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「…最近、女性に声をかけられることが多くなって…」
ラウルは小さな声で話し始めたものの、直ぐに言葉につまってしまう。どのようなことを思い出しているのか、彼の顔は青ざめていた。
(…自慢…には思ってはいないようね)
アメリは傍から見ていてかわいそうなくらいに青い顔をしたラウルが心配になった。相当辛い経験をしたのだと想像できて、彼女は彼の顔を覗き込んで優しげに声をかける。
「…話せば楽になるかもしれない。けれど、話すことがつらいのなら…無理しなくていいのよ」
途端、ラウルの目に涙が浮かび、彼は慌ててそれを袖で拭った。優しい言葉をかけられ、堪えようと踏ん張っていた気持ちが緩んでしまったようだ。
(…女神じゃないか?)
ラウルは鼻をすすりながら涙を隠そうと俯く。それに気づきながらも、アメリはさも気づいていないように手に持ったグラスを傾けた。暫しの間があいたあと、ラウルはその、と小さな声で話を続け、アメリは何も言わずただ彼の言葉に耳を傾ける。
「ある人に告白、されて…、付き合う気も、結婚する気もないって断ったんだ…」
ラウルの頭の中に鮮明に浮かぶ、忘れたくても忘れられないあの日の出来事。告白を断ったラウルに、その女性はとても綺麗に笑ってみせた。
『残念です。けれど、きっと直ぐに気が変わってくれると思います』
その笑顔を呑気に可愛いと思っていた自分が情けない、あの時言葉に隠された企みに気づけていればよかったのに。ラウルは三年たった今でも自責し、その記憶は彼を酷く苦しめ続けている。
「…どうなったの?」
「…薬を盛られて…おっ、…犯されそうに」
「…えっ?!」
アメリは想像していなかった事の展開に驚きの声を上げてしまった。その声を別の意味に受け取ったラウルは両手で顔を覆い、言い訳を口にする。
「…自分でも、わかっているんだ!男なのにまだ引きずっているなんて…情けないって…」
女性とまともに目も合わせられず、声をかけられて逃げ出すラウルを同僚は情けないと笑った。悪意はなかったのかもしれないが、その時ラウルが感じた感情を、彼の周りは誰も理解しなかった。それどころか、自分なら食っているのにと楽しげに話すものすらいた。
「…ごめん、こんな…情けない…情けないんだ、私は…」
ラウルはなぜこんなことを見知らぬ女性に話してしまったのかと後悔する。彼女も情けないと笑うのだろう、そう思うとラウルの気持ちはますます沈んでいく。しかし、アメリは彼が予想していたものとは違う反応を見せた。
「…そんなことない。情けなくなんかないわ」
ラウルはアメリの言葉に勢いよく顔を上げる。聞こえた言葉が信じがたくて、ラウルは素直に受け取れずしどろもどろになりながら言葉を続けた。
「そっ、…でも、私は男で…男だから、こんなこと…っ」
「男とか、女とか…関係ないじゃない。あなたは理不尽な暴行を受けたんだから…怖かったでしょう?」
ラウルは目を見開き、言葉を失う。情けないと笑われ、誰にも吐露できなかった感情を言い当てられ、堪えていたものが溢れてしまう。
(…怖かった)
ラウルは自分より一回り以上大きく、獰猛に牙を剥いて襲ってきた魔物など怖くなかった。だというのに、あの時、たった一人の武器も持たない女性が怖かった。
「…そ…う…っ、うぅ…っ」
溢れ出た感情は涙となり、ラウルは体裁も気にせず泣いた。アメリはその姿を笑ったりなどせず、ただその隣で心に寄り添う。
「…怖かったんだ…」
「…うん、そうだね」
「今でも思い出して…っ、もう、酒、飲まないと、女の人に話しかけられないし…」
「…辛いよね」
「もう三年も!勃たなくなったし!」
「…そ、それは…辛い、ですよね」
「辛いっ!女の人怖い!でも女性が好きだ!」
「うん、うん」
「このまま一生童貞なんて、いやだあぁ…」
「…うーん」
酒と感情の暴発でとんでもないことを暴露しているラウルだが、本人は全く気づいていない。
(本当に、辛かったんだろうな…)
アメリは男性特有の悩みについては共感できないものの、ラウルが三年間苦しんでいたことは想像に難くなかった。少し困ったように首を傾げると、アメリは手に持っていたグラスをテーブルにそっと置く。両手で顔を覆い、さめざめと泣くラウルのすぐ隣に移動すると、両腕を広げて彼の頭を抱き、その髪をそっと撫でた。
「…怖かったね、辛かったね」
優しい言葉と声、温かな抱擁にラウルは安堵を覚えた。触れられても震えず、怖くもない。同じ女性だというのに、ラウルにはアメリが襲ってきた女性や同僚の女性らとは全く違って見えた。
(…温かい…)
誰にも言えなかった気持ちを認め、包み込んでくれる温もりに、ラウルの涙が止まる。情けないと笑われ、情けないと思い込んで自分を追い詰めていたラウルを、アメリは情けなくないのだと受け入れた。きつく戒められていた心が解かれていき、ラウルは彼女の胸に顔を埋めて安堵に小さく息を吐く。
(…………柔らかい)
その顔が埋まっている胸の柔らかさに、人生で初めて感じた柔らかさに、ラウルはそこに意識がいった。そして、彼にとっては信じられないことが起きる。
「…た…」
「た?」
「…勃ちそう…」
「えぇっ?!」
三年間、ぴくりとも反応しなかった彼の自身に反応が起こっていたのだ。アメリが腕を離して身を引くと、ラウルは自分の股間に目を向ける。
「…どうしよう」
「えっ?!…どうしようと言われても…」
涙目で自分の股間を見つめるラウルに、アメリは反応に困って視線を彷徨わせた。この流れだ、彼が自分に反応したということはアメリにもわかる。
(…そういう意味…ではないようだけれど…)
ラウルはアメリに目もくれず、ただ自分の股間を凝視している。アメリを誘っているわけではなく、本当にどうしていいのかわからないようだ。二十四年間、女性とそういった関係になったことが一度もない男がそのような誘いなどできないだろう。
(だからって…じゃあ、とはならないわ)
ラウルが三年もの間苦しんでいたことは不憫だと思っているし、このまま一生童貞だと嘆いているのも哀れだとは思うが、それとこれとは話が別だ。しかしそこで、アメリはふとほんの数時間前のことを思い出し、考え直す。
(…いえ、もう私は…一人だもの)
アメリにはもう操を立てる相手はいない。自棄になっている自覚はあったが、自棄でも自分に優しくしてくれたこの不憫な青年を元気にできるのならと、アメリは小さな声で提案する。
「…なら、試してみちゃう?」
ラウルはアメリの言葉の意味をすぐには理解できず、ぽかんと間抜けに口を開いてアメリに顔を向けた。ややあってそれを理解した彼は、食い入るように身を乗り出し、大きな声を上げた。
「い、いいのかっ?!」
「ちょっ、…声が大きいわ…!」
「えっ?!あ、…ごめん」
慌てて両手で口をおさえ、椅子に座り直したラウルの目には希望があった。その少し必死そうな様子にアメリは小さく笑う。
「あなた、いい人だし…私ももう一人になっちゃったから…ね。今夜だけ、忘れさせてよ」
ラウルは三年間の苦しみを、アメリは三年間の思い出を忘れるために。互いに慰めあう、今夜限りの関係だ。
「…お願いします!」
ラウルは立ち上がると、アメリの前に直立して深く頭を下げてた。その様子に目を丸くしたアメリはそのまま彼を眺めていたが、暫くして小さく吹き出す。
「っふ、ふふ。もう…」
雰囲気も何もない、けれどもその必死な様子がアメリには不思議と可愛く思えた。彼女が席から立つと、ラウルは二人分の金をカウンターに置く。
「じゃあ…!」
ラウルはアメリの手を掴み、足早に酒場を出た。アメリは逆らうことなく笑いながら彼に従い、二人は近くの宿に入っていった。
ラウルは小さな声で話し始めたものの、直ぐに言葉につまってしまう。どのようなことを思い出しているのか、彼の顔は青ざめていた。
(…自慢…には思ってはいないようね)
アメリは傍から見ていてかわいそうなくらいに青い顔をしたラウルが心配になった。相当辛い経験をしたのだと想像できて、彼女は彼の顔を覗き込んで優しげに声をかける。
「…話せば楽になるかもしれない。けれど、話すことがつらいのなら…無理しなくていいのよ」
途端、ラウルの目に涙が浮かび、彼は慌ててそれを袖で拭った。優しい言葉をかけられ、堪えようと踏ん張っていた気持ちが緩んでしまったようだ。
(…女神じゃないか?)
ラウルは鼻をすすりながら涙を隠そうと俯く。それに気づきながらも、アメリはさも気づいていないように手に持ったグラスを傾けた。暫しの間があいたあと、ラウルはその、と小さな声で話を続け、アメリは何も言わずただ彼の言葉に耳を傾ける。
「ある人に告白、されて…、付き合う気も、結婚する気もないって断ったんだ…」
ラウルの頭の中に鮮明に浮かぶ、忘れたくても忘れられないあの日の出来事。告白を断ったラウルに、その女性はとても綺麗に笑ってみせた。
『残念です。けれど、きっと直ぐに気が変わってくれると思います』
その笑顔を呑気に可愛いと思っていた自分が情けない、あの時言葉に隠された企みに気づけていればよかったのに。ラウルは三年たった今でも自責し、その記憶は彼を酷く苦しめ続けている。
「…どうなったの?」
「…薬を盛られて…おっ、…犯されそうに」
「…えっ?!」
アメリは想像していなかった事の展開に驚きの声を上げてしまった。その声を別の意味に受け取ったラウルは両手で顔を覆い、言い訳を口にする。
「…自分でも、わかっているんだ!男なのにまだ引きずっているなんて…情けないって…」
女性とまともに目も合わせられず、声をかけられて逃げ出すラウルを同僚は情けないと笑った。悪意はなかったのかもしれないが、その時ラウルが感じた感情を、彼の周りは誰も理解しなかった。それどころか、自分なら食っているのにと楽しげに話すものすらいた。
「…ごめん、こんな…情けない…情けないんだ、私は…」
ラウルはなぜこんなことを見知らぬ女性に話してしまったのかと後悔する。彼女も情けないと笑うのだろう、そう思うとラウルの気持ちはますます沈んでいく。しかし、アメリは彼が予想していたものとは違う反応を見せた。
「…そんなことない。情けなくなんかないわ」
ラウルはアメリの言葉に勢いよく顔を上げる。聞こえた言葉が信じがたくて、ラウルは素直に受け取れずしどろもどろになりながら言葉を続けた。
「そっ、…でも、私は男で…男だから、こんなこと…っ」
「男とか、女とか…関係ないじゃない。あなたは理不尽な暴行を受けたんだから…怖かったでしょう?」
ラウルは目を見開き、言葉を失う。情けないと笑われ、誰にも吐露できなかった感情を言い当てられ、堪えていたものが溢れてしまう。
(…怖かった)
ラウルは自分より一回り以上大きく、獰猛に牙を剥いて襲ってきた魔物など怖くなかった。だというのに、あの時、たった一人の武器も持たない女性が怖かった。
「…そ…う…っ、うぅ…っ」
溢れ出た感情は涙となり、ラウルは体裁も気にせず泣いた。アメリはその姿を笑ったりなどせず、ただその隣で心に寄り添う。
「…怖かったんだ…」
「…うん、そうだね」
「今でも思い出して…っ、もう、酒、飲まないと、女の人に話しかけられないし…」
「…辛いよね」
「もう三年も!勃たなくなったし!」
「…そ、それは…辛い、ですよね」
「辛いっ!女の人怖い!でも女性が好きだ!」
「うん、うん」
「このまま一生童貞なんて、いやだあぁ…」
「…うーん」
酒と感情の暴発でとんでもないことを暴露しているラウルだが、本人は全く気づいていない。
(本当に、辛かったんだろうな…)
アメリは男性特有の悩みについては共感できないものの、ラウルが三年間苦しんでいたことは想像に難くなかった。少し困ったように首を傾げると、アメリは手に持っていたグラスをテーブルにそっと置く。両手で顔を覆い、さめざめと泣くラウルのすぐ隣に移動すると、両腕を広げて彼の頭を抱き、その髪をそっと撫でた。
「…怖かったね、辛かったね」
優しい言葉と声、温かな抱擁にラウルは安堵を覚えた。触れられても震えず、怖くもない。同じ女性だというのに、ラウルにはアメリが襲ってきた女性や同僚の女性らとは全く違って見えた。
(…温かい…)
誰にも言えなかった気持ちを認め、包み込んでくれる温もりに、ラウルの涙が止まる。情けないと笑われ、情けないと思い込んで自分を追い詰めていたラウルを、アメリは情けなくないのだと受け入れた。きつく戒められていた心が解かれていき、ラウルは彼女の胸に顔を埋めて安堵に小さく息を吐く。
(…………柔らかい)
その顔が埋まっている胸の柔らかさに、人生で初めて感じた柔らかさに、ラウルはそこに意識がいった。そして、彼にとっては信じられないことが起きる。
「…た…」
「た?」
「…勃ちそう…」
「えぇっ?!」
三年間、ぴくりとも反応しなかった彼の自身に反応が起こっていたのだ。アメリが腕を離して身を引くと、ラウルは自分の股間に目を向ける。
「…どうしよう」
「えっ?!…どうしようと言われても…」
涙目で自分の股間を見つめるラウルに、アメリは反応に困って視線を彷徨わせた。この流れだ、彼が自分に反応したということはアメリにもわかる。
(…そういう意味…ではないようだけれど…)
ラウルはアメリに目もくれず、ただ自分の股間を凝視している。アメリを誘っているわけではなく、本当にどうしていいのかわからないようだ。二十四年間、女性とそういった関係になったことが一度もない男がそのような誘いなどできないだろう。
(だからって…じゃあ、とはならないわ)
ラウルが三年もの間苦しんでいたことは不憫だと思っているし、このまま一生童貞だと嘆いているのも哀れだとは思うが、それとこれとは話が別だ。しかしそこで、アメリはふとほんの数時間前のことを思い出し、考え直す。
(…いえ、もう私は…一人だもの)
アメリにはもう操を立てる相手はいない。自棄になっている自覚はあったが、自棄でも自分に優しくしてくれたこの不憫な青年を元気にできるのならと、アメリは小さな声で提案する。
「…なら、試してみちゃう?」
ラウルはアメリの言葉の意味をすぐには理解できず、ぽかんと間抜けに口を開いてアメリに顔を向けた。ややあってそれを理解した彼は、食い入るように身を乗り出し、大きな声を上げた。
「い、いいのかっ?!」
「ちょっ、…声が大きいわ…!」
「えっ?!あ、…ごめん」
慌てて両手で口をおさえ、椅子に座り直したラウルの目には希望があった。その少し必死そうな様子にアメリは小さく笑う。
「あなた、いい人だし…私ももう一人になっちゃったから…ね。今夜だけ、忘れさせてよ」
ラウルは三年間の苦しみを、アメリは三年間の思い出を忘れるために。互いに慰めあう、今夜限りの関係だ。
「…お願いします!」
ラウルは立ち上がると、アメリの前に直立して深く頭を下げてた。その様子に目を丸くしたアメリはそのまま彼を眺めていたが、暫くして小さく吹き出す。
「っふ、ふふ。もう…」
雰囲気も何もない、けれどもその必死な様子がアメリには不思議と可愛く思えた。彼女が席から立つと、ラウルは二人分の金をカウンターに置く。
「じゃあ…!」
ラウルはアメリの手を掴み、足早に酒場を出た。アメリは逆らうことなく笑いながら彼に従い、二人は近くの宿に入っていった。
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