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ライレルの馬祭り Ⅰ
母の背
しおりを挟む「いけませんわ、ミレーユ様。公爵令嬢ともあろう方が使用人なんぞを庇っては。それこそ周囲から品性を疑われてしまうことだと思うのですが……」
尻すぼみではあるものの、彼女は何か大きな後ろ盾でもあるかのように尊大な言葉でミレーユを牽制する。
通常、公爵令嬢であるミレーユに対して侯爵令嬢がこのような口の聞き方をすれば、周囲から批判が飛ぶはずなのだが……皆、事の成り行きが気になって仕方がないのだろう。コソコソと話はするものの、誰も割って入るようなことはしなかった。ミレーユの母である公爵夫人以外は。
「ミレーユ」
ミレーユを庇うように前に立った公爵夫人……エリーチェは、意気揚々とした笑みを浮かべていた令嬢を冷めた目でみやった。
流石に令嬢は怯んだのか尻込みして、動きたくてうずうずしていた口を噤む。
けれどその瞳からは、隠しきれないプライドの高さが滲み出ており、ミレーユに対する劣等感や、優位に立ちたいという願望が隠しきれてはいなかった。
「……ミレーユ。あなたがしていることはとても正しいことだわ。存分に思うがまま、振る舞ってほしいと思うの。だけど、あなたが軽んじられてしまうことだけは、我慢できないの」
普段おっとりとしている母が、真面目な顔をして肩に手を添えてくる。
きっと、ここで母が一言「この件はここで収めてくれ」と言えば、すぐに事態は収束するだろう。
けれど、それでは駄目だった。
事態は収束するが、どちらにしても公爵夫人が黒色の器を割ったメイドを庇ったことは、大したことでもないのに噂になってしまう。
ミレーユには、メイドを庇う前からこの一件は自分で収められるという確信があった。
この国で1番美しいと評される一方で、世間知らずで我儘な公爵令嬢として世に知られているミレーユではあるけれど。
頭が悪いわけでは決してない。
感情に流されやすいことは否めないだろうが、世間知らずと我儘は、決して彼女の頭の回転の速さを示す指標ではなかった。
「……お母様、心配しないで頂戴。軽んじられたままでお母様の背後でただ黙っているなんて、私には出来ないことだわ。知っているでしょう、お母様。私は目立ちたがりなのよ」
「……」
エリーチェは、ミレーユの顔をじっと見つめてた後、諦めたかのように小さくため息を吐く。
「いいわ。あなたの望むようにして頂戴」
ミレーユの視界から、母の凛とした背中が消える。
事の成り行きを見守っていた人々が、意外なことになったと僅かに騒ぎ出したが、ミレーユはそんなことは気にも留めず、背後で蹲り未だにぶるぶると震えているメイドを支え起こした。
「ちゃんと立ちなさい。あなたは確かに器を割ったけど、衆目の中で見せしめのように笑われるほどのことをしたわけではないわ」
「…も、申し訳ございま……」
「謝るべきは私ではなく、この器の持ち主よ。すぐに謝ってきなさい。ここはいいから、もうお行き」
「……は、はい」
メイドは心底申し訳無さそうにしながら、深く深く頭を下げてその場を去る。薄情者だと揶揄する声も聞こえたが、公爵令嬢であるミレーユが「行け」と言ったのだ。結局のところ、誰も彼女を引き留めはしなかった。
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