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ライレルの馬祭り Ⅰ
故意
しおりを挟む「……こちらへいらして」
しばらくして、周囲のざわめきが収まるとミレーユは手ずからお茶を入れて、ティーカップの乗ったソーサーをユラに差し出した。2人の距離は随分と離れていて、ユラがわざわざミレーユの元へ取りにいかなければならない形になる。
どうしてわざわざ私が取りにいかなければならないのだ。と不満を隠しもせずに眉を跳ね上げるユラだったが、断るわけにもいかなかった。
身分が上の人間から茶を勧められた場合、衆目の中でそれを断るのはマナー違反である。
もし本当に飲みたくない場合は、断るのではなく飲んだふりをするしかない。
ユラもそれは分かっていたため、渋々とミレーユから差し出されたソーサーを受け取ろうと手を伸ばした。
その時。
「……あら」
ミレーユが小さく呟いた。その視線の先は何もないはずの地面である。
いや、そこには確かに何かがあった。
「ひっ……!」
ユラは思わず喉をひっくり返したような声を出して、差し出した手を急いで引っ込めて、きわめて上品とは言えない動作で後ろへ飛び退った。
一体何事か。
周囲の視線はユラの視線の先へ誘導される。
しかし遠目からは何がそこにあるのか分からない。
好奇心の強いご婦人方はわずかに数歩、相対する2人の間に近づいて、ユラ同様に「ひ」と短く悲鳴を上げてすぐに元の場所へと引き返した。
そこにあったのは、ミレーユが先程落とした砂糖の塊。
そしてそれに群がる蟻と、蟻を狙う黒い蜘蛛の死骸があった。
華やかな社交場にあるまじき光景であった。
「まあ、お気の毒だこと。……黒い蜘蛛を踏んでしまうだなんて、このご時世にはあってはならぬことですわね」
ミレーユの演技臭い発言に、ユラは怒りから顔を真っ赤にした。
「でたらめを仰ってはいけませんわ!これは、ミレーユ様が故意にしたことではありませんか!」
ミレーユが、ユラに茶を取りに来るように即した。それは事実だった。
しかし。
「まあ、ひどいわ。どうして故意にだなんて酷いことを仰るのかしら」
「~~~っ!!」
ミレーユが素知らぬフリを押し通すつもりだと知ってユラは腸が煮えくり返るような憤怒を抑えきれずに、地団駄を踏む。
「明らかに故意ではありませんか!!」
「あら、故意だというのならその証拠を出してご覧なさいな。うっかり落としてしまった砂糖に蟻が群がるのは自然なことよ?それらの蟻を食す蜘蛛がいるのだって至極自然なこと。そうではなくて?」
「……ですから、ミレーユ様が砂糖を落としたことこそが故意だと言って……!」
「では、証拠を出してご覧なさいな」
「そ、そんなものあるわけないでしょう!」
「ええ、そうね。あるわけがないわ。故意ではないもの。ではついでに聞くけれど。あのメイドが故意に食器を落としたことをあなたは『自然なことではない』と言ったわね。つまり故意だと思っている。その根拠はなに?」
確信を突かれたように、ユラはその時一瞬、誰かに助けを求めるように視線を泳がせた。
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