろオーソドックスな利用方法だと思えるくらいの。それを詳しく知りたいとは、五月は思わなかった。

 荷下ろし作業を見ていた五月は、開け放たれた倉庫のシャッターから張果と、葉法善ようほうぜんと呼ばれた大柄な男――これも玄宗皇帝の抱えていた道士の名だ――が入って来たのに気付いた。事務所の外階段を上って、どうやらここに来るらしい。
 ドアを解錠する音に続いて、張果と、粥らしき土鍋と食器一式を載せた盆を持った葉法善が入ってくる。窓際に立つ五月は、身構えるでも無くちらりと視線だけを向ける。
「何をしている……そうか、何か面白いものでも見えるのか」
 倉庫内を見ている五月の様子に気付いて、張果が言う。その様子を見て、五月は確信する。この張果という男は、めしいだ。だが、何か特殊な感覚でそれを補っている。それは、まず確実に、人形の視界だ。
 五月は返事をしない、返事をする必要性を感じない。
「昼飯だ」
 張果が言い、葉法善が盆を事務机の上に置く。
「……茉茉の扱いも、ずいぶんと堂に入ったようだな」
 言われて、五月は気付く。全く自然に、左の肘の窪みに人形の頭を乗せ、まるで赤子を抱くように優しくいだいていたことを。
「まあ、喰え。生憎今は粥しか用意がないが、いずれ肉でも魚でも食わせてやろう、色よい返事が貰えるならばな」
「……結構よ。良い機会だから精進させてもらうわ」
 視線を前に向けたまま、五月が吐き捨てるように言う。
「気の強い女だ、だが死んだり倒れられても困るでな、せいぜい精のつくものでも出してやるか」
 それだけ言って、張果は葉法善を連れて部屋を出る、きちんとドアを施錠して。
 倉庫内に向けた視線の隅を移動する張果と葉法善が、シャッターの影に消えた。
 がつん。
 ガラス窓に、五月の額があたる。
 ――安易に諦めるのは絶対に嫌。でも、安易に誰かを頼るもの私のやり方じゃない――
 窓に右手をつき、歯を食いしばって五月は思った。
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