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日が落ちて空が黒く染まり星が輝き始めた頃、南区のとある酒場で落ち込んでいる男がいた。酒がなみなみに注がれたジョッキに、深い深いため息を一つ。
「はああぁ…」
「今日は酔っ払っていないようだが、吐く息がおもいねぇ」
「…いつだって、酔っていなかった!」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
不服そうに唇を尖らせ、ジョッキを呷る男はラウルだ。彼はもしかしたら会えるのではと期待を抱き、アメリと出会った酒場にこの一週間通い続けた。残念ながらその期待は外れ続け、ラウルは不貞腐れている。一時の夢だったと一夜限りの関係で終わらせ、逃げるように去ったアメリが彼とかち合う可能性がある酒場にやってくる可能性は低いのだが、ラウルにはそこまで考えが回らなかった。
「会いたい…会いたい、会いたい…あの人に会いたい…っ…うぅ…」
「…いやあ、今日も酔っているね」
「酔っていないっ」
「はいはい」
据わった目で会いたいと譫言のように繰り返すラウルに、店主は笑う。ジョッキの中身を一気に飲み干したラウルはもう一杯と酒をたのみ、ちびちびと飲み始めた。
(…あぁ、会いたい…)
あの情熱的な夜を過ごしてから、ラウルはアメリのことがずっと忘れられなかった。名前も知らぬ彼女の顔を思い浮かべるだけで頬は赤くなり、その言葉を思い出すだけで恐怖とは違う胸の高鳴りを覚える。そして彼女の熱と柔らかさを思い出せば、今までの三年間が嘘のように股間は熱くなるのだ。
(……はっ?!だ、だめだ…)
うっかり極上の時を思い出してむくむくと膨れ上がった欲望に息子が成長しかけ、ラウルは慌ててジョッキを呷って誤魔化す。彼は半分ほど飲んだあと、ジョッキを片手にため息をついた。
(…あの人以外、無理なんだよなあ…)
ラウルは相変わらず女性と目があえば動悸を感じ、話そうものなら意識が遠くなっていく。王都の紳士御用達の猥本にも全く反応しない。彼は心的外傷を乗り越えたわけではなく、アメリにだけは心を許せるのだろう。
「…会いたい…はあ…」
アメリに会いたい、その想いがラウルの胸の中で膨れ上がっていく。しかし、彼はアメリがどこにいるのか、何をしているのか、彼女の名前すら知らなかった。
(どうしたら会えるんだ…)
ラウルは今日何度目か数え切れないほどのため息をついて自分の懐を擦る。手がかりはラウルの記憶に残るアメリの姿と、彼があの日から肌身離さず持ち歩いている謎の魔導具のみ。アメリと出会った酒場で奇跡的に再会することしか思いつかなかったラウルは、この一週間なんの成果もなく過ごしていた。
「おっ、ラウルじゃん」
そんなラウルの背に、親しげに男の声がかかる。彼が聞き覚えのある声に後ろを振り返ると、声をかけた男はにっと笑った。
「フランソワ…?」
短く切られた赤毛とそばかすのある素朴な男、フランソワはラウルの同期の王都警備隊員だ。三年前まで二人は同じ部隊に所属しており、五年前の惨劇を生き延びた仲間でもある。仲の良かった二人だが、三年前のラウルの転属をきっかけに疎遠となっていた。
「…大分飲んでいるようだな。まだ立ち直れていないのか?」
顔を真っ赤にしているラウルとその手に握られているジョッキを交互に見たフランソワは肩を竦めて笑った。それに気まずそうに目をそらしたラウルは、曖昧に笑うだけで返す。疎遠になったのは、ラウルが彼を避けていたのも理由の一つであった。
「私もいるのよ?ラウル」
「ひっ」
フランソワの隣から女性が身を乗り出し、その姿を目に映したラウルは短く悲鳴を上げた。ばくばくと高鳴る胸を抑えながら顔色を白くするラウルに、その女性は笑う。
「まだ女を怖がっているの?情けないわね」
「そっ…そう、だ…な…」
「そう言うなよ、レティシア」
レティシアも所属は違うが、二人と同じ時期に王都警備隊となった。ラウルとフランソワは南区を担当し、レティシアは北区を担当しており接点は少なかったものの、二人はいつの間にか交流を繰り返していて、今では恋人同士だ。
「なあ、せっかく久しぶりに会えたんだ。一緒に飲もうぜ」
「あっ、…ああ…」
無理やり笑顔を浮かべたラウルはジョッキを片手に二人の後ろに続く。その後姿、特にレティシアを目に映すだけで動悸が起こっていたが、これ以上笑われたくないと自分を誤魔化した。
テーブルに移り、ラウルは隣同士に座った二人の内フランソワの向かいに座る。顔を上げればレティシアの姿も目に映るため、ラウルはなかなか視線を上げれず手に持ったジョッキを見つめていた。
「最近の調子はどうだ?あのきついところの所属だろ?」
「まあ、私はぼちぼちかな…」
英雄と讃えられるだけあって、ラウルは魔物討伐において良い活躍を見せている。しかし、その性格から戦いに向いていない彼は誇りに思えず、曖昧に答えることしかできなかった。
「えっと…二人はどうなんだ?」
「うーん、俺は特に変わんねぇな」
「私のほうは最悪よ!元恋人からの粘着行為の相談を受けたんだけれど…この男が本当に最悪!なにか理由をつけて、ぶち込んでやりたいわ!」
レティシアは不満が相当溜まっているようで、男への不満を続ける。ラウルは女性の責め立てる声に恐怖を覚え、顔を青くして俯いた。
(うぅ…息が…っ)
息苦しさを覚えてラウルは胸に手をあてる。レティシアとは顔見知りで、今は酒が入っているお陰で多少気が楽になっているはずだが、彼女への苦手意識のためにうまく接せずにいた。
「…ちょっと、聞いているの?ラウル」
「えっ!?…あっ、あぁ…ごめんっ」
久しぶりの再会だというのに目をあわせない、手にしたジョッキも進まず青い顔で視線を落としたまま、口数少なくただ相槌しか打たないラウルの態度にレティシアは不快感を覚えたようだ。彼女の責めるような声にラウルは萎縮してしまい、余計に言葉を詰まらせる。
「…ラウル、大丈夫か?」
「…っ、ごめん、フランソワ…」
「いや、なんか…悪いな。そこまでだと思ってなくて、軽く声をかけちまってさ…」
フランソワはラウルがここまで引きずっているとは思ってもみなかった。事件直後、失神するラウルの姿を目の当たりにしたこともあったが、それを情けないと笑った同僚に彼もそうだなと笑っていたため、深く考えもしなかった。あれから三年たった今、もう落ち着いているだろうと軽く考えていたが、予想していなかったラウルの様子にフランソワは罪悪感を覚える。
「…っ、いや…だいじょう…」
ラウルは泣きそうな気持ちを必死に堪えて無理やり笑みを浮かべたものの、うまく言葉を出せずに俯いた。三年前の出来事を未だに引きずり続け、自分だけがつらく苦しい思いをするだけならまだしも、他者に気を使わせた上に不快感を与えてしまっている。そのようにますます自責し、沈み込んでいくラウルを一瞥すると、レティシアは呆れたようにため息をついた。
「もう、そんなに引きずること?男なんだから、まだましじゃない」
「おい、レティシア…」
流石にフランソワもレティシアの言動がよくないと思い、戒めるように彼女の名を呼ぶ。だが時すでに遅く、ラウルはその言葉に大きな衝撃をうけ、言葉を失っていた。
(…まし、だって?)
情けない、男らしくない、そんな言葉を投げかけられてもそうだよなと笑ってやり過ごしていたラウルは初めて怒りを覚えた。あの時感じた感情は、それによって受けた心の傷は、ほかの誰でもないラウルのものだ。誰かに比較されて軽んじられるものではない。
ラウルは深く息を吐き、手にしていたジョッキを手放す。どろどろとした黒い感情が胸の中をうずまき、ともすれば口から吐き出してしまいそうだった。
「…ごめん、もう行くよ」
ラウルは懐から金を取り出すと、乱雑に机の上に放り投げる。そのまま席を立つと、何も言わず二人に背を向けた。
「はああぁ…」
「今日は酔っ払っていないようだが、吐く息がおもいねぇ」
「…いつだって、酔っていなかった!」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
不服そうに唇を尖らせ、ジョッキを呷る男はラウルだ。彼はもしかしたら会えるのではと期待を抱き、アメリと出会った酒場にこの一週間通い続けた。残念ながらその期待は外れ続け、ラウルは不貞腐れている。一時の夢だったと一夜限りの関係で終わらせ、逃げるように去ったアメリが彼とかち合う可能性がある酒場にやってくる可能性は低いのだが、ラウルにはそこまで考えが回らなかった。
「会いたい…会いたい、会いたい…あの人に会いたい…っ…うぅ…」
「…いやあ、今日も酔っているね」
「酔っていないっ」
「はいはい」
据わった目で会いたいと譫言のように繰り返すラウルに、店主は笑う。ジョッキの中身を一気に飲み干したラウルはもう一杯と酒をたのみ、ちびちびと飲み始めた。
(…あぁ、会いたい…)
あの情熱的な夜を過ごしてから、ラウルはアメリのことがずっと忘れられなかった。名前も知らぬ彼女の顔を思い浮かべるだけで頬は赤くなり、その言葉を思い出すだけで恐怖とは違う胸の高鳴りを覚える。そして彼女の熱と柔らかさを思い出せば、今までの三年間が嘘のように股間は熱くなるのだ。
(……はっ?!だ、だめだ…)
うっかり極上の時を思い出してむくむくと膨れ上がった欲望に息子が成長しかけ、ラウルは慌ててジョッキを呷って誤魔化す。彼は半分ほど飲んだあと、ジョッキを片手にため息をついた。
(…あの人以外、無理なんだよなあ…)
ラウルは相変わらず女性と目があえば動悸を感じ、話そうものなら意識が遠くなっていく。王都の紳士御用達の猥本にも全く反応しない。彼は心的外傷を乗り越えたわけではなく、アメリにだけは心を許せるのだろう。
「…会いたい…はあ…」
アメリに会いたい、その想いがラウルの胸の中で膨れ上がっていく。しかし、彼はアメリがどこにいるのか、何をしているのか、彼女の名前すら知らなかった。
(どうしたら会えるんだ…)
ラウルは今日何度目か数え切れないほどのため息をついて自分の懐を擦る。手がかりはラウルの記憶に残るアメリの姿と、彼があの日から肌身離さず持ち歩いている謎の魔導具のみ。アメリと出会った酒場で奇跡的に再会することしか思いつかなかったラウルは、この一週間なんの成果もなく過ごしていた。
「おっ、ラウルじゃん」
そんなラウルの背に、親しげに男の声がかかる。彼が聞き覚えのある声に後ろを振り返ると、声をかけた男はにっと笑った。
「フランソワ…?」
短く切られた赤毛とそばかすのある素朴な男、フランソワはラウルの同期の王都警備隊員だ。三年前まで二人は同じ部隊に所属しており、五年前の惨劇を生き延びた仲間でもある。仲の良かった二人だが、三年前のラウルの転属をきっかけに疎遠となっていた。
「…大分飲んでいるようだな。まだ立ち直れていないのか?」
顔を真っ赤にしているラウルとその手に握られているジョッキを交互に見たフランソワは肩を竦めて笑った。それに気まずそうに目をそらしたラウルは、曖昧に笑うだけで返す。疎遠になったのは、ラウルが彼を避けていたのも理由の一つであった。
「私もいるのよ?ラウル」
「ひっ」
フランソワの隣から女性が身を乗り出し、その姿を目に映したラウルは短く悲鳴を上げた。ばくばくと高鳴る胸を抑えながら顔色を白くするラウルに、その女性は笑う。
「まだ女を怖がっているの?情けないわね」
「そっ…そう、だ…な…」
「そう言うなよ、レティシア」
レティシアも所属は違うが、二人と同じ時期に王都警備隊となった。ラウルとフランソワは南区を担当し、レティシアは北区を担当しており接点は少なかったものの、二人はいつの間にか交流を繰り返していて、今では恋人同士だ。
「なあ、せっかく久しぶりに会えたんだ。一緒に飲もうぜ」
「あっ、…ああ…」
無理やり笑顔を浮かべたラウルはジョッキを片手に二人の後ろに続く。その後姿、特にレティシアを目に映すだけで動悸が起こっていたが、これ以上笑われたくないと自分を誤魔化した。
テーブルに移り、ラウルは隣同士に座った二人の内フランソワの向かいに座る。顔を上げればレティシアの姿も目に映るため、ラウルはなかなか視線を上げれず手に持ったジョッキを見つめていた。
「最近の調子はどうだ?あのきついところの所属だろ?」
「まあ、私はぼちぼちかな…」
英雄と讃えられるだけあって、ラウルは魔物討伐において良い活躍を見せている。しかし、その性格から戦いに向いていない彼は誇りに思えず、曖昧に答えることしかできなかった。
「えっと…二人はどうなんだ?」
「うーん、俺は特に変わんねぇな」
「私のほうは最悪よ!元恋人からの粘着行為の相談を受けたんだけれど…この男が本当に最悪!なにか理由をつけて、ぶち込んでやりたいわ!」
レティシアは不満が相当溜まっているようで、男への不満を続ける。ラウルは女性の責め立てる声に恐怖を覚え、顔を青くして俯いた。
(うぅ…息が…っ)
息苦しさを覚えてラウルは胸に手をあてる。レティシアとは顔見知りで、今は酒が入っているお陰で多少気が楽になっているはずだが、彼女への苦手意識のためにうまく接せずにいた。
「…ちょっと、聞いているの?ラウル」
「えっ!?…あっ、あぁ…ごめんっ」
久しぶりの再会だというのに目をあわせない、手にしたジョッキも進まず青い顔で視線を落としたまま、口数少なくただ相槌しか打たないラウルの態度にレティシアは不快感を覚えたようだ。彼女の責めるような声にラウルは萎縮してしまい、余計に言葉を詰まらせる。
「…ラウル、大丈夫か?」
「…っ、ごめん、フランソワ…」
「いや、なんか…悪いな。そこまでだと思ってなくて、軽く声をかけちまってさ…」
フランソワはラウルがここまで引きずっているとは思ってもみなかった。事件直後、失神するラウルの姿を目の当たりにしたこともあったが、それを情けないと笑った同僚に彼もそうだなと笑っていたため、深く考えもしなかった。あれから三年たった今、もう落ち着いているだろうと軽く考えていたが、予想していなかったラウルの様子にフランソワは罪悪感を覚える。
「…っ、いや…だいじょう…」
ラウルは泣きそうな気持ちを必死に堪えて無理やり笑みを浮かべたものの、うまく言葉を出せずに俯いた。三年前の出来事を未だに引きずり続け、自分だけがつらく苦しい思いをするだけならまだしも、他者に気を使わせた上に不快感を与えてしまっている。そのようにますます自責し、沈み込んでいくラウルを一瞥すると、レティシアは呆れたようにため息をついた。
「もう、そんなに引きずること?男なんだから、まだましじゃない」
「おい、レティシア…」
流石にフランソワもレティシアの言動がよくないと思い、戒めるように彼女の名を呼ぶ。だが時すでに遅く、ラウルはその言葉に大きな衝撃をうけ、言葉を失っていた。
(…まし、だって?)
情けない、男らしくない、そんな言葉を投げかけられてもそうだよなと笑ってやり過ごしていたラウルは初めて怒りを覚えた。あの時感じた感情は、それによって受けた心の傷は、ほかの誰でもないラウルのものだ。誰かに比較されて軽んじられるものではない。
ラウルは深く息を吐き、手にしていたジョッキを手放す。どろどろとした黒い感情が胸の中をうずまき、ともすれば口から吐き出してしまいそうだった。
「…ごめん、もう行くよ」
ラウルは懐から金を取り出すと、乱雑に机の上に放り投げる。そのまま席を立つと、何も言わず二人に背を向けた。
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