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人が生きていくには
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かつては農業という産業があった。広大な土地で植物を育てたり、家畜を育てたりして食料を生産する産業だ。
しかし、フードプリンターの登場で農業は無くなり、かつてあった広大な農地は森林や草原、湿地帯に変貌し、今では自然保護区となって人間の出入りは厳しく規制されている。
私達が入ったのは、そんな自然保護区の一角。ここで私達は鴨と、かつては人に飼われていたが農業消滅後に野生化した和牛を狩る予定だった。
だけど……
「おい……大丈夫か?」
地面に踞っている私に、朝霞は心配そうに声をかけてきた。
「ごめんなさい。理性では分かっているのですけど……」
分かっているけど、涙が止まらない。さっきまで、楽しそうに空を舞っていた鴨さん達の死体を目の前にしては……
ごめんなさい。鴨さん。私のお仕事のために殺しちゃってごめんなさい。
「まいったな。俺、女の涙は苦手なんだ……環境省の奴ら、ここで君が泣けば俺が狩猟を諦めると思っていたようだな」
え?
「奴らの思い通りになるのは癪だが、ここは諦めよう」
「だめです。まだ和牛が……」
「すまん。動物を殺すのは平気だが、女を泣かせる罪悪感には耐えられない。帰ろう」
「泣きません。もう泣きませんから、続けて下さい」
そして一時間後。
和牛の遺体を前に、私は号泣した。
ごめんなさい! 牛さん。私の仕事の犠牲にしてごめんなさい。
朝霞さん。泣かないって言ったのに、泣いちゃってごめんなさい。
「落ちついたかい?」
ようやく泣きやんだ私に、朝霞さんはマグカップを差し出してくれた。
「はい」
マグカップから漂うラベンダーの香りが私の鼻腔をくすぐる。
「鎮静作用のあるハーブ茶だ」
この人、意外と優しいのね。
「本来、人が生きていくには、他の生き物を殺さなければならない。それは分かっているな?」
「はい」
頭では分かっていた。人は、他の生き物の犠牲なしには生きてはいけない。
分かっていたけど、実際に生き物を殺すという事がこんなに残酷な事だなんて……
「すみません。足を引っ張ってしまって」
「気にする事はない。それに、俺は動物の死体を前に平然としている女より、涙を流す女の方が好きだぜ」
え? それどういう?
「ああ! 勘違いするなよ! そういう意味じゃないから」
「わ……分かっていますよ」
なによ! 紛らわしい。一瞬ドキドキしちゃったじゃないの。
「まあ、正直言うと、あんたには感謝しているんだけどな。こんな事でもなかったら狩猟許可は下りなかったし……」
「そうなのですか?」
「だから、足でまといだなんて思わないでくれ。ところで、しばらくこれを預かっていてくれないか」
え?
彼が差し出したのは猟銃だった。
「なんでこんな物騒な物を……」
「君の役割は、俺が予定外の動物を殺さないか見張る事だろ。俺の手元に猟銃がなければそんな事はできない」
「ですから、私がずっと近くで朝霞さんを見張っていれば……」
「俺はこれから、和牛の解体作業をやるのだが、見たいか?」
「う」
「分かったら。猟銃を抱えて、岩陰にでも隠れていてくれ」
私は言われるままに岩陰に逃げ込んだ。
しかし、フードプリンターの登場で農業は無くなり、かつてあった広大な農地は森林や草原、湿地帯に変貌し、今では自然保護区となって人間の出入りは厳しく規制されている。
私達が入ったのは、そんな自然保護区の一角。ここで私達は鴨と、かつては人に飼われていたが農業消滅後に野生化した和牛を狩る予定だった。
だけど……
「おい……大丈夫か?」
地面に踞っている私に、朝霞は心配そうに声をかけてきた。
「ごめんなさい。理性では分かっているのですけど……」
分かっているけど、涙が止まらない。さっきまで、楽しそうに空を舞っていた鴨さん達の死体を目の前にしては……
ごめんなさい。鴨さん。私のお仕事のために殺しちゃってごめんなさい。
「まいったな。俺、女の涙は苦手なんだ……環境省の奴ら、ここで君が泣けば俺が狩猟を諦めると思っていたようだな」
え?
「奴らの思い通りになるのは癪だが、ここは諦めよう」
「だめです。まだ和牛が……」
「すまん。動物を殺すのは平気だが、女を泣かせる罪悪感には耐えられない。帰ろう」
「泣きません。もう泣きませんから、続けて下さい」
そして一時間後。
和牛の遺体を前に、私は号泣した。
ごめんなさい! 牛さん。私の仕事の犠牲にしてごめんなさい。
朝霞さん。泣かないって言ったのに、泣いちゃってごめんなさい。
「落ちついたかい?」
ようやく泣きやんだ私に、朝霞さんはマグカップを差し出してくれた。
「はい」
マグカップから漂うラベンダーの香りが私の鼻腔をくすぐる。
「鎮静作用のあるハーブ茶だ」
この人、意外と優しいのね。
「本来、人が生きていくには、他の生き物を殺さなければならない。それは分かっているな?」
「はい」
頭では分かっていた。人は、他の生き物の犠牲なしには生きてはいけない。
分かっていたけど、実際に生き物を殺すという事がこんなに残酷な事だなんて……
「すみません。足を引っ張ってしまって」
「気にする事はない。それに、俺は動物の死体を前に平然としている女より、涙を流す女の方が好きだぜ」
え? それどういう?
「ああ! 勘違いするなよ! そういう意味じゃないから」
「わ……分かっていますよ」
なによ! 紛らわしい。一瞬ドキドキしちゃったじゃないの。
「まあ、正直言うと、あんたには感謝しているんだけどな。こんな事でもなかったら狩猟許可は下りなかったし……」
「そうなのですか?」
「だから、足でまといだなんて思わないでくれ。ところで、しばらくこれを預かっていてくれないか」
え?
彼が差し出したのは猟銃だった。
「なんでこんな物騒な物を……」
「君の役割は、俺が予定外の動物を殺さないか見張る事だろ。俺の手元に猟銃がなければそんな事はできない」
「ですから、私がずっと近くで朝霞さんを見張っていれば……」
「俺はこれから、和牛の解体作業をやるのだが、見たいか?」
「う」
「分かったら。猟銃を抱えて、岩陰にでも隠れていてくれ」
私は言われるままに岩陰に逃げ込んだ。
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