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オパールのバングル
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流行病の者がオパールを身に付けると、それは輝きを失うらしい。
そんな噂がまことしやかに囁かれていた。しかし、この診療所を訪れる患者はみな、金持ちとは言いがたい庶民たちである。オパールを身に付ける余裕などない。一人、また一人流行病と診断されはするが、曇ったオパールを見る機会はついぞなかった。
看護師のフリーダは、口の覆布を外し、洗濯籠に入れてから、診察室をノックした。最近、医師のエリザベートは寝る間も惜しんで何かを作っているようだった。今日も、診察が終わってから、作業をしているらしい。
若くして、熱心な医師であるエリザベートは、この病が流行りだしたときから、苦しむ人々に心を痛めていた。フリーダも看護師であるから、患者を思いやる気持ちは同じだが、フリーダの献身にはとても敵わないと内心で舌を巻いていた。
「先生、見回り終わりました」
「ありがとう、フリーダ。あなたも帰って良いわよ」
エリザベートは顔を上げて、こちらに笑顔を見せた。診察が終わった今でも覆布をしている。患者は全員帰ったのに、慎重なことだ、と彼女は思った。
「承知しました。ところで先生、この前から何を作っているんですか?」
「これね。もうすぐできるわよ。そうね……検病器とでも名付けましょうか」
「検病器?」
「ええ。オパールの噂は知っているかしら?」
「はい……流行病に罹った人が身に付けると、輝きを失う、と言うものですよね」
「だから、こうやって身に付けられるようにして、患者に付けさせたら診断がもっと楽になると思ったの」
荒唐無稽だ、とフリーダは思った。しかし、医者と言う物は金を持っている。上流階級とも付き合いがあるのだろう。もしかしたら、エリザベートは実際に、流行病に侵された人間の道連れにされたオパールの話を聞いたのかもしれない。
医師はバングルを作っていたようだった。確かに、これなら留め具もない。首飾りと違って、ぐったりしている患者の頭を持ち上げる必要もない。ただ、腕にはめてしまえば良いだけの話だ。合理的ではある。
「もっと早く見つかれば、治療も効果が出やすいかもしれないわ」
「そうですね、先生」
フリーダはあまり期待していなかったが、エリザベートが作ったオパールのバングルはめざましい効果を上げた。症状のある患者に腕輪をはめ、石がくすんだ者はすぐに入院や治療に入る。石に変化が出なかった者は、家で休養を取らせるとすぐに元の生活に戻った。
エリザベートは稼ぎを石の購入に充て、合わせて五つのバングルを作った。この診療所でも、動かせない患者は泊めて治療を行ったが、ここに泊まらないといけないような患者たちに、回復の見込みはない。病気の常だが、病魔が殺すのは、年寄りと身体の弱い者で、健康な若者は、無理さえしなければ、きちんとした休息と、治療さえ受けられれば回復した。
泊まる患者の手首には、ずっとバングルをはめていた。だからフリーダは幾度も、事切れた患者の腕で、オパールが光を取り戻している様を目の当たりにしたものだった。
あの噂は本当だったんだ。フリーダは、エリザベートのアイディアに呆れていた己を恥じると同時に、彼女への尊敬の念を新たにした。エリザベートは粉骨砕身の生き見本だった。いつしか、きちんと見てくれる、正確な診断をしてくれる医者として、この診療所の噂は広がり、診療所には長蛇の列ができた。診察は遅くまで続き、フリーダもへとへとだった。それを見て、エリザベートは新しい看護師を雇ったが、新しい医師は雇わなかったので、診察するのは彼女だけだった。
エリザベートは常に覆布をしていた。呼気から伝染するかもしれない、と言われており、フリーダも診療時間中は同じようにしていたが、患者が全員帰ると外してしまった。けれど、医師はずっと口元を覆っていた。
「先生、覆布を外すのがご面倒なら、外して差し上げましょうか?」
ある日の帰り際、フリーダはエリザベートにそう声を掛けたが、それを聞いた医師は、どういうわけか目に見えて狼狽えた。
「いえ、それには及ばないわ。私のことは気にしないで。どうやら、私はこうやっていると落ち着くみたいなの」
「そう言うもんですか。私には窮屈な布ですけどね」
「あなたは元気だから。気をつけて帰ってね」
明るいが早口で、有無を言わせぬ語調だった。フリーダはそれに少し驚いて、まるで追い立てられるように家路に就いた。
◆◆◆
次の日、フリーダが出勤すると、患者が泊まっている部屋から、けたたましい呼び出しベルの音が聞こえた。彼女は驚いて、慌てて部屋へすっ飛んでいく。
「おはようございます。どうしましたか?」
「熱が上がってきたみたいなのよ。先生、いくら呼んでも来なくて一晩中こんなよ」
「先生が来ない?」
疲れ果てて、患者の呼び出しベルの音に気付かなかったのだろうか?
「先生もお疲れなのねぇ……」
患者はぐったりしながらも、そんな風にエリザベートを気遣う姿勢は見せた。この患者も、隣町から這々の体でやってきて、エリザベートの診察でやっと診断がついたのだ。今は元気そうに見えるが、いつ急変するかわからない高齢者である。
「見てきますね」
フリーダは患者に濡れた布巾を渡すと、その足で仮眠室に向かった。
「先生、フリーダです。おはようございます。起きてらっしゃいますか……」
ノックをするが返事がない。
「失礼します……」
不躾を承知で開けてみるが、仮眠室には誰もいなかった。そもそも、使った形跡すらないように見える。昨日、最後にフリーダが整えたままに見えた。
「先生?」
看護師は困惑した。他に、居場所で思い当たるのは診察室くらいだ。フリーダは診察室に走った。一刻も早くエリザベートの居場所を確認しないと落ち着かなくてしょうがない。
診察室も、ノックに反応はなかった。フリーダはドアノブをひねった。鍵は掛かっていなかった。
「先生?」
エリザベートは机に突っ伏していた。うたた寝だろうか。フリーダは近付いて、途中で一度足を止めた。再び傍に寄る。
「先生……」
次に呼んだ時に、声が震えるのは抑えられなかった。
噂でしかなかった、オパールの病を発見する力を、どうしてエリザベートほどの人間が信じていたのか。
信じる信じないの話ではなかった。彼女は知っていたのだ。
ぴくりとも動かない瞼。呼吸に合わせて上下しない背中。寝息の立たない喉。
そして、白衣の袖から覗く、細い手首にはまったオパールのバングル。この瞬間まで、フリーダはエリザベートがバングルを付けているなんて知らなかった。医師は看護師に隠していたのだ。
患者が帰ったあとも、ずっと覆布をしていたのは、きっとそのせいだったんだろう。
蛋白石は、ランプの光を受けてきらきらと輝いていた。
そんな噂がまことしやかに囁かれていた。しかし、この診療所を訪れる患者はみな、金持ちとは言いがたい庶民たちである。オパールを身に付ける余裕などない。一人、また一人流行病と診断されはするが、曇ったオパールを見る機会はついぞなかった。
看護師のフリーダは、口の覆布を外し、洗濯籠に入れてから、診察室をノックした。最近、医師のエリザベートは寝る間も惜しんで何かを作っているようだった。今日も、診察が終わってから、作業をしているらしい。
若くして、熱心な医師であるエリザベートは、この病が流行りだしたときから、苦しむ人々に心を痛めていた。フリーダも看護師であるから、患者を思いやる気持ちは同じだが、フリーダの献身にはとても敵わないと内心で舌を巻いていた。
「先生、見回り終わりました」
「ありがとう、フリーダ。あなたも帰って良いわよ」
エリザベートは顔を上げて、こちらに笑顔を見せた。診察が終わった今でも覆布をしている。患者は全員帰ったのに、慎重なことだ、と彼女は思った。
「承知しました。ところで先生、この前から何を作っているんですか?」
「これね。もうすぐできるわよ。そうね……検病器とでも名付けましょうか」
「検病器?」
「ええ。オパールの噂は知っているかしら?」
「はい……流行病に罹った人が身に付けると、輝きを失う、と言うものですよね」
「だから、こうやって身に付けられるようにして、患者に付けさせたら診断がもっと楽になると思ったの」
荒唐無稽だ、とフリーダは思った。しかし、医者と言う物は金を持っている。上流階級とも付き合いがあるのだろう。もしかしたら、エリザベートは実際に、流行病に侵された人間の道連れにされたオパールの話を聞いたのかもしれない。
医師はバングルを作っていたようだった。確かに、これなら留め具もない。首飾りと違って、ぐったりしている患者の頭を持ち上げる必要もない。ただ、腕にはめてしまえば良いだけの話だ。合理的ではある。
「もっと早く見つかれば、治療も効果が出やすいかもしれないわ」
「そうですね、先生」
フリーダはあまり期待していなかったが、エリザベートが作ったオパールのバングルはめざましい効果を上げた。症状のある患者に腕輪をはめ、石がくすんだ者はすぐに入院や治療に入る。石に変化が出なかった者は、家で休養を取らせるとすぐに元の生活に戻った。
エリザベートは稼ぎを石の購入に充て、合わせて五つのバングルを作った。この診療所でも、動かせない患者は泊めて治療を行ったが、ここに泊まらないといけないような患者たちに、回復の見込みはない。病気の常だが、病魔が殺すのは、年寄りと身体の弱い者で、健康な若者は、無理さえしなければ、きちんとした休息と、治療さえ受けられれば回復した。
泊まる患者の手首には、ずっとバングルをはめていた。だからフリーダは幾度も、事切れた患者の腕で、オパールが光を取り戻している様を目の当たりにしたものだった。
あの噂は本当だったんだ。フリーダは、エリザベートのアイディアに呆れていた己を恥じると同時に、彼女への尊敬の念を新たにした。エリザベートは粉骨砕身の生き見本だった。いつしか、きちんと見てくれる、正確な診断をしてくれる医者として、この診療所の噂は広がり、診療所には長蛇の列ができた。診察は遅くまで続き、フリーダもへとへとだった。それを見て、エリザベートは新しい看護師を雇ったが、新しい医師は雇わなかったので、診察するのは彼女だけだった。
エリザベートは常に覆布をしていた。呼気から伝染するかもしれない、と言われており、フリーダも診療時間中は同じようにしていたが、患者が全員帰ると外してしまった。けれど、医師はずっと口元を覆っていた。
「先生、覆布を外すのがご面倒なら、外して差し上げましょうか?」
ある日の帰り際、フリーダはエリザベートにそう声を掛けたが、それを聞いた医師は、どういうわけか目に見えて狼狽えた。
「いえ、それには及ばないわ。私のことは気にしないで。どうやら、私はこうやっていると落ち着くみたいなの」
「そう言うもんですか。私には窮屈な布ですけどね」
「あなたは元気だから。気をつけて帰ってね」
明るいが早口で、有無を言わせぬ語調だった。フリーダはそれに少し驚いて、まるで追い立てられるように家路に就いた。
◆◆◆
次の日、フリーダが出勤すると、患者が泊まっている部屋から、けたたましい呼び出しベルの音が聞こえた。彼女は驚いて、慌てて部屋へすっ飛んでいく。
「おはようございます。どうしましたか?」
「熱が上がってきたみたいなのよ。先生、いくら呼んでも来なくて一晩中こんなよ」
「先生が来ない?」
疲れ果てて、患者の呼び出しベルの音に気付かなかったのだろうか?
「先生もお疲れなのねぇ……」
患者はぐったりしながらも、そんな風にエリザベートを気遣う姿勢は見せた。この患者も、隣町から這々の体でやってきて、エリザベートの診察でやっと診断がついたのだ。今は元気そうに見えるが、いつ急変するかわからない高齢者である。
「見てきますね」
フリーダは患者に濡れた布巾を渡すと、その足で仮眠室に向かった。
「先生、フリーダです。おはようございます。起きてらっしゃいますか……」
ノックをするが返事がない。
「失礼します……」
不躾を承知で開けてみるが、仮眠室には誰もいなかった。そもそも、使った形跡すらないように見える。昨日、最後にフリーダが整えたままに見えた。
「先生?」
看護師は困惑した。他に、居場所で思い当たるのは診察室くらいだ。フリーダは診察室に走った。一刻も早くエリザベートの居場所を確認しないと落ち着かなくてしょうがない。
診察室も、ノックに反応はなかった。フリーダはドアノブをひねった。鍵は掛かっていなかった。
「先生?」
エリザベートは机に突っ伏していた。うたた寝だろうか。フリーダは近付いて、途中で一度足を止めた。再び傍に寄る。
「先生……」
次に呼んだ時に、声が震えるのは抑えられなかった。
噂でしかなかった、オパールの病を発見する力を、どうしてエリザベートほどの人間が信じていたのか。
信じる信じないの話ではなかった。彼女は知っていたのだ。
ぴくりとも動かない瞼。呼吸に合わせて上下しない背中。寝息の立たない喉。
そして、白衣の袖から覗く、細い手首にはまったオパールのバングル。この瞬間まで、フリーダはエリザベートがバングルを付けているなんて知らなかった。医師は看護師に隠していたのだ。
患者が帰ったあとも、ずっと覆布をしていたのは、きっとそのせいだったんだろう。
蛋白石は、ランプの光を受けてきらきらと輝いていた。
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