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HO5.黄金林檎を投げ込んで(6話)
2.人間の魅力
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電話番号を公表しておらず、出している看板は「文部科学省宇宙対策室・東京多摩分室」と言う看板のみ。
そんな事務所のチャイムが、鳴った。
こんな怪しげな事務所に、一体何者が用事なのだろうか。三人は目を見交わした。が、哲夫が立ち上がる。
「ここは私が」
テータがそれを制した。
「何かあったら、危ないですから」
ここを事前の連絡なしで尋ねてくるなんて、普通の人間ではない。関連省庁の人間なら事前に哲夫に連絡してアポイントを取るだろう。だとすると、まともな用件でない可能性はある。
インターネットで流れる噂にも色々あるが、その内の一つに「宇宙からの洗脳電波だ」とするものはある。実際その通りなのだが、唱えている人間が証拠を持たないのに訴えている間は「噂」のままだ。
この「宇宙対策室」と「天啓」の繋がりを思いついた民間人がいたとしたら?
それがいわゆる「陰謀論者」と呼ばれる人々の内、実際に行動に出てしまう過激な行動力の持ち主だったら?
哲夫やテータが警戒するのも無理からぬところだった。
「神林さんは後ろに」
「いやでも」
杏も男性であるので、社内で人が倒れたとか、力仕事が必要な時は駆り出された。確かに、この分室の中では一番権力も体力も戦闘力もないが……。
「じゃあ国成さんも一緒に後ろに」
「わかった。前は任せた」
テータに言われると、哲夫も杏の隣に並ぶ。テータは咳払いすると、インターフォンのモニターに付いている「通話」ボタンを押す。
「はい。どちら様でしょうか?」
『ええと、こんにちは。満岡と申します……』
若い女性だった。どこか不安そうに、カメラを見ている。
『あのう……ちょっと、その相談したいことがあって……』
「どのようなご用件でしょうか?」
『ここではちょっと言いにくいんです』
テータは振り返った。哲夫が頷く。
「お通ししてください」
「今開けますね」
モニターを切ると、テータはもう一度哲夫を見た。
「国成さん、デスクへ。神林さんは給湯室に」
「わかった」
「はい」
杏が給湯室(とは言うがキッチンの様なものである)に引っ込むと、テータはドアを開けた。杏は給湯室の入り口近くに陣取って、聞き耳を立てる。
「……シスターさん?」
「の、ようなものです。浪越と申します。どうぞお上がりください」
テータが案内して、応接セットのソファに座らせているようだ。その正面に、哲夫が座っているらしい。
「初めまして。室長の国成と申します」
「満岡飛鳥です。よろしくお願いします」
「ところで、うちは特に看板も何も出してないですし、ウェブサイトも作っていないんですが……本日はどのようなご用向きでしょうか? 外では言いにくいことだと伺っていますが」
「ええっと……この前、人がなんか寄生されててって事件ありましたよね」
飛鳥は核心を突くかのように切り出した。哲夫は一瞬言葉に詰まったようだが、これについてはごまかしてもしょうがない。
「ええ、ずいぶんと話題になっていたようですね」
「ネットで、あれは宇宙からの侵略だ……って見たんです」
陰謀論者か。しかし、何が目的なんだろう。杏は首を傾げた。そこへ、テータがやってくる。彼女は、しゃがみ込んでいる杏と目が合うと、人差し指を口元に立てた。冷蔵庫から、アイスティーの入ったボトルを取り出した。来客にお茶を出す……動揺しすぎて思いつかなかった。テータは慣れた手つきでグラスを取り出すと、紅茶を注ぎ、盆に乗せて給湯室を出て行った。
なんとなく、出て行くタイミングを逃して、杏は給湯室に残った。少しの後ろめたさを持ちながら、聞き耳を立てる。この後ろめたさには、盗み聞きのような自分の今の姿もそうだが、「隠れただけで何の役にも立てていない」と言う事にもある。
滅びの天啓を受けた救済者。他の救済者から畏怖を抱かれるが故に、「天啓」を受け取った人間を判別することができる。自分は、そういう文字通り天からの賜り物でここにいることを許されている。
もっと何か、役に立ちたい。自分の能力で……杏は、ここに入った時から、否、ここに入るきっかけになった「天啓」の被害者の一人、柳井が死んだと聞かされた時からずっと思っている。
けれど……まだ自分が納得できるようなことは何もしていない。今だって、こうやって給湯室に隠れていて何か話を聞き出すことすらできないんだから……。
杏が暗い気持ちになっている間も、哲夫とテータ、飛鳥の話は進んで行った。
「実は、私の友人の様子がおかしくて……」
飛鳥が言うにはこうだ。飛鳥の友人である北畑成美は、昔から恋人が途切れなかった。異性愛者であり、異性である男性からも人気の高い彼女は、周りの友人の彼氏と付き合うことも多かった。昔から、「成美には太刀打ちできないよね」と言うのが、飛鳥はじめ、成美の周囲にいる女性たちの感想である。
「なんか、やっぱ、みんな成美になびいちゃうんですよね……女から見ても魅力的だなって思いますし……あ、私は別に、成美にそういうのがあるわけじゃないですからね?」
「わかりますよ。男にもそういう人はいますから。続けて」
哲夫が同意しながら先を促す。その気持ちは杏にもわかった。自分が異性愛者であったとしても、何かきっかけがあれば恋してしまいそうな、魅力的な男性と言うのはいる。
(女の人でもそういうのあるんだなぁ)
などと、呑気なことを考えながら続きに聞き耳を立てた。
「でも、最近、なんだか明らかに彼女持ちの男性を狙うようなモーションを掛けてて……それも次から次へととっかえひっかえ。彼氏が勝手に成美を好きになるだけならしょうがないじゃないですか。でも、成美の方からアプローチするのは違うでしょ。あれですよ、なんか古い言い方ですけど、『泥棒猫』ってやつじゃないですか」
まさか、現実で、「他人の恋人を略奪する」と言う文脈で「泥棒猫」と言う単語を聞くとは思わなかった。
「それで、さすがに私もおかしいと思って言ったんです。そういうの良くないよって。そしたらなんか開き直られちゃって。『盗んでるんじゃない。つまらない男たちから皆を助けてるだけなんだ』って」
救ってるだけ。杏は緊張した。哲夫とテータも、思案しているような気配を感じる。
「『救っている』と、その北畑さんは仰ったんですね」
哲夫が慎重に尋ねた。
「はい。私なんかになびくんだったら、別の女にもなびくに決まってる。そんな男と付き合ったって将来ないよって……でも、今の私たちはその彼が好きで付き合ってるので、そういう言われ方もされたくないです」
「それはそうでしょうね……」
哲夫がしみじみと言った。
(国成さんの彼女ってどんな人なんだろう)
聞き耳を立てながら、杏はそんなことを思いついてしまった。それどころではないのに……しかし、ハンサムと呼んで差し支えのない容貌の哲夫のことだ。女性の方が放っておかないだろう。それとも、テータと付き合っていたりするのだろうか。あの二人ならお似合いの気もするが。
などと邪推している間に、二人は飛鳥への質問を重ねていく。
「それはいつ頃の話ですか?」
「えーっと半年くらい前からかな」
「半年……!?」
哲夫が息を呑んだ。杏も緊張している。半年というと、ちょうど第一弾の「天啓」がもたらされた頃らしい。それなら、いつあのイソギンチャクの触手にも似た有機体に身体を食い破られてもおかしくない。
「それはちょっと、良くありませんね。彼女に、私たちからも受診を勧めたいと思います。その方に連絡を取っていただけないでしょうか?」
哲夫が慌てているので、飛鳥を不安がらせないようにと言う配慮だろう。テータが穏やかに告げると、
「わかりました。あの、だったら、国成さんと浪越さんはカップルのふりをして成美に会ってもらえませんか?」
まるで、自分の考えを読まれたような気分になって、杏はぎくっとした。ちょうど、哲夫とテータならお似合いなのではないかと思っていたところだったから。
「その方が北畑さんの行動についてよく観察できそうですね」
哲夫は実に真面目な声で返している。
その後、三人で飛鳥の連絡先だったり、今後の段取りだったりを決めてから、二人は飛鳥を帰した。
「じゃあ、すみません、本当によろしくお願いします。そういうことをする子だけど……やっぱり友達なので」
「ええ、わかりますよ。暑いのでお気を付けて」
季節は夏。この分室は、レトロな内装に対して本当の時代を主張するような実に現代的なエアコンが付いているが、ここのところ、それがずっとフルパワーで稼働しっぱなしだ。杏も出勤する間に汗だくになっており、肌着の替えを置かせて貰っている。テータは変わらず涼しい顔でシスター服を着ているが、たまにひっそりとあの翼に似た排熱器官を出して冷房のそばで涼んでいるところを見かける。
地球人の体内では寄生生物の様な扱いになる件の有機体だが、テータたち異星人の身体には標準装備であるらしく、排熱器官になっているようだ。テータは、「天啓」を受けた人間が暴れる時には、異星人の身体能力(どうやら地球人より高いようだ)で取り押さえるのだが、その際に「熱が籠もるので」と言って排熱器官を体外に出している。肩甲骨から出たイソギンチャクの触手に似た排熱器官は絡み合い、翼の様な形を作るため、簡易なシスター服とも言える服装と相まって「天使」を彷彿とさせることもある。けれど、そう言われた時のテータの答えは、「私は自分の星の人間です」であった。
と言う事を思い出しながら、ドアが閉まる音を聞く。しばらくすると、飲みかけのグラスを持ったテータが給湯室にやってきた。
「もう良いですよ。すみませんでした」
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません。お任せしてしまって」
と、詫びては見るものの、実際に杏がそこに座っていてできることはあまりない。普段から役に立っていないので、何を聞いたら良いのかわからないのだ。
給湯室から出ると、杏は何気なく満岡飛鳥が座っていたところに腰を下ろした。正面のテーブル天板には、結露したグラスが置かれていたことを示すように、水が円を描いている。
「はいどうぞ」
そこに、テータが戻ってくると、ティッシュで水を拭き取って新しいグラスを置いた。中には並々と紅茶が注がれている。
「わあ、ありがとうございます!」
その気遣いが嬉しくて、杏は思わず声を上げた。
「いいえ」
テータは微笑むと、哲夫の隣に座って自分も紅茶を飲んだ。この宇宙人、哲夫と出会った時に、彼が紅茶を供したことから、紅茶がお気に入りの飲み物になっているらしく、哲夫や杏、客人にも振る舞いたがるのだ。こういう所にも、哲夫とテータの付き合いの積み重ねを感じて、少し嫉妬心が首をもたげる杏である。
「そういえば、国成さんの好きな男の人ってどんな人ですか?」
突然テータが尋ねた。哲夫はそれを聞いてむせる。杏も、あけすけなテータの問いにどきっとした。
「な、なんだよ藪から棒に」
「えー、だって満岡さんに『男から見ても魅力的な男はいる』って言ってたじゃないですか。私気になります。神林さんは?」
「えっ!? 僕ですか!?」
「神林さんだって地球人の男性じゃないですか」
「そ、そうですけど」
「とはいえ、好みの問題はプライベートな質問でしたね。すみません」
テータは考え直したようで、あっさりと引き下がった。
「……俺は明るい人かな」
哲夫がぽつりと呟いた。
「なんか、こう、いるだけで周りを巻き込む様な明るい男は好きかもな」
特定の誰かを思い出しているような顔だ。飛鳥との会話で、あんな風に実感を込めて言うくらいだから、実際に「男からしても魅力的な男」に具体例はあるのだろう。
「僕は……」
杏は、そんな哲夫の顔をじっと見ながら、
「国成さんはかっこいいと思ってます」
「そう? 褒めても俺に給料決める権限ないよ?」
とぼけた顔になる哲夫。先ほどまで少し差していた影のようなものは鳴りを潜めている。それこそ、本人が憧れるような明るい笑顔を見せた。
「ありがとうな」
そんな事務所のチャイムが、鳴った。
こんな怪しげな事務所に、一体何者が用事なのだろうか。三人は目を見交わした。が、哲夫が立ち上がる。
「ここは私が」
テータがそれを制した。
「何かあったら、危ないですから」
ここを事前の連絡なしで尋ねてくるなんて、普通の人間ではない。関連省庁の人間なら事前に哲夫に連絡してアポイントを取るだろう。だとすると、まともな用件でない可能性はある。
インターネットで流れる噂にも色々あるが、その内の一つに「宇宙からの洗脳電波だ」とするものはある。実際その通りなのだが、唱えている人間が証拠を持たないのに訴えている間は「噂」のままだ。
この「宇宙対策室」と「天啓」の繋がりを思いついた民間人がいたとしたら?
それがいわゆる「陰謀論者」と呼ばれる人々の内、実際に行動に出てしまう過激な行動力の持ち主だったら?
哲夫やテータが警戒するのも無理からぬところだった。
「神林さんは後ろに」
「いやでも」
杏も男性であるので、社内で人が倒れたとか、力仕事が必要な時は駆り出された。確かに、この分室の中では一番権力も体力も戦闘力もないが……。
「じゃあ国成さんも一緒に後ろに」
「わかった。前は任せた」
テータに言われると、哲夫も杏の隣に並ぶ。テータは咳払いすると、インターフォンのモニターに付いている「通話」ボタンを押す。
「はい。どちら様でしょうか?」
『ええと、こんにちは。満岡と申します……』
若い女性だった。どこか不安そうに、カメラを見ている。
『あのう……ちょっと、その相談したいことがあって……』
「どのようなご用件でしょうか?」
『ここではちょっと言いにくいんです』
テータは振り返った。哲夫が頷く。
「お通ししてください」
「今開けますね」
モニターを切ると、テータはもう一度哲夫を見た。
「国成さん、デスクへ。神林さんは給湯室に」
「わかった」
「はい」
杏が給湯室(とは言うがキッチンの様なものである)に引っ込むと、テータはドアを開けた。杏は給湯室の入り口近くに陣取って、聞き耳を立てる。
「……シスターさん?」
「の、ようなものです。浪越と申します。どうぞお上がりください」
テータが案内して、応接セットのソファに座らせているようだ。その正面に、哲夫が座っているらしい。
「初めまして。室長の国成と申します」
「満岡飛鳥です。よろしくお願いします」
「ところで、うちは特に看板も何も出してないですし、ウェブサイトも作っていないんですが……本日はどのようなご用向きでしょうか? 外では言いにくいことだと伺っていますが」
「ええっと……この前、人がなんか寄生されててって事件ありましたよね」
飛鳥は核心を突くかのように切り出した。哲夫は一瞬言葉に詰まったようだが、これについてはごまかしてもしょうがない。
「ええ、ずいぶんと話題になっていたようですね」
「ネットで、あれは宇宙からの侵略だ……って見たんです」
陰謀論者か。しかし、何が目的なんだろう。杏は首を傾げた。そこへ、テータがやってくる。彼女は、しゃがみ込んでいる杏と目が合うと、人差し指を口元に立てた。冷蔵庫から、アイスティーの入ったボトルを取り出した。来客にお茶を出す……動揺しすぎて思いつかなかった。テータは慣れた手つきでグラスを取り出すと、紅茶を注ぎ、盆に乗せて給湯室を出て行った。
なんとなく、出て行くタイミングを逃して、杏は給湯室に残った。少しの後ろめたさを持ちながら、聞き耳を立てる。この後ろめたさには、盗み聞きのような自分の今の姿もそうだが、「隠れただけで何の役にも立てていない」と言う事にもある。
滅びの天啓を受けた救済者。他の救済者から畏怖を抱かれるが故に、「天啓」を受け取った人間を判別することができる。自分は、そういう文字通り天からの賜り物でここにいることを許されている。
もっと何か、役に立ちたい。自分の能力で……杏は、ここに入った時から、否、ここに入るきっかけになった「天啓」の被害者の一人、柳井が死んだと聞かされた時からずっと思っている。
けれど……まだ自分が納得できるようなことは何もしていない。今だって、こうやって給湯室に隠れていて何か話を聞き出すことすらできないんだから……。
杏が暗い気持ちになっている間も、哲夫とテータ、飛鳥の話は進んで行った。
「実は、私の友人の様子がおかしくて……」
飛鳥が言うにはこうだ。飛鳥の友人である北畑成美は、昔から恋人が途切れなかった。異性愛者であり、異性である男性からも人気の高い彼女は、周りの友人の彼氏と付き合うことも多かった。昔から、「成美には太刀打ちできないよね」と言うのが、飛鳥はじめ、成美の周囲にいる女性たちの感想である。
「なんか、やっぱ、みんな成美になびいちゃうんですよね……女から見ても魅力的だなって思いますし……あ、私は別に、成美にそういうのがあるわけじゃないですからね?」
「わかりますよ。男にもそういう人はいますから。続けて」
哲夫が同意しながら先を促す。その気持ちは杏にもわかった。自分が異性愛者であったとしても、何かきっかけがあれば恋してしまいそうな、魅力的な男性と言うのはいる。
(女の人でもそういうのあるんだなぁ)
などと、呑気なことを考えながら続きに聞き耳を立てた。
「でも、最近、なんだか明らかに彼女持ちの男性を狙うようなモーションを掛けてて……それも次から次へととっかえひっかえ。彼氏が勝手に成美を好きになるだけならしょうがないじゃないですか。でも、成美の方からアプローチするのは違うでしょ。あれですよ、なんか古い言い方ですけど、『泥棒猫』ってやつじゃないですか」
まさか、現実で、「他人の恋人を略奪する」と言う文脈で「泥棒猫」と言う単語を聞くとは思わなかった。
「それで、さすがに私もおかしいと思って言ったんです。そういうの良くないよって。そしたらなんか開き直られちゃって。『盗んでるんじゃない。つまらない男たちから皆を助けてるだけなんだ』って」
救ってるだけ。杏は緊張した。哲夫とテータも、思案しているような気配を感じる。
「『救っている』と、その北畑さんは仰ったんですね」
哲夫が慎重に尋ねた。
「はい。私なんかになびくんだったら、別の女にもなびくに決まってる。そんな男と付き合ったって将来ないよって……でも、今の私たちはその彼が好きで付き合ってるので、そういう言われ方もされたくないです」
「それはそうでしょうね……」
哲夫がしみじみと言った。
(国成さんの彼女ってどんな人なんだろう)
聞き耳を立てながら、杏はそんなことを思いついてしまった。それどころではないのに……しかし、ハンサムと呼んで差し支えのない容貌の哲夫のことだ。女性の方が放っておかないだろう。それとも、テータと付き合っていたりするのだろうか。あの二人ならお似合いの気もするが。
などと邪推している間に、二人は飛鳥への質問を重ねていく。
「それはいつ頃の話ですか?」
「えーっと半年くらい前からかな」
「半年……!?」
哲夫が息を呑んだ。杏も緊張している。半年というと、ちょうど第一弾の「天啓」がもたらされた頃らしい。それなら、いつあのイソギンチャクの触手にも似た有機体に身体を食い破られてもおかしくない。
「それはちょっと、良くありませんね。彼女に、私たちからも受診を勧めたいと思います。その方に連絡を取っていただけないでしょうか?」
哲夫が慌てているので、飛鳥を不安がらせないようにと言う配慮だろう。テータが穏やかに告げると、
「わかりました。あの、だったら、国成さんと浪越さんはカップルのふりをして成美に会ってもらえませんか?」
まるで、自分の考えを読まれたような気分になって、杏はぎくっとした。ちょうど、哲夫とテータならお似合いなのではないかと思っていたところだったから。
「その方が北畑さんの行動についてよく観察できそうですね」
哲夫は実に真面目な声で返している。
その後、三人で飛鳥の連絡先だったり、今後の段取りだったりを決めてから、二人は飛鳥を帰した。
「じゃあ、すみません、本当によろしくお願いします。そういうことをする子だけど……やっぱり友達なので」
「ええ、わかりますよ。暑いのでお気を付けて」
季節は夏。この分室は、レトロな内装に対して本当の時代を主張するような実に現代的なエアコンが付いているが、ここのところ、それがずっとフルパワーで稼働しっぱなしだ。杏も出勤する間に汗だくになっており、肌着の替えを置かせて貰っている。テータは変わらず涼しい顔でシスター服を着ているが、たまにひっそりとあの翼に似た排熱器官を出して冷房のそばで涼んでいるところを見かける。
地球人の体内では寄生生物の様な扱いになる件の有機体だが、テータたち異星人の身体には標準装備であるらしく、排熱器官になっているようだ。テータは、「天啓」を受けた人間が暴れる時には、異星人の身体能力(どうやら地球人より高いようだ)で取り押さえるのだが、その際に「熱が籠もるので」と言って排熱器官を体外に出している。肩甲骨から出たイソギンチャクの触手に似た排熱器官は絡み合い、翼の様な形を作るため、簡易なシスター服とも言える服装と相まって「天使」を彷彿とさせることもある。けれど、そう言われた時のテータの答えは、「私は自分の星の人間です」であった。
と言う事を思い出しながら、ドアが閉まる音を聞く。しばらくすると、飲みかけのグラスを持ったテータが給湯室にやってきた。
「もう良いですよ。すみませんでした」
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません。お任せしてしまって」
と、詫びては見るものの、実際に杏がそこに座っていてできることはあまりない。普段から役に立っていないので、何を聞いたら良いのかわからないのだ。
給湯室から出ると、杏は何気なく満岡飛鳥が座っていたところに腰を下ろした。正面のテーブル天板には、結露したグラスが置かれていたことを示すように、水が円を描いている。
「はいどうぞ」
そこに、テータが戻ってくると、ティッシュで水を拭き取って新しいグラスを置いた。中には並々と紅茶が注がれている。
「わあ、ありがとうございます!」
その気遣いが嬉しくて、杏は思わず声を上げた。
「いいえ」
テータは微笑むと、哲夫の隣に座って自分も紅茶を飲んだ。この宇宙人、哲夫と出会った時に、彼が紅茶を供したことから、紅茶がお気に入りの飲み物になっているらしく、哲夫や杏、客人にも振る舞いたがるのだ。こういう所にも、哲夫とテータの付き合いの積み重ねを感じて、少し嫉妬心が首をもたげる杏である。
「そういえば、国成さんの好きな男の人ってどんな人ですか?」
突然テータが尋ねた。哲夫はそれを聞いてむせる。杏も、あけすけなテータの問いにどきっとした。
「な、なんだよ藪から棒に」
「えー、だって満岡さんに『男から見ても魅力的な男はいる』って言ってたじゃないですか。私気になります。神林さんは?」
「えっ!? 僕ですか!?」
「神林さんだって地球人の男性じゃないですか」
「そ、そうですけど」
「とはいえ、好みの問題はプライベートな質問でしたね。すみません」
テータは考え直したようで、あっさりと引き下がった。
「……俺は明るい人かな」
哲夫がぽつりと呟いた。
「なんか、こう、いるだけで周りを巻き込む様な明るい男は好きかもな」
特定の誰かを思い出しているような顔だ。飛鳥との会話で、あんな風に実感を込めて言うくらいだから、実際に「男からしても魅力的な男」に具体例はあるのだろう。
「僕は……」
杏は、そんな哲夫の顔をじっと見ながら、
「国成さんはかっこいいと思ってます」
「そう? 褒めても俺に給料決める権限ないよ?」
とぼけた顔になる哲夫。先ほどまで少し差していた影のようなものは鳴りを潜めている。それこそ、本人が憧れるような明るい笑顔を見せた。
「ありがとうな」
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