幾千本の花束を

冠つらら

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⑧戦場

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 イズマルへの侵攻は連合軍のトップである王の妹が先導する重大なミッションだ。
 ラジタリア軍である僕らの隊への指示は、とにかくチェルダーシェ軍の足止めをすること。要は一番単純なことだ。
 ただ敵を倒すだけでいい。言ってしまえば僕は駒にすぎない。しかしそれを望んだのも僕だ。

 他国の軍も、今回のイズマル戦はこれまでにないほどピリピリとした空気で挑んでいる。過去の戦いで手を抜いていたというわけではなく、同じように真剣に挑んでいただろう。
 つまりはそういうことではないのだ。
 今日の戦いは、確実に悪夢の行方を左右するターニングポイントになる。

 それが嫌というほど分かっているからこそ、皆、深刻な表情をしているのだろう。
 ラモーナの乗った車が、柵に覆われた小さな窓から見える。虚ろな目をしていたかもしれない。僕はその見慣れた車体を幻想のように見つめた。

 イズマルではすでに他国の軍が交戦をしていて、到着してすぐに僕らは彼らとともに戦地に出た。
 ラモーナを乗せた車はラジタリア軍だけでなく、連合軍の面倒も見ることになっていて、銃を片手に振り返った時には他国の医師たちと会話をしているラモーナが見えた。
 早速、怪我人を受け入れるのだろう。
 僕はその姿を振り払うように前を向き、ヤンジーたちと共に最前線へと向かう。

 戦地には随分と慣れてしまった。
 冷静になって考えてみると恐ろしいもので、僕は初めて銃を握った日に感じた重圧というものを忘れてしまっている。
 引き金を引けば、その弾は容赦なく空気を貫き、重力なんてものにも支配されずに獲物を仕留める。
 人間が重傷を負って倒れているのを見ても、足がすくむことはなくなってしまった。
 いつからだろうか。臆病な僕がここまで図々しくなったのは。

「ロシュ、奴らあの建物に入るぞ。体制を整えるみたいだ」
「……了解。援護しろ」

 ごちゃごちゃと感傷に浸るのは柄じゃない。
 通信機から聞こえてくるヤンジーの声に、僕は自分を取り戻した。自分のことなんてどうでもいい。そんなことよりも、彼らとともにミッションを成し遂げることだけを考えなければ。
 自分に科した役に集中しろ。
 邪念を閉じ込め、ヤンジーに促された建物へと向かった僕は、ヤンジーと共にそこにいた隊を殲滅させた。

 イズマルは資源の宝庫と言われるほどに恵まれた地域で、連合軍からこの場所を奪ったチェルダーシェは、それまで連合軍が使っていた研究施設をはじめとする倉庫などあらゆる設備をそのままに利用している。
 研究施設のある中枢を囲うように、あちこちに倉庫が立ち並び、戦場でなければきっと日々、賑やかな営みが見れることだろう。

 チェルダーシェの軍人は強靭だ。どこから飛び出してくるかも分からない。
 しかし幾度となく争いを続けていく中で、僕らも流石にその動向を掴んできた。
 それらの過信にも近い知識をもとに、僕は先手を打って彼らを滅していく。
 今のところ作戦は順調だ。通信機から聞こえてくる仲間の報告や支援依頼に耳を傾けながら、一度僕は物陰に隠れて弾の補充をする。

『……ッ……ガ……ガガッ……ガガガッ』

 戦いに夢中になりすぎて、通信機の調子が少しずつ狂ってくる。耳障りなその音に顔をしかめつつも、次なる言葉を僕は待つ。

『こちら……こちらコードNJ……現在……敵軍に囲まれ……ザザッ……怪我人および……ザッ……避難……しかし……ドクター・ロイエダが……運転し……』

 不快な砂嵐に混ざり、不穏な状況が伝えられる。
 ドクター・ロイエダ……それはラモーナのことだ。コードNJは彼女たちが乗っていた救護車のこと。僕は全身から血の気が引いていくのを感じた。
 あんなに吹き出していた汗が一気に身体の表面から消えていく。

「ラモーナ……?」

 思わず口にした名前とともに僕は考える間もなく立ち上がり、雑音に導かれて問題の車の行方を追う。
 周囲では変わらず敵と味方が交戦している。構わず飛んでくる銃弾や瓦礫の間を縫うようにして、僕はただ一つの目的地へと向かう。
 途中、襲い掛かってきたチェルダーシェの軍人を得意のカラテの身のこなしで流すようにすり抜け、僕は薄汚れた頬を拭った。

 すると見慣れた車が視界に入ってくる。コードNJ、確かにそれだ。
 先ほどの通信によると、ラモーナは車に取り残されたのかどうにか走行し、直接の攻撃を逃れていたようだった。しかし今見える状況は少し違った。
 コードNJは見事に横転していて、恐らくそうさせたであろうチェルダーシェ軍の戦闘車がボロボロになったコードNJの傍らに止まっている。

「くそっ……」

 まだ動きを止めたばかりなのだろう。戦闘車から出てくるチェルダーシェの兵士の猟奇的な表情を睨みつけ、僕は迷わず加速する足で彼らのところへ特攻する。
 飛び上がった勢いで一人の兵士を蹴りつけ、不意の攻撃にすぐには対応できなかった彼が倒れると、出来ればそのまま眠っていて欲しい僕は彼に念のために追加の打撃をいくつか送り、遠くへと投げ飛ばした。

 仲間が突然消えたことに気づいた残りの二人は、ハッと僕の方を振り返りつつも、ラモーナがいるであろう操縦席の扉に手をかける。
 当然ガラスは散り散りに割れていて、中にいるラモーナが無事なのかすら分からない。
 僕は沸き上がるおぞましい感情に身を支配され、突き動かされる憎悪のままに兵士の一人を殴りつけた。もちろん彼らはそんなことだけではくたばらない。
 僕がその一人と交戦をしている間に、視界の端ではもう一人が操縦席に侵入していく。

「鬱陶しいんだよ……!」

 それを見逃がせるはずがなく、僕は焦燥に駆られながら目の前の相手にその思いのすべてをぶつける。
 きっと奴らはラモーナのことを捕虜にする。チェルダーシェ軍のやることはすでに把握しているんだ。

「ラモーナ!」

 僕の叫びが彼女に聞こえていたのかは分からない。僕は無我夢中でしつこく立ち上がってくるチェルダーシェの戦士への苛立ちを全開にしたまま、彼にとどめの蹴りを入れる。
 操縦席に入っていくもう一人を捉え、破れたフロントガラスの方面に回りこんだ僕の目に映ったのは、言いえぬ恐怖に怯えるラモーナの表情だった。

 戦地に来る覚悟ができていたとしても、実際にそれを目の前にした時に思考がこんがらがるのは誰もが通る道だ。荒々しい兵士がラモーナの腕を掴み、引きずり降ろそうとするところを、彼女はどうにか必死に抵抗している。

 僕はラモーナの無事を確認し、どこからか漲ってくる力に押されるようにしてまだ完全に割れ切れていないその窓越しに彼を蹴りつける。
 音を立てて割れる窓ガラスと共に、彼は座席の背面に押し付けられ、瞬時に僕のことを睨みつける。同時にラモーナも僕に気づいたようで、僕を見つけるなり表情が崩れる。

 ふざけるな。
 彼女になんて顔をさせるんだ。
 僕の中で張り巡らされていた細い糸が切れるような音がした。

 助手席にいたチェルダーシェの兵士を割れたガラスの間から引きずり出し、傷だらけの彼が動くことを諦めたくなるようにみぞおちに拳を打ち付け、地面に叩きつけた。

「ロシュ……!」

 ラモーナの声が耳に入り、彼女の手を取って潰れかけた救護車から掬い上げる。

「ああ……! ごめんなさい! ロシュ、私のせいで……!」

 手間をかけたと思っているのだろう。戦場で足手纏いになる時ほど無念なことはない。僕は彼女を足手纏いだなんて思ってはいないが、責任感の強いラモーナのことだ。震える彼女の手を握りしめ、そっと抱き寄せて頭を撫でた。その温かい髪に触れられることを神に感謝した。

「いいから、間に合ってよかった……」

 迷うことなく出てきた本音だった。何が起きたのかを聞く暇もなく、僕はラモーナを通信機から聞こえてきた応急的な救護場へと送るために彼女を誘導した。
 どうやら僕の通信機のマイクは壊れてしまったようだ。相手の声だけは聞こえるが、こちらの声は聞こえないらしい。それでもどこからか見ていた別の仲間がラモーナの無事を伝えてくれていた。
 彼女を護りながら救護が行われている倉庫へと順調に足を進めていたところで、ふとラモーナの足が止まる。

 違和感を覚え、僕はラモーナが見つめている一点先を視線で追ってみた。するとそこには、銃弾を食らったのであろうチェルダーシェの兵士が一人、物陰に倒れている。
 ラモーナの後頭部と浅く呼吸をしている彼を交互に見て僕は確信した。彼女は医師だ。確かに連合軍の軍医だが、そんなのはただの肩書。勝手に与えられた称号だ。
 それ以前に彼女は人を救いたいと望んだ人間なのだ。

「……ラモーナ」

 僕の呼びかけに、やはり彼女は葛藤した表情で振り返る。泣きたくなるくらいに緊迫したその瞳に、僕は小さく頷いた。

「援護する。応急処置だけだぞ」
「……ありがとう、ロシュ」

 手早く処置に入るラモーナをちらりと見て、敵が来ないか周囲を警戒する。
 倒れている兵士は意識がぼんやりとしているようで、ラモーナが手当てをしていることに気づいてはいそうだったが、痛みで声が出ないようだった。
 うっすらと開いたその瞳を見ていると、どうしても他人事には思えない。

 数えられないほど見てきたその姿は、僕の心を無意識に締め付ける。相手が敵だとか、味方だとかは関係ない。本来、僕らは戦う必要などなかったのかもしれない。少なくとも僕には、この彼に対する恨みなどない。

 戦争が終わった時、僕らはこれまでの行いに対する罪の意識に苛まされるだろう。
 それを意識しすぎることがないようにと鍛えられた精神であろうと、完璧に封じることなど容易には出来はしないのだから。

 僕にはラモーナのような人を救う技術も能力もない。
 てきぱきと彼の命をつなぎとめる彼女を見ていると、あまりにも自分がそこに立っていることへの罪悪感が浮き彫りになる。

 命に執着しない僕のことを、ラモーナが許せるはずがなかった。
 僕には分からなかったことだけど、何故なら彼女はそれを救う術を持っているからだ。

「よし、終わった……。ねぇ、聞こえる?」

 ラモーナは小さく呻く兵士に優しく声をかける。

「きっと大丈夫だから、すぐには動いちゃだめよ? 無理をしたら傷口が開いちゃう。少し身体を落ちつけてから、ちゃんとした処置を受けてね」

 兵士が頷いたように見えた。ラモーナはほっとしたような表情をすると、すくっと立ち上がって僕を見る。

「ごめん、ロシュ。時間を取らせて……」
「いや、いい」

 どうして謝る必要がある。ラモーナの想いは、今の僕には何よりも大事な僕の願いだと言うのに。
 敵に見つからないうちに、僕はラモーナをすぐ近くまで来ていた倉庫まで送り届けた。

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