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エトワーテル辺境伯領

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「兄上。」

馬車に乗って少し経つとキルシュが馬車の扉を開ける。

私と同じストレートの黒髪は少し巻かれ、縛られた髪も柔らかな雰囲気だ。
そこに高価な黒い生地に金糸がよく映えている。
彼のそのアンバランスさは、より一層私の目を釘付けにした。

天使だ...。
もしくは私の目を奪う美しい悪魔か。

「今日は同行することをお許し頂き、ありがとうございます。」

キルシュは私の正面に座ると、そう切り出した。

大きな馬車と言えど、足を少し伸ばせばキルシュの足がある。

「誘ったのは私だ。気にするな。」

私はこの状況を深く考えないよう会話をする。勿論口調を崩すことはしない。

キルシュには優しく接したいけど、それは馬車が出発してからにしなくては。

早く出発してくれないかな。

そう思ったと同時に、ガルムの鳴き声が聞こえた。馬車が動き出す合図だ。

私は動き出した窓の外を眺める。

さて、どんな話しをしようか。

まずは容姿を褒める?
はたまた全く違う話をしようか。

私はそんなことをぐるぐると考えて、一向に口を開けない。

そこで自分が緊張していることに気づいた。
心臓が音を立てて動き、頭の中をたくさん血が巡っているにもかかわらず、頭は回らず、いい話も思いつかない。

なんて厄介なのだ。兄弟と話すだけだと言うのに。

「兄上はどうして僕を誘って下さったのですか?」

何も話さない私に、キルシュの方が話しかけた。

不甲斐ないが、話しかけてもらえたことがうれしい。

「フィーリネ学園は高等学校でもあるが、高等学校を卒業した人が入学する学園、大学でもある。」

大学。それは数十年前から出来始め、世界規模でいくつか建てられている教育機関だ。

大学の存在を知るものはまだ少なく、この国も大学はフィーリネ学園だけ。

「キルシュが高等学校を卒業した後、勉学に力を入れたいと考えればフィーリネ学園に入ることになるだろう。見ておいて損することはない。」

「そうでしたか。」

その顔になんの感情も乗せず、キルシュはそう答える。

それが何となく寂しい。

「...あと、私がキルシュと行きたかった。」

思えばそんな本心が口から滑り出ていた。

普通の兄がこんなことを言うとは思えないが、私とキルシュは夜の自室で、だっ抱き合うくらい仲良しだし、問題ないと思いたい。

私の言葉を聞いたキルシュは目を見開いて驚いていた。

無表情は崩れたが、その反応はいいのか悪いのか分からない。

「そんな理由では納得できないか?」

馬車のスピードが出て、会話を聞けるものがいなくなったことを確認してから、尋ねるように聞く。

するとキルシュは少し目を泳がせて、少し俯いた。

どうしよう、好意をストレートに伝えすぎてしまったかもしれない...。

「いえ、とても嬉しいです。」

私の心配を余所にそう言ったキルシュは耳を赤くして、こういうのは慣れないというように笑っていた。

かわいい~~~!

「そう言って貰えるとこちらも嬉しい。」

私があたかも余裕があるように微笑みかけると、キルシュはまた驚いた表情をしたあと、私の目を見つめたまま笑みを深めた。

顔を見たいと言ったのは私だけど、かわいすぎてつらいので目を離してもいいですか...。

しかしこの笑顔は私に向けられたもの。

今まで隠れて見てきた笑顔ではなく私に向けられたもの。

それがとても嬉しい。

嬉しくて、嬉しくて、触れたくて。

私はキルシュの顔に少しかかった髪に手を伸ばした。

膝も触れそうな距離だ。伸ばした手は少し前に出せば簡単に艶のある黒い髪に触れた。

キルシュはその様子を固まりながら様子を見ている。

その様子がとてもかわいくて、整えた後も綺麗にウェーブを描いている髪をセットが崩れないよう注意しながら触れる。

「兄上...?」

「とても似合っている。」

その言葉にキルシュはぴくっと動いた。

私は言葉を続けようと口を開くが、なんと言えばいいか迷う。

屋敷で見たときから私の目はキルシュしか写さなくなってしまった、なんてセリフはまんま恋してしまったと言っているようなものだ。

嘘はいけない。だって私はそのずっと前からとっくに...んん。

兎に角、そういうものではなく弟に向けて言うものでなくては。

私は少し考えて続ける。

詩的にしようと思っているから駄目なのか。

私はキルシュの髪を少しだけ取り、優しく触りながら目を見た。

「キルシュの穏やか雰囲気をよく表している。」

それを聞いたキルシュは眉を八の字にして困ったように笑った。

それを見てふと学校でのキルシュの様子の報告を思い出した。

そういえばあまり表情が豊かではなく、常に冷静な様子だと言っていたか。

キルシュはそちらを言われ慣れているのだろう。自他ともに認める冷静さ。
それを裏付けるように、目の前のキルシュは私の言葉を素直に受け止めてくれないようだ。

その報告を聞いたときは、自分に似ていくキルシュに暗い気持ちになった。

でも今後はそんな気持ちになることは無いだろう。

「本当のことだ。」

私がキルシュを見つめたまま言えば、キルシュは笑うことをやめて本当に困ったように目を逸らした。

ああ、本当に。なんて表情が豊かなのだろう。

私は愛おしい弟に視線を固定したまま、キルシュの言葉を待つ。

「...僕は最近自分の気持ちに戸惑ってばかりです。今まで僕は周りから冷静な人だと思われ、僕自身もそう思っておりました。
しかし僕の中にとても大きな敬愛の気持ちがあることに気づき、ついこの間は、自分は意地悪なのかもしれないと思うときがありました。」

敬愛、意地悪。なんだそれは。

敬愛はいい。一旦置いておこう。

自分を意地悪だと思うときは意地悪をしたときしかないだろう!えっ、この世にキルシュから意地悪された人がいるの...?

ずるい!そう続けそうになる前に自制する。こんなの、ただの嫉妬だ。嫉妬できる仲ではないことは重々承知だ。しかし私だってそんなキルシュが見たい...。

涼しい顔の中で葛藤をしていると、キルシュは話を戻そうと前を見た。つまり私と目が合った。

「自分を冷静であると思っていた時ならば、穏やかだと言われればそう取られる行動をしたときがあったのだろうと思えたでしょう。
しかし今は自分自身がそのような人だとは思えないのです。」

私の言葉を否定したキルシュは少し居ずらそうにしている。

「キルシュがそう思うのならそうなのかもしれんな。」

私はそんなキルシュの言葉を肯定する。

なぜかって?かわいいキルシュが白と言えばそれは白なのだ。

「だが私はキルシュといるときとても穏やかな気持ちになれる。居心地がいい。少なくとも騒がしい人といるときはそう思わないな。」

でもこれだけは言っておかないとね!!

私の言葉に少し間を開けてキルシュは嬉しそうに微笑んだ。

それを見て思わず首を傾げそうになる。

私はこういう話は他人がどうこう言ったところでそう簡単にどうにかなるようなものでも無いと思っている。
だからこそキルシュはまだ悩むのだろうと思っていた。

私の訝しげな視線を知ってか知らずか、キルシュは口を開いた。

「兄上にとってのそのような存在になることが出来て光栄です。」

その言葉に今度は私がキルシュの視線から逃げるように外を向くことになった。
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