立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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本編

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 エスガは口を出すつもりはないようだが、手を出すことは厭わないようだ。見つめ合う二人の間に割って入るように、レアケを後ろから抱きしめる。

「……っ……!」

 舌を失い、言葉を発せなくても、レイフは怒声を上げた。こんな状況になっても、レアケが自分の所有物かのように思っているのだろう。その振る舞いが不快極まりなく、レアケは眉間に皺を寄せる。

「……私は、あなたのものじゃないのよ。そもそも、ものじゃなくて人なんだからね」

 レアケは静かに、けれども怒りを込めた声でそう告げ、自分を抱きしめるエスガの腕にそっと手を添えた。エスガの胸に体をあずけ、甘えるように頬を擦りする。見せつけられたレイフはさらに声を大きくした。

(……私のこと、愛しているわけでもないくせに)

 レアケはさらに怒りを膨れ上がらせ、怒鳴りたくなる気持ちをぐっとこらえる。

 孤独に生きて愛を知らなかった昔のレアケは、レイフの言葉だけの愛にだまされた。だが、いまのレアケにはよくわかる。この男が愛しているのは自分自身だけだ。他者に望むばかりで自らは与えようとしない、それは彼の妻となったブリヒッタに対しても、その息子に対しても同じだった。

「……私、この人の妻になるのよ」

 レアケの言葉にレイフはぴたりと声を止める。信じられないものを見るかのような目でレアケを見つめ、絶望に顔を青くした。レイフも契約を結んだ本人、その契約の性質や脆さを理解しているはずだ。

 契約は解かれてしまった。レイフはすぐに理解したのだろう。レアケに寄り添うエスガが、彼と彼女を結ぶ契約を破壊した男なのだと。自分よりも年若く、英気にあふれた見目麗しい男に、美しい魔女の身も心も奪われたのだと。

(……そう、考えているのでしょうね)

 レイフの考えていることなどお見通しだ。レイフに対して情は微塵も残っていないし、彼のものになったつもりもない。そう思われているのは癪であったが、いくら主張したところでレイフの考えが改まることなどないだろう。

「彼、とてもすてきなのよ。私を愛してくれるし、やさしくて……お上手だし」

「……っ、……!」

「いまだから言えるけれど……あなたって乱暴で、なにやったって痛くて、最低。本当に、本っ当に、嫌だったわ!」

 改まらないのなら、それを利用するまでだ。自己愛と独占欲の強いこの男にはこれがもっとも屈辱的で効果的な罵倒だろう。

「……っ、……っ」

「あら、ばかねぇ。私は魔女よ? ぜーんぶ幻だったのよ。あなた、幻相手に一人で楽しんでいたの。気づかなかったの?」

 レアケはレイフに背を向けると、エスガの背に腕を回して抱きついた。エスガはレアケの意図を察したのか、彼女をしっかりと抱き返す。

 これはレアケの復讐の一環だ。エスガはレアケを大事そうに抱き、彼女の髪に軽く唇を寄せる。見せつけられたレイフはわなわなと震え、鉄格子を強く握りしめた。

「あなたは一人で、地獄に堕ちて」

 魔女をだまし、多くのものを犠牲にし、長い時間をかけてこの国の頂点にのぼりつめた男は、たった数時間ですべてを失い転落した。最後の頼みの綱である魔女に背を向けられた彼には、これまですすってきた甘い蜜の代償として地獄を見るだろう。

「私は地獄に堕ちるそのときまで、この人と生涯を共にするわ。さようなら、レイフ。もう会うこともないでしょう」

 レアケはそう告げると、そのままエスガとともに地下を出ようと歩き出す。後ろからは悲痛な叫び声と鉄格子を叩く音が聞こえるが、レアケが後ろを振り返ることはなかった。

「……いい気味よ、ざまはないわ」

 さんざん苦しめられてきたレイフの絶望に塗れた表情に、レアケの胸はすいた。レイフがひどく苦しんだところで自分の身に起きたことは変わらないし、やってきたことも変わらない。けれど、胸がすく思いはレアケを少し励まし、顔を上げさせた。

「……魔女さま、大丈夫?」

 エスガがレアケの手に触れる。レアケは無意識に強く手を握りしめていたことに気づき、触れた手から伝わる温もりを感じてゆっくりと力を抜いた。

「……うむ。エスガ、すまぬのう」

「いいえ、あなたのお役に立てたのなら良かった」

「エスガ……」

 レアケはやさしげにほほ笑むエスガを見上げる。そのまましばらく見つめ合っていると、だれかが軽く咳払いをする音が聞こえた。

「二人で盛り上がっているところ、悪いのだがな」

「……悪いと思われるのでしたら、少し黙っていていただけませんか」

「そうもいかないことは、おまえの頭でもわかるだろう」

 割って入ったエルフレズにエスガは顔を顰め、レアケはエルフレズへと向き直った。

「魔女殿の身柄を、しばらく拘束させてもらう」

 エルフレズの言葉にエスガは目を見開いて驚いたが、レアケは逆らう気はなく大人しくうなずく。元から、このままここで解放されるとは思っていなかった。

「うむ、もちろんだ」

「エルフレズ、なんでっ」

「エスガ、話を最後まで聞け。いい加減、落ち着いて考えることを覚えろ」

 ぴしゃりと言いつけられ、エスガは返す言葉なくうなる。唇を尖らせたエスガは大人しく口をつぐんだ。

(……やっぱり、エスガはエスタね)

 レアケはその姿に、エスタが調理に失敗して作り出した真っ黒になったなにかを前にすねている姿を思い出した。エスガがたまらなくかわいく見えたレアケは慰めるように彼の頭をなでる。

「しばらくは、魔女殿をあの塔に幽閉させてもらう」

「ふむ……あそこでよいのか?」

「元々、あの塔はそういった用途のためにあるものだ。それに、魔女殿相手では拘束場所など、どこでも同じだろう」

 魔女であるレアケを無理やり囚えておくことなどできないと、エルフレズは理解しているのだろう。レイフにそれができたのは、レアケが自ら首輪をはめたからだ。

 エスガが使った魔力封じの魔法を使えば、魔女を一時的に抑えつけることはできる。だが、それを扱えるのは生み出したエスガのみ。その上、たった一時間ほど抑えるだけで膨大な魔力を費やしたエスガはすでに、もう一度使えるほどの魔力を残していなかった。そもそも、レアケを助けるためにそれを生み出したエスガが協力するはずもない。

「態々効果のない拘束場所に人員をかけるより、慣れた場所で大人しくしてもらう方が良い」

「合理的だのう」

 人目につかない、住み慣れた場所に魔女を押し込めておけば人手もかからず、むだが省ける。拘束といいつつも実際は自粛なのだから、機嫌を損ねて逃げられないためにも最善の選択だ。

「なら、私が監視と侍女代わりに一緒にいます」

 そこでエスガが声を上げると、エルフレズが片眉を上げた。しばしの沈黙の後、エルフレズは苦い表情でゆっくりと口を開く。

「……エスガ、その歳で侍女の服を着るのか?」

「ばかじゃねえの、着ねぇよ!?」

 以前は少女のように見えたエスガだが、いまはどこからどう見ても成人男性だ。さすがにいまの姿で侍女の服は厳しいものがある。

「それは、少し見てみたいのう……」

「いや、さすがに……」

「だから、着ねえよ!」

 すでに脳内でその姿を想像しているレアケとエルフレズに、エスガは真っ赤な顔で大きな声を上げた。
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