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第13章 休戦会談と蠢く策謀編
第17話 今や叛逆者扱いの英雄の末路
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・・17・・
4の月12の日
午前8時過ぎ
連合王国軍統合本部・アカツキ執務室
「ん……、んん……。いい匂い、が……」
少しだけの仮眠のつもりが、だいぶ寝てしまっていたみたいだ。瞼を開けると、執務室の窓から朝陽が射し込んでいた。
ちらりと映るのはすやすやと眠りの世界の中にいるリイナと、長時間の高稼働で一旦メンテナンスに入って人間でいえば睡眠の状態にあるエイジス。
嗅覚をくすぐるのは、欠かせない嗜好飲料の匂い。これは、コーヒーだろうか。一体誰が……?
「起きたか、アカツキ」
「…………!? マ、マーチス元帥閣下!?」
「おはよう。それとここでは軍務以外の時のように振舞ってもらって構わん」
「おはようございます、義父上……。いえ、大丈夫です。少し仮眠を取って、ました……」
「いいんだ。お前が一昨日から不眠不休で事にあたっているのは知っている。そら、コーヒーだ。目覚めにちょうどいいだろう」
「すみません……」
僕は寝ぼけ眼のままは良くないからと目をこすり、マーチス侯爵からホットコーヒーの入ったカップを受け取る。眠気覚ましとはいえ、気を遣ってくれたのか胃が荒れないようほんの少しだけミルクと、砂糖が二つ分くらい入っている味がした。
「…………結局、もうすぐ四十八時間が経過した今になっても何も起きなかったな」
「はい……。一昨日は夜通し起きていましたが緊急報告は入らず、昨日も全く音沙汰がありませんでした……」
「情報を後出しにしてきた前科があるからと隠蔽でもしているのかと思わないでもなかったが、誰かが暗殺すれば間違いなく騒ぎになる。それが無いということは、誰一人として殺されていないということだ」
「著しく厳しい警備体制になってかなりの時間が経過しています。ロンドリウム市は過剰なまでに兵力が配置され、郊外の駐屯地からも送られてきています。本当にフィリーネ元少将が暗殺を企てるのならば、時間が経過すればするほど難しくなるはずなのですが……」
「動きが読めんな……」
「ええ、この二日だけでも外務省と情報局は振り回されっぱなしです……」
僕はコーヒーを一口飲みながら、欠伸をする。一昨日は訓練で早起きして激しい運動をしたといっても差し支えがない状態でこの二日間だ。いくら前世の特殊部隊の訓練で昼夜問わずの厳しい訓練と実戦を何度も経験しているとはいえ、この世界ではそんな機会はそうそうはなかった。
なおかつ、精神的にも疲弊しているからどうしても眠気はごまかせなかった。
「苦労をかけるな、アカツキ」
「いえ……、義父上もお疲れでしょうに欠伸が止まら、くぁぁ……」
「ほとんど不眠不休なんだ。誰も責めんよ」
僕の肩を叩き励ますマーチス侯爵も少し疲れが見られていた。
魔法は便利で眠気覚ましの生活魔法もあるのだけれど、とはいえそれも限界がある。僕もマーチス侯爵も睡眠時間を削って事に当たっているのだからお互い様だった。マーチス侯爵は国外のこの事態ならば立場的に僕達に付き合う必要はないというのに、軍のトップだからと動いてくれているのだから頭が上がらないし彼の人気が不動のものである理由が伺えるよね。
「朝食を手配し、食べたら司令本部に戻ります。義父上はどうなさいますか?」
「俺も食べるとしよう。また一日この有様では、食べなければもたんからな」
「間違いありません。護衛に手配を頼んでおきましょう」
「ああ、よろしく」
僕は頷くと、扉の外にいた護衛の兵士に朝食を三人分持ってきてもらうよう頼み、彼はすぐに持ってこさせるよう伝えますと言ってくれた。
普段は片付いている執務室も、今は資料があちらこちらに乱雑に置かれていた。
フィリーネ元少将のプロフィール。軍や政府での功績。その功績の裏で何をしたのかの調査報告内容。反対派閥の主要メンバーの概要と、彼等がフィリーネ元少将にした仕打ち。ロンドリウム市の地図。関係するあらゆる資料があった。
だけど、寝起きの頭では見る気も起きないし見たところで何か思いつくことも出来ない。僕はソファーに身体を深く預けて、腕で目を覆った。
「……アカツキ、無茶はせずに今日は昼まで寝ていてもいいんだぞ。お前の立場ならそれも許される」
「部下達が頑張ってくれているのですから、僕だけが休むわけにはいきません。それに、我々が知ってからだけでも既にこれだけ時間が経っても暗殺は起きていません。ザッカーハウゼン中将の情報部では、暗殺の可能性は低くなりつつあるという分析も出てきましたが予断は許しませんから……」
「協商連合の国内問題と片付けるには時期が悪すぎる上に、人物が人物だ。協商連合との海路については入国審査を厳しくして対応している。対象の消息が掴めない以上は念の為とはいえ、しておいた方がいいからな」
「ありがとうございます……。ずっと振り回されっぱなしで、僕も手が回りませんから……」
「お前はお前の仕事をすればいい。俺は俺の仕事をするし、部下達には部下達の仕事をさせる。だが確かに、アカツキの言う通り対象には振り回されっぱなしだな。もう英雄ではない、叛逆者扱いのあの軍人に」
マーチス侯爵は換気がてらに窓を開けると煙草に火をつけ、紫煙を吐きながらそう漏らす。
この件でフィリーネ元少将の評価は連合王国でも地に落ちてしまった。しかし、反対派閥のやり過ぎた行いにそらみたことかと批判する者も多い。
そして僕達軍や政府関係者は戦々恐々としている。反対派閥は復讐の矛先が自分に向くだろうと眠れぬ日が続くし、彼等を守る護衛達は僕達連合王国軍の比じゃない苦労をしている。情報収集にあたっている連合王国軍人や外務省官僚もいつ自分達に危害が加えられるかとビクビクしている様子は報告からも伝わってきていた。
危険性が最も高かった一昨日に昨日、そして今日となり事は持久戦の様相を呈しつつあった。
「マーチス元帥閣下、アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下。朝食をお持ち致しました」
「ご苦労。入れ」
「はっ。失礼致します」
三十分程経つと、僕達の朝食が届いた。持ってきたのは糧食関係に携わる下士官達だった。少し落ち込んでいた食欲をくすぐるいい香りだ。
「ありがとね。君達も夜食の手配とか休日返上でしょ? 時間を見つけてゆっくり休んで」
「はっ。ご配慮頂きありがとうございます」
「しかし我々の任務は皆様に食を提供することですから。アカツキ中将閣下も、連日連夜お疲れ様です。リイナ准将閣下は、相当お疲れのようですね……」
「副官として各方面との折衝をしてくれているからね。僕よりも忙しかったから。冷めない内に起こすよ」
「はっ。温かいうちにお召し上がりください。それでは自分達はこれで」
「うん」
下士官達はマーチス元帥がいるからか緊張しつつも、笑顔で言うと執務室を後にした。
朝食を摂るために片付けられたテーブルに置かれたのは、野菜とハムがしっかり詰まったサンドウィッチのようなものとバターがほんのりと香るスクランブルエッグにウィンナーが数本。湯気の立つスープはコンソメスープだろうか。野菜がゴロゴロと入っていた。飲み物としてオレンジジュースもあった。
「ん、んん……。なんだか、美味しそうな匂いが……」
彼等が出ていって割とすぐ、これまでぐっすりだったリイナは朝食の香りを感じたからか目を覚ます。この時ばかりかはさすがの彼女も無防備な様子だった。
「おはようリイナ。朝食を運んでもらったんだ。食べるかい?」
「ん、おはよう旦那様。ふぁぁ……、だいぶ寝た気がするわ……」
「おはよう、リイナ。少しは眠れたようだな?」
「お父様もいらしたのね。いつからかしら?」
「一時間前からだ。アカツキにコーヒーを出して、少し話をしていた」
「そうだったの……。ごめんなさいお父様、全然気付かなくて……」
「構わんよ。お前も良く頑張っているのは知っているからな。起きがけかもしれないが、朝食にしようか」
「そう、ね……。寝る前にシャワーは浴びたけれど、食べてから気分をすっきりする為にもう一度行きたいわね」
「シャワー、か。僕もしようかな……。ぼんやりした頭だと今日一日を過ごせる気がしないし……」
「二人ともそうしておきなさい。だがその前に」
「朝ごはんですね」
「朝食ね」
「ああ、一日の始まりの為にもな」
僕とリイナにマーチス侯爵は束の間の休息である時間を過ごす。とはいえ主な話題は仕事の事。今の状況だと仕方ないよね。
朝食を食べ終えて、統合本部内にある高級士官用のシャワー室を使って頭の中をしゃきっとさせると素早く着替えて司令本部へと向かう。その頃にはもう午前十時半になっていた。
マーチス侯爵は外務大臣の所へ行きこの件の話をしにいった。
刻一刻と時は過ぎてゆく。ついに事態判明から四十八時間を越えた。
正午頃に当該対象が発見という緊急通報があったものの、三十分後には誤報と修正が入り他国の出来事にも関わらず司令本部内の空気はさらにピリピリとしていた。
そうして午後三時前。誤報のせいで食べ遅れていた昼食は結局おやつ時と変わらない形になってしまい、僕は湿気防止の魔法が施された袋に入っているクッキーを手に取り、コーヒーを口に付けていた。
まだ昼過ぎだというのに、眠気を覚ますためにもう三杯ほどコーヒーを飲んでいる。前世のエナジードリンクが懐かしい……。
「アカツキ中将閣下」
「ん、どうしたかな。ルイベンハルク中佐」
「ここで、でも構いません。少し仮眠を取られてはいかがですか? 僭越ながら、アカツキ中将閣下は無理をなさっています」
「一応朝に少し寝たんだけどね……。もしかして目の下にクマでもある?」
「ええ、割と深く。これが自国の危急の事態であればこのような事は言いませんが、此度は協商連合が自国で収拾するべき案件に我々が手を貸しているのみ。既に我が国に報がもたらされてから二日経過しています。暗殺の可能性が低くなってきたのではないかという予測もありますから、ここは自分に任せて頂き閣下はお休みになられた方がよいかと」
「ううん、そうではあるけれどいつ動くか分からないし……」
「他国の元英雄と閣下を比較する事を、優しき閣下のお気に障られるかもしれません。しかし、あの人物は貴方が振り回される必要があるような者ではありません。調査室だけではなく、ここにいる誰もが思っています」
「何を?」
僕は直立不動のまま厳しい表情を見せる彼の方を向く。その顔つきが向けられているのは僕ではなく、無論彼女に対してだ。
何が言いたいかは大体予測がつく。
「閣下は我々があの人物に対して逆恨みしていると感じられるかもしれません。ですが、我々はこう思っているのです。『重要なこの時期になぜ、事を起こそうとしあまつさえ閣下のお手を煩わせるのか、と』。……それとも、個人的に何か思い入れでもあるのでしょうか」
「…………別に何もないよ。ただ、共通点が多いから人事ではないってだけさ」
人事ではないのは確かだ。フィリーネ元少将と僕には共通項が幾つもある。
でも、それだけじゃないんだ。日に日に確信に近付いていた。
国に尽くした英雄。過去の議事録にあった彼女の発言。
「愛国心の為ではなく、私が守るべき者達の為に私は国に尽くす」
もしかしたら、クソッタレと言っていた前世に絶望したのなら。
僕がここにいるように、あの人も経緯はどうあれここにいて。
きっと。
やっぱり。
フィリーネ元少将は――
「き、協商連合政府から緊急連絡! 緊急連絡!」
「すぐに読み上げて」
だけど思考は遮られた。言を発した動揺する通信要員に、部屋全体が緊迫した空気に包まれる。
ついに起きてしまったか。
やらしかやがったのか。このタイミングで。
誤報であってくれ。
様々な感情が入り乱れていた。
僕は、彼に静かに命令する。
彼女が確定的に叛逆者に堕ちたではなく。
どうか、確保したという連絡であってくれ。
そうすればまだ、確かめる術が残る。僕と彼女が懸隔した立場となってしまってもいい。
ただ一言、問いたいんだ。
貴女は、あの人ですかと。
でも。
「読み上げます……。『クリス大佐をペンザンシーから北の小規模港町、モーバルにて保護。…………クリス大佐曰くモーバル岬にて、フィリーネ元少将は……』」
「フィリーネ元少将が、どうしたんだい……」
僕はゆっくり立ち上がって、彼のもとへ歩く。声は、身体は震えていた。
やめてくれ。最悪の可能性だけは、外れていてくれ。
「はっ……。…………投身自殺をされました。死体は、見つかっていません。恐らく海の……」
「そ、んな……」
叶わなかった。
フィリーネ元少将は、あの人は、死んだ。
世界が揺らいだ。
視界は傾く。
「アカツキ中将閣下……!?」
「閣下!?」
「すぐに軍医を連れてこい! 早くだ!」
「無理をなさるから! 三日も寝ていなければ当然だ!」
「とにかく早く軍医を呼んでこい!」
「どう、して……」
少なくとも、この世界はぼくにとても優しかった。
戦争に身を投じているけれど、沢山の大切な人がいた。
なのに。
「なんで、ですか……」
どうして、あの人にとってはこの世界もこんなにむごたらしい思いをさせたんだ。
「騒がしいわね。何が起きたって言うのよ」
「リイナ准将閣下! アカツキ中将閣下がっ!! 中将閣下がっ!!」
「旦那様!? 旦那様どうしたの!?」
リイナが駆け寄る。
意識はそこで、途絶えた。
4の月12の日
午前8時過ぎ
連合王国軍統合本部・アカツキ執務室
「ん……、んん……。いい匂い、が……」
少しだけの仮眠のつもりが、だいぶ寝てしまっていたみたいだ。瞼を開けると、執務室の窓から朝陽が射し込んでいた。
ちらりと映るのはすやすやと眠りの世界の中にいるリイナと、長時間の高稼働で一旦メンテナンスに入って人間でいえば睡眠の状態にあるエイジス。
嗅覚をくすぐるのは、欠かせない嗜好飲料の匂い。これは、コーヒーだろうか。一体誰が……?
「起きたか、アカツキ」
「…………!? マ、マーチス元帥閣下!?」
「おはよう。それとここでは軍務以外の時のように振舞ってもらって構わん」
「おはようございます、義父上……。いえ、大丈夫です。少し仮眠を取って、ました……」
「いいんだ。お前が一昨日から不眠不休で事にあたっているのは知っている。そら、コーヒーだ。目覚めにちょうどいいだろう」
「すみません……」
僕は寝ぼけ眼のままは良くないからと目をこすり、マーチス侯爵からホットコーヒーの入ったカップを受け取る。眠気覚ましとはいえ、気を遣ってくれたのか胃が荒れないようほんの少しだけミルクと、砂糖が二つ分くらい入っている味がした。
「…………結局、もうすぐ四十八時間が経過した今になっても何も起きなかったな」
「はい……。一昨日は夜通し起きていましたが緊急報告は入らず、昨日も全く音沙汰がありませんでした……」
「情報を後出しにしてきた前科があるからと隠蔽でもしているのかと思わないでもなかったが、誰かが暗殺すれば間違いなく騒ぎになる。それが無いということは、誰一人として殺されていないということだ」
「著しく厳しい警備体制になってかなりの時間が経過しています。ロンドリウム市は過剰なまでに兵力が配置され、郊外の駐屯地からも送られてきています。本当にフィリーネ元少将が暗殺を企てるのならば、時間が経過すればするほど難しくなるはずなのですが……」
「動きが読めんな……」
「ええ、この二日だけでも外務省と情報局は振り回されっぱなしです……」
僕はコーヒーを一口飲みながら、欠伸をする。一昨日は訓練で早起きして激しい運動をしたといっても差し支えがない状態でこの二日間だ。いくら前世の特殊部隊の訓練で昼夜問わずの厳しい訓練と実戦を何度も経験しているとはいえ、この世界ではそんな機会はそうそうはなかった。
なおかつ、精神的にも疲弊しているからどうしても眠気はごまかせなかった。
「苦労をかけるな、アカツキ」
「いえ……、義父上もお疲れでしょうに欠伸が止まら、くぁぁ……」
「ほとんど不眠不休なんだ。誰も責めんよ」
僕の肩を叩き励ますマーチス侯爵も少し疲れが見られていた。
魔法は便利で眠気覚ましの生活魔法もあるのだけれど、とはいえそれも限界がある。僕もマーチス侯爵も睡眠時間を削って事に当たっているのだからお互い様だった。マーチス侯爵は国外のこの事態ならば立場的に僕達に付き合う必要はないというのに、軍のトップだからと動いてくれているのだから頭が上がらないし彼の人気が不動のものである理由が伺えるよね。
「朝食を手配し、食べたら司令本部に戻ります。義父上はどうなさいますか?」
「俺も食べるとしよう。また一日この有様では、食べなければもたんからな」
「間違いありません。護衛に手配を頼んでおきましょう」
「ああ、よろしく」
僕は頷くと、扉の外にいた護衛の兵士に朝食を三人分持ってきてもらうよう頼み、彼はすぐに持ってこさせるよう伝えますと言ってくれた。
普段は片付いている執務室も、今は資料があちらこちらに乱雑に置かれていた。
フィリーネ元少将のプロフィール。軍や政府での功績。その功績の裏で何をしたのかの調査報告内容。反対派閥の主要メンバーの概要と、彼等がフィリーネ元少将にした仕打ち。ロンドリウム市の地図。関係するあらゆる資料があった。
だけど、寝起きの頭では見る気も起きないし見たところで何か思いつくことも出来ない。僕はソファーに身体を深く預けて、腕で目を覆った。
「……アカツキ、無茶はせずに今日は昼まで寝ていてもいいんだぞ。お前の立場ならそれも許される」
「部下達が頑張ってくれているのですから、僕だけが休むわけにはいきません。それに、我々が知ってからだけでも既にこれだけ時間が経っても暗殺は起きていません。ザッカーハウゼン中将の情報部では、暗殺の可能性は低くなりつつあるという分析も出てきましたが予断は許しませんから……」
「協商連合の国内問題と片付けるには時期が悪すぎる上に、人物が人物だ。協商連合との海路については入国審査を厳しくして対応している。対象の消息が掴めない以上は念の為とはいえ、しておいた方がいいからな」
「ありがとうございます……。ずっと振り回されっぱなしで、僕も手が回りませんから……」
「お前はお前の仕事をすればいい。俺は俺の仕事をするし、部下達には部下達の仕事をさせる。だが確かに、アカツキの言う通り対象には振り回されっぱなしだな。もう英雄ではない、叛逆者扱いのあの軍人に」
マーチス侯爵は換気がてらに窓を開けると煙草に火をつけ、紫煙を吐きながらそう漏らす。
この件でフィリーネ元少将の評価は連合王国でも地に落ちてしまった。しかし、反対派閥のやり過ぎた行いにそらみたことかと批判する者も多い。
そして僕達軍や政府関係者は戦々恐々としている。反対派閥は復讐の矛先が自分に向くだろうと眠れぬ日が続くし、彼等を守る護衛達は僕達連合王国軍の比じゃない苦労をしている。情報収集にあたっている連合王国軍人や外務省官僚もいつ自分達に危害が加えられるかとビクビクしている様子は報告からも伝わってきていた。
危険性が最も高かった一昨日に昨日、そして今日となり事は持久戦の様相を呈しつつあった。
「マーチス元帥閣下、アカツキ中将閣下、リイナ准将閣下。朝食をお持ち致しました」
「ご苦労。入れ」
「はっ。失礼致します」
三十分程経つと、僕達の朝食が届いた。持ってきたのは糧食関係に携わる下士官達だった。少し落ち込んでいた食欲をくすぐるいい香りだ。
「ありがとね。君達も夜食の手配とか休日返上でしょ? 時間を見つけてゆっくり休んで」
「はっ。ご配慮頂きありがとうございます」
「しかし我々の任務は皆様に食を提供することですから。アカツキ中将閣下も、連日連夜お疲れ様です。リイナ准将閣下は、相当お疲れのようですね……」
「副官として各方面との折衝をしてくれているからね。僕よりも忙しかったから。冷めない内に起こすよ」
「はっ。温かいうちにお召し上がりください。それでは自分達はこれで」
「うん」
下士官達はマーチス元帥がいるからか緊張しつつも、笑顔で言うと執務室を後にした。
朝食を摂るために片付けられたテーブルに置かれたのは、野菜とハムがしっかり詰まったサンドウィッチのようなものとバターがほんのりと香るスクランブルエッグにウィンナーが数本。湯気の立つスープはコンソメスープだろうか。野菜がゴロゴロと入っていた。飲み物としてオレンジジュースもあった。
「ん、んん……。なんだか、美味しそうな匂いが……」
彼等が出ていって割とすぐ、これまでぐっすりだったリイナは朝食の香りを感じたからか目を覚ます。この時ばかりかはさすがの彼女も無防備な様子だった。
「おはようリイナ。朝食を運んでもらったんだ。食べるかい?」
「ん、おはよう旦那様。ふぁぁ……、だいぶ寝た気がするわ……」
「おはよう、リイナ。少しは眠れたようだな?」
「お父様もいらしたのね。いつからかしら?」
「一時間前からだ。アカツキにコーヒーを出して、少し話をしていた」
「そうだったの……。ごめんなさいお父様、全然気付かなくて……」
「構わんよ。お前も良く頑張っているのは知っているからな。起きがけかもしれないが、朝食にしようか」
「そう、ね……。寝る前にシャワーは浴びたけれど、食べてから気分をすっきりする為にもう一度行きたいわね」
「シャワー、か。僕もしようかな……。ぼんやりした頭だと今日一日を過ごせる気がしないし……」
「二人ともそうしておきなさい。だがその前に」
「朝ごはんですね」
「朝食ね」
「ああ、一日の始まりの為にもな」
僕とリイナにマーチス侯爵は束の間の休息である時間を過ごす。とはいえ主な話題は仕事の事。今の状況だと仕方ないよね。
朝食を食べ終えて、統合本部内にある高級士官用のシャワー室を使って頭の中をしゃきっとさせると素早く着替えて司令本部へと向かう。その頃にはもう午前十時半になっていた。
マーチス侯爵は外務大臣の所へ行きこの件の話をしにいった。
刻一刻と時は過ぎてゆく。ついに事態判明から四十八時間を越えた。
正午頃に当該対象が発見という緊急通報があったものの、三十分後には誤報と修正が入り他国の出来事にも関わらず司令本部内の空気はさらにピリピリとしていた。
そうして午後三時前。誤報のせいで食べ遅れていた昼食は結局おやつ時と変わらない形になってしまい、僕は湿気防止の魔法が施された袋に入っているクッキーを手に取り、コーヒーを口に付けていた。
まだ昼過ぎだというのに、眠気を覚ますためにもう三杯ほどコーヒーを飲んでいる。前世のエナジードリンクが懐かしい……。
「アカツキ中将閣下」
「ん、どうしたかな。ルイベンハルク中佐」
「ここで、でも構いません。少し仮眠を取られてはいかがですか? 僭越ながら、アカツキ中将閣下は無理をなさっています」
「一応朝に少し寝たんだけどね……。もしかして目の下にクマでもある?」
「ええ、割と深く。これが自国の危急の事態であればこのような事は言いませんが、此度は協商連合が自国で収拾するべき案件に我々が手を貸しているのみ。既に我が国に報がもたらされてから二日経過しています。暗殺の可能性が低くなってきたのではないかという予測もありますから、ここは自分に任せて頂き閣下はお休みになられた方がよいかと」
「ううん、そうではあるけれどいつ動くか分からないし……」
「他国の元英雄と閣下を比較する事を、優しき閣下のお気に障られるかもしれません。しかし、あの人物は貴方が振り回される必要があるような者ではありません。調査室だけではなく、ここにいる誰もが思っています」
「何を?」
僕は直立不動のまま厳しい表情を見せる彼の方を向く。その顔つきが向けられているのは僕ではなく、無論彼女に対してだ。
何が言いたいかは大体予測がつく。
「閣下は我々があの人物に対して逆恨みしていると感じられるかもしれません。ですが、我々はこう思っているのです。『重要なこの時期になぜ、事を起こそうとしあまつさえ閣下のお手を煩わせるのか、と』。……それとも、個人的に何か思い入れでもあるのでしょうか」
「…………別に何もないよ。ただ、共通点が多いから人事ではないってだけさ」
人事ではないのは確かだ。フィリーネ元少将と僕には共通項が幾つもある。
でも、それだけじゃないんだ。日に日に確信に近付いていた。
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「愛国心の為ではなく、私が守るべき者達の為に私は国に尽くす」
もしかしたら、クソッタレと言っていた前世に絶望したのなら。
僕がここにいるように、あの人も経緯はどうあれここにいて。
きっと。
やっぱり。
フィリーネ元少将は――
「き、協商連合政府から緊急連絡! 緊急連絡!」
「すぐに読み上げて」
だけど思考は遮られた。言を発した動揺する通信要員に、部屋全体が緊迫した空気に包まれる。
ついに起きてしまったか。
やらしかやがったのか。このタイミングで。
誤報であってくれ。
様々な感情が入り乱れていた。
僕は、彼に静かに命令する。
彼女が確定的に叛逆者に堕ちたではなく。
どうか、確保したという連絡であってくれ。
そうすればまだ、確かめる術が残る。僕と彼女が懸隔した立場となってしまってもいい。
ただ一言、問いたいんだ。
貴女は、あの人ですかと。
でも。
「読み上げます……。『クリス大佐をペンザンシーから北の小規模港町、モーバルにて保護。…………クリス大佐曰くモーバル岬にて、フィリーネ元少将は……』」
「フィリーネ元少将が、どうしたんだい……」
僕はゆっくり立ち上がって、彼のもとへ歩く。声は、身体は震えていた。
やめてくれ。最悪の可能性だけは、外れていてくれ。
「はっ……。…………投身自殺をされました。死体は、見つかっていません。恐らく海の……」
「そ、んな……」
叶わなかった。
フィリーネ元少将は、あの人は、死んだ。
世界が揺らいだ。
視界は傾く。
「アカツキ中将閣下……!?」
「閣下!?」
「すぐに軍医を連れてこい! 早くだ!」
「無理をなさるから! 三日も寝ていなければ当然だ!」
「とにかく早く軍医を呼んでこい!」
「どう、して……」
少なくとも、この世界はぼくにとても優しかった。
戦争に身を投じているけれど、沢山の大切な人がいた。
なのに。
「なんで、ですか……」
どうして、あの人にとってはこの世界もこんなにむごたらしい思いをさせたんだ。
「騒がしいわね。何が起きたって言うのよ」
「リイナ准将閣下! アカツキ中将閣下がっ!! 中将閣下がっ!!」
「旦那様!? 旦那様どうしたの!?」
リイナが駆け寄る。
意識はそこで、途絶えた。
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「なんでモブキャラの悪役令息があんなに強力なスキルを複数持ってるんだ! しかも俺が目指してる国王エンドを邪魔するような行動ばかり取りやがって!!」
悪役令息のグレイスに対して日々不満を高まらせていた。
なんか俺、勇者のアルフレッドからものすごいヘイト買ってる?
でもまあ、勇者が最強なのは検証が進む前の攻略情報だから大丈夫っしょ。
というわけで、ゲーム知識と神スキル構成で思うままにこのゲーム世界を突き進んでいきます!
転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~
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しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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