熊の魚

蓬屋 月餅

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エピローグ

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「兄ちゃん、兄ちゃん!こっちにも雪、投げて!」
「こっちにも!」
「よし、それじゃ…あっ、やったな!?こら待て!」

 冬ごもりの数日が過ぎ、すっかり元の活気を取り戻した陸国。
 大通りを埋め尽くしていた雪は酪農地域からやってきた牛や馬達による活躍と毎日降り注ぐ陽の光によってほとんど除けられ、脇の方にわずかに残る程度になっている。
 彼は食堂の裏手で雪遊びをして はしゃぐ子供達の相手をしてやっていた。

「ねぇ、兄ちゃん。兄ちゃんはもうずっとここでお仕事すんの?」
「うん、そうだよ」
「そんじゃあさ、ずっとここにいんの?」
「いるよ。ここが俺の家だからね」
「そうなんだ!じゃあさ、おれらともいっぱい遊べる?」

 無邪気に尋ねてくる子供の頭を撫でてやりながら「いいよ」と答えると、子供達は歓喜の声をあげる。
 彼が来てすぐの頃はどこか緊張していた子供達も今ではすっかり彼に懐いていて、「兄ちゃん」と親しげに呼んでいた。

「おれね、兄ちゃんと遊ぶの、楽しくて好き!」
「僕も!」
「あたしも!」
「そうかそうか、お前達は本当に可愛いなぁ…よし、いっぱい撫でてやる!」
「うわぁ!」

 笑い声をあげる子供達の頭を1人残らずわしわしと撫でると、まだ遊び足りない子供達は再び僅かに残る雪へと手を突っ込み始める。
 いくら遊んでも体力が尽きないその様子を見ていると、羨ましささえ感じられるほどだ。
 散々遊びに使われた雪はすでに固く土に汚れた所も多くなってきていて、それらを不満に思ったらしい子供の1人が声をあげた。

「ねぇ、ここの雪はもうあんまり遊べないよ。他のとこへ行こう」
「他のとこってどこ?」
「鉱業地域の方だよ、まだあの辺りはいっぱい雪が残ってるんだって!」
「ほんと!?行こうよ!」
「みんなで行こ!兄ちゃんも!」
「あっ、俺…」

 子供達がキラキラとした目で見つめてくる中、彼は眉をひそめる。
 もう数ヶ月何も起きていないとはいえ、やはり鉱業地域へ近づくのは気が引けてしまう。

(どうしたものかな…まぁ、大丈夫だとは思うんだけど。…あいつらもわざわざこんな広場近くの方まで来ることなんかないはずだし、多分…うん、ない…はず…)

 彼はひとしきり考えた挙げ句、「うーん、ごめんな」と口を開いた。

「俺は行かないでおくよ」
「えー、兄ちゃんも行こうよ」
「お仕事、今おやすみの時間でしょ?」
「また雪投げてよ、兄ちゃん」
「あっははは!俺は随分懐かれてるんだな、ありがとう」

 彼は口々に残念そうな声をあげる子供達に再び「ごめんな」と声をかける。

「俺、すっごく大事なものを預かってるからさ、ここを離れられないんだよ。一緒に行ってやれなくて悪いな」
「大事なもの?」
「うん、すっごくすっごく大事なものだよ」
「そっか…」
「ごめんな。あっ、遠出するならお前達だけで行くのはだめだぞ!ちゃんと他の兄ちゃんか姉ちゃんと一緒じゃないとだめだからな!」
「うん、分かってる!そんじゃ、おれたち遊んでくる!」
「じゃあね兄ちゃん!」
「うん、気をつけろよ!」

 元気に走り去る子供達の後ろ姿を見送っていると、通りに出たところで他の青年を見つけたらしく、子供達はそれから近所の女性も巻き込んで鉱業地域の方へと駆けていった。

「…大事なものって?」
「う、うわぁ!」

 突然後ろから声をかけられた彼が飛び上がりそうになりながら「驚かすなよ!」と振り向くと、そのすぐ後ろにはいつの間にか『熊』がいた。

「何だよ熊、聞いてたのか?」
「うん…あの子達が君を無理に連れ出そうとするなら、引き留めるか、僕もついて行くかしようと思って」
「あっははは!そのどっちも必要なかったな、俺はここに残ったよ」

 愉快そうに言う彼を引き寄せた『熊』は開いていた裏口の扉を閉める。
 食堂の裏手のこの倉庫は扉を閉めてしまうと通りの方の声もしっかりと遮られ、日中でも静寂に包まれてしまう。

「俺が行くと思うか?言っただろ、俺は熊と一緒じゃないとどこにも行かないって」
「うん…」
「それに、預け主の許可がないと持ち出すのは気が引けるよ。『大事なもの』になにかあったら、預け主がどうなるか分かったもんじゃないからな」

 彼は自分の言葉にあまり反応を示さない『熊』に対し、「『大事なもの』がなにか、分からないのか」と微笑んだ。

「いいよ、教えてあげる。いいか、俺は体も心も魂も、全部熊にあげてるんだ。全部熊のものなんだよ。だから、今の俺は熊から『俺』を預かってるにすぎないってこと」
「そう…なの?」
「そうだよ、なんかこうやって言うとよく分かんなくなってくるけどな…でも、とにかく『俺』の持ち主は熊だし、預け主も熊だってことだ」

 すると、『熊』は「僕も…」と呟く。

「僕も全部君のものだよ」
「へぇ…?」
「全部君にあげる。何をしてもいい」

 真っ直ぐな視線を向けてくる『熊』に、彼は「『何をしても』…か」と目を細めた。

「これはまた随分と上等なのをもらっちゃったな。そうか、それなら俺は俺のものである『熊』をお前に預けるよ。俺の大切なものだぞ、傷1つ付けないように気をつけてくれよな」

 彼は『熊』に真正面から向き合い、目を見つめながら「いいか?」と言い聞かせるように話す。

「俺達はそれぞれ自分のものと預かってるもの、2つずつ『大事なもの』を持ってるってことだぞ。2つ…いや、2人分か。本当に、熊も大切にしてくれよ…」

 そこで彼は口づけされそうになり、「待て待て!」と慌てて止めた。

「ここ倉庫だぞ!誰か来たらどうするんだよ!」
「少しだけ」
「あっ、ちょっと、もう…」

 『熊』の瞳にはどうしても抗うことができず、彼は結局口づけに応じてしまう。

 ただ快楽を得るための、性欲のはけ口という扱いを受けてきたこれまでの人生。
 そんな暗闇から抜け出すことさえ諦めていたにもかかわらず、手を差し伸べて救い出した上、これほど優しく温かな口づけをしてくれる存在に出逢えたことは彼にとって最大の幸福だと言えるだろう。
 その信じられないような事実を噛み締めながら、彼は囁いた。

「熊、本当に…ありがとう。俺を見つけてくれて、救ってくれて、大切にしてくれて。…俺ね、すごく幸せだよ」

 食堂と倉庫とを隔てる扉から何の音も聞こえてこないことを注意深く確認した彼は、再び『熊』へと唇を寄せると、今度は深く口づけて溢れる気持ちを伝えた。
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