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四章 前を向いて
⒎揺らがない覚悟
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「誕生日に決行したのは、意味があったんですか」
芙季子は、亜澄のプロフィールを見た時からずっと引っ掛かっていた質問をした。
「生まれた日に由依ちゃんの手で還ることができるなんて素晴らしいと考えたからです」
答えに納得がいった。それだけ由依のことを信頼していたのだろうと、想像がついた。
「由依さんの胸に刺さっていた果物ナイフは、亜澄さんが用意したのですか」
「家にあった物です。新しい物を買おうと思ったんですけど、高校生が刃物を買うことで変に疑われても嫌だなと思ったんです。家にあるものなら、由依ちゃんが用意した物じゃないことが証明されますし」
「指紋は拭き取ってから使ったんですか」
「いいえ。そのままです。だから、母の指紋も残っています」
「警察からの発表にはなかったですね。お母さんに宛てたお手紙、遺書のつもりで書かれたのでしょうが、どこに置いていたのですか」
「自室の机の上です。早く発見されても困るし、見つからなかったらもっと困るなと思って」
「お母さんは読まれたと思いますか」
「読んだと思います」
「どういう内容を書かれたのか、お伺いしてもよろしいですか」
「母への今までの感謝と、自分の意志で行ったことだと。由依ちゃんが罪に問われないようにして欲しいとお願いしました」
「お母さんが動画を上げているのをご存知ですか」
「動画? どういう動画ですか。母にスマホを取り上げられているので、知らないです」
亜澄が焦った表情で、首を振る。
「見た方が早いですね」
亜矢の動画を表示させて、スマホを渡す。
「これ……真逆じゃないですか」
動画を見た亜澄は、声を震わせた。
「由依ちゃんは嫉妬や羨む気持ちなんて持ってないのに。何もしてあげられなくてごめんねと、謝る必要なんてないのにいつも言ってくれました」
動画はもう終わっている。それなのに、睨むように画面を見つめている。
まるで、目の前にいる母親を非難するように。
「お母さんは手紙に気づかず、先に動画を上げてしまったのかもしれませんね。どちらが先かはお母さんにしかわかりません。これがきっかけで、山岸由依による一方的な犯行説に世論が傾いていった感は否めないかと」
「こんな動画を上げていたなんて、どうして……お母さん、酷いよ」
スマホから手を離し、顔を覆った。
芙季子は布団の上に置かれたスマホを回収する。
「少なくともあなたが伝えようとしていた遺志は、お母さんには伝わっていなかったことになります。でも、お母さんなりに思う所はあったのだとは思います」
勝手な動画を上げたのは母親だが、亜矢の年齢に近いためか、芙季子の心境は母親寄りになってしまう。
芙季子に言われて母親の事を考えたのか、顔から手を離した。
自分を落ち着かせるためか、亜澄は大きく息を吐く。
「……母の気持ちを考えていませんでした」
声に冷静さが戻っていた。
「それだけ、あなたも追い詰められていたのだとは、察します。目覚めた時の気持ちを伺ってもいいですか」
「絶望しました。天国か地獄か、って思ったら病院のベッドだったんですから」
自虐するような笑みを浮かべた。
「昨日と、一昨日も、あなたは暴れて医療スタッフに迷惑をかけたそうですね。どうしてですか」
「現実に戻されたんだとわかったからです。どうして死なせてくれないのって。繋がっている管を抜いたら、悪化して死ねるんじゃないかと思いました」
「今も思っていますか」
範子が咎めるような視線を送ってくるのに気がついた。
残酷な質問かと思ったが、亜澄の胸の内をきいておきたかった。
考えていた亜澄が口を開いた。
「さっき、大村さんが仰った、芸能界を辞める覚悟がいるということですけど、私が生きているからこそ、できる事があると言ってくれたんですよね」
「そうです」
「なら、私は由依ちゃんのために、生きて、すべてを明らかにします。私が悪いんですから、それを隠していてはいけないと思います。由依ちゃんは私のために行動してくれた。今度は私が由依ちゃんを助ける番です」
決意のみなぎる、強い目を向けてくる。
しかし、これから未来に降りかかってくる予想もつかない事に彼女は耐えられるのか。
まだまだ覚悟が足りないのではないかと芙季子は思う。
「相当叩かれると思います。おそらく一生ついて回ります。カメラマンとしての活動に支障をきたすかもしれません」
もっとしっかりと覚悟を決めてもらうために、さらに強い言葉を使った。
ここで揺らぐようなら、やめた方がいい。
「一生……」噛み締めるように呟く。「私はそれだけのことをしてしまったんですね」
「つらくなった時、同じ選択をしてしまいませんか」
芙季子の質問に、
「また……選んでしまうかも、しれません」
亜澄の決心が揺らいでいる。
怖くて当たり前だ。つらい思いをするとわかっている未来など、誰だってしたくない。
顔を俯けた亜澄の手を、範子が立ち上がって握った。
「だめ。宮前さん、あなたが命を絶つ必要はない。すみません、先輩。口を挟みます」
一瞬だけ芙季子に視線を向けた範子は、教師ではなく、一人の大人として、亜澄に向き合っていた。
「追い詰められて、行き場がなくなった上での行為でも、死を選んではいけなかった。命を断つことは考えないでほしかった。もちろん、あなたを追い詰めた大人が悪いのはわかっている。そういう社会にした大人が悪い。でも、あなたを救ったのも、大人たちなの。発見した警備員に応急処置の知識があり、かつ近所の住民の協力を得て、女性の体に触れる事を躊躇わず、適切な止血を行った。救急車がスムーズに到着し、救急処置を受け、搬送の最中もたくさんのドライバーが道を開けてくれたはず。無事に搬送され、医師による救命処置によってあなたは救われた。あなたの願いどおりにならなかったのは、あなたに無事でいてほしいと望んだ人たちのお陰なの。つらくても、自分の命をどう扱おうと自由だ、なんて思わないで欲しい。あたしはあなたの人生に責任を取ってあげられないけど、あたしはあなたに生きて欲しい。それにねーー」
そこで一度言葉を切った範子は、片手で自身の頬を拭った。
「悔しいじゃない。あなたには生きる権利がある。人生を楽しむ権利がある。つらい事もたくさんあるけど、良い事だってあるんだから」
範子の涙混じりの懸命な訴えが亜澄の心に届いたのか、亜澄は大粒の涙をぽろぽろと零した。
「山口先生……ありがとう、ございます。自分勝手な私の命を大切に思ってくれて。私、もう二度と自死なんて選びません」
範子は優しい手つきで亜澄の背に手を回した。
芙季子は、亜澄のプロフィールを見た時からずっと引っ掛かっていた質問をした。
「生まれた日に由依ちゃんの手で還ることができるなんて素晴らしいと考えたからです」
答えに納得がいった。それだけ由依のことを信頼していたのだろうと、想像がついた。
「由依さんの胸に刺さっていた果物ナイフは、亜澄さんが用意したのですか」
「家にあった物です。新しい物を買おうと思ったんですけど、高校生が刃物を買うことで変に疑われても嫌だなと思ったんです。家にあるものなら、由依ちゃんが用意した物じゃないことが証明されますし」
「指紋は拭き取ってから使ったんですか」
「いいえ。そのままです。だから、母の指紋も残っています」
「警察からの発表にはなかったですね。お母さんに宛てたお手紙、遺書のつもりで書かれたのでしょうが、どこに置いていたのですか」
「自室の机の上です。早く発見されても困るし、見つからなかったらもっと困るなと思って」
「お母さんは読まれたと思いますか」
「読んだと思います」
「どういう内容を書かれたのか、お伺いしてもよろしいですか」
「母への今までの感謝と、自分の意志で行ったことだと。由依ちゃんが罪に問われないようにして欲しいとお願いしました」
「お母さんが動画を上げているのをご存知ですか」
「動画? どういう動画ですか。母にスマホを取り上げられているので、知らないです」
亜澄が焦った表情で、首を振る。
「見た方が早いですね」
亜矢の動画を表示させて、スマホを渡す。
「これ……真逆じゃないですか」
動画を見た亜澄は、声を震わせた。
「由依ちゃんは嫉妬や羨む気持ちなんて持ってないのに。何もしてあげられなくてごめんねと、謝る必要なんてないのにいつも言ってくれました」
動画はもう終わっている。それなのに、睨むように画面を見つめている。
まるで、目の前にいる母親を非難するように。
「お母さんは手紙に気づかず、先に動画を上げてしまったのかもしれませんね。どちらが先かはお母さんにしかわかりません。これがきっかけで、山岸由依による一方的な犯行説に世論が傾いていった感は否めないかと」
「こんな動画を上げていたなんて、どうして……お母さん、酷いよ」
スマホから手を離し、顔を覆った。
芙季子は布団の上に置かれたスマホを回収する。
「少なくともあなたが伝えようとしていた遺志は、お母さんには伝わっていなかったことになります。でも、お母さんなりに思う所はあったのだとは思います」
勝手な動画を上げたのは母親だが、亜矢の年齢に近いためか、芙季子の心境は母親寄りになってしまう。
芙季子に言われて母親の事を考えたのか、顔から手を離した。
自分を落ち着かせるためか、亜澄は大きく息を吐く。
「……母の気持ちを考えていませんでした」
声に冷静さが戻っていた。
「それだけ、あなたも追い詰められていたのだとは、察します。目覚めた時の気持ちを伺ってもいいですか」
「絶望しました。天国か地獄か、って思ったら病院のベッドだったんですから」
自虐するような笑みを浮かべた。
「昨日と、一昨日も、あなたは暴れて医療スタッフに迷惑をかけたそうですね。どうしてですか」
「現実に戻されたんだとわかったからです。どうして死なせてくれないのって。繋がっている管を抜いたら、悪化して死ねるんじゃないかと思いました」
「今も思っていますか」
範子が咎めるような視線を送ってくるのに気がついた。
残酷な質問かと思ったが、亜澄の胸の内をきいておきたかった。
考えていた亜澄が口を開いた。
「さっき、大村さんが仰った、芸能界を辞める覚悟がいるということですけど、私が生きているからこそ、できる事があると言ってくれたんですよね」
「そうです」
「なら、私は由依ちゃんのために、生きて、すべてを明らかにします。私が悪いんですから、それを隠していてはいけないと思います。由依ちゃんは私のために行動してくれた。今度は私が由依ちゃんを助ける番です」
決意のみなぎる、強い目を向けてくる。
しかし、これから未来に降りかかってくる予想もつかない事に彼女は耐えられるのか。
まだまだ覚悟が足りないのではないかと芙季子は思う。
「相当叩かれると思います。おそらく一生ついて回ります。カメラマンとしての活動に支障をきたすかもしれません」
もっとしっかりと覚悟を決めてもらうために、さらに強い言葉を使った。
ここで揺らぐようなら、やめた方がいい。
「一生……」噛み締めるように呟く。「私はそれだけのことをしてしまったんですね」
「つらくなった時、同じ選択をしてしまいませんか」
芙季子の質問に、
「また……選んでしまうかも、しれません」
亜澄の決心が揺らいでいる。
怖くて当たり前だ。つらい思いをするとわかっている未来など、誰だってしたくない。
顔を俯けた亜澄の手を、範子が立ち上がって握った。
「だめ。宮前さん、あなたが命を絶つ必要はない。すみません、先輩。口を挟みます」
一瞬だけ芙季子に視線を向けた範子は、教師ではなく、一人の大人として、亜澄に向き合っていた。
「追い詰められて、行き場がなくなった上での行為でも、死を選んではいけなかった。命を断つことは考えないでほしかった。もちろん、あなたを追い詰めた大人が悪いのはわかっている。そういう社会にした大人が悪い。でも、あなたを救ったのも、大人たちなの。発見した警備員に応急処置の知識があり、かつ近所の住民の協力を得て、女性の体に触れる事を躊躇わず、適切な止血を行った。救急車がスムーズに到着し、救急処置を受け、搬送の最中もたくさんのドライバーが道を開けてくれたはず。無事に搬送され、医師による救命処置によってあなたは救われた。あなたの願いどおりにならなかったのは、あなたに無事でいてほしいと望んだ人たちのお陰なの。つらくても、自分の命をどう扱おうと自由だ、なんて思わないで欲しい。あたしはあなたの人生に責任を取ってあげられないけど、あたしはあなたに生きて欲しい。それにねーー」
そこで一度言葉を切った範子は、片手で自身の頬を拭った。
「悔しいじゃない。あなたには生きる権利がある。人生を楽しむ権利がある。つらい事もたくさんあるけど、良い事だってあるんだから」
範子の涙混じりの懸命な訴えが亜澄の心に届いたのか、亜澄は大粒の涙をぽろぽろと零した。
「山口先生……ありがとう、ございます。自分勝手な私の命を大切に思ってくれて。私、もう二度と自死なんて選びません」
範子は優しい手つきで亜澄の背に手を回した。
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