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HO2.女教皇の弟(5話)

4.脱走

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 何の使命を受けているのか。それは、あの死んだ自称転職エージェント、柳井やないがハローワークの前で口にした問いと同じだった。
「僕は、君たちとは少し違う使命を貰っています」
 人類を滅ぼすと言う使命。事前の打ち合わせで、それは言わないでおこう、と言うことになっていた。
 なぜなら、同じ宇宙人から受けた「天啓」であったとしても、「滅ぼすことで救済する」が、他の被害者に受け入れられるかはわからないからだ。
 ここからが重要だ。三人で和也かずやを説得し、治療に同意して貰う。
「僕たちが授かった『使命』は、とても重要な物ではありますが、同時に、僕たちにとって荷が重い部分もあります」
 慎重に切り出す。言いくるめると言われても仕方ないが、とにかく和也の命が掛かっている。現行の法やルールでは、ここで和也を無理矢理拘束して病院に連れて行き、CT装置に放り込むわけにもいかない。あくまでも和也の自発で受診してもらわないと困るのだ。
「荷が重い?」
 和也は気色ばんだが、きょうが自分よりも高位であることは理解しているらしく、まだ反発の気配は見せない。
「はい。授かった『使命』は僕たちの身体の中で実を結び、根を張ります。その過程で命を落とすことがある。実際、僕は『使命』のために命を落とした人を見ました」
 柳井のことは絶対に忘れられないだろう。実感を持って語る杏の言葉は説得力を帯びていたようで、和也は段々毒気を抜かれていくように見える。
「それも、『使命』を果たす前にです」
 実際に、被害者たちは「使命」を元に行動すると現実性のない手段に訴えるので「使命」どころではないし、そもそも「救済」は方便だ。どうやっても果たすことはできないだろう。
「ですから、まずはあなたの中にどの程度根が張られるかを見る必要があります」
「それからどうなるんですか」
「『使命』を遂げるのに支障が出ないように取り除きます」
 これは半ば博打だった。同意を取るには、ちゃんとした説明が大前提になってくるので、多少脚色しつつも事実は伝えなくてはならない。だから、摘出まで説明する必要があるのだ。
「摘出した後はどうなるんですか」
「また元の生活に戻っていただけますよ」
 テータが捕捉した。これは「洗脳される前」と言う意味だ。実際に摘出で除去できる物なのかははっきりしていないが。
「検査を受けないまま、『使命』を果たした人を、僕は知りません」
 杏は断言した。これは本当のことなので、力強く言い切れる。
「君の使命の重要さはわかっている。君が希望してくれれば、すぐにでも病院に連れて行けるよ」
 哲夫てつおがゆっくりと話を受診の流れに持ち込もうとした。
「その使命、果たす前にたおれて良いのでしょうか?」
 三人でじわじわと追い込んでいく。和也は口を半開きにした、呆然の表情でしばらく考え込んでいたが、やがて口を閉じた。
「わかりました。検査をお願いします」
「良かった」
 杏は心の底から安堵した。これで、和也が柳井のように死んでしまうこともないだろう。しかし急がないと。どれくらいであの「結晶」が和也の身体を食い破ってしまうかわからない。
「その前に、トイレに行ってきても良いですか?」
「ああ、もちろんだ。俺たちはここで待ってるよ」
 哲夫が微笑んで頷くと、和也は鞄を置き、スマートフォンだけ持ってトイレの方へ向かった。
「良かったぁ……」
 和也が行ってしまうと、杏は両手で顔を覆った。
「やっぱり、神林さんが何者かはわかるみたいだな」
「ええ。やはり『天啓』の被害者たちは、『滅びの天啓』を肌で感じ取り、畏怖しているようですね。これはどこに感受性があるのか。今度、結晶を摘出した被害者たちにも会っていただきましょう」
「そうだな。良いかい? 神林さん」
「もちろん。仕事ですから」
 確かに、「天啓」によって結晶が生成されるなら、その結晶がなくなったら何か感じ方は変わるのだろうか。
「そういえば、結晶を取り除かれた人って何か変わるんですか?」
 摘出手術の話を聞いて、勝手に使命感もなくなる物なのだと思っていたが、どうなのだろうか。
「使命感は薄くなったようだが、侵襲行為……身体にメスが入ったショックなのか、本当に『天啓』の素がなくなったのかはわからない。経過観察中だ」
「結晶が副次的な物の筈なんですけどね。結晶以外で『天啓』を除去する方法も、多分星に戻ればあると思うんですけど」
 などと、今後のことやここまでのことで得られた知見を話し合っている内に、学生たちは食事を終えてどんどん移動して行った。沢辺由奈さわべゆなはまだ残って、スマートフォンを見る振りをしてこちらを伺っている。
「……和也くん、遅くないか?」
 哲夫が眉を上げた。テータと杏ははっとする。もしかして、トイレで柳井の様になっているのか? しかし、それならもっと騒ぎになっていてもおかしくなさそうだが。
「僕、見てきます」
 杏が立ち上がった。和也は、上位の天啓を受けた杏に対して畏怖の念を持っているから、杏が言えば従うのではないか。男子トイレなので、女性の姿をしたテータは入れない。
(そういえば、浪越さん擬態って言うけど本当の性別はどっちなんだろう)
 などと思いつつ、杏は男子トイレに入った。見える範囲に和也らしき人物はいない。個室が一つ閉まっているので、一旦外で出て廊下で待つ。スマートフォンを操作するふりをして待つが、和也は出てこない。もう一度入ると、中には誰もおらず、全ての個室は空いていた。
「しまった」
 思わず言葉が口を突いて出た。逃げられた!
 足早に哲夫とテータの元へ戻る。杏の表情を見て、二人も何があったか悟ったらしい。
「いません! 逃げられました!」
「でも、鞄が」
 テータが困惑していると、哲夫が自分のスマートフォンを取り出した。
「スマホだ! 定期かはわからんがスマホにICが入ってるんだよ!」
 最近の交通系ICはスマートフォンでも使用できるようになっている。チャージされている額によっては、定期圏外の運賃も支払えるだろう。財布の入った鞄を置きっぱなしにしても移動できるのだ。
「一体どこに……」
「わからん」
 哲夫は上司に連絡するべく、学食を飛び出した。

 和也は電車で、山中やまなかの会社、その最寄り駅に向かっていた。他ならぬ姉の職場だった会社だ。所在地は把握している。スマートフォンだけは持ってきたから、調べ物にも困らない。
 神林杏が何者かはわからないが、彼が何か、途方もない「使命」を帯びているのはわかる。それと同時に、恐らく彼は自分の目的を阻害するとも。
 立ち向かうことはできない。けれど受け入れがたい。だったら、逃げてまずは本懐を果たすしかない。穏便な手を考えていたが、多少は暴力的な手段にも目をつむるしかないだろう。
 会社の最寄り駅は閑散としていた。コンコースを駆け抜け、改札口のタッチセンサーにスマートフォンをかざす。ピッと高い電子音がして、小さな画面に運賃と残高が表示されるのを見届けた。端末をポケットにしまって顔を上げると、そこに「何か」がいた。
「逃げ出すとは、褒められたものではありませんね」
 翼を広げた浪越なみこしテータがそこに立っていた。少し離れたところに、国成哲夫と神林杏も立っている。人通りがないでもないが、皆、テータの姿をコスプレだとでも思っているのか、非常識な人間を見るような目で見て素通りしていくだけだ。
「ど、どうして……」
「僕たち、車で来ていたので」
 杏が言った。電車通学の和也には思いつかなかった。
「すぐに想定できたあなたの行き先は三つ。一つはご自宅。もう一つは山中さんのご自宅。最後の一つは、既に聞き出したと仮定して、沢辺さんのお姉さんのご自宅です」
「だが、学食であなたを気にしていた沢辺さんに聞いたら、まだお姉さんの自宅の場所は教えていないと。それなら自宅か、山中さんの家になる。だが、彼は会社員だ。あなたのお姉さんがかつてそうであったように」
「なので、この時間なら会社にいる筈。そう思って私たちもこっちに来ました。自宅に帰るだけなら、そこに危害を加えるべき人はいませんしね」
 まるで全てを見透かしたかのように言う。シスターじみた格好に、白い翼を広げた彼女は、まるで人に扮して掬いをもたらす天使の様に見えた。
 自分ならもっと上手く救えると言わんばかりの、と和也は思っていた。自分にだってできる。やってみせるとも。
 けれど、こうやってその異容を見ると、それが思い上がりだったのではないかと、急に自分が小さくなっていくような錯覚に襲われた。
「あ、あなたは」
 和也はテータの翼を……よく見ると複数の筒状の有機物が絡み合っているそれを、震える手で指さした。どうしてだろう。指先が、手が、熱い。
「何者ですか……?」
「私ですか? 私は人間です」
 次の瞬間、テータはすごい勢いで迫ってきた。
「自分の星の、ね」


 和也の指先を、あの細い有機体が突き破った瞬間、それを見逃さなかったテータは、一気に和也へ肉迫してその有機体を掴んで引きちぎった。
「いった!?」
 苦痛の悲鳴を上げる和也。
「あらこれは失礼しました」
 そのまま腕を掴むと、足払いを掛けて転ばせる。哲夫がすぐに救急要請の電話を掛ける。杏はただ立ち尽くしていた。
「何事ですか?」
 駅員が駆けつけてくる。
「体調不良者です。こちらで救急車は呼びました。衝立をお借りできませんか?」
「離せ! 俺は行かないといけないんだ! 姉さんをあのクソ野郎から救済する! これは『使命』なんだよ!」
「この星の、この国の法律では、他者への実力行使や私刑は違法なのではありませんか?」
 テータが穏やかに諭す。
「あなたがやるべきはお姉さんにいつもの日常を提供することであって、法を犯した男の姉に仕立てることではないと思いますけど」
「黙れ! お前に何がわかんだよ! あいつのせいで姉ちゃんがどれだけ苦しんだことか! 英俊なんかに姉ちゃんが救えるか!」
「だからって別の苦しみを与えて良いことになるんですか? あなたは彼女の家族なんですよ」
「うるさい! あいつさえ消えれば全部上手く行くんだ!」
 少し考えればわかることだ。確かに山中の排除は、耀子の安寧には必要かもしれないが、そのために和也が暴力的な手段に訴えることは、また彼女の心に消えない影を落とすことになると。
「誰も助けてくれないんだから、俺がなんとかするしかないじゃないか……!」
「仕方ありませんねぇ」
 テータは呆れた様に言うと、そのまま和也を押さえ込んで、救急車到着まで口を利かなかった。
「……姉ちゃん……」
 誰からも何も言われなくなると、和也はぽろりと涙をこぼした。
「ごめん、助けられなかった……」
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