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 トリスタン様が去っていく。
 再び静かになり、棚の補充をしようと思ったところで。

「ルミナ」
「殿下!」

 エルムス殿下がアトリエにやってきた。
 走ってこられたのか、少し呼吸が乱れている。

「入れ違いか」
「もしかして、私を助けるために来てくださったんですか?」
「まぁな。精霊たちが教えてくれた。トリスタンに先を越されたか」

 殿下は少し残念そうだった。
 私は嬉しくて、笑みがこぼれる。
 殿下はいつも、私のことを見守ってくれている。
 今だって忙しいはずなのに。

「ありがとうございます」
「俺は何もしてないよ」
「いえ、殿下が見守ってくれている……そう思うと安心です」
「――そうか」

 心からそう思う。
 カランカランとベルが鳴る。
 新しく数名、お客さんが入ってきた。
 何人かは殿下に気づく。

「邪魔しちゃ悪いな。俺は戻るよ」
「はい。ありがとうございました!」

 殿下が去ろうとする。
 私の無事を確認して、安心した横顔で。
 きっと気を抜いてしまったのだろう。
 彼の背後に、ナイフを持った男性が近づく。
 奇しくも私が、それに気づいた。

「危ない!」
「――!」

 他に方法は浮かばなかった。
 私は走り出し、殿下を庇うように押しのけた。
 突き出したナイフは、代わりに私のお腹に刺さる。

「ぅ……っ……」
「ルミナ!」

 殿下が慌てて駆け寄る。
 犯人は慌てて逃走していく。

「殿下……人が……」
「そんなことは後でいい! 傷を早く……誰でもいい! 運ぶのを手伝ってくれ!」

 殿下が慌てている。
 痛い。
 寒い。
 意識が……遠のいていく。

  ◇◇◇

 痛みと振動で目が覚めた。
 どこだろう?
 白い天井はアトリエではない。
 
「安心して! 私が必ず助けるわ」
「頼む」

 聖女様の声だ。
 温かくて優しい光が私を包む。
 一緒にいるのはエルムス殿下とトリスタン様だった。
 そうか、ここは執行部の医務室。
 運び込まれた私は、聖女様の力で治療を受けていた。

「俺が油断したからだ……」
「お前のせいじゃねえ。警備はオレの担当だった。オレのミスだ」
「違う。あの男は俺を刺そうとした。それを庇って……」

 苦しそうな顔だった。
 初めて見る。
 こんなにも辛く苦しい表情をする殿下は……。

「俺のせいだ。また俺のせいで……」
「エルムス」
「勝手に決めつけないで。私が助ける。死なせないわ」

 二人の声も殿下には届いていないように見えた。
 かつてのトラウマが殿下を苦しめている?
 私が傷ついたせいで、殿下が悲しそうだ。
 どうしてだろう……嫌だ。
 そんな顔をしないでほしい。
 私の前で、悲しい顔をしないで。
 
 どうすればいい?
 私はどうしたら、殿下を笑顔にさせられる?
 今の私にできることは……。

「ルミナ?」
「大丈夫……ですよ」

 私は精一杯の力を振り絞り、落ち込んでいる殿下に手を伸ばす。
 殿下は私の手を握ってくれた。

「私は……どこにも行きませんから」
「――!」

 今の私にできること、言えるのはこれくらいだ。
 どこにも行かない。
 勝手にいなくなったりしないと。
 ほんの少しでもいいから、殿下に安心してもらいたかった。

 殿下の瞳から、涙がこぼれる。

「――ありがとう」

 ぎゅっと握りしめた手は温かくて、心地よかった。
 私は再び眠りにつく。
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