その杯に葡萄酒を~オメガバ―ス編~

蓬屋 月餅

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番外編

「黒耀と琥珀」

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 神々への日頃の感謝を伝えるために行われる秋の儀礼。
 陸国中が賑わうその日は暗くなるにつれていつも以上にあちこちに灯りがともり、高台に登れば中央広場や各地域を隔てる大通りが美しく煌めいている様子を目にすることもできる。
 夜遅くまで屋外で飲み食いしながら賑やかに過ごす人々。
 しかしそんな中、真っ暗な自宅に一組のつがいが帰宅していたのだった。


ーーーーーーー


「はぁ~っ、今年も楽しかったね黒耀!」
「そうだな」
「嬉しいこともあったし…あぁ~もう本っ当に良かったなぁ…!!」

 くすくすと笑いながらすっかり暗くなっている家の中へと入ってきた琥珀とその後に続く黒耀。
 黒耀はきちんと戸に鍵をかけると、部屋の中央にある油灯を点けてからすぐに浴室の支度をしに行く。
 彼らが住んでいる酪農地域には他の地域にはない利点、大きな特徴がある。それは『湯浴みの支度』だ。
 酪農地域は温泉の湯脈が豊富であり各家庭にも簡単に引き込むことができるので、大体どこの家でも湯浴みに使う湯は沸かすのではなく湯栓を開けることで用意するのである。
 もちろん彼らの家もその通りなので、黒耀がする浴室の支度と言ってもそれは空になっている浴槽とかけ湯用の槽を軽く湯で流して綺麗にし、湯を引き込むための栓を開けるだけのことだ。
 家に帰ってきてすぐでもこのようにして入浴の支度を整えることができるという酪農地域ならではの便利さを感じながら黒耀が部屋へ戻ると、そこでは琥珀が杯に汲んだ水を一口飲んで喉の渇きを潤しているところだった。

「ん、黒耀も飲む?」
「あぁ」

 琥珀から差し出された杯を受け取って一口水を飲むと、 【觜宿の杯】での夕食の際に一緒に味わった酒によってぽかぽかとしていた体もいくらか涼やかになっていく。
 杯を再び琥珀の手に戻した黒耀は浴槽の湯が溜まりきるまでの目安をつけるのにいつも使っている少し大きめの砂時計をひっくり返し、次に今さっき持って帰ってきた明日の朝食にする分の料理を調理場に持っていこうとしたのだが…そこで琥珀に腕を掴まれ、そのままふかふかとした長椅子へと座らされてしまった。
 さらに立ち上がることを許さないというかのように 琥珀は黒耀の太ももの上へと跨る。
 油灯1つでは部屋全体を照らすには全く光量が足りない。周囲の家々もまだ人が帰宅していないのか、それとも灯りを点けていないだけなのか…とにかく暗くて彼らがいる室内には窓からでさえも明るさをもたらすものはない。
 黒耀が「おい…まだやらなきゃならないことがあるんだから」と深く息を吐きながら言うと、琥珀は「いいじゃん、そういうのは今は」といたずらっぽく目を細めて黒耀の唇を指先でなぞる。
 薄明りの中で照らし出されるアルファの黒曜石のような若干鋭さのある眼差しと、それを見つめるオメガの琥珀色の瞳。
 大通りの方からかすかに聞こえてくる賑やかな声など一切存在しないかのように…2人はしばらくの間そうしてじっと見つめ合い、そしてどちらからともなく唇を寄せた。
 黒耀の手が琥珀の頬を包み込む。
 跨っている太ももの内側や頬から伝わる黒耀の体温と妙に艶めく口づけの音にくすぐったさを覚えながら、琥珀は身を離すと、改めて黒耀の髪を撫でつけるようにして触れながらくすくすと微笑んだ。

「ふふっ…ねぇ、黒耀。あの2人もつがいになるのかな?センとコウくん」

「あの2人がそういう仲だって聞いて…すごく嬉しかったなぁ…」

 すると琥珀に撫でられるまま黒耀は「そりゃあつがいになるだろ、あの2人なら」とさも当然かのように話す。

「傍から見てもお似合いだし、それになによりもうお互い他の人となんて考えられないんじゃないか」
「ん~僕達みたいに?」
「………」

 あまり顔は赤くなっていないもののほろ酔い気分になっているらしい琥珀は「さっきのあのウブな感じの2人を見てたらさ、なんか僕達がつがいになる前のことを思い出しちゃったよ」と甘ったるい声で黒耀に擦り寄っていく。

「もう結構前のことになるかもしれないけど…でも僕は今でもきちんと覚えてる。黒耀と初めて話したときのこともだし、一緒に中央広場まで出掛けたこととか黒耀が僕の誕生日に花束をくれたこと、あと僕の両親に挨拶しに来たときに地元の農業地域のお土産を沢山持ってきてくれたこともね。それからこの“うなじあて”をくれたときの…」
「もういいよ、分かったから」
「なぁに?照れてるの?も~可愛いんだから黒耀は~」
「照れてるわけじゃないって」
「え~?照れてるんじゃないの?じゃあ なんなの~?」

 指先でツンツンと頬を突っついてくる琥珀。
 黒耀は琥珀がこのようにして自分をからかうことを心から好んでいるということをよく分かっているので、あまりムキになって止めさせようとすることはない。
 しかし今夜はなにしろ秋の儀礼の日、祭りの日だ。
 それに子供達も外泊しているので この家には完全につがいである夫夫2人きりの時間が流れている。
 黒耀はいつもなら『はいはい。それじゃあまだ色々とやることがあるからな』と言って立ち上がろうとするところを、あえてそうはせず「…俺も楽しかったよ、琥珀」と琥珀の耳元に触れた。

「久しぶりに2人で中央広場を歩いたりしてさ。手を繋ぐのも…やっぱりいいもんだよな」
「こ…黒耀…」
「子供が2人いても相変わらずキラキラした目で色んなものを見てる琥珀は面白いし、なによりすごく綺麗だ。そういう姿を見ると…まぁ なんていうか、惚れたのも当然だったよなって思うんだ。うん」

 最後の方にはやたらもごもごとした言い方になっていた黒耀。
 まさかそんな言葉が聞けるとは思っていなかったらしい琥珀が驚いて目を見開きつつ「な、なに?そんなに酔ってるの?」とむしろ心配そうに訊ねてきたので、彼は途端に恥ずかしさが数倍になって長椅子から立ち上がろうとする。
 だが琥珀はそんな黒耀を慌てて抱きしめて止めると「ねぇ、僕もだよ、黒耀」と嬉しさを溢れ出させた。

「僕もね、黒耀と手を繋ぎながら歩いてて思ったんだ『わぁ、やっぱりほんとにカッコいいな』って。黒耀は知らないかもしれないけどさ、君の横顔は本当に素敵なんだよ。まっすぐに前を向いて歩くからすごく『意志の強いアルファ』って感じがして最高なの。もう…ありえないくらいカッコいいんだ。額も鼻筋も睫毛も…僕は黒耀の全部が好き、大好き」

「人通りの多いところを歩いてるときにさりげなく肩に手をやって引き寄せてくれるのも好き。僕が歩きやすいように、周りをゆっくり見やすいように歩幅とかを考えてくれてるのも好き。実は僕のためにって色々してくれてるのに、それを悟らせまいとしてるのも好き。どうしてそんなに僕のために あれこれしてくれるの?こんなに完璧な人は他にいないよ、こんなに素敵なアルファが僕のつがいだなんて信じられない、ほんとに素敵すぎる」

「ねぇ、好き。黒耀。僕、黒耀のことが大好き。愛してる。愛してるよ…黒耀ぅ…」

 琥珀が四肢にありったけの力を込めて抱きついていると、ふんわりと黒耀から【香り】が漂い始める。その“黒文字クロモジ”を想起させるような【香り】は琥珀にとって何物にも代えがたいものであり、深呼吸をしてそれを感じるとすぐに自らも【香り】を放ってしまいそうになるほどだ。
 しかし琥珀はくっつけていた体を離すようにして起こすと、視線をどこか端の方へと向けて必死に【香り】を放つまいとした。

「…なにやってるんだ?」

 黒耀が訊ねると、琥珀はぎゅっと目を瞑って「【香り】を放たないように我慢してるんだ!」とぷっくり頬を膨らませる。

「この際、黒耀からも『愛してる』って言ってもらわない限り【香り】は放たない!こんな簡単に【香り】を引き出されてたまるか、いつも簡単に君に乗せられちゃう僕だけど…ほんとは僕だって我慢することぐらいできる!どうだ黒耀!僕の【香り】が欲しかったら君も言うんだ!ほら!言って!でなきゃずっとこのままだぞ!」

 つん、と鼻先を斜め上に向けたままそう言い放つ琥珀はとても2児の親であるとは思えない妙な子供っぽさがあり、黒耀より年上だということすら信じられない。
 しかし黒耀もさすがにこの男の扱い方というものを熟知しているので今更そんな姿を見たところで呆れることはなかった。
 彼は琥珀のうなじに手を伸ばすと、そっと引き寄せながら頬へ啄ばむような口づけをし、そして薄く開いた琥珀の瞳をまっすぐに見つめながら言った。

「あぁ。愛してるよ、琥珀。俺のオメガ、俺のつがい

「愛してる」

 黒耀が言った途端、琥珀の頬はぶわっと紅に染まって辺りには彼のオメガの甘い“天竺葵テンジクアオイ”のような【香り】が漂い始める。
 混ざり合ったつがいの【香り】を感じるやいなや、2人は息つく間もないほど夢中になって激しい口づけを交わした。
 どれだけしてもまだ足りず、それどころかさらにもっと欲しくなってたまらない。
 静かな中に響く舌が触れ合う音と吐息は互いの体が触れ合っているところの熱と反応を一層高めていくようで、とろんとした瞳になった琥珀は黒耀に「ねぇ…僕、酔っちゃったみたい…」とそっと訴えた。

「こんな状態の僕1人で湯浴みしたら 危ないでしょ…?だからさ、一緒に湯浴みしてよ黒耀…僕と洗いっこ、して?」

 惜しげもなくチュッチュッと黒耀の額や瞼や頬に口づけをする琥珀。
 黒耀がそれを抵抗することなく受け入れながらちらりと砂時計を見遣ると、そろそろ浴槽に湯が十分溜まった頃だろうというくらいになっている。
 このまま大人しく浴室へ向かうことにしても良かったのだが…ここで少し琥珀をからかい返した時の反応も見たくなった黒耀はわざと「…なんだ、酔ってるのか?」と顔を覗き込んだ。
 とろりとした目をしていた琥珀は何かを察したようにサッとしっかりとした眼差しに戻る。

「酔ってるなら湯浴みはやめておいた方がいいと思うけど。それにそんな酔ってる相手をどうこうするのは たとえつがいといえども…」
「あ…いや、嘘だよ嘘、ほんとは酔ってない。あんな2杯くらいで酔うほど弱くないの知ってるでしょ」
「本当か?」
「うん。だから一緒に湯浴みしよ?」
「まったく、どっちなんだか」

 コロコロと表情を変える琥珀の愛嬌に弱すぎる自分に内心で苦笑しながら、黒耀は「湯浴みするなら…このうなじあては外さないとな」と琥珀のうなじを覆っているうなじあての留め具に手をかけた。
 琥珀が身に着けている首輪型のうなじあての留め具には鴨と犬を象った飾りが付いているのだが、その飾りの鴨の目には『琥珀』、犬の目には『黒曜石』がそれぞれあしらわれていて、彼らの出逢いと名前にちなんだ他にはない特別な意匠になっている。
 琥珀や黒曜石が輝きと強度を失わないよう特別な製法で造られているそのうなじあては常に琥珀のうなじを守っており、琥珀自身かもしくは黒耀以外がそれに手をかけることはない。
 うなじあてが外された後のあらわになった琥珀のうなじを撫で、そこにある咬み痕を確認するかのようにしきりに触れる黒耀。
 くすぐったさと淫らな気持ちが一緒くたになってこみあげてきた琥珀は黒耀に腰を押し付けてささやいた。

「そんなヤラしい触り方するなんて…もう。黒耀ってば」

「でも今夜はこれよりももっともっとヤラしいこと、してくれるよね?せっかくこんなに早い時間から家に戻ってきたんだからさ、2人っきりで何も気にせずに色んなことしようよ…夜の間中、朝になるまで…いっぱいシよ?」

 ちょうど砂時計が浴室の支度ができたことを報せてくる。
 しがみついている琥珀を軽々と抱き上げた黒耀は、そのまま確かな足取りで浴室へと向かっていったのだった。



ーーーーーーー
※来週(25日)は【その杯に葡萄酒を】にて『登場人物について』を公開予定です。
※第2章は2月1日からの更新を予定しています。お楽しみに…
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