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第2章 三人の婚約者
その28 婚約者・アミーネ
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「本当ですか! お父さま!」
アミーネは、長いマツゲを震わせながら、飛び上がらんばかりにして喜びを露わにした。慎ましやかな性格だけに、珍しいことだ。
もともと、嗜みのある淑女は、ごく親しい家族以外に喜怒哀楽をなるべく見せないように気を付けるように躾けられているのだが、優秀な頭脳で貴族の振る舞いを学習してきただけに、ほぼ喜怒哀楽を家族以外に見せないほどだ。
いや、最近は、最愛の婚約者であるガイウス第一王子にだけは「喜」を見せるようになっていたが。それにしても、ここまでハシャイだ表情を見せるなんて、めったにあることではなかった。
その喜びぶりが、娘の「婚期遅れ」を突きつけてくる気がして、逆に痛々しく感じてしまう父だ。
アミーネは、今年二十二歳。適齢期などとっくに過ぎている。
『ああ、ワシのせいで、この程度のことで、ここまで喜ぶなんてなぁ、ああ、不憫なことよ。ワシがワガママを通したせいでなぁ』
かつては「鬼神」とまで呼ばれ、単騎で一万の敵中を突破したこともある猛将・ナヴァロンも、溺愛してきた娘にだけは弱かったのだ。
ナヴァロンは、可愛い娘を手元に置きたがった。だから貴族の子女としての義務「タカアマガハラ学園」に在学した以外は、ずっと手元に置いた。それはすなわち、社交界とは無縁となる辺境の軍事都市ジビエに住んでいたと言うことだ。
釣書一枚でやりとりする、政略結婚に使うつもりならば、問題はなかったのだろうが、最愛の娘に、そんなことができるはずもない。
結局、ああでもない、こうでもないと、父親がえり好みしているウチに適齢期を大きく越えてしまった。王都の貴族の間では「行き遅れ」の代名詞となりかかってしまったほどだ。それが、一念発起したナヴァロンが娘を王都に出したお陰で、ひょんな縁から、プリンセスへとすすむことができる立場になったのだ。いや、プリンセスになるかどうかなど、どうでも良かった。
娘が愛し、愛される相手と結ばれるという事実が、父親にとって何よりも大事なことだった。そこに、娘が珍しくの「おねだり」である。ナヴァロンは、どんな無理をしてでも叶えようとしただろう。
しかし、ナヴァロンの権力からしたら、それは、あまりにも慎ましやかな願いに過ぎず、かえって胸が痛くなるほどだった。
『貴族の義務ではあっても、ガイウス王子が二年も学園生活をして離ればなれになるのは、可哀想すぎるからな』
ガイウス王子は、六歳も年下だ。年齢差が、そう言わせているとは思いたくないが、このあと学園に入学する思い人のそばにいて、少しでも役に立ちたいという、切ない願いだ。
そこに父としては全力で応えた結果、なんと学園の薬草学講師、防御魔法学のコーチとして抜擢。学園寮に一室を構えられることになったのだ。
もちろん、たとえ教師であっても、王族の婚約者である立場が物を言い、アの館である。
「お父さま、本当に、本当に、ありがとうございます、ありがとうございます」
何度も何度も「お父さま、ありがとうございます」と繰り返すのは、まさに「娘を行き遅れにさせた自覚」が、弱みが刺激されて、面映ゆい。
「うん。まあ、それを確約させるために来たようなものだからな」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。これで、少しでもガイウスさ…… 殿下のお役に立てます。ええ、ほんのすこしでも!」
このあたりのセリフは、決して誇張でも何でも無い。表面的には怜悧な美人に見えるが、実は、アミーネは、いろいろな人を応援したいという運動部のマネージャー的な性格なのだ。
「なに、良いんだ、良いんだよ、この程度のこと」
「あ、いっけない。こんなところで、お父さまを立たせてしまうだなんて。お父さま。あちらへ。今、お茶をお入れいたしますね」
「おお、久しぶりのアミーネの茶か。楽しみだな」
もちろん、侍女のケリーは、一足先に、茶の準備をしている。
「ところで、殿下とは、どうだね?」
仲良くしているはずだ。なにしろ、生粋の体育会系の王子と、マネージャー系のアミーネの相性は抜群だ。相思相愛と言ってもいい二人は、二年後の学園の卒業と同時に式が決まっているのだ。現実主義者のナヴァロンなどは「むしろ卒業前だからと言って、子どもがいちゃならんと言うわけではないだろう」と、王都に手紙を送ってきたほどだ。
紅茶の香気の向こう側から、ニコニコとしながら娘に話しかけたのは、のろけ話の一つも聞いてみたいと思ったのだろう。
「はい。とても、大切にしていただいています」
その瞬間、ナヴァロンは、まるで、戦場で伏兵を見破った時のように、微妙に目線を変化させたのだが、もちろん、娘に気付かせるようなことはしない。
娘が、そう言うのであれば、何があっても、それをそのまま受け入れると決めているのだ。かといって、伏兵を見破って、そのままというわけにはいかない。
「そうか、殿下は、武芸もお達者であらせられるが、お気持ちもお優しいものをお持ちだからな」
「はい。いつも気に掛けていただいております。アミーネは、幸せにございます」
流れるように続いた言葉だ。だからこそ、ナヴァロンは、確信する。
「おお、そうだ。ケリー」
好々爺然とした笑顔がケリーに向けられる。ただし、その目の光は絶対零度の凶悪さだ。殺意を込めたら、このまま人が死ぬかも知れない。
「はい。大旦那様」
「土産に持ってきた布地だが、後でアミーネに見せてやってくれ。そうだな。この後で、私の書斎まで取りに来てもらおう」
こう見えても、ケリーは「できる侍女」である。ナヴァロンが気付いてしまったことを悟ったのだ。
メイド服の膨らんだスソの中で、細い脚がガクブルが止められなかった。
アミーネは、長いマツゲを震わせながら、飛び上がらんばかりにして喜びを露わにした。慎ましやかな性格だけに、珍しいことだ。
もともと、嗜みのある淑女は、ごく親しい家族以外に喜怒哀楽をなるべく見せないように気を付けるように躾けられているのだが、優秀な頭脳で貴族の振る舞いを学習してきただけに、ほぼ喜怒哀楽を家族以外に見せないほどだ。
いや、最近は、最愛の婚約者であるガイウス第一王子にだけは「喜」を見せるようになっていたが。それにしても、ここまでハシャイだ表情を見せるなんて、めったにあることではなかった。
その喜びぶりが、娘の「婚期遅れ」を突きつけてくる気がして、逆に痛々しく感じてしまう父だ。
アミーネは、今年二十二歳。適齢期などとっくに過ぎている。
『ああ、ワシのせいで、この程度のことで、ここまで喜ぶなんてなぁ、ああ、不憫なことよ。ワシがワガママを通したせいでなぁ』
かつては「鬼神」とまで呼ばれ、単騎で一万の敵中を突破したこともある猛将・ナヴァロンも、溺愛してきた娘にだけは弱かったのだ。
ナヴァロンは、可愛い娘を手元に置きたがった。だから貴族の子女としての義務「タカアマガハラ学園」に在学した以外は、ずっと手元に置いた。それはすなわち、社交界とは無縁となる辺境の軍事都市ジビエに住んでいたと言うことだ。
釣書一枚でやりとりする、政略結婚に使うつもりならば、問題はなかったのだろうが、最愛の娘に、そんなことができるはずもない。
結局、ああでもない、こうでもないと、父親がえり好みしているウチに適齢期を大きく越えてしまった。王都の貴族の間では「行き遅れ」の代名詞となりかかってしまったほどだ。それが、一念発起したナヴァロンが娘を王都に出したお陰で、ひょんな縁から、プリンセスへとすすむことができる立場になったのだ。いや、プリンセスになるかどうかなど、どうでも良かった。
娘が愛し、愛される相手と結ばれるという事実が、父親にとって何よりも大事なことだった。そこに、娘が珍しくの「おねだり」である。ナヴァロンは、どんな無理をしてでも叶えようとしただろう。
しかし、ナヴァロンの権力からしたら、それは、あまりにも慎ましやかな願いに過ぎず、かえって胸が痛くなるほどだった。
『貴族の義務ではあっても、ガイウス王子が二年も学園生活をして離ればなれになるのは、可哀想すぎるからな』
ガイウス王子は、六歳も年下だ。年齢差が、そう言わせているとは思いたくないが、このあと学園に入学する思い人のそばにいて、少しでも役に立ちたいという、切ない願いだ。
そこに父としては全力で応えた結果、なんと学園の薬草学講師、防御魔法学のコーチとして抜擢。学園寮に一室を構えられることになったのだ。
もちろん、たとえ教師であっても、王族の婚約者である立場が物を言い、アの館である。
「お父さま、本当に、本当に、ありがとうございます、ありがとうございます」
何度も何度も「お父さま、ありがとうございます」と繰り返すのは、まさに「娘を行き遅れにさせた自覚」が、弱みが刺激されて、面映ゆい。
「うん。まあ、それを確約させるために来たようなものだからな」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。これで、少しでもガイウスさ…… 殿下のお役に立てます。ええ、ほんのすこしでも!」
このあたりのセリフは、決して誇張でも何でも無い。表面的には怜悧な美人に見えるが、実は、アミーネは、いろいろな人を応援したいという運動部のマネージャー的な性格なのだ。
「なに、良いんだ、良いんだよ、この程度のこと」
「あ、いっけない。こんなところで、お父さまを立たせてしまうだなんて。お父さま。あちらへ。今、お茶をお入れいたしますね」
「おお、久しぶりのアミーネの茶か。楽しみだな」
もちろん、侍女のケリーは、一足先に、茶の準備をしている。
「ところで、殿下とは、どうだね?」
仲良くしているはずだ。なにしろ、生粋の体育会系の王子と、マネージャー系のアミーネの相性は抜群だ。相思相愛と言ってもいい二人は、二年後の学園の卒業と同時に式が決まっているのだ。現実主義者のナヴァロンなどは「むしろ卒業前だからと言って、子どもがいちゃならんと言うわけではないだろう」と、王都に手紙を送ってきたほどだ。
紅茶の香気の向こう側から、ニコニコとしながら娘に話しかけたのは、のろけ話の一つも聞いてみたいと思ったのだろう。
「はい。とても、大切にしていただいています」
その瞬間、ナヴァロンは、まるで、戦場で伏兵を見破った時のように、微妙に目線を変化させたのだが、もちろん、娘に気付かせるようなことはしない。
娘が、そう言うのであれば、何があっても、それをそのまま受け入れると決めているのだ。かといって、伏兵を見破って、そのままというわけにはいかない。
「そうか、殿下は、武芸もお達者であらせられるが、お気持ちもお優しいものをお持ちだからな」
「はい。いつも気に掛けていただいております。アミーネは、幸せにございます」
流れるように続いた言葉だ。だからこそ、ナヴァロンは、確信する。
「おお、そうだ。ケリー」
好々爺然とした笑顔がケリーに向けられる。ただし、その目の光は絶対零度の凶悪さだ。殺意を込めたら、このまま人が死ぬかも知れない。
「はい。大旦那様」
「土産に持ってきた布地だが、後でアミーネに見せてやってくれ。そうだな。この後で、私の書斎まで取りに来てもらおう」
こう見えても、ケリーは「できる侍女」である。ナヴァロンが気付いてしまったことを悟ったのだ。
メイド服の膨らんだスソの中で、細い脚がガクブルが止められなかった。
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