【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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episode9

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 栄えあるレグナエラ王国の前線基地は、半島の西南端にある都市ユノスにも設置されていた。貝から抽出された染料や、山麓で取れた蜂蜜やらの山積みされた物資に取り囲まれて、デリムは駐在する兵士らから話を聞いた。

 ここではソリス王の金印が役に立ち、供も連れずにずかずかと入ってきたデリムを最初は不審者扱いしていた兵士達も、彼の身分に納得してからはむしろ喜んで相手を務めた。

 「あんたを派遣するぐらいなら、王様も何か手を打つつもりなんだな」
 「いやいや、いくら名君の誉れ高いソリス王様でも、あんな怪物はどうにもできまい」
 「おめえ、見ただか」
 「いんにゃ、見てねえだ」

 デリムは兵士達の話に口を挟まず、黙って聞いていた。兵士達は都市の治安を守る役も兼ねていて、誰かが戻ってくると他の誰かが基地を出て行った。中には市民から揉め事を仲裁して欲しいと呼ばれて出て行く者もあった。

 「何でもイルカを食っていた、という話を聞いたぞ」
 「魚神の使いをか? 信じらねぇな」
 「でもあんた、怪物の話を聞きたいなら、ここじゃなくて、グーデオンに行った方がいいよ。あの辺で、怪物を見たという人間がいる、という話を聞いたことがあるから」

 仲間内で好き勝手に話していた兵士の一人が、急にデリムに話しかけた。他の兵士もその言葉に頷いた。

 「そうそう。ロータス川を遡ったところにもいた、という話も聞いたぞ」
 「ロータス川の上流には、最近見慣れない奴らが住みついているらしいな」
 「今年は変な天気が多いのも、そいつらのせいに違いない」
 「こう天気が不順になると、オリーブはともかく、葡萄や豆の出来が心配だな」

 兵士達は怪物の話から他の話題に移っていった。デリムは礼を言って席を立った。手の空いている兵士達は、人懐こく見送ってくれた。

 デリムはユノスを抜けて人影が途絶えた道を、ひとり歩き続けた。
 死の神の力をもってすれば、一瞬でグーデオンまで到達することも可能であり、現にこれまではそのようにして半島を回ったのであった。

 彼は今、自分の足で海岸沿いに歩いていたが、それでも並みの人間が歩くよりは遥かに速かった。彼の右側には青々とした海原が広がり、左側には白っぽい丘陵が連なっている。足元には波に洗われる白い砂浜が遠くまで伸びていた。陸にも海にも怪物らしい姿はない。ただ、丘陵の向こう側から黒い雨雲が立ち上りつつあった。

 「雲か?」

 デリムは足を止めて丘陵の向こう側をもう一度観察した。雲にしては固そうだった。そして、雲につきものである精霊の姿がなかった。デリムの姿が砂浜から消えた。次の瞬間、彼は丘陵の向こう側に到達していた。

 やはり雲ではなかった。黒ずんだ灰色の滑らかな皮膚を持つ、巨大な怪物がそこにいた。

 魚や鳥が島と間違えるのも無理はない、岩柱のように真っ直ぐに天に向かって伸びていた。
 それは周囲を取り囲む丘陵よりも高い。今までデリムに気付かれなかったのが不思議なくらいだった。
 全体には人間に似た形をしている。胴体から直接頭が生えているのか、頭がないのか、顔の造作は判別できない。ただ天辺に近いところに、口のような黒々とした空間が開いているだけである。

 下半分は二股に分かれていて、二本の足のように動いている。口の下の両側から一本ずつ腕が生えていて、腕の先は指のようにそれぞれ五本に分かれていた。肩がなく、頭から直接生えているようにも見える。腕の先は、ゆっくりとした動きながら、何かを追って掴もうと努力していた。

 指の間を擦り抜けるようにして、野兎の親子が走っていた。腕の向こうには、逃げる動物達を指揮する人物の姿が見え隠れしていた。その人物は豹の頭を持っていた。地面から、黒い縮れ毛の長髪と黒色の肌を持つ人物がせり上がってきた。

 「獣神よ、手伝いに来たぞ」
 「おう、地神よ。有り難いことよ」

 地神はデリムに気付いた。

 「あんなところに人間がいるぞ。可哀想に、何が起きているのかわからないのだろう。あれも避難させてやれ。怪物を食い止める方は任せよ」

 獣神もデリムを見た。

 「わかった。頼むぞ」

 デリムは青銅の剣を抜き放ち、神々に聞こえるような大声を張り上げた。

 「アニマリス、私に構わず獣達を避難させよ。私はユムステルと共に戦う」

 地神と獣神は互いに顔を見合わせた。一頭の山羊が怪物の指に絡め取られた。ゆらりと腕が上昇を始めるのを見、獣神は慌てて動物達の避難の指揮に戻った。地神は持っていた杖をかざし、怪物に突進した。デリムも抜き身の剣を構えつつ怪物に駆け寄った。そして怪物の足に斬り込んだ。同時に、地神も怪物の足を杖で打った。
 がしっ、と硬いもの同士がぶつかる音がした。

 岩のように見えた黒ずんだ灰色の肌は、青銅の剣を抵抗もなく受け入れた。出てきた時には柄だけが残っていた。

 デリムは掌に残った剣の柄と怪物の足を見比べ、地神を見た。
 地神が打ち込んだ杖は長さを変えずに地神の手にあった。デリムは、残った柄をそっと怪物の足に押し当てた。
 水中に差し入れるよりも簡単に、柄はデリムの指先まで怪物の足に呑み込まれた。
 デリムは柄から手を離した。柄は怪物の足に刺さったまま、頭だけを出していたが、すぐにぽろりと地面に落ちた。中に入っていた部分は消えていた。

 怪物の足が上がり、腕が地面に伸びてきた。速度が上がっていた。
 デリムは走って怪物の背後に回った。怪物の足跡があった。芽生え始めた草木が、削り取られたように綺麗に消えていた。地面に落ちている石はそのままにあった。

 怪物の手が片方の足を掻き、再び上昇した。足は一歩前へ踏み出された。
 動物達は無事避難を終えて周囲から消えていた。獣神も一緒にどこかへ去っていた。

 怪物の周囲にあるのは、地神とデリムと、逃げられない草木だけであった。地神は杖で怪物を繰り返し叩いていたが、怪物が足を持ち上げると飛び退き辺りを見回した。怪物は足を手で掻いた後、また一歩踏み出した。

 「大地を守る地の精霊よ。死の神が名のもとに、契約により汝らの存在を知るデリムが命じる。おのおの持てる岩をもて、我が前にある怪物を撃て」

 デリムが身振りを終えて両腕を振ると、腕の動きに合わせたように地面から地の精霊が岩を従えて飛び出し、ばらばらと怪物に岩をぶつけた。怪物が口を開けた。幾つかの岩が吸い込まれていった。地の精霊も吸い込まれた。その他の岩は怪物に当ってばらばらと落ちた。怪物は両腕で煩そうに体を掻いた。

 「ううあ、デリム」

 怪物の口から、精霊の言葉が出た。地神がぎょっとした様子で反射的に前へ出て、杖で足を打った。杖は怪物の足にめり込んだ。
 慌てて地神が引き抜く。杖はもとの形を保っていた。しかし、怪物の足は杖がめり込んだと思しき周囲から、輪郭がぼやけてきた。

 怪物の輪郭が滲み、滑らかな肌は徐々に霧状に分解され、黒ずんだ霧が薄れ、やがてそれも消えた。後には怪物の足跡だけが残っていた。デリムは地神に近付いた。すると、地神はデリムの前に跪いた。

 「立ちたまえ、ユムステル殿。私はデリムという者だ。跪く必要はない」

 地神は立ち上がったものの、うやうやしい構えを崩さなかった。

 「もしやデリム様は我らが生みの神ではないかと察します。我が名ばかりでなく、獣神アニマリス殿の名までご存知のこと、そして我が配下である地の精霊を自由に操る契約を、デリム様と交わした覚えはございませんので」

 デリムは苦笑して頷いた。

 「如何にも、お前の推測は正しい。私は死の神だ。今の怪物を調べるために、人間のなりをしている。ところで、ユムステルが怪物と渡り合うのはこれが初めてなのか」
 「はい。水神から話を聞きまして気にかけていたところ、たまたま近くにおりましたものですから。あれは消えましたが、果たして我らは退治できたのでしょうか」

 地神とデリムは申し合わせたように周囲を見渡した。草木が消失した怪物の足跡は停止状態から二歩までしか残っていない。唐突に現れて、唐突に消えたのであった。デリムは首を振った。

 「いや、消えただけだろう。ユムステルの大地の杖は有効な武器になるようだが、まだ工夫の余地がありそうだ。もう暫く手合わせしてみる必要がある」
 「それならば、どうかこの杖をお使いください」

 地神は持っていた杖を差し出した。デリムは手を振った。

 「それがなければ、仕事に差し支えるだろう」
 「ご心配なく。先ほどの戦いで、デリム様は武器を失われました。この先、怪物と戦うのに、通用しない人間の武器など、新たに用意するだけ無駄になりましょう。この杖は、デリム様がお持ちになられた方が、役に立つと思われます」
 「では、有り難く受け取ろう」

 デリムは地神から大地の杖を受け取り、くるりと一回転させた。すると杖はぐんぐんと長さを増し、両端に穂先のついた双槍に変化した。地神から感嘆の吐息が漏れた。

 「ところで、火神と風神がこのところ仕事を怠けているようだが」

 急に話題を転換させたデリムに、地神は戸惑った眼を向け、黒い瞳をしばたかせた。

 「もうお耳に入れられましたか。私も少々困惑しているところです。人間達は作物の出来について心配し始めておりますが、今のところ全体的な季候には影響は出ておりません。ただ、トリニ島の火の番が私だけでは難しいものですから、それだけは対策をお取りいただければ有り難く思います」
 「うむ、手を尽くそう」
 「有難うございます。水神の話では、火神たちは、近頃南方の海辺りにいることが多いそうです。それでは、道中ご無事をお祈り致します」

 地神は一礼し、デリムが頷くのを確認してから地面に沈んで行った。
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