9 / 12
サファイアの護符
しおりを挟む
お前の父さんは見つかって良かったよ。
同じ氏族にいる、年長の男性からそう言われて渡されたのは、青玉の護符だった。青く、美しい、それだけで空を閉じ込めたような宝石の護符。
青玉の護符は、有翼人種でも限られた者しか持つことを許されなかった。例えば、部族の中でも、英雄の血に連なる者。グレイも、父もそうだった。だからこそ、彼らは部族に何かあると率先して戦場に飛び込む。
人間、獣人、精霊、そう言う、言葉を話す種族たちの中で、有翼人は空を飛ぶことを当たり前に行うことができる。しかし、最後には地上に戻ることを余儀なくされるのは間違いなく、そう言う意味ではグレイたちにとっても、飛ぶことは特別なことだった。
だから、空を飛ぶお守りは部族ごとに独自のものが伝わるし、有翼人全体で信じられているお守りもある。それが、青玉の護符だ。青空を閉じ込めたこのお守りを持っていれば、地面に叩き付けられることはない。
父は弓で射られて絶命した。何故か敵陣のど真ん中に飛び出してしまったのだ。
「まるで異空間から出てきたようだった、とラミーの奴は言っていたよ」
年長の彼はそう言って首を横に振った。どうしてそんなことをしたんだろう。戦況はこちらにとって不利でもなかったから、自棄になって飛び込む必要もなかったし。無茶をするような人でもなかった。
「でも、見つかって良かった」
護符を持つ者は、突然消えてしまって、まったく見知らぬ土地で変わり果てた姿で見つかることもある。発見されれば良いが、行方不明者はまだ名前が語り継がれているので、見つかっていない者もいるのだろう。
だから、父は見つかって良かった。グレイは心からそう思う。母やきょうだいたちも、父の死は悲しんでいたが、遺体が見つかったことには心から安堵していた。
この日から、青玉の護符はグレイが持つことになった。
氏族の戦士になったのだ。
◆◆◆
ある日のことだった。対立する部族の人間が、こちらの様子を窺っていると言う報せを受けて、グレイは斥候を買って出た。首にはもちろん、あの青玉の護符を、父の形見を、英雄の血に連なる先祖たちの形見を下げて。
この地域には、切り立った岩山があり、様子を窺うならそこが一番だと言うことを、戦いに赴く者たちはみな知っていた。
だからグレイも、下から空気を掬い上げるように一気に頂上まで飛び上がった。有翼人はこういうときに、飛べない種族とは一線を画する。
段差に足を掛け、手を傷付けぬよう、革のグローブで覆った部分で壁面に手を添える。そうして、人がいる方向を覗き込んだ。
確かに、対立する部族の人間が巻く、派手な色の腰布を巻いていた。しかし、どうにもおかしい。片方がうなだれ、もう片方はまるで励ましているようだ。うなだれている方は、顔を覆って……泣いている?
(一体何があったんだろう)
グレイはもっとよく見ようと身を乗り出して……足を滑らせた。
「あっ」
傾斜の付いた岩肌を転げ落ち、空へ放り出される。こういうときに、素早く風に乗ることができれば事なきを得るのだが、そんな都合の良い風が毎度吹いているわけもなく、グレイにはそんな経験が足りなかった。地面に叩き付けられることを覚悟したその時。
地面がなくなった。
ただひたすらに落下していく。
グレイはちらりと下を見て、仰天した。下には青空がある。まるで、今している青玉の護符の様な、深く澄んだ青色が。
上下がわからなくなるような錯覚。いつまで落ちるんだろう。グレイは怖くなる。パニック寸前だった。
けれど、彼は首を横に振る。自分は英雄の血に連なる子。父の子。父が死んですぐに、あとを継いだ自分が死んでしまうわけにも行かない。グレイは目を閉じて、全身で風の流れを探った。翼でも。
そして、翼の一番端の羽が、空気の束を掴む感覚を得る。彼は目を開き、身体をひねる。翼は上手く風を捉え、グレイを気流に乗せた。
「やった! やったよ父さん!」
グレイが快哉を叫んだ次の瞬間、突然景色が戻った。
「わあっ!」
悲鳴を上げて、彼は着陸に失敗した。足をついたが、勢いが殺せずにそのまま前のめりに転がった。
「きゃあ! 大変!」
「おい、君、大丈夫か!」
二人の人が駆けつけてきた。
「う、うーん……」
グレイは痛みを堪えて起き上がる。見れば、こちらを心配そうに覗き込んでいるのは、派手な腰布を巻いた男女だった。どうやら、先ほどグレイが岩山から覗いていた二人らしい。
「あんたたちは……」
「俺たちに敵対の意思はない。そういえば、ここは君たちの縄張りだったな」
「大丈夫?」
女の方は気遣わしげにグレイの身体を検分している。
「折れているところはなさそう。翼も無事ね」
本当に良かった、と彼女は涙のにじむ目で言った。
「子供が死ぬのは本当に悲しいから」
声もうるんでいる。グレイは、その声音にはっとする。男が、女の肩に手を置いた。
この夫婦らしき二人が、部族の他の仲間に悲しみを見られたくなくてここまで来たことを、彼は感じ取った。
だから、グレイもそれ以上は何も聞かない。
「あんたたちがここまで来たことは黙っておいてあげる」
彼は囁いた。
「だから、早く行って」
「ああ」
「どうか、どうか気をつけて帰ってね」
「そうするよ」
グレイは立ち上がって、翼をばさばさと振るって見せた。夫婦はそれを見て安心したように、足早に去って行く。
(見つかって良かったよ)
年長者の声が蘇る。
青玉の護符を持った者は遠く離れた場所で見つかることもある。
敵陣のど真ん中に飛び出した父。
さっきの青空。
グレイは息を吐いた。夫婦が見えなくなるまで見送ると、彼は振り返る。
そして、青玉の様に澄んだ、深い青色の空に向かって、まるで落ちていくように飛び上がった。
同じ氏族にいる、年長の男性からそう言われて渡されたのは、青玉の護符だった。青く、美しい、それだけで空を閉じ込めたような宝石の護符。
青玉の護符は、有翼人種でも限られた者しか持つことを許されなかった。例えば、部族の中でも、英雄の血に連なる者。グレイも、父もそうだった。だからこそ、彼らは部族に何かあると率先して戦場に飛び込む。
人間、獣人、精霊、そう言う、言葉を話す種族たちの中で、有翼人は空を飛ぶことを当たり前に行うことができる。しかし、最後には地上に戻ることを余儀なくされるのは間違いなく、そう言う意味ではグレイたちにとっても、飛ぶことは特別なことだった。
だから、空を飛ぶお守りは部族ごとに独自のものが伝わるし、有翼人全体で信じられているお守りもある。それが、青玉の護符だ。青空を閉じ込めたこのお守りを持っていれば、地面に叩き付けられることはない。
父は弓で射られて絶命した。何故か敵陣のど真ん中に飛び出してしまったのだ。
「まるで異空間から出てきたようだった、とラミーの奴は言っていたよ」
年長の彼はそう言って首を横に振った。どうしてそんなことをしたんだろう。戦況はこちらにとって不利でもなかったから、自棄になって飛び込む必要もなかったし。無茶をするような人でもなかった。
「でも、見つかって良かった」
護符を持つ者は、突然消えてしまって、まったく見知らぬ土地で変わり果てた姿で見つかることもある。発見されれば良いが、行方不明者はまだ名前が語り継がれているので、見つかっていない者もいるのだろう。
だから、父は見つかって良かった。グレイは心からそう思う。母やきょうだいたちも、父の死は悲しんでいたが、遺体が見つかったことには心から安堵していた。
この日から、青玉の護符はグレイが持つことになった。
氏族の戦士になったのだ。
◆◆◆
ある日のことだった。対立する部族の人間が、こちらの様子を窺っていると言う報せを受けて、グレイは斥候を買って出た。首にはもちろん、あの青玉の護符を、父の形見を、英雄の血に連なる先祖たちの形見を下げて。
この地域には、切り立った岩山があり、様子を窺うならそこが一番だと言うことを、戦いに赴く者たちはみな知っていた。
だからグレイも、下から空気を掬い上げるように一気に頂上まで飛び上がった。有翼人はこういうときに、飛べない種族とは一線を画する。
段差に足を掛け、手を傷付けぬよう、革のグローブで覆った部分で壁面に手を添える。そうして、人がいる方向を覗き込んだ。
確かに、対立する部族の人間が巻く、派手な色の腰布を巻いていた。しかし、どうにもおかしい。片方がうなだれ、もう片方はまるで励ましているようだ。うなだれている方は、顔を覆って……泣いている?
(一体何があったんだろう)
グレイはもっとよく見ようと身を乗り出して……足を滑らせた。
「あっ」
傾斜の付いた岩肌を転げ落ち、空へ放り出される。こういうときに、素早く風に乗ることができれば事なきを得るのだが、そんな都合の良い風が毎度吹いているわけもなく、グレイにはそんな経験が足りなかった。地面に叩き付けられることを覚悟したその時。
地面がなくなった。
ただひたすらに落下していく。
グレイはちらりと下を見て、仰天した。下には青空がある。まるで、今している青玉の護符の様な、深く澄んだ青色が。
上下がわからなくなるような錯覚。いつまで落ちるんだろう。グレイは怖くなる。パニック寸前だった。
けれど、彼は首を横に振る。自分は英雄の血に連なる子。父の子。父が死んですぐに、あとを継いだ自分が死んでしまうわけにも行かない。グレイは目を閉じて、全身で風の流れを探った。翼でも。
そして、翼の一番端の羽が、空気の束を掴む感覚を得る。彼は目を開き、身体をひねる。翼は上手く風を捉え、グレイを気流に乗せた。
「やった! やったよ父さん!」
グレイが快哉を叫んだ次の瞬間、突然景色が戻った。
「わあっ!」
悲鳴を上げて、彼は着陸に失敗した。足をついたが、勢いが殺せずにそのまま前のめりに転がった。
「きゃあ! 大変!」
「おい、君、大丈夫か!」
二人の人が駆けつけてきた。
「う、うーん……」
グレイは痛みを堪えて起き上がる。見れば、こちらを心配そうに覗き込んでいるのは、派手な腰布を巻いた男女だった。どうやら、先ほどグレイが岩山から覗いていた二人らしい。
「あんたたちは……」
「俺たちに敵対の意思はない。そういえば、ここは君たちの縄張りだったな」
「大丈夫?」
女の方は気遣わしげにグレイの身体を検分している。
「折れているところはなさそう。翼も無事ね」
本当に良かった、と彼女は涙のにじむ目で言った。
「子供が死ぬのは本当に悲しいから」
声もうるんでいる。グレイは、その声音にはっとする。男が、女の肩に手を置いた。
この夫婦らしき二人が、部族の他の仲間に悲しみを見られたくなくてここまで来たことを、彼は感じ取った。
だから、グレイもそれ以上は何も聞かない。
「あんたたちがここまで来たことは黙っておいてあげる」
彼は囁いた。
「だから、早く行って」
「ああ」
「どうか、どうか気をつけて帰ってね」
「そうするよ」
グレイは立ち上がって、翼をばさばさと振るって見せた。夫婦はそれを見て安心したように、足早に去って行く。
(見つかって良かったよ)
年長者の声が蘇る。
青玉の護符を持った者は遠く離れた場所で見つかることもある。
敵陣のど真ん中に飛び出した父。
さっきの青空。
グレイは息を吐いた。夫婦が見えなくなるまで見送ると、彼は振り返る。
そして、青玉の様に澄んだ、深い青色の空に向かって、まるで落ちていくように飛び上がった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定


魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる