完結済み【短編 怖くて悲しい小児科病棟体験談】 どうして本当の声を聞かせてくれなかったの?〜夜勤中にみた母親の笑顔の〝違和感〟の理由

あらき恵実

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恐ろしく悲しい笑顔 〜明かされた心の闇

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児童相談所……?

驚いていた私に、アンドウ先生はこう説明しました。

      •   •   •

「後頭部のひっかき傷について、お母さんは『タケルくんが自分でひっかいた』と言いました。
しかし、月齢からいって、自分でひっかくことができる場所ではありません。
これまでも、お湯をうっかりこぼしてしまったと言って火傷をつくって受診したり、
ベッドから落ちたといってアザをつくって受診してきたことがありました。
しかし、あまりにも受診の頻度が多く不自然でした。
もしかして、お母さんが故意に傷を作っているのではないかと思っていましたが、今回ようやく確証がもてました。
お母さんは、先程、面談室で泣きながら自白されました」

面談室からもれ聞こえてくるタケルくんのお母さんの声を、同僚が聞いていました。
「一生懸命、タケルの看病をしていると、義理の母も看護師さんもみんなめてくれました。みんな、私に注目してくれました。
だから、タケルを愛しているのに、傷つけることをやめられなかった……」

代理性ミュンヒハウゼン症候群ーー。
子どもに病気を作り、かいがいしく面倒をみることにより自らの心の安定をはかろうとするという心の病があります。

「いいお母さん」と看護師からいつも褒められていたタケルくんのお母さんは、実は心を病んでいたのでした。

タケルくんのお母さんは、廊下に響き渡るような声で泣いていました。

「タケルと離れたくない!
ごめんなさい! 二度としませんから、タケルを連れて行かないでください!」

泣き叫ぶその声は、ナースステーションにまで聞こえていました。
聞いている方がつらくなるような声でした。

「お願いします! タケルを、本当は大事にしたいんです!」

私はお母さんのその言葉に、心からの叫びを聞きました。
きっと、その言葉は嘘じゃない。
そう思いました。


でもーー、

それなのに、なぜーー?


なぜ、お母さんは自らの行動を止められなかったのでしょう。
愛する子どもを傷つけてまで、なぜ、周囲の視線を集めたかったのでしょうーー。

私は、タケルくんを抱いた児童相談所職員が、お母さんと鉢合はちあわせないように職員用階段を降りていくのを見送りながら、「なぜ?」と問い続けていました。

タケルくんは見知らぬ人に抱かれ、アーアーと泣いていました。

タケルくんはとても小さく無防備に見えました。その後頭部にはお母さんにつけられた傷がありました。これまでも、たくさん、お母さんから傷をつけられていたのです。
ときに抱きしめ、時に自分を傷付けるお母さんに、タケルくんは何を感じていたのでしょう。
まだ、言葉を話せないタケルくんの気持ちは誰にも理解できません。

ただ、今、タケルくんが泣いている理由はわかります。

タケルくんは、毎日、ただ単純にお母さんから愛され、抱きしめられていたかったのでしょう。
だけど、それは叶わなかった……。

「大丈夫だからね」

あやしながら階段を児童相談所職員が降りていきます。

背中の後ろでは、まだ、遠くからお母さんの泣き声が聞こえていました。
なぜ、こんな悲しい結果になってしまったんでしょう。

その時、ふと、夜間の巡視のときに見たタケルくんのお母さんの笑顔を思い出しました。
看病疲れで眠ってしまっているお母さんが多いなか、タケルくんのお母さんは必ず巡視のたびに起きていました。
そして、まるで、私たちを待ち受けていたような笑顔を浮かべていました。



その笑顔は、まるでそう言っているようでした。
これが、私の感じていた違和感の正体だったのです。

私は今でも、あのなのにを忘れられません。
あの笑顔の奥に、があったのです。

彼女は、なぜ、私たちに本当の声を聞かせてくれなかったのでしょうーー。

そして、私たちも、なぜ、彼女の苦しみに気づけなかったのでしょうーー。

私の耳には、のちのちまでずっと、彼女の悲痛な泣き声が残ることとなりました。

     •   •  •

あれから、何年か経ちました。

私は今でもふと、タケルくんの小さな頭と、そこにある小さな傷を思い出します。

タケルくんは、あれから、どんな日々を過ごしたのでしょうか。

どうか、タケルくんの日々に、たくさんの楽しい出来事が雨のように降り注ぎますようにーー。
今、どこで誰と過ごしているのか分かりませんが、たくさんの愛に囲まれていますようにーー。

私は、病棟の廊下の窓際で、人知れず目を閉じてそっと祈ります。
それから、すうっと深く息を吸い込みます。

輸液ポンプのアラーム、
ナースコール、
子どもの泣き声ーー。

たくさんの音が私の耳に飛び込んできます。

私は「よし」と小さくつぶやくと、足にはずみをつけ、音のする方へけ出していきます。

病棟には、たくさんの音やたくさんの声が満ちています。

私はそれらに耳を澄まします。

大事な声、わずかな声ーー、
そして声にならないSOSを、聞き逃さないためにーー。





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