403 / 532
第17章 ローカ・パドマの咲く頃に
第403話:魔祖を討つ運命は光を束ねる神裔が背負う
しおりを挟むクロノス――この神の名前を知る者は多いだろう。
それだけ知名度のある神だ。
このクロノスという名前を持つ神、実は一柱ではなく二柱いる。
(※神様の数え方は柱)
まずはギリシア神話に語られるクロノス。
大地母神ガイアと天空神ウラノスの間に生まれたティタン神族。その12人兄弟の末弟でありがなら、神々の王となったのがクロノスだ。
ガイアはウラノスとの間にティタン神族を始め、幾人もの子を成した。
だが、一つ目の巨人サイクロプスや五十の頭に百の腕を持つ巨人ヘカトンケイルなどは「醜い」という理由からウラノスに嫌われ、大地の奥底に封印されてしまった(ガイアの胎内へ押し戻されたという暗喩でもある)。
一度は産んだ子を胎に戻された苦しみ、我が子を愛してもらえない母の悲しみ、そして父親の身勝手さに、ガイアの怒りは頂点に達した。
彼女が用意したのは世界最硬のアダマス鋼。
この金属から鋭利な鎌を作ると、ティタン神族の子供たちにこう言った。
『誰か――父親を倒して王座を奪いたい者はいないか?』
これに名乗りを上げたのが末弟クロノス。
ガイアの怒りも露知らず、夫婦の営みをしようと寝屋を訪れたウラノスは、隠れていたクロノスに襲われ、アダマスの鎌で男性器を切断されてしまう。
傷を負ったウラノスは王権を失い、クロノスが新たな王となった。
(※世界各地の神話には『主神は五体満足でなくてはならない』という暗黙のルールがある。このため肉体を欠損した神は追い落とされることが多い。北欧神話のティール、アイルランド神話のヌァザなども右腕を失ったために失墜した)
ウラノスは最後にこんな予言をした。
『クロノスもいずれ息子に敗北し、その王権を奪われるだろう』
この予言を真に受けて恐れたクロノスは、女神レアとの間に生まれた子供を片っ端から飲み込むことで自身の王権を維持しようと企む。
炉の守護女神、豊穣の女神、結婚と貞淑の女神、冥王神、海王神。
後にオリュンポス十二神として天上界を制する神々の兄弟たちは、そのほとんどがクロノスの腹に収まってしまったのだ。
これが我が子を愛する母親の怒りを買った。
孫への非道な仕打ちに祖母も怒り、レアに協力する。
そこで6番目に生まれた子供を匿うため、クロノスには赤ん坊サイズの石を産着で包んで渡し、丸呑みさせることで勘違いさせた。
この匿われた子供こそが、後に最高神となるゼウスである。
月日は流れて成長したゼウスにより、クロノスは打ち負かされてしまう。こうして王権を奪われたクロノスは、冥界へと幽閉されるのだった。
――その後については諸説ある。
冥界にいつまでも幽閉されている説もあれば、数年後にゼウスと和解した後、世界の果てにある死後の楽園『至福者の島』の王となったという説もある。
このクロノスが司る神能は、大地と農耕。
大地母神ガイアの系譜が強いらしい。ローマ神話の農耕神サトゥルヌスと同一視されており、農耕と作物の実りを約束する豊穣神のようだ。
もう一柱、クロノスと呼ばれる神がいる。
(※クロノスという綴りもある)
先のクロノスと読みが同じなため混同されるが、まったくの別物だ。神としての立場や神話での役所さえ異なる。
――別人ならぬ別神。
こちらのクロノスの神能は時間、つまり“時間を司る神”だ。
時間にまつわる神は、我々のよく知るギリシア神話には登場しない。
(※ゼウスの末子カイロスを時の神とする説がある)
現代に伝わるギリシア神話は、紀元前八世紀頃に詩人ヘーシオドスによって編集された『神統記』などを元に語られるものが主流だが、実のところギリシア神話にはもっとたくさんのバリエーションがあった。
なにせ「都市が変われば神話が変わる」と言われるくらい、地方によって神話の内容がガラリと変わるのがギリシア神話だ。
(※その都市によって神の流行が違うのもあれば、そこの為政者が「私の先祖はあの神様がいい。吟遊詩人、そんな歌を広めてくれ」なんて好き勝手なことをしていたため、いくつもの神話が乱立してしまったらしい)
消えた神話や忘れられた神々は数知れず。
そういった風化した神話を拾い集め、『イーリアス』や『オデュッセイア』などの叙事詩を参考にして、ヘーシオドスは『神統記』を編んだという。
ここに時間神としてのクロノスの名前はない。
紀元前6世紀の思想家ペレキュデースの書物。あるいは古代ギリシア時代にあった秘密の儀式を伴う宗教、オルペウス教の宇宙創世にまつわる神話。
時間神の名前はこちらに記されている。
原初の混沌から生まれたのが時間という説もあれば、世界の始まりにまず時間があり、そこから混沌が生まれたという説もある。
ただ、この時間から数代を経て最高神が生まれたともされている。
どちらにせよ、ゼウスの祖としてクロノスの名はあったわけだ。
――クロノス≒クロノス。
もしかすると、消えてしまった神話の中には、この二柱のクロノスを結びつける説話があったのかも知れない。だとしたら……。
――クロノス=クロノス。
~~~~~~~~~~~~
「クロノス、バロール……ふたつの神の名」
略称にしていた“K”を意気揚々と明かすリードを、ジェイクは憎しみの視線で見据え、怒りに湧き立つ脳髄でもその意味するところを理解した。
「やはり、おまえも内在異性具現化者か……ッ!」
伏せていた鬼札を切ったつもりか。
前哨戦の時からその片鱗を見え隠れさせていた。
リードは2つの異能を使っていた。
すべてを消滅させる力――時間を操作する力。
明らかに系統の違う、二種類の異常な力を覚醒させているのだ。
消滅の力を弾丸に変えて拳銃使いのジェイクに対抗し、時間の流れを早めたり遅めたりと狂わせ、こちらを翻弄してきたのは記憶に新しい。
完全消滅と時間操作。
どちらも人知の及ばない奇跡である。
単なる技能の枠を超えた現象を起こし、複数の技能を組み合わせた高等技能でも実現できない神威を引き起こす。そんなものは限られている。
――過大能力に他ならない。
二柱の神の名を名乗るのは、ふたつの過大能力を持つことを意味する。
しかし、過大能力は1人につき1つしか覚醒しない。1つなのに様々な効果を発揮する多機能な過大能力もあるが、本質的には1つの能力である。
例外を許されるのは内在異性具現化者のみ。
女が男に、男が女に、人が獣に、生が死に、老いが若さに……なんらかの性が裏返るも、相反する属性を併せ持つに至った存在。
ジェイクも女から男に転じた内在異性具現化者である。
中性的な外見は反転したがゆえだ。
リードの外見も男なのか女なのかわからないユニセックス。おまけに外見こそ年若いものの老成あるいは老獪した、いやらしい小賢しさがあった。
そこから推察できる例はふたつ。
性別が反転したか? あるいは幼年と老年が逆転したのか?
「……いいや、違う」
ジェイクの憎悪に塗れた双眸が鋭くなる。
怒りの敵意や憎しみの殺意に溺れながらも、敵を殺すための洞察力までは鈍らせていない。拳銃使いの眼はリードの本質を見抜いていた。
「おまえには……反転した形跡がない」
ツバサ君やミサキ君なら――仕種に男だった頃の名残がある。
アハウさんなら――獣になる前の人間らしい仕種を見せる。
クロウさんなら――肉のついていた時代を偲ばせる行動を取る。
人に七癖とはよく言ったものだ。
どんなに姿形が変わろうとも、元の肉体で過ごしてきた癖が身についてしまっているのだろう。時折、それを覗かせることがあった。
標的を狙い澄ます拳銃使いの眼がその癖を見逃すことはない。
だが、リードにはそれがなかった。
内在異性具現化者として反転した形跡が見当たらないのだ。
内在異性具現化者ならば必ずやってしまう、かつての肉体との齟齬ともいうべき違和感のある挙動がまったくなかった。
裏を返せば、リードの肉体は変わっていないという証である。
現在進行形で変わっている最中だが……。
「そう……内在異性具現化者と同じく、複数の過大能力を持っています」
変貌したリードはジェイクの指摘を認めた。
「しかし、僕は内在異性具現化者ではない……」
リードは――相反両義否定者です。
聞き慣れない言葉にジェイクも眉をひそめた。
専門用語や隠語かと考えて、マルミちゃんに通信で聞いてみたが、彼女も「そんなの聞いた覚えがない」という返事をくれた。
返事の後、百万遍のお小言を食らう。
『そんなことよりもね! もっと通信網へ顔を出しなさい! 情報共有大事って口酸っぱく言ってるでしょ! さっきの宇宙卵破壊の採択にも返事してないわよね!? アンタは曲がりなりにも陣営の代表なんだから……ッ!』
眉を怒らせているポッチャリ顔を想像できてしまう。
白熱しそうなのでジェイクは通信を切った。
ツバサ君もマルミちゃんも、オカンなのでお説教大好きだから困る。
『『――誰か説教大好きオカンだコラ!?』』
ツバサ君とマルミちゃんが通信越しに怒鳴ってきた。やばい、うっかり繋げたまま思ったことを通信に乗せてしまったらしい。
超爆乳と爆乳がユッサユッサ迫ってくるシーンが脳裏に浮かぶ。
瑞々しい太ももがフェチのジェイクでも、思わず息を呑んでしまいそうな光景だ。おっぱい星人ではないけれどガン見してしまうに違いない。
揺れる乳房を妄想しながら通信を切断する。
今は目の前の敵――憎い仇敵リードに集中したかった。
相反両義否定者についての詳細は不明。
だが、内在異性具現化者として裏返るような変化は見られない。
なのに――複数の過大能力に覚醒する?
マルミちゃんやレオナルド君も知らないような仕様がVRMMORPGにはあったのだろうか? 内在異性具現化者の亜種みたいだが……。
あるいは破壊神に魔改造された線もありそうだ。
ジェイクが分析した限り、強すぎる力に肉体が過剰反応している。その力が毒のように彼の身体を蝕んでいるとしか思えなかった。
……以前、アハウさんもそんな感想を漏らしていたはずだ。
(※第376話参照)
本体は性別の定かではない美青年のまま。
しかし、その美貌の右上半分は抉り取られたように欠損している。
ジェイクが至近距離で特注強装弾をぶち込んだからだ。
円形に抉られた部分を土台として、赤々と燃える光球が浮かんでいた。これは彼に宿る“消滅”を司る過大能力が具現化したものらしい。
そして、左腕は完全に形を失っていた。
いくつもの時計盤が、腕のあった場所に浮かんでいる。
不可視の力で連結した時計盤が、変形した左腕なのだろう。元の腕の長さを越えているのか、宙に浮かぶリードの足下を越えていた。時計盤はそれぞれ長針と短針をグルグルと回して、不規則な時間を刻んでいる。
先ほどはすべての針が反時計回りだった。
今は時計回りと反時計回りが入り乱れてグチャグチャである。
時計盤の腕の先、怪物のように細く伸びた五指を持つ手が浮かんでいた。
その掌の中央には豪勢なデザインの時計盤。
また左眼の黒目も時計盤と化していた。
怪物や化け物と敬遠されても仕方ない異形。
まだ人間らしい部分も残っているので、控えめに「怪人」とか「魔人」と呼ばれるかも知れない。どちらにせよ、近寄りがたい風貌である。
なのに――リードは誇らしげだ。
人間とはかけ離れた造形に変わり果て、それが現在進行形で悪化しているのにもかかわらず、リードは変化した有り様を誇示するかのようだった。
変化した姿を誇っているのではない。
肉体が歪んでいく原因、総身から溢れる圧倒的な力を誇っているのだ。
真紅の光球が瞬き――無数の時計盤が時を刻む。
伸びた時計盤の腕は、ジェイクの背後へ向けられている。
先ほど、宇宙卵を壊すために乱射した銃弾の群れだ。ジェイクの過大能力が働いているので、弾丸一発のサイズが大型の彗星くらいある。
それが群れているから、ちょっとした流星群だ。
この流星群のような弾雨が――ピクリとも動かず止まっていた。
弾丸を取り巻く業火のような熱気も揺らぐことはないので、完全に時間が止まっているらしい。動画を停止させたような風景である。
時間の流れをかき乱すだけではなく、完全停止もできるようだ。
そして、頭に乗せた真紅の光球が煌めく。
発射されたのは、消滅の過大能力を宿した弾丸だ。
空中で停止している彗星サイズの弾丸に狙いをつけると、それらを打ち砕くように消し去ってしまう。自らの時間停止の能力さえも食い潰したらしい。
時を止めてからの滅殺コンボは厄介だ。避けにくい。
あるいは――滅ぼした世界の時を止める。
その使い方が念頭にあると見た。奴らの首領が「来世があると思うなよ?」と唱えているそうだから、最期の後始末を引き受けそうな役どころである。
最悪にして絶死をもたらす終焉 一番隊隊長。
№06 滅亡のフラグ――リード・クロノス・バロール。
ジェイクの攻撃を無効化したリードは、したり顔で話し掛けてくる。
「2つの相反する属性を内包する内在異性具現化者とは違います……謂わば、2つの属性どちらでもないものです」
具現化した力をひけらかすような、尊大な口調だった。
やはり破滅の力を誇りに感じているらしい。
人間らしい姿を捨てて、異形となるのも厭わないほどに……。
「しかし、1つの肉体に複数の過大能力を宿すという、一般神たちからしてみれば途方もない特例については同等です……」
「ああ、見ればわかる」
一目瞭然だ、とジェイクは渋い顔で肯定するしかない。
――最悪にして絶死をもたらす終焉。
彼らは世界廃滅という目標を掲げているためか、その名に世界を脅かした魔王や邪神の名を持つ者が多いらしい。望むと望まないとに関わらず、神話上での役目として死神や魔神の名を持つ者もいるという。
モート、テュポーン、ランダ、アポピス、ロキ、フェンリル……。
クロノスやバロールも魔王の名前だ。
(※厳密には神なのだが、やってることが魔王の所業)
彼らの名前と過大能力には、一種の相関関係があるらしい。
魔王や邪神の名前を冠するのはモデルにしたためなのか、彼らの逸話を準えたような過大能力の場合がほとんどのようだ。
逆に考えれば、名前について紐解けば弱点も見出せる。
戦争が始まる前、ツバサ君やレオナルド君からそんなレクチャーを受けたことを辛うじて思い出したジェイクは、即座に通信を繋いで呼び掛ける。
『クロノスとバロールについての情報求む!』
『はいはーい、お急ぎみたいなんで情報を圧縮してお伝えしまーッス』
答えてくれたのはハトホル陣営の知恵袋――フミカちゃん。
彼女のおかげでジェイクの脳内に、クロノスとバロールについての基礎知識が流れ込んでくる。クロノスについては前述の通りだ。
最高神の親父は知っていたが、時間の神も同じ名前だとジェイクは初めて知った。まったく別の神だというが、何らかの関係性も読み取れる。
クロノス≒クロノスという線もありそうじゃないか?
そういえばフィクションでクロノスの名前が付くキャラは巨人族を名乗ったり、時間を操る能力を持つことが多かったはずだ。
これは混同したためだろうが、あながち間違いでもないのかも知れない。
――クロノス=クロノス。
少なくとも、時間を操るリードの能力はクロノス由来らしい。
そして、リードが最初から名乗っていたバロールについて。
アイルランド神話には、幾多の種族が登場する。
この神話ではダーナ神族と呼ばれる種族が主役的に扱われるのだが、そのダーナ神族を追い詰めたのが魔王バロールだ。
ダーナ神族に敵対したフォモール族の王である。
死神バロール、邪眼のバロール、強撃のバロール……。
いくつもの異名を持っているが、最近では「魔眼のバロール」と呼ばれることが多いらしい。これは彼が持つ特別な眼に由来するものだった。
バロールの眼は見たものすべてを殺す。
その視線を浴びた者は何者であれ即死するというものだ。
これが魔眼と恐れられる所以である。
しかし彼は老いていたのと巨体のため自ら瞼を開けることができず、4人の部下が滑車を用いてこじ開けなければいけない面倒があった。
それでも見るだけで軍勢を壊滅させる殺戮兵器だ。
ダーナ神族は為す術なく、一方的に虐殺されるばかり。とうとう降参へと追い込まれ、ダーナ神族はフォモール族に隷属するという屈辱を受けた。
しかし、バロールにある予言がもたらされる。
『バロールは一人娘が産んだ子、即ち孫の手によって殺されるだろう』
クロノスがゼウスに負けると予言されたように、バロールもまた自らの子孫によって王座から引きずり下ろされる運命を告げられてしまったのだ。
バロールを討ち果たした孫の名前は――。
「……何の因果だよ、それ」
笑えないな、と俯いたジェイクはそう漏らした。
フミカが教えてくれた、バロールの孫にして魔王を打ち倒す運命の下に生まれた光の神の名前。それを聞いたジェイクは奇妙な縁を感じた。
思わず目を伏せて苦笑するのも仕方ない。
自分から目線を外したジェイクに、リードは好機を見出したようだ。
「消滅と時間……人も神も魔も抗いようがない領域」
新たな右眼となった真紅の光球が燃え盛る。
沸々と湧き立つ溶岩のように表面。そこが泡立って弾け飛ぶだけ衝撃波が生じ、周辺の空間が吹き飛ぶように消えていくのがわかった。
万物は滅ぶ――万象は滅ぶ。
こればかりは避けようがない。万年を生きる神族や魔族ですらもいつかは死んで滅びるものだ。遠ざけることはできても逃げられないだろう。
どうやらリードは自己制御を外したらしい。
以前は消滅の力を凝縮して放つのに溜めが必要だったはずだが、今では溢れ出す余剰な力だけでも空間を消し飛ばす威力があった。
おかげで、周辺の空間が狭まったり曲がったりしている。
消えた空間を埋め戻すように、既存の空間が変形しているのだろう。
紛れもなく消滅の力が増大していた。
「これを自在とできるのが……破壊神の特権です」
新たな左腕となった時計盤だらけの腕が無造作に振るわれる。
たったそれだけで時間の流れが狂った。
南方の大地の何処かが先祖返りしたかのように太古の密林になかったと思えば、北方に岩山が数億年を経たかのように風化して消え、西方の平原と東方の草原は動くものすべてがピクリとも動かなくなる。
時間の逆行と加速、時間停止も使えるというパフォーマンスだ。
消滅の力同様、時間の流れにも逆らえない。
神族や魔族の技能には、確かに時間操作というものがある。
だが、これは複数の技能を掛け合わせた高等技能に属するもので、習得する難易度のハードルも棒高跳びを上回るレベルで高い。おまけにその効果も、一定区間の時間の流れを「止まった」と錯覚するほど遅くする程度である。
多種族や下位の神族魔族になら通じるだろう。
しかしLV999クラスにもなれば、超神速で動くこと時間の遅延を脱することができる。足止めくらいの効果しか望めなかった。
時間を操作できるが停止には程遠い。
ツバサたちの使う空間転移も高等技能だが、時間操作は同レベルかそれ以上。
時空間へ干渉する技能、その難しさがわかるというものだ。
消滅と時間――どちらも時空間に関わる分野。
それをリードは2つとも過大能力で扱えるところを見せつけてきた。
「こうなってしまったからには、もはや手加減はできません」
リードの右眼と左腕が瞬動する。
「おさらばです――白い拳銃使いさん」
リードが別れの言葉を告げた次の瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
真紅の光球から放たれた消滅弾による弾幕だ。
時計盤だらけの腕で時間を加速させたのか、それともこちらの知覚を遅延させたのか、気付いた時にはジェイクの眼前まで迫っていた。
咄嗟にジェイクは右手の拳銃から弾幕を放ち、消滅弾を撃ち落とす。
ギリギリで間に合い、弾幕同士を相殺させた
だが手応えがおかしい。消滅の威力が抑えられていた。
そのため相殺する際に無駄なエネルギーを撒き散らし、それが爆発力となってジェイクの前方に爆煙を巻き起こす。
この煙幕で視界を遮られる。これがリードの狙いのようだ。
反射的にその場から飛び退く。
数瞬前までジェイクのいた場所を、赤い消滅弾の何千発も駆け抜けていく。発射速度や貫通力が先ほどとは段違いの連射でだ。
爆煙を突っ切り、気配でリードの位置を探りながら反撃の機会を窺う。
相手の位置を確認した直後、ジェイクは瞠目した。
リードがこちらの間合いに踏み込んでいた。
振り切ったと思っていたが、リードはジェイクの回避経路を読んでいたらしい。煙幕を抜けたところに待ち構えていたのだ。
消滅弾を無限に放つ、真紅の光球がジェイクを捉えていた。
機関砲×10000が可愛く見える、消滅弾の斉射が押し寄せる。
「……追い込み漁のつもりかよッ!」
毒突くも形振り構っている場合ではない。ジェイクは姿勢がメチャクチャになろうとも全身のバネを振り絞って、もう一度その場から飛び退いた。
消滅弾の嵐が視野の隅を通り過ぎていく。
そこへチクタクチクタクと嫌な音がする。時計の針が鳴る音だ。
危険を感じた直後――ジェイクの時は止められた。
リードの時計盤で構成された腕が、ジェイクに突きつけられていた。
足掻いているのだがビクともしない。
少しずつなら着実に動けているのだが、カタツムリの歩みにも負ける。超神速で動こうとするジェイクの時間を止めているためか、リードの時計盤はどれも攪拌機みたいな回転速度を叩き出している。
消滅弾で追い込み、時間停止という本命をぶつけてきたのだ。
本当の意味での本命はこれからだ。
リードの右眼、真紅の光球から新たな消滅弾が吐き出される。
これまでの弾丸サイズと比べたら何倍も大きく、砲弾あるいはロケット弾くらいの大きさはあった。威力重視なのか、数は指折り数えるほどだが。
しかし、まともに浴びれば神族でも消える。
弱めの消滅弾をバラ撒いて煙幕で追い立て――。
強めの消滅弾の弾幕で誘導しつつ追い込み――。
時間停止で身動きできない状態へ追い詰め――。
――渾身の一撃でトドメを差す。
セオリー通りで面白味に欠けるが、殺しの手順としては優秀だ。
こんな時、悪役ならば余裕ぶって勝ち誇った別れの言葉のひとつやふたつをくれるものだけど、リードはそんな余裕もないらしい。
先刻の「さらばです」が別れの言葉のつもりなのだろうか?
「…………フッ」
ただ、悪投に相応しい残虐な微笑みを湛えていた。
巨大消滅弾がいくつも放たれる。
前後左右、四方八方、頭上と足下も抑えるように、全方位から同時に大きな消滅の光が近付いてくる。その道中にあるものすべてを飲み干しながら接近しており、時間停止の能力さえも打ち消している。
ジェイクの時を止めたまま抹消するつもりなのだ。
避ける、躱す、防ぐ、逸らす、逃げる――すべて不可能。
ならば迎え撃つしかあるまい。
ジェイクは巨大消滅弾が直前に来るまで待った。
消滅の力はあらゆるものを消している。至近距離まで来ればジェイクを拘束している時間停止の効力も打ち消すように解けるはずだ。
無抵抗でいればジェイクも跡形もなく消え去ること請け合いだ。
だが、この刹那に賭ける価値はあった。
迎撃方法を考えている間に、全方位を消滅砲弾で取り囲まれる。
消滅の光は大きな力に接触すると激しく反応するのか、焼け石に水をかけたような酷い音を轟かせる。高熱に触れた水が爆ぜるような音だ。
蒸気にも似た爆煙が噴き上がり、ジェイクの姿はその奥に没した。
それを見届けたリードは満足げな吐息を漏らす。
「呆気ない……反撃もろくにできないまま終わるなんて……」
こんなものか、とリードは吐き捨てる。
「あの黄金の起源龍の仇討ちと息巻いていたみたいですが……所詮、何もできずに死んだあの龍のお仲間……あなたも何もできませんでしたね」
クククッ、とリードは肩を揺らして笑う。
弱者を捻じ伏せることに快感を覚える、愉悦者の笑顔だ。
やがて、別のことにおかしさを感じたらしい。
「内在異性具現化者が……この世界を導く“選ばれし者”? フフッ、ロンドさんのジョークも大概だ…………なッッッ!?」
不意打ちの悪寒でも覚えたのか、リードは冷や汗まみれで震え上がった。
慌てて振り返り、左腕を掲げて結界を張る。
いくつもの時計盤が目にも留まらぬ速さで秒針と長針を回転させ、リードを守るように時間の流れを遮断する。物理攻撃であろうが魔法攻撃であろうが、この時間結界を乗り越えることはできず、そこで停止させられるはずだ。
だが、その弾丸は時間停止の壁を突き抜ける。
時間の停まった空間を穿ち、リードの急所を射貫いていく。
「そッ……そんな馬鹿なッ!?」
驚愕とともに走る激痛からリードは顔を顰めた。
左腕の時計盤はひとつ残らず中心を撃ち抜かれ、長針と短針が吹き飛ばされる。のみならず、盤面も穴だらけになるまで撃ち抜かれていた。
光球となった右眼も、大口径の弾丸を何発も浴びて崩れかけている。
だが、力の源を壊せたわけではない。
苦しそうに呻くリードだが、異形の右眼と左腕はすぐに復元する。
それでも――かなりの力を削げたはずだ。
「時に手が届くのは自分だけ……思い上がりも甚だしいな」
他にもいるんだぜ、とジェイクは教えてやる。
あの消滅の大爆発を辛くも切り抜けたジェイクは、縮地などの高速移動系技能でリードの左側へと回り込み、油断したところに銃撃を浴びせかけた。
どうやら時計盤だらけの腕が災いしているようだ。
肩を越えて宙に浮かぶため、リードの視野を狭めていた。
おかげでその死角を伝いながら気付かれずに移動できたのだが……。
本当――間一髪だった。
2つあるジェイクの過大能力はどちらも応用が利く。
時間を操る能力ではないが、時間に関与することはできる。
消滅の力によって時間停止の効果が解けた直後、ジェイクはすぐさま過大能力をフル活用して、我が身に及ぼうとした消滅の大爆発を打ち消すことに成功。その隙を好都合とばかりに利用して、リードに逆襲したわけだ。
もっとも、爆発は浴びたので全身煤だらけになってしまったが……。
新調してもらった衣装もズタボロだ。
自慢の銀髪も痛み、そこかしこに裂傷や火傷を負っている。
しかし、致命傷はひとつもない。
身体さえ万全ならば挽回の機会はいくらでもある。
それがジェイクの精神論だった。アシュラストリートでこれでもかと鍛えられた根性がそう訴えてくるのだ。多少の痛みはアドレナリンで誤魔化せばいい。
「おまえ、弱い奴しか狩ってこなかっただろ?」
対戦相手への礼儀がなってない、とジェイクは詰るように言った。
「とにかく自分が持ってる『何でも吹っ飛ばすサイキョー最強爆弾~♪』とか『なんでも固める液体~♪』をぶつけることしか考えてない……テロ以下だな」
リードの戦い方には大義や意義を見出せない。
「一番近いのは……子供の癇癪、あるいは餓鬼のいやがらせだな」
少なからず、何者かに対する悔恨の念も感じられた。それさえみみっちい幼稚さを臭わせている。なのに、異様なくらい執拗なのだ。
陰険な子供のようでいて、拗らせた老害みたいな性根である。
こんなクソ餓鬼に――彼女は殺られたのか?
ジェイクは持て余す怒りから歯軋りを止められなかった。
「黄金の起源龍が何もできなかった……だと?」
右手に回転輪動式の拳銃を構えたまま、左手をロングコートの懐へ差し入れると対となる自動装填式の拳銃を引きずり出した。
物々しくも重厚、近接戦闘では鈍器にもできる前提で設計された銃だ。
回転輪動式は――『ガエアッサル』。
自動装填式は――『アラドヴァル』。
名付け親は、この拳銃を造ってくれたソージ君。
これらの名前は“ルーグ・ルー”という名前に関係するもの、平たく言えばルーグあるいはルーと名乗った神の武器だった。
ルーグ・ルーとバロールは、奇しき縁で結ばれた名前でもある。
ジェイクは二丁拳銃をリードに突きつけた。
「彼女は何もできなかったんじゃない、本気を出せばおまえとも対等に戦える実力があった。だが、そんなことをすれば、あの地に暮らす人々を否が応でもが巻き込んでしまう……だから、守りに徹するしかなかった」
愛する民を見殺しにするくらいなら――喜んで我が身を差し出す。
黄金の起源龍はそういう女性だった。
「無抵抗な女を甚振って悦に入るんじゃねえよ、世間知らずのボンボンが」
ジェイクは怒りの嘲笑をぶつけた。
リードは表情を失うも、そのこめかみに太い青筋が浮かぶ。
言い足りないジェイクは嘲りを続ける。
「大切なものを護るために全力を尽くす大人の責任……その重みを知らないだろ? 来世も許さないほどの世界の破滅だと? いかにも厨二病全開の陰キャが妄想しそうな末路じゃないか! いいか、よく聞け無知なボンクラ!」
大人はな――餓鬼の遊びに付き合わない。
「駄々っ子パンチで殴られたって無視するに決まってんだろうが……あいつはな! 子供たちの未来を心配するので手一杯だったんだよ!」
「その未来を滅ぼすのが僕らの役目だッ!」
売り言葉に買い言葉、とばかりにリードが怒号を上げた。
消滅と時間の力を最大出力で叩きつけてくる。
空間の色調が目に見えて違うほど時間停止、その力を津波のようにジェイクへとぶつけてきた。こちらの動きを徹底的に封じるつもりだ。
後ろには超特大の消滅弾が続く。
ひとつで都市を根刮ぎ消し去る規模だろう――それが5つ。
怒りに任せて大味な攻撃をしてきたものだ。
ジェイクはこれに敢然と立ち向かう。
逃げはしない。両手に構えた二丁拳銃を撃ちまくるのみ。
放たれるのは目映い光弾の群れだ。
そこにはありったけの激怒と憎悪が凝縮されており、ジェイクが覚醒した2つの過大能力が連動するように働いていた。
ジェイク第1の過大能力――【森羅万象を練り込む必中の光弾】。
自然界にある物質、現象、概念……なんであれジェイクの掌中に収まると、投げれば百発百中の光弾とする攻撃特化の過大能力だ。
百発百中といったが、実際には命中率に70%前後の補正が掛かるだけ。命中率のみならば85%まで上がるバリーの過大能力に軍配が上がる。それでも銃神と謳われたジェイクの腕で標的を狙えば、ほとんど100%も同然だ。
ジェイクの過大能力は汎用性に優れていた。
どんなものでも光弾にすることができ、素材の属性を色濃く帯びる。
炎を光弾にすれば着弾と同時に爆発的に燃え上がる焼夷弾となり、水を光弾とすれば火事を消火するほどの散水を巻き起こす。
ただし、あくまでもジェイクの掌中に収めなければならない。
物質的なものなら苦にもならないが、たとえば消滅のような現象とか、時間といった概念などは掴み所がない。つまり手の中に収まらないのだ。
ここで活躍するのが二番目の過大能力である。
ジェイク第二の過大能力――【百芸の神業は天地に働きかける】。
これは天地に遍く森羅万象を自由自在に細工できる能力。
ツバサ、ミサキ、アハウ、クロウ……内在異性具現化者が持つ、自然界に自らの意志で介在できる過大能力に分類されるのだろう。
ソージくんやジンくんが覚醒した工作系の過大能力によく似ており、周辺の自然物から思い通りの物品を瞬時に造ることを可能とする。もしくは、近隣の自然を意のままに操ることもできた。
こちらの過大能力は加工するものを選ばない。
消滅という現象――時間という概念。
こういった形のないものでさえ物質化することができ、具現化させたそれを弾丸に変えて両手に構えた拳銃の弾倉に装填できるのだ。
掌中の拳銃に収まれば光弾に変えられる。
想いを練り固めたジェイクの光弾が、リードの時間停止を撃ち破っていく。
――自動装填式拳銃から発射された光弾。
16発の光弾は、加速した時間を具現化させたもの。
時間停止を無効化するのは勿論、その津波を貫いてリードに直撃すれば、当たった箇所の時間を何億年も先送りにすることで破壊する。経年劣化の効果を極限まで圧縮したもので、形を保てなくなるまで風化させるのだ。
――回転輪動式拳銃から発射された光弾。
5発の光弾は、消滅と激痛を混ぜて具現化させたもの。
こちらの光弾も時間停止を突き破り、リードが放ってきた五つの特大消滅弾を貫きながら打ち砕く。貫通して尚、その威力が失われることはない。
一発残らず――リードに命中する。
「ぐあッ!? 」
光弾はそこで勢いを失ったようにリードの体内へ留まり、各部位を内側から壊す小規模な爆発を起こした。
風穴どころではない大穴が空き、そこの血も肉も骨も消滅させていく。
消滅する際、炸裂するように激痛を拡散させる。
リードが痛みに悶絶するのも無理はない。
エルドラントの苦しみを万分の一でも味わわせるために、そこら中から掻き集めた痛みを弾丸へたっぷり塗り込めてやったのだ。
猛毒を仕込んだ弾丸みたいなものである。
「ぐあっ……じ、時間と消滅の力……なんで、なんでッ!?」
身悶えるリードは呻くような声で叫んだ。
納得いかず理解できない、理不尽だと声音に滲ませる。
まだ人間のままの右腕で身体中に開けられた穴を押さえて、痛みを紛らわそうとしていた。回復系魔法を総動員させているが追いつかないらしい。
「専売特許と自惚れたのが間違いだな」
間髪入れず、ジェイクは二丁拳銃を撃ち続ける。
時間停止や消滅の力を使って抵抗されようとも関係ない。
2つの過大能力を融合させた特別製の光弾はそれらを易々とぶち抜き、リードの肉体が文字通りの蜂の巣になるまで責め立てていく。
「クソォォォ……本当にあなたは! 僕と同じように時間にッ……ッッ!?」
「言ったろ、時に手が届くのはおまえだけじゃない」
ジェイクも過大能力を連動させれば、時間に干渉することが適う。
「過大能力を2つ持っているのもおまえだけじゃない」
恐らく、内在異性具現化者は大なり小なり似たような真似はできるはずだ。森羅万象のみならず、複数の過大能力があれば時空間へも干渉できる。
それが――“選ばれし者”という意味なのかも知れない。
「ルーとバロール……奇妙な縁だな」
銃撃の手を休めず、ジェイクは思わせ振りに呟いた。
「……僕たちの名前がなんだと言うんです?」
ジェイクから降り注ぐ光弾の雨あられを必死で凌ぎつつも、リードは不貞腐れたような口調で問い返してきた。
この反応――どうやらバロールには詳しくない。
クロノスという名前の明かした時には調子づいていたので、その由来が時間神や最高神の父親と知っていたらしいが、バロールに関しては「睨んだ者すべてを殺す魔眼を持つ」くらいの知識しかないと見た。
無理もない、ジェイクも詳細を知ったのは今さっきだ。
知識人のフミカちゃんから教わるまで全然知らなかった。思い返せば、ルーグやルーの名前も、レンちゃんから借りた本の受け売りに過ぎない。
ジェイクは名前にまつわる因縁を解説する
「オレは――本当はジェイク・ゼウス・ルーだったんだ」
「…………は?」
発言の意図が読めず、リードは怪訝そうに首を傾げた。
構わずジェイクは独り言のように続けていく。
「オレは昔、アシュラストリートって界隈でちょっとは名が売れてな……銃神なんて名乗ってた。今の仲間たちに誘われてアルマゲドンを始めた時、その頃のハンドルネームを少しばかり引き摺ってたんだよ」
しかしある理由から、銃神と名乗るのは控えた。
もしもVRMMORPGでアシュラ経験者と出会った場合、銃神の名前に過剰反応されるのがなんとなく嫌だったからだ。
ただでさえアシュラ・ストリートを失い、路頭に迷っていたVR格ゲー難民。
VRMMORPGは彼らが流れ着いた場所のひとつだった。
実際、ツバサ君たちもプレイしていたのだから疑いようはない。
アシュラ八部衆の一員だと勘付かれたら――絶対に色眼鏡で見られてしまう。
無意識にそれを忌避していたらしい。
アシュラストリートはもう終わってしまった。
せっかく新しいゲームなのだから、過去に囚われることはない。
決別ではないが、気持ちの切り替えを重視したのだ。
現実世界でのジェイクの本名は十九谷流磨。
そこで十九谷を十九谷と読み、海外の男性風にジェイクという名前にアレンジしてみた。後は姓を決めるだけである。
どうせなら拳銃にちなんだものにしよう。
銃使いの神みたいな名前、たとえば銃の神様とかどうだろう? ただし銃神の名前はストレートに使わない。ここだけ少し尾を引いてしまった。
だが――銃の神はいない。
古今東西の神話を調べても、銃を司る神は存在しない。
拳銃など火薬を用いる武器は、比較的後世になって発明されたもの。神話の時代に銃を象徴とする神がいないのは当たり前だった。
弓矢が上手いとされる狩猟神、銃を造れそうな発明神、あるいは武具全般を司る軍神……当たらずも遠からずという神はゴロゴロいる。
しかし、銃を主武装とする神はいなかった。
ジェイクが悩んでいると、レンちゃんが中高生向けの萌えイラストで飾られた神様辞典を持ってきてアドバイスしてくれた。
『そんな銃にこだわらなくても……何かを投げる神様とかどう? ほら、イスラエルの王様のダビデは、石を投げて巨人を倒したっていうし……』
ジェイクにとってこれは天啓だった。
石投げを始めとした投擲が得意な神なら、銃神の肩書きにそぐわなくもない。少なくとも、弓術が達者な神より親和性はある。
さっそく神話事典を借りて、投擲武器を持つ神をピックアップした。
候補に名を連ねたのが――ゼウスとルーだ。
ゼウスは言わずと知れたギリシア神話の最高神。
彼は雷霆と呼ばれる雷を束ねたものを武器としており、刃向かう者に天罰を与えるため投げつける。これも投擲武器と言えるだろう。
そして、ルーはアイルランド神話に語り継がれる太陽神。
文武両道、武芸百般に通じた万能神でもあり、フォモール族に虐げられていたダーナ神族に味方し、勝利に導いた英雄神でもある。
よく知られる半人半神の英雄クー・フーリンの父親だ。
ルーは神剣や神槍……いくつもの神々の秘宝を所有しているが、とある魔王を倒した時に用いたのは、タスラムと呼ばれる投石だったとされている。
これは投げると必ず命中する弾丸だという。
タスラムは「練り固めた球」という意味で、数多の動物の血と世界中の砂浜から集めた砂を混ぜ、滑らかになるまで磨き上げたものだ。
ルーは虹を投石器に変えて、このタスラムを投げるとのこと。
太陽や光をシンボルとするルーが投げる弾丸だから、一部ではこのタスラムのことを指して“太陽弾”と呼ぶこともある。
雷霆と太陽を弾丸とする神――いいじゃないか。
ジェイクはこの神々の逸話を気に入り、即採用することにした。
「だから最初はジェイク・ゼウス・ルーだったんだが、ジェイクとゼウスがどちらも名前っぽいから『ややこしくない?』ってツッコまれて……そこでルーの別名、ルーグにしようってアイデアをもらったんだ」
ルーグ、ルグ、ルフ――すべて太陽神ルーの別読みだ。
この中で響きのいいルーグを採用したジェイクは、“ジェイク・ルーグ・ルー”というハンドルネームでVRMMORPGを始めた。
この知恵も出所はレンちゃんである。
彼女はドライなクール系女子を装っているが、意外とこういった知識への造詣が深かった。そのうちフミカちゃんと仲良くなる気がする。
「ゼウス、ルーグ、ルー……神の名前がなんだというんですか!?」
リードは苛立たしげに吠え立てた。
かつてない時間停止の波濤がすべてを止めるために押し寄せ、その中には超特大の消滅弾が数え切れないほど紛れ込んでいた。防ぎきれない大攻勢を仕掛けることでジェイクを押し潰そうとする算段が透けて見える。
「ここまで聞いててピンと来ないのか?」
ジェイクは両手の拳銃を乱射したまま走り出した。
飛行系技能に強化を重ね掛け、音速を超える勢いで飛び出す。
迫り来る時間と消滅の大津波から逃れようとするのではなく、敢えて津波の中へ突っ込むように、リードに向けて走り出したのだ。
自動装填式拳銃と、回転輪動式拳銃から光弾が絶え間なく撃ち出される。
五月雨のような光弾は大津波を貫いて道を拓いた。
隧道を思わせる細さだが、ジェイクは臆することなく突き進む。
「正面突破なんて……させるわけないでしょうがッ!」
リードはまともなままの右腕と異形と化した左腕を忙しなく動かし、手旗信号のようなものを送ることで時間や消滅の波を操ろうとする。
すると、時間停止の波が触手を伸ばしてきた。
超特大消滅弾も砕けて散弾となり、ジェイク目掛けて殺到する。
相手の懐へ飛び込むなんて危険を冒す以上、リードがそれを阻むためのあの手この手と差してくるのは承知の上だ。
切り拓いた隧道を進むジェイクは錐揉み回転を始める。
独楽さながらに回転すると二丁拳銃から火を噴かせ、こちらに近寄ることで害を及ぼそうとするものを悉く光弾で撃ち落とした。
光を撒き散らす独楽となったジェイクは、超高速前進するまま叫ぶ。
「クロノスはゼウスに打ち倒された!」
暗愚とはいえ父である天空神ウラノスを闇討ちして王権を奪うも、今度は奪われる側に回る恐れから我が子を食らうことで王位を守ろうとする暗君。
もはや魔王と蔑んでも差し支えない悪行であろう。
そのクロノスを撃ち破ったのがゼウスだ。
ゼウスの雷霆がクロノス率いるティターン神族を焼いたとされている。
「そして……バロールはルーに殺されたんだ!」
魔王バロールは「孫に殺される」という予言を受けていた。
これを恐れたバロールは一人娘を幽閉して子孫ができないようにするも、結局は三人もの孫が生まれてしまった。その三人も始末したはずだったが、たった1人だけ生き延び、ダーナ神族の一員となった孫がいる。
この孫こそが――太陽神ルーだった。
アイルランド神話にて、二度行われたマグ・トゥレドの戦い。
(※現代ではモイ・トゥラの戦い、またはマイ・トゥリャの戦いと読む)
一度目はバロールの魔眼によってダーナ神族が壊滅に追い込まれる惨敗を喫したが、二度目の戦いではルーがタスラムでバロールの魔眼を撃ち抜き、見事これを倒すことに成功した。
射貫かれた魔眼は転がり折り、バロールの配下であるフォモール族の兵士たちに視線を浴びせたため、今度はフォモール族が壊滅に追い込まれる事態に……。
こうしてダーナ神族が勝利を収め、ルーの功績が讃えられた。
バロールもまた自身の王位のため、実の娘をも虐げた魔王である。
悪逆非道な行いによって畏怖された父祖たち。
その圧政と暴虐に終止符をもたらすのは、彼らの血を引く子孫だった。
雷を集めた雷霆、太陽の如き弾丸……。
光を束ねた神裔こそが、悪徳を重ねた魔祖に討つのである。
「おまえはクロノスでバロール! オレはゼウスの名こそ諦めたが、ルーグとルーの名を選んだ! 闇堕ちした魔王と光の最高神! それぞれの名前をお互いに継いでるんだよ! なんの因果だよ……ッ!」
笑えねえだろうがッッッ! とジェイクはあざ笑うように吠えた。
同時にリードが放った最大攻撃を切り抜ける。
ドリルよりも速く回転したまま、リードとの距離を詰めていく。
「調子に乗るな! ガンマン風情が!」
リードは激昂すると、時計盤だらけの腕を振って時間の流れをメチャクチャに狂わせ、右眼となった真紅の光球から消滅の光を無差別に放った。
見境のない攻撃が襲い掛かる。
ジェイクは時間停止の波をまともに浴びせかけられてしまった。
凄まじい速度で回転していたのに、制動距離さえ許されずビタリ! と動きを止められてしまう。先ほどのように身動ぎひとつできない。
そこへ消滅の光が降り注ぎ、ジェイクの姿をかき消していく。
――後には何も残らない。
時間と消滅に飲み込まれるジェイクを見届け、リードはほくそ笑んだ。
しかし一転、その表情は焦燥感に塗れる。
「……手応えがない!?」
至近距離だから避けられない、と踏んでいたのだろう。
相手の時間を止めたり、消し去ることにも手応えを感じるようだ。そのどちらも反応がなかったので、焦りもあるが驚きも尋常ではなかった。
それは裏を返せば――ジェイクを仕留められていないという事実。
気配を消したジェイクは、既にリードの死角へと回り込んでいるのだが、彼がそれに気付く様子はない。探しあぐねているのがありありとわかった。
発見されるまでに、たっぷり2秒はかかるだろう。
これではっきりした――リードは格闘戦が不得手なのだ。
前哨戦を含めて二度の手合わせで確信した。
過大能力こそ破壊神に相応しい、例外的な強さを誇るのは認めよう。だが、それに頼るあまり、身体能力に基づいた戦闘能力を軽視していた。
言ってしまえば肉弾戦に慣れていない。
無論、リードもLV999だ。
より効率的な破壊活動を行うため、格闘術は一通り修めている。
だが――習得しているだけだ。
戦い方を知ってはいる。だが戦闘技術を使い込んでいない。
戦うための肉体を使い熟していなかった。
アシュラストリートで八部衆と讃えられるまで戦いに明け暮れたジェイクに、この未熟とも誹るべき短所は大きな分となって働くだろう。
時間を停止させられて消滅の力を浴びたジェイク。
あれは残像に過ぎない。本人はリードの背後へ忍び寄っていた。
「へえ、残像の時間さえ止めるのか」
気安い声にリードは戦慄し、大慌てで後ろへ振り返る。
背後に視線を回してジェイクの姿を認めたリードの左眼へ、回転輪動式拳銃の銃口がめりこむように突きつけられた。
自動装填式拳銃の先端は、リードの胸へと押し当てられる。
ちょうど心臓の上に――。
「でも、オレを止めることはできなかったな」
引き金にかかった指は躊躇わず、撃鉄は高らかに鳴り響いた。
0
お気に入りに追加
581
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。
狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた
きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました!
「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」
魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。
魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。
信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。
悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。
かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。
※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です
黒髪の聖女は薬師を装う
暇野無学
ファンタジー
天下無敵の聖女様(多分)でも治癒魔法は極力使いません。知られたら面倒なので隠して薬師になったのに、ポーションの効き目が有りすぎていきなり大騒ぎになっちまった。予定外の事ばかりで異世界転移は波瀾万丈の予感。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する
土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。
異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。
その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。
心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。
※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。
前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。
主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。
小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる