上 下
45 / 60
四章 前を向いて

⒎揺らがない覚悟

しおりを挟む
「誕生日に決行したのは、意味があったんですか」
 芙季子は、亜澄のプロフィールを見た時からずっと引っ掛かっていた質問をした。

「生まれた日に由依ちゃんの手で還ることができるなんて素晴らしいと考えたからです」

 答えに納得がいった。それだけ由依のことを信頼していたのだろうと、想像がついた。

「由依さんの胸に刺さっていた果物ナイフは、亜澄さんが用意したのですか」

「家にあった物です。新しい物を買おうと思ったんですけど、高校生が刃物を買うことで変に疑われても嫌だなと思ったんです。家にあるものなら、由依ちゃんが用意した物じゃないことが証明されますし」

「指紋は拭き取ってから使ったんですか」

「いいえ。そのままです。だから、母の指紋も残っています」

「警察からの発表にはなかったですね。お母さんに宛てたお手紙、遺書のつもりで書かれたのでしょうが、どこに置いていたのですか」

「自室の机の上です。早く発見されても困るし、見つからなかったらもっと困るなと思って」

「お母さんは読まれたと思いますか」

「読んだと思います」

「どういう内容を書かれたのか、お伺いしてもよろしいですか」

「母への今までの感謝と、自分の意志で行ったことだと。由依ちゃんが罪に問われないようにして欲しいとお願いしました」

「お母さんが動画を上げているのをご存知ですか」

「動画? どういう動画ですか。母にスマホを取り上げられているので、知らないです」
 亜澄が焦った表情で、首を振る。

「見た方が早いですね」
 亜矢の動画を表示させて、スマホを渡す。

「これ……真逆じゃないですか」
 動画を見た亜澄は、声を震わせた。

「由依ちゃんは嫉妬や羨む気持ちなんて持ってないのに。何もしてあげられなくてごめんねと、謝る必要なんてないのにいつも言ってくれました」

 動画はもう終わっている。それなのに、睨むように画面を見つめている。
 まるで、目の前にいる母親を非難するように。

「お母さんは手紙に気づかず、先に動画を上げてしまったのかもしれませんね。どちらが先かはお母さんにしかわかりません。これがきっかけで、山岸由依による一方的な犯行説に世論が傾いていった感は否めないかと」

「こんな動画を上げていたなんて、どうして……お母さん、酷いよ」
 スマホから手を離し、顔を覆った。
 芙季子は布団の上に置かれたスマホを回収する。

「少なくともあなたが伝えようとしていた遺志は、お母さんには伝わっていなかったことになります。でも、お母さんなりに思う所はあったのだとは思います」

 勝手な動画を上げたのは母親だが、亜矢の年齢に近いためか、芙季子の心境は母親寄りになってしまう。

 芙季子に言われて母親の事を考えたのか、顔から手を離した。
 自分を落ち着かせるためか、亜澄は大きく息を吐く。

「……母の気持ちを考えていませんでした」
 声に冷静さが戻っていた。

「それだけ、あなたも追い詰められていたのだとは、察します。目覚めた時の気持ちを伺ってもいいですか」

「絶望しました。天国か地獄か、って思ったら病院のベッドだったんですから」
 自虐するような笑みを浮かべた。

「昨日と、一昨日も、あなたは暴れて医療スタッフに迷惑をかけたそうですね。どうしてですか」

「現実に戻されたんだとわかったからです。どうして死なせてくれないのって。繋がっている管を抜いたら、悪化して死ねるんじゃないかと思いました」

「今も思っていますか」
 範子が咎めるような視線を送ってくるのに気がついた。
 残酷な質問かと思ったが、亜澄の胸の内をきいておきたかった。

 考えていた亜澄が口を開いた。
「さっき、大村さんが仰った、芸能界を辞める覚悟がいるということですけど、私が生きているからこそ、できる事があると言ってくれたんですよね」

「そうです」

「なら、私は由依ちゃんのために、生きて、すべてを明らかにします。私が悪いんですから、それを隠していてはいけないと思います。由依ちゃんは私のために行動してくれた。今度は私が由依ちゃんを助ける番です」

 決意のみなぎる、強い目を向けてくる。
 しかし、これから未来に降りかかってくる予想もつかない事に彼女は耐えられるのか。
 まだまだ覚悟が足りないのではないかと芙季子は思う。

「相当叩かれると思います。おそらく一生ついて回ります。カメラマンとしての活動に支障をきたすかもしれません」

 もっとしっかりと覚悟を決めてもらうために、さらに強い言葉を使った。
 ここで揺らぐようなら、やめた方がいい。

「一生……」噛み締めるように呟く。「私はそれだけのことをしてしまったんですね」

「つらくなった時、同じ選択をしてしまいませんか」
 芙季子の質問に、

「また……選んでしまうかも、しれません」
 亜澄の決心が揺らいでいる。

 怖くて当たり前だ。つらい思いをするとわかっている未来など、誰だってしたくない。

 顔を俯けた亜澄の手を、範子が立ち上がって握った。

「だめ。宮前さん、あなたが命を絶つ必要はない。すみません、先輩。口を挟みます」
 一瞬だけ芙季子に視線を向けた範子は、教師ではなく、一人の大人として、亜澄に向き合っていた。

「追い詰められて、行き場がなくなった上での行為でも、死を選んではいけなかった。命を断つことは考えないでほしかった。もちろん、あなたを追い詰めた大人が悪いのはわかっている。そういう社会にした大人が悪い。でも、あなたを救ったのも、大人たちなの。発見した警備員に応急処置の知識があり、かつ近所の住民の協力を得て、女性の体に触れる事を躊躇わず、適切な止血を行った。救急車がスムーズに到着し、救急処置を受け、搬送の最中もたくさんのドライバーが道を開けてくれたはず。無事に搬送され、医師による救命処置によってあなたは救われた。あなたの願いどおりにならなかったのは、あなたに無事でいてほしいと望んだ人たちのお陰なの。つらくても、自分の命をどう扱おうと自由だ、なんて思わないで欲しい。あたしはあなたの人生に責任を取ってあげられないけど、あたしはあなたに生きて欲しい。それにねーー」

そこで一度言葉を切った範子は、片手で自身の頬を拭った。

「悔しいじゃない。あなたには生きる権利がある。人生を楽しむ権利がある。つらい事もたくさんあるけど、良い事だってあるんだから」

 範子の涙混じりの懸命な訴えが亜澄の心に届いたのか、亜澄は大粒の涙をぽろぽろと零した。

「山口先生……ありがとう、ございます。自分勝手な私の命を大切に思ってくれて。私、もう二度と自死なんて選びません」

 範子は優しい手つきで亜澄の背に手を回した。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

変な屋敷 ~悪役令嬢を育てた部屋~

aihara
ミステリー
侯爵家の変わり者次女・ヴィッツ・ロードンは博物館で建築物史の学術研究院をしている。 ある日彼女のもとに、婚約者とともに王都でタウンハウスを探している妹・ヤマカ・ロードンが「この屋敷とてもいいんだけど、変な部屋があるの…」と相談を持ち掛けてきた。   とある作品リスペクトの謎解きストーリー。   本編9話(プロローグ含む)、閑話1話の全10話です。

7月は男子校の探偵少女

金時るるの
ミステリー
孤児院暮らしから一転、女であるにも関わらずなぜか全寮制の名門男子校に入学する事になったユーリ。 性別を隠しながらも初めての学園生活を満喫していたのもつかの間、とある出来事をきっかけに、ルームメイトに目を付けられて、厄介ごとを押し付けられる。 顔の塗りつぶされた肖像画。 完成しない彫刻作品。 ユーリが遭遇する謎の数々とその真相とは。 19世紀末。ヨーロッパのとある国を舞台にした日常系ミステリー。 (タイトルに※マークのついているエピソードは他キャラ視点です)

アンティークショップ幽現屋

鷹槻れん
ミステリー
不思議な物ばかりを商うアンティークショップ幽現屋(ゆうげんや)を舞台にしたオムニバス形式の短編集。 幽現屋を訪れたお客さんと、幽現屋で縁(えにし)を結ばれたアンティークグッズとの、ちょっぴり不思議なアレコレを描いたシリーズです。

歪像の館と消えた令嬢

葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽(しんどう はね)は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の親友である財閥令嬢、綺羅星天音(きらぼしてんね)が、曰くつきの洋館「視界館」で行われたパーティーの後、忽然と姿を消したというのだ。天音が最後に目撃されたのは、館の「歪みの部屋」。そこでは、目撃者たちの証言が奇妙に食い違い、まるで天音と瓜二つの誰かが入れ替わったかのような状況だった。葉羽は彩由美と共に視界館を訪れ、館に隠された恐るべき謎に挑む。視覚と認識を歪める館の構造、錯綜する証言、そして暗闇に蠢く不気味な影……葉羽は持ち前の推理力で真相を解き明かせるのか?それとも、館の闇に囚われ、永遠に迷い続けるのか?

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

”その破片は君を貫いて僕に突き刺さった”

飲杉田楽
ミステリー
"ただ恋人に逢いに行こうとしただけなんだ" 高校三年生になったばかり東武仁は授業中に謎の崩落事故に巻き込まれる。街も悲惨な姿になり友人達も死亡。そんな最中今がチャンスだとばかり東武仁は『彼女』がいる隣町へ… 2話からは隣町へ彼女がいる理由、事故よりも優先される理由、彼女の正体、など、現在と交差しながら過去が明かされて行きます。 ある日…以下略。があって刀に貫かれた紫香楽 宵音とその破片が刺さった東武仁は体から刀が出せるようになり、かなり面倒な事件に巻き込まれる。二人は刀の力を使って解決していくが…

処理中です...