千里香の護身符〜わたしの夫は土地神様〜

ユーリ(佐伯瑠璃)

文字の大きさ
1 / 39
土地神さまと狐の舞

1、狐の舞

しおりを挟む
「春には土地神とちがみ様が大地に栄養をくださり、夏には鳴神なるかみ様が大地を目覚めさせ、秋には風師ふうし様が疫病を払い、冬には水伯すいはく様が清らかな水を蓄えてくれるの。
 この国は昔から神様に守られてきたわ。だからわたしたちはいつも心に感謝の気持ちを持たなければならない。朱実あけみ、ありがとうの気持ちでこのお面をつけるのよ」
「はい! あけみも大きくなったらお母さんみたいなキツネさんになる」
「朱実ならきっと、素敵な狐の舞を踊れるわ」
「ねぇ、あけみからもキンモクセイの匂いが出る?」
「朱実はお鼻がきくのね。そうねぇ、朱実はどんな匂いが出るかしらね……」

 母からはいつもかすかに、金木犀の香りがした。


 ◇◇


 多田羅町たたらちょう鎮守の杜には神社がある。
 その名を多田羅神社。
 人口およそ一万人の小さな町にあるこの神社は、江戸時代中期から続く由緒ある神社だ。
 周囲を山々に囲まれたこの町の四季はとても素晴らしいものだ。春には野草が芽吹き命の輝きを放ち、夏は緑が煌々と反射して生きとし生けるもの全てに活力を与えた。秋には稲穂が黄金色に実り人の胃を満たし、冬は真白の雪に覆われて静かに年の終わりを迎える。自然に恵まれたこの町の人々は豊かな心をもって暮らしていた。
 言い伝えでは、この町には神が降りてくるそうで、多田羅神社では四季折々の神事が執り行われていた。
 その度に神渡りがあり、お陰様でこの町は繁栄してきたのだ。

 しかし、それが近頃どうもおかしい。

『今日は大陸からの高気圧が大きく張り出し、全国的に秋晴れとなるでしょう。お洗濯日和ですね』

「秋晴れかぁ……今にも降り出しそうなお天気ですけど?」

 賢木朱実さかきあけみは多田羅神社の宮司の娘だ。まもなく19歳になる。母は朱実を産んでから病死した。以来、父と二人でこの神社を支えながら生きてきた。
 朱実の名は母である舞衣子がつけたそうだ。真っ赤に染まる南天の赤い実からとった。難を転じ、闇を照らす希望の灯となるようにと。

「来月には五穀豊穣の大祭があるのに、祈る前から雲行き怪しすぎるじゃない」

 朱実は巫女として舞を踊り神に祈りをささげる。まもなく秋の大祭が行われる予定だ。
 しかしここ十数年、多田羅町の空はすっきりとしない。雲に覆われるどんよりとした日が年間の半分を占めるようになった。日照数が足りないせいで作物の状態もよくない。自慢だった米も、最近は中の下で安価でしか売れなくなった。生計のため若者は家業を継ぐ事を諦め、そのせいで人口流出も止められなくなった。
 何かがおかしい。
 多田羅神社の氏子の代表は頻繁に会合を開くようになっていた。

 そんなある日のことだ。
 朱実はお茶を盆に乗せ、社務所の広間に入った。今日も氏子たちが話し合いをしているのだ。

「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
「おお、ありがとう朱実ちゃん。すっかり美人さんになって、ますます舞衣子さんに似てきたね」
「そんなに母に似ていますか?」
「うん。いいお婿さんがくるんじゃないかね」
「もうっ、松永さんてば。あまりおだてないでくださいね~」

 松永は多田羅町で松乃家という旅館を営んでおり、氏子の代表でもある。

「宮司もそろそろ、この寺の後継者のことを考えてもらわんと。朱実ちゃんに婿をとるか、養子をもらうか。最近、神社庁の方から通達があったと聞きましたよ」
「ええ、まあ」

 神社庁は各地にある神社を取りまとめるところであり、人員不足による職員の配置や神社のあり方、財務や神職の指導などを仕事としている。文部科学省の管轄になるが政府の機関ではない。

 宮司で朱実の父である賢木柊二さかきしゅうじは、ため息混じりに返事をした。実は朱実の父は婿養子である。朱実の母は兄弟がいなかったので、隣町の神社を守る二男の柊二を婿として迎え入れたのだ。

「あっ、そうだ! 次の日曜日に、和寿かずとしおじさんとこのお祭りで巫女をしないといけないんですよ。大丈夫ですよね?」

 重い空気が苦手な朱実は話の途中で切り出した。眉間にシワを寄せていた父が助かったとばかりに顔を上げる。

「ああそうだったね。くれぐれも舞の手順を間違えないように。狐の面はあとで私がお祓いをしておこう」
「お願いします。神社は助け合いですもんねっ」
「まったく朱実ちゃんは、人気者で困るよ。多田羅うちの大祭を忘れちゃいないだろうね」
「まさか!」
「その顔。朱実ちゃんは本当に、あはははは」

 朱実が少し大袈裟に目を見開いて心外だわと憤慨してみせると、笑い声が部屋に響き渡った。
 朱実の目に映る年老いた氏子たちのシワシワの笑い顔と、父の困ったように眉を下げて笑う顔がいつもの多田羅町の顔だ。

(この笑顔を絶やしたくないなぁ)


 ◇


 椎野町、椎ノ宮しいのぐう 神楽殿

 シャリン シャリン ドン ドン シャランシャラン

 禊ぎを終えた巫女たちが正装の千早をまとい、神楽殿の前に現れた。頭飾りは巫女の額を覆うほど垂れ下がった稲穂である。神に作物の豊作を感謝する意が込められている。毎年、地域から選ばれた小学校高学年の女児数名が五穀豊穣の舞を踊るのだ。
 その舞が終わると可愛らしい巫女たちが二手に別れ神楽殿への道を作った。
 そこに現れたのが朱実である。
 他の巫女たちとは少し異なる装いをしている。通常であれば白衣に緋袴を穿き白地に縁起物の絵があしらわれた千早を羽織るのだが、朱実の舞の装束は違う。
 白の襦袢の上に白衣ではなく深紅の衣を着て、同じく緋色の袴をつける。そして真白の汗杉かざみを身にまとっていた。
 本来、汗杉かざみは童女が身につける夏の礼装と言われている。神に舞を捧げる者は純潔であるほうが好ましく、それを証明するためだそうだ。現代はそうであるかよりも、未婚である者を条件としているようだ。

 狐の面を付けた朱実は静々と神楽殿に上がり舞を捧げた。シャンシャンと鳴り響く鈴の音と、その中で蝶のように軽やかに舞う女狐に、人々は釘付けとなった。
 鈴が鳴るたびに金粉が舞うのではないかと錯覚するほどの残影が神楽殿を包み込んだ。
 狐は神の使いでもあり、古くから五穀豊穣を祈る時に欠かせないとされていた。

 朱実は全ての舞を終えると、鈴を鳴らしながら中央で振り返る。そして、狐の面を外し天に掲げた。それを見た参拝者たちは「はぁ…」と溜息を漏らす。
 なぜなら面の下には、これまた美しい狐の顔があったからだ。
 真っ白に塗られた顔に目元は紅色のシャドウ、口紅も真っ赤に塗られ、極め付けは両頬に花びらのような髭が描かれてある。
 まさに妖艶な女狐がそこにあった。

「狐の嫁入りじゃ。なんと美しい女狐じゃ……神様がお喜びになる」

 老人がそう呟いた。

 この土地には古い伝説があった。
 一年を通して日が差さない寒い年があった。春は曇り空、夏は長梅雨で、収穫の秋には作物の根が腐り虫が湧いた。冬は飢餓に耐え、新しい春を待った。
 待ちに待った春は人々の願いを黒く覆った。また、日が差さない年の始まりだったからだ。
 そこで村の長老は禁断の儀式を持ち出した。山の神に生贄を捧げ、それと引き換えに日の光を与えてもらおうと考えたのだ。しかし神は人の臭いを嫌うという。神は高貴な者であり人はけがれたものとされていたからだ。
 そこで村人たちはまだ幼い麗しい生娘を選んだ。選ばれた娘は村のためと泣く泣く狐の面を付け、神輿みこしに乗り山に入ったのだ。
 神は喜び、すぐに空は晴れた。一年振りのお日様だった。
 しかし、神輿に乗せられた娘は、悲しみのあまりしくしくと泣いていたそうだ。娘の涙はやがて天に登り、晴れた空からキラキラと輝きながら雨となって降り注いだ。
 これが、狐の嫁入りである。


 大きな拍手が起きた。

「今年も豊作じゃ」
「よかった、よかった」
「本当にここのお狐様は美しい」

 朱実は参拝客に礼をすると、人々の言葉を背に静かに神楽殿を後にした。

 朱実の神社では決してこの舞は踊らない。
 それは父である宮司が許さないからだ。朱実の暮らす多田羅町で、狐の面を付けると隠り世の鬼から攫われるそうだ。朱実の母の代まで多田羅神社でもこの奉納の舞が行われていたというのに。
 そのせいか、密かに氏子たちは噂をする。多田羅町は五穀豊穣の狐の舞いをしないから不作なのではないか。天候に恵まれないのは狐の舞がないからだ、と。

「どうしてお父さんは多田羅神社ではこの舞いをさせてくれないんだろう……」

 朱実の疑問も大きくなっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...