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⑥天邪鬼
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イズマルは豊富なエネルギー源が埋まっている土地だ。莫大な富を築けるだけの油田もある。
ここはチェルダーシェの王が予てより目をつけていた場所で、以前は連合軍が監理していたが、ある時チェルダーシェ軍の奇襲を受けてから占拠されている。
本来なら最初に狙うべき場所だったが、そこに至るまでのチェルダーシェ軍の攻防により、なかなか攻めることができなかった。そしてようやく、力を増した連合軍はチェルダーシェ軍を弱体化させることに成功し、イズマルまで直接攻撃をする機会を得た。
この戦いが上手くいけば、連合軍は勝利するだろう。
そうしたら、チェルダーシェの王の権威は弱まり、世界は変わるはずだ。
僕は深呼吸をして曇った空を見上げる。あの雲の向こうには星が煌めいていることだろう。
冷たい風が頬を撫で、僕は白い息を吐いた。
どうにも寝付けなくて建物の外を散歩していたが、やはりまだ眠れそうにない。もう一周すべきだろうか。
気づけば、僕の足は医務室のある棟の近くまで来ていた。医務室の場所を見ると、まだ明かりがついている。
それもそうだ。医務室に休日も休憩時間もない。
イズマルに同行するラモーナは、毎日そのために勉強や訓練を続けている。それに加えて通常の勤務。身体を休める暇がなくて、行く前に倒れてしまうのではないか。
その可能性を微かに期待している自分に反吐が出そうになりながら、僕は棟の入り口の階段に座り込んだ。
彼女の念願を恨むとは、随分と傲慢なものだ。
僕もきっと疲れている。そうに違いない。
額に手を当て、少し俯いて精神を整えようと試みる。
頭に浮かぶのは、僕の手当てを嫌な顔せずしているラモーナの真剣な顔。小言こそ言うが、仕事とはいえラモーナが僕に対して不満を零すような顔をしたことはない。
いつも柔らかで、笑っているその表情。
それを僕は見たくはなかった。会いたくもなかった。
僕はもう自覚しているのだろう。いい加減に認めた方がいい。
医務室に行くのが憂鬱なのは、ラモーナのせいなんかではない。
その顔を見たくないのも、僕の勝手な我儘なだけだ。
彼女の顔を見てしまうと、僕は諦めたはずの執着を思い出してしまう。
軍のため、仲間のために捧げようと誓ったこの命が惜しくなってくる。待ち人もいない僕の命を放り出す覚悟が薄れてしまいそうになる。
命を粗末にできる人間は貴重だ。
それで皆を救えるのなら、皆のためになるのならば、僕はその役割を喜んで受けた。
その意志が揺らぐことが怖いんだ。
身体を大事にしろ。そう言って僕のことを窘めるラモーナ。
いいや違う。
僕にそんな優しい言葉は必要ない。
僕は最悪な方法で家を出て、守るべき人たちすら捨てた。
ラモーナのような素晴らしい女性から美しい言葉を貰う資格なんてないんだ。
そうだ。僕は軍に入った時、今の君と同じように覚悟を決めたんだ。
……ああ、でもラモーナ、やっぱり君に会うのが怖い。
これまでもそうだったように、きっと傲慢な僕は、いつか君に会えなくなってしまうことを恐れるから。
呼吸が浅くなってくる僕の微かな息遣いに動く肩に、ふわりと温かいストールが掛けられる。
「風邪ひくでしょ? ロシュ」
顔を上げると、そこにはいつものように朗らかに笑うラモーナがいた。
会いたくないのに、その笑顔を見るとしっかりと呼吸ができる気がする。
僕はつられるように力なく笑う。自然と頬がそう動くんだ。
「こんなところで何をしているの?」
隣に座るラモーナは、はぁーっと手に息を吹きかける。ストールを僕に掛けているから、きっとラモーナはもっと寒いだろう。
「散歩。ラモーナは仕事か?」
「うん。さっき交代したところ。帰ろうかと思ったら、ロシュがいたからびっくりしちゃった」
ふふふ、と鼻を赤くする。
僕はその笑顔を向けられる資格などない。ストールを自分の肩からおろし、代わりにラモーナを包み込むようにストールを巻き返した。
ラモーナはちょっと照れたようにその行動に驚きながらも、「ありがとう」と小さく頭を下げる。
「準備は順調か?」
「おかげさまで。久しぶりに射撃の練習をしたけど、なんだか手が震えちゃった」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「平気。ロシュたちの足は引っ張らないから」
そんなことを心配しているわけがないのに。
「家族の方は大丈夫なのか? 戦地に行くこと、知ってるんだよな?」
「もちろんでしょ。反対されたけど、説得した。お祖父ちゃんへの気持ちも知っているし、私のやりたいことも知っているから、泣いていたけど、理解してくれた」
「……そうか」
ラモーナから目を離して、誰もいない広場を見やる。しんと静まり返っていると、ここが基地だということを忘れてしまいそうだ。
「ねぇ、ロシュ、聞いてもいい?」
「何だ?」
ラモーナは言い難そうに唇を一度噛むと、意を決したように僕のことを見る。
「ロシュの家族は、軍隊に入ることどう思っているの?」
「……え?」
「ご、ごめん。でも、聞いたことなかったから……気になって……」
僕が素性を話さないことは知っている。だからだろう。ラモーナはぐっと瞳に力を入れて勇気を振り絞っているように見える。
「……別に、聞いても構わない」
「ほんと?」
ラモーナにそんな覚悟をさせてしまったことを反省した。
とはいえ、僕の方だって気がかりなんだ。
きっと真実を知ったら彼女は僕を軽蔑する。
「家族は僕が軍隊に入ったことを知らない。だから、どう思っているかも分からない」
「……そうなの?」
「ああ。もうずっと会っていないからな」
記憶の彼方にある家族の記憶を思い起こす。
そこまで昔のことではないのに、もうすでに色褪せかけている。
「まぁ、両親は兄たちのことを何よりも愛していたから、問題児の僕のことなんて気にしてないさ」
優秀な兄たちと違って、貴族社会に馴染もうとしない僕のことを両親は恥じていた。それに気づいてから、立ち居振る舞いだけは気を付けるようにしたけど、本心までは簡単には変えられない。僕が両親の望んだ通りに成長しないものだから、ついに両親は僕に愛想を尽かした。
「会いたくないの……?」
「……思ったことはないな」
「……そう」
何故かラモーナが悲しそうな顔をする。
「知ってる? この前、誘拐犯が逮捕されたって」
「……ああ」
やはりラモーナも知っていたようだ。僕の心はぎゅっと縮こまる。
「その時ね、被害者とその家族のコメントが載っていたの。ずっと会いたかったって、普段は仲が良くなかっみたいだけど、やっぱり、生きた心地がしなかったみたい。大事な家族を突然奪われて」
「…………」
「まだ子どもが行方不明の家族のコメントもあったけど、ずっと待ってるって言ってた。そりゃそうだよね、大事な家族なんだもん」
「……そうだな」
ラモーナは僕の顔を覗き込むようにして優しい瞳を向ける。
「ねぇロシュ。あなたの過去を、私は知らないけれど、もし、もしまだ間に合うのなら、一度会ってみたら?」
「……は?」
「こーんなに可愛い息子だもん。きっと会いたいなぁって、待ってるよ!」
ラモーナはわしゃわしゃと僕の髪を撫でまわす。
「おい、やめろ」
容赦なく髪をかき乱すラモーナを止めるために、僕はその手を掴んだ。
「……ふふ、ごめん」
僕のじっと訴えかける眼差しに参ったのだろうか、ラモーナはヘラッと笑う。
ラモーナの手首を掴んだまま、僕は彼女の瞳を見つめ続けた。
見たくない。
見たくないけれど、その瞳は僕を放してくれなかった。
「ラモーナ」
「……何?」
そこでラモーナの声は聞こえなくなった。
僕はラモーナの口を自分の唇で塞いで、ぴくっと反応したラモーナの手をそのままぎゅっと握った。
ラモーナの手も僕の手を握り返し、僕は角度を変えてもう一度彼女にキスをした。
「君が好きだ、ラモーナ」
顔を離し、寒さで潤んだ彼女の瞳に向かって囁いた。
「……ロシュ」
グレーの瞳が揺れている。涙がこぼれ落ちそうだ。僕の手がその冷たい頬に触れると、一粒の雫が伝う。
「私もロシュのことが好き」
そう言って、ストールにくるまった彼女は僕の胸の中に飛び込むようにして抱きついてくる。
「やっと、伝えられた……ふふふ、よかった…………あったかいね」
彼女の嬉しそうな声が胸をくすぐる。
「ああ。そうだな」
ラモーナの冷えた身体を包み込むようにして、僕は彼女を抱きしめた。
日々鍛えている弊害か、少し苦しかったのだろうか。胸の中で笑うラモーナの声が聞こえてくる。
それでも僕は、そんな反応が可愛らしくて、なかなか彼女を放そうとはしなかった。
ここはチェルダーシェの王が予てより目をつけていた場所で、以前は連合軍が監理していたが、ある時チェルダーシェ軍の奇襲を受けてから占拠されている。
本来なら最初に狙うべき場所だったが、そこに至るまでのチェルダーシェ軍の攻防により、なかなか攻めることができなかった。そしてようやく、力を増した連合軍はチェルダーシェ軍を弱体化させることに成功し、イズマルまで直接攻撃をする機会を得た。
この戦いが上手くいけば、連合軍は勝利するだろう。
そうしたら、チェルダーシェの王の権威は弱まり、世界は変わるはずだ。
僕は深呼吸をして曇った空を見上げる。あの雲の向こうには星が煌めいていることだろう。
冷たい風が頬を撫で、僕は白い息を吐いた。
どうにも寝付けなくて建物の外を散歩していたが、やはりまだ眠れそうにない。もう一周すべきだろうか。
気づけば、僕の足は医務室のある棟の近くまで来ていた。医務室の場所を見ると、まだ明かりがついている。
それもそうだ。医務室に休日も休憩時間もない。
イズマルに同行するラモーナは、毎日そのために勉強や訓練を続けている。それに加えて通常の勤務。身体を休める暇がなくて、行く前に倒れてしまうのではないか。
その可能性を微かに期待している自分に反吐が出そうになりながら、僕は棟の入り口の階段に座り込んだ。
彼女の念願を恨むとは、随分と傲慢なものだ。
僕もきっと疲れている。そうに違いない。
額に手を当て、少し俯いて精神を整えようと試みる。
頭に浮かぶのは、僕の手当てを嫌な顔せずしているラモーナの真剣な顔。小言こそ言うが、仕事とはいえラモーナが僕に対して不満を零すような顔をしたことはない。
いつも柔らかで、笑っているその表情。
それを僕は見たくはなかった。会いたくもなかった。
僕はもう自覚しているのだろう。いい加減に認めた方がいい。
医務室に行くのが憂鬱なのは、ラモーナのせいなんかではない。
その顔を見たくないのも、僕の勝手な我儘なだけだ。
彼女の顔を見てしまうと、僕は諦めたはずの執着を思い出してしまう。
軍のため、仲間のために捧げようと誓ったこの命が惜しくなってくる。待ち人もいない僕の命を放り出す覚悟が薄れてしまいそうになる。
命を粗末にできる人間は貴重だ。
それで皆を救えるのなら、皆のためになるのならば、僕はその役割を喜んで受けた。
その意志が揺らぐことが怖いんだ。
身体を大事にしろ。そう言って僕のことを窘めるラモーナ。
いいや違う。
僕にそんな優しい言葉は必要ない。
僕は最悪な方法で家を出て、守るべき人たちすら捨てた。
ラモーナのような素晴らしい女性から美しい言葉を貰う資格なんてないんだ。
そうだ。僕は軍に入った時、今の君と同じように覚悟を決めたんだ。
……ああ、でもラモーナ、やっぱり君に会うのが怖い。
これまでもそうだったように、きっと傲慢な僕は、いつか君に会えなくなってしまうことを恐れるから。
呼吸が浅くなってくる僕の微かな息遣いに動く肩に、ふわりと温かいストールが掛けられる。
「風邪ひくでしょ? ロシュ」
顔を上げると、そこにはいつものように朗らかに笑うラモーナがいた。
会いたくないのに、その笑顔を見るとしっかりと呼吸ができる気がする。
僕はつられるように力なく笑う。自然と頬がそう動くんだ。
「こんなところで何をしているの?」
隣に座るラモーナは、はぁーっと手に息を吹きかける。ストールを僕に掛けているから、きっとラモーナはもっと寒いだろう。
「散歩。ラモーナは仕事か?」
「うん。さっき交代したところ。帰ろうかと思ったら、ロシュがいたからびっくりしちゃった」
ふふふ、と鼻を赤くする。
僕はその笑顔を向けられる資格などない。ストールを自分の肩からおろし、代わりにラモーナを包み込むようにストールを巻き返した。
ラモーナはちょっと照れたようにその行動に驚きながらも、「ありがとう」と小さく頭を下げる。
「準備は順調か?」
「おかげさまで。久しぶりに射撃の練習をしたけど、なんだか手が震えちゃった」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「平気。ロシュたちの足は引っ張らないから」
そんなことを心配しているわけがないのに。
「家族の方は大丈夫なのか? 戦地に行くこと、知ってるんだよな?」
「もちろんでしょ。反対されたけど、説得した。お祖父ちゃんへの気持ちも知っているし、私のやりたいことも知っているから、泣いていたけど、理解してくれた」
「……そうか」
ラモーナから目を離して、誰もいない広場を見やる。しんと静まり返っていると、ここが基地だということを忘れてしまいそうだ。
「ねぇ、ロシュ、聞いてもいい?」
「何だ?」
ラモーナは言い難そうに唇を一度噛むと、意を決したように僕のことを見る。
「ロシュの家族は、軍隊に入ることどう思っているの?」
「……え?」
「ご、ごめん。でも、聞いたことなかったから……気になって……」
僕が素性を話さないことは知っている。だからだろう。ラモーナはぐっと瞳に力を入れて勇気を振り絞っているように見える。
「……別に、聞いても構わない」
「ほんと?」
ラモーナにそんな覚悟をさせてしまったことを反省した。
とはいえ、僕の方だって気がかりなんだ。
きっと真実を知ったら彼女は僕を軽蔑する。
「家族は僕が軍隊に入ったことを知らない。だから、どう思っているかも分からない」
「……そうなの?」
「ああ。もうずっと会っていないからな」
記憶の彼方にある家族の記憶を思い起こす。
そこまで昔のことではないのに、もうすでに色褪せかけている。
「まぁ、両親は兄たちのことを何よりも愛していたから、問題児の僕のことなんて気にしてないさ」
優秀な兄たちと違って、貴族社会に馴染もうとしない僕のことを両親は恥じていた。それに気づいてから、立ち居振る舞いだけは気を付けるようにしたけど、本心までは簡単には変えられない。僕が両親の望んだ通りに成長しないものだから、ついに両親は僕に愛想を尽かした。
「会いたくないの……?」
「……思ったことはないな」
「……そう」
何故かラモーナが悲しそうな顔をする。
「知ってる? この前、誘拐犯が逮捕されたって」
「……ああ」
やはりラモーナも知っていたようだ。僕の心はぎゅっと縮こまる。
「その時ね、被害者とその家族のコメントが載っていたの。ずっと会いたかったって、普段は仲が良くなかっみたいだけど、やっぱり、生きた心地がしなかったみたい。大事な家族を突然奪われて」
「…………」
「まだ子どもが行方不明の家族のコメントもあったけど、ずっと待ってるって言ってた。そりゃそうだよね、大事な家族なんだもん」
「……そうだな」
ラモーナは僕の顔を覗き込むようにして優しい瞳を向ける。
「ねぇロシュ。あなたの過去を、私は知らないけれど、もし、もしまだ間に合うのなら、一度会ってみたら?」
「……は?」
「こーんなに可愛い息子だもん。きっと会いたいなぁって、待ってるよ!」
ラモーナはわしゃわしゃと僕の髪を撫でまわす。
「おい、やめろ」
容赦なく髪をかき乱すラモーナを止めるために、僕はその手を掴んだ。
「……ふふ、ごめん」
僕のじっと訴えかける眼差しに参ったのだろうか、ラモーナはヘラッと笑う。
ラモーナの手首を掴んだまま、僕は彼女の瞳を見つめ続けた。
見たくない。
見たくないけれど、その瞳は僕を放してくれなかった。
「ラモーナ」
「……何?」
そこでラモーナの声は聞こえなくなった。
僕はラモーナの口を自分の唇で塞いで、ぴくっと反応したラモーナの手をそのままぎゅっと握った。
ラモーナの手も僕の手を握り返し、僕は角度を変えてもう一度彼女にキスをした。
「君が好きだ、ラモーナ」
顔を離し、寒さで潤んだ彼女の瞳に向かって囁いた。
「……ロシュ」
グレーの瞳が揺れている。涙がこぼれ落ちそうだ。僕の手がその冷たい頬に触れると、一粒の雫が伝う。
「私もロシュのことが好き」
そう言って、ストールにくるまった彼女は僕の胸の中に飛び込むようにして抱きついてくる。
「やっと、伝えられた……ふふふ、よかった…………あったかいね」
彼女の嬉しそうな声が胸をくすぐる。
「ああ。そうだな」
ラモーナの冷えた身体を包み込むようにして、僕は彼女を抱きしめた。
日々鍛えている弊害か、少し苦しかったのだろうか。胸の中で笑うラモーナの声が聞こえてくる。
それでも僕は、そんな反応が可愛らしくて、なかなか彼女を放そうとはしなかった。
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