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第16章 廻世と壊世の特異点
第389話:密林に獣王 慟哭す
しおりを挟む内在異性具現化者は2つ以上の過大能力に覚醒する。
内に秘めた異なる性が具現化した者――それが内在異性具現化者。
この場合、性とは様々なものを意味する。
男性から女性に、女性から男性に、生者から死者に、老年から幼年に、そしてアハウのよう人性から獣性に反転したりと、裏返る要素には個人差があった。
そう、裏返ったに過ぎないのだ。
ツバサやミサキは女神に転じても男性の意識を失っておらず、クロウは骨格のみの身体になっても生命の力を宿しており、ジェイクもまた男性としての生を謳歌しているが、女性的な部分を心の奥に秘めている。
あのご婦人もまた――幼女に若返ろうと老獪さを隠していた。
不確定な情報で混乱を招くという判断から、アハウは内在異性具現化者の知人がもう1人いるという事実を黙っている。
老齢の域に達した女性だが、アバターが幼女化したのだ。
ミロ君が知れば「本物のロリババアじゃん!」と喜んだに違いない。
彼女を「ママ」と慕い、彼女が「息子」と認める若者たちを率いて、パーティーを組んでいた。学会こそ異なるが、並々ならぬ傑物だと聞き及んでいる。
もしも彼女たちが生きていれば、再び会うことも叶うはずだ。
その時、改めて四神同盟に紹介できればいい。
彼女のことはさておき――。
内在異性具現化者は外見が異なる性に反転し、それが表に現れたことを指しているが、裏返った本来の性を失ったわけではない。
男であり女、女であり男、生であり死、獣であり人、老であり幼。
相対する2つの性を内包する、それが内在異性具現化者。
ゆえに過大能力を複数覚醒するとされていた。
2つ以上、最大で3つの過大能力を持つと確認されている。この2つの過大能力には、ある種の法則性があることにアハウは気付いた。
ひとつは世界と感応する能力になる。
アハウの場合、意識を拡大することで世界を自分の思うままに創り変えることができる【色彩豊かな世界に拡大する意識】がそれだ。
世界創世に携わる能力であるとともに、汎用性にも優れているため鍛え上げれば攻守とも恐るべき能力を発揮させるだろう。
もうひとつは攻撃的に尖鋭された戦闘能力となる。
ツバサやミサキは身体能力を底なしに底上げする肉体強化系と似通っており、クロウはあふれ出す八大地獄の責め苦を統べる能力となっている。
そしてアハウは、遍くすべてを無に還す牙となって現れた。
過大能力――【牙を剥きて囓りつく虚無】。
アハウの召喚した“顎”は、その牙で噛みついたものを虚無へと葬り去ることができた。この“顎”は小型のものを群れで呼び出すこともできるし、大型のものを大技として繰り出すことも可能である。
そして、自らの“顎”を虚無へ誘う牙にすることも……。
「ならば真の虚無……味わってみるといい!」
大きく顎を開いたアハウ、牙を剥く虚無がジョージィへと迫る。
アハウは巨大化したジョージィを一呑みにできるほど、大きな龍に似た姿へ肉体を変形させ、頭どころか胴体まで囓るつもりで食らいついていく。
だが――タッチの差だった。
「ま、まさかッ! “愛の光”を噛み破るなんてッ!?」
ジョージィは必死の形相で首を後ろへと引いた。まだ人間らしかった首も大蛇のようにズルズル伸びていき、顔立ちも人間の特徴を残したまま爬虫類のような鱗に覆われ、瞬きをしない蛇の目となった。
アハウを包囲していた蛇体も解きほぐし、上半身を仰け反らせる。
こうすることでアハウの噛みつきを回避していた。
辛うじて、ほとんど紙一重の差だ。
人間らしさを保っていた頭部まで大蛇に変えたジョージィだが、長い黒髪はそのままなので中途半端に擬人化したような案配になっていた。
その頭部、額の左上が少し欠けている。
黒髪ごと頭皮と肉が破れ、頭蓋骨も削り取られていた。
虚無の牙でアハウが刮いだものである。
「ちぃぃッ! 噛んだものを虚無に堕とす牙ですって……非常識な!?」
「君に非常識云々と言われるのは心外だな」
忌々しげに舌打ちするジョージィに、アハウは淡々と返した。
ジョージィは完全に人型を捨てていた。
アハウもそうだが人間の姿形を捨てている神族や魔族はいるし、戦闘時に形態を変える者も少なくないが、彼の外観は紛れもなく怪物だった。
全長は何百mに及ぶだろうか?
下半身は枝分かれした大蛇の尾が何十本も蠢いている。
大蛇と化した両腕もいつの間にか何本にも分かれて大蛇の頭を増やしており、神話に登場する多頭蛇といった有り様だ。どうやら下半身の尾の数と釣り合っているらしいが、絶えず動いていて数えるのも面倒臭い。
頭部とそれを支える首は下半身や両腕とは一線を画しており、一際長くて大きい大蛇となっていた。顔の造形もまだ人間味が強い。
まだ人間らしさを少なからず残しているがゆえに異形さが際立ち、頭は長い黒髪を流している。頭は枝分かれせず増えることもなかった。
それらの蛇体を支える――胴体。
ここだけが彼にとって最後の人間らしさと言えた。
元男性だが両性具有となっているだけはあり、大きな乳房を揺らして細い腰をくねらせ、骨盤も広いためか臀部も女性らしさを醸し出している。
男性的な名残はガッシリした肩幅の広さくらい。
もっとも蛇神と変わり果てたためか、血の気のない真っ白を通り越して真っ青な肌に染まっていた。所々に青白い鱗で覆われているのも目立つ。
一見すれば――異形性の強い蛇の女神。
かなり遠方から見ることができれば、人間みたいに直立する野太い触手を生やした気色悪いイソギンチャクと見間違えそうな気がする。
厄介なのは、あれらの蛇体が“愛の光”を帯びていることだ。
伸び縮みする蛇の身体や尻尾は、凝縮した“愛の光”が詰まっている。あれに触れただけで森羅万象は瞬く間に干上がるだろう。
現にジョージィの足下は大変なことになっていた。
触手のように無数の大蛇の尻尾が密林を踏み荒らしている。
アハウの虚無による噛みつきから逃げつつ、まだ自然が残っている方へと故意の足取りで下がっているのだ。これ見よがしの嫌がらせである。
全長数百mになった蛇神の移動。
これだけでも被害の規模は大きい。アハウは敵意から眉間を寄せた。
「無意識にやっているのなら、もはや染みついているのだな」
世界を滅ぼすという意志が――。
苛立ちを隠せないアハウにジョージィも蛇の舌を震わせる。
「意識などせずとも世界廃滅のために動く……それがバッドデッドエンズの有り様というものです。第一、あなたに非常識を問われる筋合いはありません」
お互い様じゃありませんか、とジョージィは指し示す。
既に人間を捨てたジョージィは手も指も持ち合わせていないので、かつて右腕だった大蛇の口から長い舌を伸ばし、それでアハウを指差した。
アハウもまた――人間の形を捨てていた。
元より獣王神と讃えられる身だ。
どれだけ人型に近付けようとも獣毛に牙や爪、獣臭さは抜けきらない。戦闘ともなれば我を忘れて肉体を変えていき、悪魔の如き禍々しい姿になる。場合によっては状況に応じた最適な変化を肉体に施せる。
今のアハウは、その場合によった変身を遂げていた。
ジョージィを虚無の牙で葬るため、彼の巨体をも一呑みにできる巨大な龍蛇神へと姿を変えたのだ。
ただし、顔立ちは獣王神のまま、名残として全身は獣毛で覆われていた。背には(龍蛇神の身体だと背中が長すぎてどこがどこだかわからないが、自分的には肩甲骨がある辺り)鮮やかな碧緑の羽毛で飾られた翼を備えている。
まさに“羽毛ある蛇”に相応しい姿だった。
ジョージィに指摘されたアハウは目を閉じて微笑んだ。
「ふん、耳が痛いな……もっとも更に反論させてもらえるならば、この真なる世界のすべてが現実に照らし合わせれば非常識だがな」
常識に囚われていては、この真なる世界でやっていけるはずもない。
自らが非常識を行える今、つくづくアハウはそう思う
「君が人間であることをかなぐり捨てて戦うというのであれば、こちらもそれ相応の形振り構わぬ戦い方で応じるしかあるまいよ……」
ジョージィと言葉を交わしながら、アハウは変身を始める。
この“羽毛ある蛇”で始末をつけられれば良かったのだが、アハウの迷いが現れたのかジョージィの回避が速かったのか、決着をつけられなかった。
腹を括らねば駄目だ、とアハウは覚悟を決める。
なんであれどうであれ、殺人に抵抗を覚えるのは現代社会を生きてきた人間の常だろう。それがアハウの殺意を鈍らせるのは重々承知していた。
しかし、そんな常識も踏み躙って久しい。
アハウの両手は殺した者たちの血に塗れているのだ。
不倶戴天の仇敵たる狂的科学者ナアクを完膚なきまでに抹殺し、そのナアクの実験台にされて二目と見られなくなった7人の仲間も手に掛けている。
殺らなければ殺られる、それが真なる世界の常識だった。
この戦いに適した形態になるべく、アハウは更なる変貌を遂げていく。
「獣王神の神威……御覧に入れよう……ッ!」
いつしかジョージィはアハウのことを見上げていた。
全長数百mに達した蛇神のジョージィを凌ぐ巨体、頭から尾の先まで1㎞に届くかも知れない。彼と同じように長大な蛇の下半身となったが、それは一本であって大蛇というより大空を覆いつくす巨龍のようだった。
上半身は人間に近い形態へと戻る。
それは1㎞に及ぶ巨龍の下半身に見合った巨人の如き逞しさを誇り、盛り上がった肩から伸びる豪腕は大陸をも打ち割るだろう。
山でも鷲掴みできそうな手には、虚無の力を備えた鉤爪が生え揃う。
背に広げた翼は三対六羽に増えており、太陽の日光も満月の月光も遮らんとするほどに空へと広がる。大天使か大悪魔のような有り様だ。
翼の形状もまた特殊である。
鳥類、翼竜、翼手目……様々な飛行生物の要素を備えていた。
威厳を表す鬣は密林のように生い茂り、頭上に飾る獣の王たる角冠は大樹のような荘厳さをもって絡み合う。虚無の牙を食い縛る相貌はアハウの面影を帯びながらも、獅子や虎にも似た口吻が目立つようになっていた。
――巨大な龍蛇神と化したアハウ。
その総身からは太陽に匹敵する目映い光を発していた。
別段ジョージィに対抗したわけではないが、この陽光には“愛の光”に勝るとも劣らない効果が含まれていた。
自身を超える巨大な神へと変貌し、言葉通り神威を示したアハウ。
目を見張っていたジョージィは効果を目の当たりにする。
「木々が……ッ! 大地が蘇っている!?」
ジョージィが干上がらせたはずの荒れ地に、新たな緑が芽吹いたと思えば瞬く間に鬱蒼とした密林へと返り咲いていく。
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
荒野となった大地に獣王の慟哭が響き渡る。
それを合図とばかりに、死んでいた大地は一斉に息を吹き返した。
「この程度の乾きで音を上げる軟弱な大地に育てていない」
アハウは誇りを持って断言できた。
「この大地の獣王神たる私と……死を生に転ずる冥府神、龍脈を統べる戦女神、そして森羅万象を司る大地母神の助けを借りて育んできた大地だ」
侮られては困るな、とアハウは挑発的な笑みを零した。
太陽の獣王神――ケツァルコアトル。
この戦闘形態は、ツバサ君からインスパイアしたものだ。
彼は内在異性具現化者が持つ2つの過大能力を連動させることで、殺戮の女神という姿に変身し、一時的に強大な力を発揮することができた。
これに羨望の眼差しを向けたカズトラは、自分なりに変身フォームを編み出そうと努力していたのだが、ふとアハウに水を向けてきたのだ。
『2つの過大能力を連動させる……?』
殺戮の女神に変身する原理からカズトラは閃いた。
『アハウさんもできるんじゃないすか? 内在異性具現化者なんだし』
恥ずかしい話――アハウにこの発想はなかった。
思ったより固定観念に縛られていた自身の思考回路を反省し、カズトラの若々しい発想力に敬服すると、この案を採用させてもらった。
虚無へと誘う“顎”を召喚する過大能力。
これ自体、大きなエネルギーを引き起こすものだ。
なにせあらゆるものを虚無へと送り込むゲートを開くようなもの。それに必要なエネルギーたるや、神族でなければ用立てることはできまい。
この虚無へと通じるパワーを、意識を拡大することで世界を意のままに改変する過大能力に上掛けすることで、自身の能力を増大させる。
それに見合った体躯にした結果――この巨大な龍蛇神となったのだ。
仲間内で披露した際、いくつかの感想が一致した。
「「「――神龍じゃん!?」」」
……言われてみれば、ちょっと似ているかも知れない。
アハウ的にはインド神話に伝わる、上半身が人間で下半身が蛇のナーガと呼ばれる種族を思い浮かべたのだが、どうも上半身が屈強すぎるようだ。これが女性体ならばラミアなど別の怪物に似ていると言われた可能性がある。
何はともあれ――ツバサ君リスペクトは成功。
2つの過大能力を連動させらパワーアップ形態に変身できたのだ。
この場合、化身という当て字もありかも知れない。
(※化身=出典はヒンドゥー教でサンスクリット語。アバターの語源。ある神が変身して活躍したとする伝承に顕れるのが化身。特に世界維持神ヴィシュヌは神や獣に英雄など10の化身を使い分けたことで有名。神話学的に見れば、メジャーな神の信仰が様々な利害の一致から地方の神の信仰を取り込んだ結果とされている)
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
慟哭の咆哮から発する破壊光線も威力が上がっていた。
今までは一直線に走る太めのレーザー光線のようだったが、出力が激増した太陽神モードで発射すると、氾濫した大河を解き放つかの如しである。
こうなると破壊光線というより破壊砲だ。
イメージ的には有名な宇宙戦艦に登載されている波動砲である。
ヴィジュアルやエフェクト、攻撃範囲まで似ていた。
まともに浴びれば塵も残るまい。
「ちぃッ! 後れを取るつもりはありませんよ!」
身構えたジョージィはいくつもの大蛇の口を一斉に開いた。
そこから発せられるのは“愛の光”を集束させたビーム。ひとつにまとめ、アハウの咆哮による破壊砲を迎え撃つべく撃ち込んでくる。
空中の接点で大爆発が巻き起こった。
どちらも対象の破壊を目的とした高エネルギーなので、互いを相殺させるのではなく誘爆させたようなもの。こうなるのも当たり前だ。
その当然を見越してアハウは間合いを詰める。
龍蛇の身体で這い進み、爆発をものともせず突っ切っていく。
爆発を突き破ってきたアハウに面食らうジョージィに、振り上げた右手の五指に爪を立てると、邪魔くさい何匹もの大蛇へと袈裟懸けに振り下ろす。
大蛇は爪に引き裂かれ――消えていく。
「その鉤爪……まさか、爪にまで虚無の力を……ッ!?」
「別に牙だけと決めたつもりはなかったのでね」
能力名は【牙を剥きて囓りつく虚無】とあるものの、アハウの気分ひとつで牙でも爪でも、どこにでも虚無を宿すことはできるのだ。
返す刀で逆袈裟に振り上げ、また何匹かの大蛇を消し去る。
そのまま腕を伸ばしてジョージィ本来の首が変化した大蛇を根元から掴むと、手前にグイッと引き寄せる。反対の左腕は脇に引き絞っていた。
「今度こそ味わえ……真の虚無を!」
虚無の鉤爪を尖らせた手刀を構えて――。
牙でも爪でもそうだが、虚無を宿したものには手応えがない。
肉を消失させながら食い込んでいくので、無抵抗で滑り込むのだ。
アハウの手刀は、ジョージィの胸の下へ刺さった。
乳房の谷間、そこよりやや下くらい。人間ならば横隔膜がある当たりに突き込まれた手刀は、そのまま背中へと貫き通される。
「きぃ……キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
ジョージィは苦悶の絶叫を上げた。
人間のものではない、蛇の怪物が叫んだ悲鳴にしか聞こえなかった。
ジョージィは大蛇の頭から吐血している。
今の一撃で内蔵どころか食道も消されたのだから、血管を断たれた体内は大量出血をしているはずだ。しかし、あの長くなった首を胃液とともに血が逆流しながら遡っていく感覚はどのようなものだろうか?
吐かれた血反吐は、嫌がらせのようにアハウへ振りかけられる。
血の掛かった場所から白煙が上がり痛みを覚えた。
「胃液? 酸……いいや、毒か?」
やられながらも反撃を忘れない、蛇のような執念深さだ。
だが、この程度の毒なら意に介することもない。太陽神モードのアハウは即座に傷を修復できる。滅多なことでは重症を負うこともなかった。
そういったタフネスさでは、ジョージィも引けを取らないらしい。
「は、ははは……まだまだですよぉッ!」
ジョージィは首を揺さぶり、アハウの鷲掴みを振りほどく。
胴体を貫いた手刀も自らが飛び跳ねるように後退することで引き抜くと、その途中で消された両腕の大蛇をニュルニュルと再生させた。
体液を撒き散らして触手が伸びるかのようだ。
無数の大蛇の頭にも高笑いをさせて、何故かジョージィは勝ち誇る。
「身を以て味わったおかげでわかりました……その虚無」
欠点がありますね、とジョージィは厭味を含めて指摘してくる。
アハウは無表情のまま無言を貫いた。
ジョージィはそれを図星と見たのか、つらつら喋り出す。
「あらゆる結界も魔法も無視して、すべてを虚無に還す牙は防御不可能で回避するより他にない。恐るべき攻撃手段です……ですが!」
「君には致命傷を与えられない……そう言いたいのかな?」
ジョージィが言いたいことを先取りしてアハウが認めてやると、「然り!」と彼はしたり顔で嬉々として返事をした。
「あなたの爪も牙も脅威ではありますが、その効果範囲はとても狭い」
爪が削り刮ぎ、牙が食い破った部分しか消滅しない。
虚無によって消された部分が再生不可能などの弱体化を負うならば死を覚悟する必殺技となるが、見ての通りジョージィの肉体は再構成できた。
最初に食い千切った頭部の傷も、いつの間にか治っていた。
古来、蛇とは不老不死のシンボルでもある。
ジョージィは蛇神に変化したことにより、神族由来の不老不死というポテンシャルを恐ろしく高めていた(龍蛇神となったアハウもだが)。
その再生力を以てすれば、消滅した部分の瞬時再生も容易いだろう。
「もしもあなたが私を虚無で消し去りたいのであれば、絶え間なく、休むことなく、無呼吸による連打で、決死の猛攻を仕掛けるしかありませんよ?」
「ほう? では……やって見せようか?」
アハウは口角を釣り上げ牙を剥き、十指の鉤爪を尖らせた。
ジョージィは邪な笑顔で嘲笑う。
「――させるわけないじゃありませんかぁッ!」
猛攻を仕掛けてきたのは、ジョージィの方だった。
両腕の大蛇をダース単位で伸ばしてきたかと思えば、アハウの上半身を雁字搦めにせんとして絡みつかせてくる。同様に下半身の尻尾を何十本も伸ばして、こちらの龍のような肉体を封じるため抑え込んでくる。
まさか自分が触手責めの憂き目に遭うとは思いも寄らなかった。
こういうのはツバサ君のが似合うのではなかろうか? などという破廉恥な妄想をしかけたが、頭を振って紳士な気持ちを取り戻す。
ジョージィの攻撃は執拗、しかも用意周到で準備万端だった。
大蛇を何十匹と繰り出してきてアハウを責め立てながらも、自身の周囲に防御役の大蛇も配備しており、そいつらが“愛の光”を撃ってくるのだ。
絡みつく蛇体も“愛の光”を帯びている。
当然、アハウの肉体を干涸らびせながら蝕んできた。
「アハウの虚無は手数に頼らなければ、大きな敵には通じない! 多少肉を削られようとも、その手数さえ抑えれば私に勝算があります!」
ジョージィの操る大蛇は、悉くアハウの手数を減らす。
具体的には爪を操る両手と牙の並ぶ顎。これらに大蛇を絡めて動きを抑えるとともに、“愛の光”を直接押し当てて弱らせようとしてきた。
「爪と牙にばかり注意してていいのかな……?」
アハウは干涸らびる肉体を直しつつ、別の攻撃方法を用意していた。
アハウの周囲にいくつもの“顎”が召喚される。
噛み砕いたものを虚無へと導く牙が並ぶ、文字通り“顎”と表現するしかないものだ。どんな獣とも似ても似つかない形状をしており、顎から後ろは存在せず、よくわからない毛髪で隠れている。
そんな“顎”が十、二十、三十……と数を増やしていく。
数が出揃った“顎”は散開、四方八方からジョージィに襲い掛かる。
本来【牙を剥きて囓りつく虚無】はこのように使う。ガ○ダムをよく知る者は「ファンネル攻撃だ!」というので、類似する戦い方があるらしい。
自らの爪や牙に虚無効果を付与するのは、後からアレンジしたものだ。
「無駄ですよ! 無駄無駄無駄ぁッ!」
だがしかし、ジョージィの焦りは引き出せなかった。
防衛用に残していた大蛇が牙を剥き、アハウの解き放った“顎”と相討ちする。もしくは“愛の光”によるレーザーで撃墜していた。
「四神同盟の主力陣については、ウチの幹部がリサーチ済みです。私のように予習を欠かさない優等生は、あなた方の戦法を大体把握しています」
「……なるほど、勝ち誇るわけだな」
道理で嘲るような表情を絶やさないはずである。
アハウが何らかの手を打っても、対処できると踏んでいるのだ。
太陽神モードで巨大な龍蛇神となった時だけ驚いていたのは、これはあまり公で使ったことがない新技みたいなものだったからだろう。
本当――侮られたものだ。
この密林を育む大地のように、アハウまで過小評価されているらしい。
「だが……獣王神はまだ猛攻を仕掛けてはいないぞ?」
本気も出していないしな! とアハウは付け加えてから吠えた。
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
至近距離からの慟哭より発する破壊砲。
大蛇も、尻尾も、胴体も、構うことなく消し飛ばす。
同時に何百という“顎”を召喚し、編隊を組ませてジョージィに群がらせた。あちらが“愛の光”を浴びせてきても臆せず攻め掛かる
大口を叩いていたジョージィだが、さすがに姿勢が揺らいでいた。
それでも瞬時に肉体を再生、また挑んでくる。
「ぐぅぅっ……こ、この程度で私は消し去れませんよッ!」
復活した大蛇の群れは、“愛の光”を強めてアハウへと押し寄せる。
「ならば、細胞の一片さえも虚無に葬り去るまでだ!」
アハウも虚無を駆使してジョージィを苛む。
巨大蛇神の互いを滅ぼす応酬に、大地は悲鳴を上げそうだった。
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『カズ兄ちゃん、起きて……起きてよぅ……』
大人ミコの幻影は守護女神のように横たわるカズトラへ寄り添い、両手を添えて彼の傷だらけになった身体を揺すった。
だが悲しいかな、今のミコは精霊の集合体に過ぎない。
実体に働きかけることはできないのだ。
カズトラは全身全霊の一撃で、強敵ゴーオンに勝利を収めた。
それは観戦していたアハウをして「辛勝」と評価するギリギリのラインであり、カズトラは自分で言った通り「致命傷」を負っていた。
大人ミコは幻だというのに滝のような涙を流す。
『やっぱり全身の血をガンマレイアームズにするなんて無理すぎたんだよぉ……それを超音速のプラズマにするなんて……』
拳に溜めたパワーとともに、その超音速プラズマも解放した。
おかげで世界を三回吹き飛ばすと豪語するゴーオンのタックルと対等に渡り合った上で、あの巨体の土手っ腹に風穴を開ける一撃を叩き出せた。
カズトラの致命傷は、その代償である。
想像を絶する超負荷に生身が耐えられなかったのだ。
頭から爪先まで血みどろになったカズトラは微動だにしない。ゴーオンとの激突で生じたクレーターに倒れ伏している。
白目こそ剥いてないものの、重要な任務をやり遂げた漢の顔で満足な笑みを浮かべたまま気を失っていた。ミコの声もまったく届いていない。
さっきみたいに狂化していれば手の打ちようがある。
精霊の集合体である大人ミコが、カズトラの精神世界にお邪魔すればいい。正気を取り戻すように促してやればいいのだ。
だが、気絶しているので叶わない。
せめて夢を見ていてくれれば精霊が介入できる余地があるのだが、疲れすぎたカズトラは眠りが深すぎて、ミコの声に耳を傾けてくれなかった。
『お願い! カズ兄ちゃん起きて! じゃないと……』
大変なんだよぉ! とミコは涙に濡れる眼を地平線の彼方に向ける。
――巨獣が進軍を再開したのだ。
アハウがジョージィの機先を削ぐと同時に、巨獣の群れも撃退した。その後、ゴーオンの過大能力で復活した群れは暴走したカズトラがやっつけた。
あれは第一陣に過ぎない。
巨将という巨大ロボが戦ってくれているのは知っている。
彼らの防衛網を突破した巨獣が群れを成して、繰り返し押し寄せる津波のように迫っていた。ミコの精霊で感知する限り、第四陣まで控えている。
彼らにも危機管理能力はあるらしい。
怪獣大決戦を繰り広げるアハウたちに近寄ろうとしない。
蛇神と龍蛇神の大乱闘を回避し、ククルカン森王国へ近付いていた。
カズトラはその道中に倒れているのだ。
『このままじゃ巻き込まれちゃうよぉ……いくら神族でも、こんな傷だらけであんな大っきい動物に踏み潰されたら、カズ兄ちゃんでも死んじゃうよぉ……』
起きてぇ! とミコは金切り声を迸らせた。
こんな泣き喚いたのは初めてだ。
我ながら大人しい女の子だという自覚はあるし、お淑やかにしようと人一倍心掛けているが、この緊急事態では気にしている余裕はなかった。
精霊の身でも地響きが伝わってくる。
密林を踏み潰す巨大な動物の足が近付いてきた。
あの大きな歩幅なら、カズトラの倒れている場所を踏み締めるのにあと一分もかからないだろう。一歩目は免れても、すぐ二歩目三歩目がやってくる。
なにせ大群――どれかの足は必ずやカズトラを踏み潰す。
『カズ兄ちゃん…………ッ!』
大人ミコの幻影は倒れたカズトラに覆い被さった。
精霊では結界も張れないし、カズトラを運んで逃げることもできない。巨獣の力で散り散りにされて、精霊がかき消えてしまうかも知れない。
大人ミコの幻影を作り出す今、ミコの魂は此処にあると言ってもいい。
巨獣の群れに蹴散らされたら、自分もどうなるかわからない。それでもミコはカズトラの傍を離れたくはなかった。
自分の精魂すべてを費やして精霊の加護を限界以上に強化。
その効果でカズトラを守る、そんな決死の試みに挑もうとしていた。
『絶対に死なせない! カズ兄ちゃんは……ッ!』
――わたしをお嫁さんにしてくれるんだから!
ミコが喉が破れそうなくらい叫んだ時、昼間の空が場違いに瞬いた。
明るい空にいくつもの星が煌めいている。
そこから降り注いだのは、弾丸の形をした流星群。
流星は青天の霹靂みたいな轟音を奏でつつ、巨獣たちの進む足を止めるように立ちはだかり、彼らの急所を的確に撃ち抜いていった。
先頭を走っていた巨獣が次々と撃ち倒されていく。
流星じゃない――あれは弾丸だ。
過大能力──【狩魔が手引きせし弱所を穿つ魔弾】
標的の弱点を確実に射貫き、再起不能にする狙撃の力。
「いやー、やっぱカミさんの言うことは素直に聞いておくもんだね」
前線を押し上げて正解、と気の抜けた男の声がする。
声の方へ顔を向けた大人ミコは助かったという安心感、そしてカズトラの危機に駆けつけてくれた感謝から、涙声でその男の名を呼ばわった。
『……バ、バリーお兄ちゃんッ!』
見上げる上空に浮かんでいるのは拳銃使い。
両手に二丁、腰のベルトに二丁、計四丁の拳銃を使う。
それらを一斉に射撃し、今の流星みたいな弾雨を降らせてくれた。
やや巻いた癖毛を長めに伸ばした、日本人らしからぬ顔立ちの青年。テンガロンハットを目深に被り、防塵コートを空の風に靡かせている。痩せているのに背が高いから、本当に西部劇に出てくるガンマンみたいだ。
以前、顔立ちの彫りの深さから「バリーオジさん」と呼んだら本気で凹ませてしまったので、以来ちゃんと「バリーお兄ちゃん」と呼んでいる。
まだ辛うじて二十代だから、とバリーには苦笑されてしまった。
拳銃使いは拍車付きのブーツを鳴らす。
バリーは片目を大きく見開き、こちらをジッと凝視していた。
「その声……幽霊みたいに透けててムチムチボインになってっけど、まさかミコちゃんなのか? おいおい、ちっと見ぬ間に大きくなったなぁ」
もう大丈夫だぜ、とバリーは減らず口で微笑んだ。
彼の言葉を聞き終えるや否や、ミコはカズトラとともに誰かに担がれる。揺らいだ視界は次の瞬間、空の上に移っていた。
いつの間にか、ミコとカズトラは馬の背に乗せられている。
隣に顔を向ければバリーが手を振っていた。
「まったく……肝が冷えたぞ。ミコちゃんまでこんな無茶をするなんて」
兄貴分の悪いところを真似するな、と彼女は苦言を呈した。
「それにしても見違えたな。君は成長すると、美人になるようだな」
『……ケイラお姉ちゃん!』
過大能力――【黄泉から天界まで駆け巡る襲歩】。
視界の届くところなら何処でも一瞬に移動できる空間転移。
その能力でカズトラを拾い上げてくれたのだ。
ケイラは騎神というケンタウロスと同じ馬の下半身を持っており、気絶したカズトラを回収すると背中に担いでくれていた。
猟兵という武装をした、背の高い美女である。
ケンタウロスだから大きいというのもあるが、それを差し引いても女性としては長身だろう。特別な皮で作られた鎧の胸元は大きすぎる乳房で目を引くくらい盛り上がっていた。全体的に大柄なのもあるかも知れない。
馬だからなのか、長い黒髪はいつもポニーテールに結っている。
拳銃使い――バリー・ポイント。
偵察猟兵――ケイラ・セントールァ。
ククルカン陣営に属するアハウの仲間たちだ。
ミコにしてみれば、頼りになるお兄さんとお姉さんである。結婚してて夫婦というのも、カズトラのお嫁さんになりたいミコには憧れの的だった。
『カズ兄ちゃんを助けに来てくれたの?』
ようやく安心することができたミコは、幻影でも涙に濡れた顔を拭うとケイラの背中越しに尋ねてみた。凜々しいお姉さんの横顔が苦笑する。
「何を言う、ミコちゃんのお手柄じゃないか」
『……へ? わたしのお手柄?』
いまいちピンと来ないミコに、バリーが説明してくれる。
「ミコちゃん、魂まで精霊に乗せてカズ坊を助けに来たんだろ? だから本体は空っぽになっちまったけど、魂と身体が連結しているせいか譫言みたいにカズトラがどうなってるのかを呻いていたんだと」
「おかげで私たちは最前線の戦況を知ることができた」
カズトラの勝利を伝えた直後――。
気を失ったミコの本体は「巨獣の第二陣が接近していること」「気絶したままのカズトラが起きないこと」を涙ながらに訴えたという。
「そんで、オレたちが防衛ラインを上げながら出張ったってわけさ」
「万が一のため、カズトラを拾えるように私もな」
いつの間にか四丁の拳銃に再装填を終えたバリーは、また弾丸の流星群を降らせると、何体もの巨獣を撃ち抜いていた。ケイラも両手に大型ボウガンを構えると、仕留められずとも巨獣の進撃を食い止めている。
二人ともLV999、巨獣をあしらうくらい朝飯前だ。
助かった……緊張の糸が解けたミコは、肉体を持たない精霊で幻影だというのに途方もない脱力感に見舞われた。
大人の姿なので、撫で下ろした胸が重い気がする。
『…………あ、そっか』
今更だが最適解を思いついてしまった。
精霊の集合体である大人ミコのままカズトラに取り縋ってないで、本体に戻って大人たちに助けを求めれば良かったのだ。特にケイラの過大能力は瞬間移動できるのだから、あの危機的状況をすぐさま解決できただろう。
せっかく気付いても今更である。
気が動転していたといえばそれまでだが、子供だからパニックになってしまったなんて言い訳はしたくない。
下手をすれば――カズトラが死んでいたのだ。
ちゃんと反省しなくちゃ、とミコは戒めるように自分へ注意する。
「あんま思い詰めんなよ、ミコちゃん」
ふとバリーの声で我に返る。
バリーは懐からハトホルミルクの瓶を取り出すと、カズトラにバシャバシャ掛けていた。飲んでも浴びせても効果抜群の万能霊薬である。
こんな当たり前なフォローさえ失念していた。
自責の念に悩むミコに、バリーは気安いウィンクを送ってくる。
「結果良ければオールOKだ。カズ坊は助かった、おまえさんは頑張った。反省するのはいいが、後悔を根付かせちゃだめだぜ」
前に進めなくなっからな、とバリーは諭してくれた。
こういう時、ケイラは口を挟まない。閉じた唇が優しく微笑んでいる。
『うん……ありがと、バリーお兄ちゃん』
頼りになる大人からの助言にミコは半泣きで頷いた。
「さあ、ミコちゃんはそろそろ身体に戻らないと……案ずるな。カズトラもすぐに連れて帰る。応急処置はしたが、ちゃんと治療してやらなければ」
ケイラが蹄を返してククルカン森王国へ戻ろうとする。
その背を守るようにバリーは拳銃を構え直した。勿論、四丁の拳銃に計24発の弾丸は再装填済みだ。仕事が速すぎて目に止まらない。
「そうそう、ケイラと一緒に戻りな。後はオジさんたちが戦っとくからよ」
頼りになる用心棒もいるし、とバリーは振り返る。
「センセー、お願いしまーす♪」
「「――お任せを!!」」
時代劇みたいな言い回しでバリーが戯けた声を掛ける。すると密林に潜んでいた大きな気配が2つ、折り目正しい返事とともに飛び出してきた。
現れたのは――大柄の坊主コンビ。
身の丈は2mを10㎝は越えている。頭髪をツルリと剃り上げた禿頭は、とても和風の僧侶らしい。いわゆる「お坊さん」だった。顔立ちが屈強な漢なら、2mを超す肉体も屈強。筋肉が山盛りになるまで鍛えていた。
墨染め衣という、お坊さんらしい真っ黒な僧衣を身にまとっている。
密林から跳び上がったコンビの坊主。
宙に浮かんだ二人は飛行系技能で一気に間合いを詰めると、群れの最先端を走る猪を山のように大きくした巨獣へ挑んでいく。
「抜かるでないぞ、ドンよ!」
「応、会わせるぞ、ソンよ!」
互いに「ドン」「ソン」と呼び合い、丸太のような太い腕を突き出した。
二人の掌は掌底となって猪の頭へ叩き込まれる。
同時に打ち込んだように見えるが、神族の動体視力ならば僅かにズラしていることがわかるだろう。コンマ数秒くらいの誤差がある。
2発の掌底を食らった猪の巨獣は足を止めた。
次の瞬間――内側から爆発する。
まるで体内の奥深くに埋められた爆弾を起爆されたかのようだ。
「あれは……発勁という技だったか?」
二撃必殺の目覚ましい破壊力に、ケイラは帰ろうとしていた足を止めるとこちらに振り返り、思い当たる感想を漏らしていた。
――発勁。
ツバサやドンカイ、それにレオナルドといった格闘技の達人たちが使う「全身の力を余す所なく攻撃に注ぎ込む」技法だ。必殺技にも組み込めるので、カズトラが一生懸命に練習していたのをミコは覚えている。
極めれば、今のように相手を爆散させる打撃も可能らしい。
ケイラの感想に答えたのはバリーだった。
「ああ、似てるんだが爆発力がスゴいんでな、聞いたら似て非なる技なんだと。彼らの流儀では“徹”といって、特殊な振動波も送り込んでるらしい」
2人の披露した必殺技は、この“徹”の上級技に当たる。
掌底とともに特殊な振動を叩き込む。
これを“徹”といい、熟練者になれば肉や骨を破壊することなく、その内側にある内蔵や脳だけを弾けさせられる恐ろしい技だという。
この“徹”を間髪入れず二連発で打ち込む。
最初の掌底によって打ち込まれた振動は対象の内部を瞬時に駆け巡り、エネルギーを無秩序に増大させていく。頃合いを見計らってコンマ数秒後に二度目の振動を狙い澄まして叩き込む。
二撃目の掌底が、増大した振動波を起爆する。
これにより臨界点に達し、爆発的エネルギーに変換されるそうだ。
……ミコには難しくて理解できない。
前述の攻撃方法。タッグを組んでいたが、別に一人でも使えるという。振動波の込められた掌底を絶妙な時間差で入れられればいいそうだ。
2人のお坊さんは実践してくれた。
猪の巨獣が爆ぜると、その血肉を踏み越えて別の巨獣がやってくる。
お坊さんたちはそれぞれ一頭ずつの頭に張り付き、時間差のある“徹”を両手で打ち込み、一人で一頭を難なく倒してしまった。
あっという間に、群れの先頭を走っていた巨獣を退治してしまう。
彼らがバリーの呼んだ「先生」の正体である。
「穂村組の用心棒――ダテマル三兄弟」
戦力要員的に不足気味なククルカン森王国の用心棒を引き受けてくれた、穂村組の組員である。ヤクザの人と聞いて怖がっていたミコだが、お坊さんの格好が似合うくらい、礼儀正しい人たちなので仲良くなることができた。
本気になると怖いけど、それはアハウやカズトラも一緒だ。
次男ドン・サガミ――三男ソン・サガミ。
瓜二つなことから一目瞭然だが、双子の兄弟である。
彼らが次男と三男で三兄弟と呼ばれているところから察すると思うが、双子の上には三兄弟をまとめる長男がいる。
「兄者! 露払いは拙僧たちが済ませましたぞ!」
「待ち望まれた漢の花道! 兄上、この大舞台で存分に傾かれよ!」
弟たちの言葉に促されて長男も登場する。
まるで最初からそこにいたかのように、双子の坊主の背後に忽然と現れたのは、一見すると彼らよりも年下の少年だった。
カズトラより少し上、高校生くらいのお兄さんにしか見えない。
身長は双子よりも低く170㎝を超えるくらい。
体格も筋肉はついているが双子の弟たちと比べればボリューム不足、細マッチョなので女性のウケはいいかも知れない。顔立ちも弟たちが「漢ッッッ!」という感じの雄々しさに対して、甘いマスクの美青年である。
逆立てた青銅色の髪がちょっとファンキーだった。
服装は三兄弟でお揃いの墨染め衣。
ただ上半身は脱いで諸肌をさらし、腰に真っ黒い布を漂わせていた。両腕にはアームカバーのようなフィット感のある籠手を装備している。
長男――ダテマル・サガミ。
穂村組では“駆掌”という二つ名で通っている。
ドンやソンとは本当に血の繋がった兄弟であり、ダテマルが最年長の長男なのは事実だという。ちなみにダテマルが24歳、ドンとソンは22歳。
当初、ミコとカズトラは信じなかった。担がれていると思ったくらいだ。
両眼を閉じて両腕を組んで仁王立ちするダテマル。
弟たちに巨獣の群れへの道を譲られると、双眸をカッと見開いて組んでいた両腕をほどき、残像が映るほどの速さで巨獣たちに詰め寄っていった。
ダテマルも両手を駆使し、“徹”という掌底を放つ。
ただし――破壊力は法外だった。
彼は一撃の“徹”を巨獣にお見舞いしたのだが、それは一匹を仕留めるだけではなく、後続の巨獣を一直線に撃破する。左右に“徹”を打てば、それも直進して進路上にある巨獣の群れを薙ぎ払っていく。
物凄い突破力のある衝撃波である。
まるでダテマルの掌から大きな車輪が放り投げられ、それが縦横無尽に大地を駆け抜けていくかのようだった。
掌底の連打で熱を持ち、白煙を上げる指をダテマルは振り払う。
「……オラの“徹”は千里先まで走るズラ」
口調こそ決まっていたが、言葉遣いが残念なくらい訛っていた。
だが、有言実行というべきだろう。ダテマルの言った通り、彼の放った“徹”は巨獣の身体を突き抜け、一度に何十匹も仕留めていた。
まさに千里を駆ける一撃だった。
それだけでもドンやソンとは格の違いがよくわかる。
「さすがは兄者! お美事にございます!」
「ツバサ殿の修行に耐えた甲斐がありましたな、兄上!」
長男の活躍に双子の弟たちは感涙し、ボディビルダーみたいなポージングでダテマルの活躍に惜しみない賛辞を送っていた。
この双子――長男大好きなお兄ちゃんっ子なのだ。
巨獣の第二陣を一掃し、カッコイイ台詞を決めたダテマル。
おかげで小休止を挟むくらいの余裕はできた。バリーやケイラもそちらに近付いていき、ダテマルに労いの言葉を掛けようとする。
すると、弟たちの賛辞を受けるダテマルの肩が小刻みに震えた。
「や、や、ややや……やっと来たズラァァァー!」
――オラの出番がああああああああああああああああああああああーーーッ!
突然、ダテマルは歓喜の雄叫びを上げた。
ドンやソンは元より、バリーにケイラ、大人ミコの幻影も、突拍子もないダテマルの発言を理解できず目を丸くしてしまった。
ダテマルは気にする素振りもなく、本腰を入れて喜んでいる。ガッツポーズからの両手両足をぶん回す小躍りへと発展し、「ヒャッホウ!」なんて大人なら口にしないような子供っぽい感激の声で狂喜乱舞していた。
見た目の若々しさに見合ったはしゃぎっぷりだ。
「あ、兄者! お気を鎮めなされ! まだ戦の最中ですぞ!?」
「兄上、嬉しさはお察ししますが、程々になされませ!」
慌ててドンとソンが窘めるが、大喜びするダテマルにはあんまり届いていない。こういうところが兄弟の外見年齢をますます反転させていた。
ダテマルは満面の笑顔で振り返る。
「これが喜ばんでいられるけ! ようやくオラたちに日の目が当たったんズラ! ドンよソンよ弟たちよ! 今日までよく日陰者に耐えてきたズラ!」
――これからはオラたちの時代ズラ!
ダテマルは運命に感謝するように、両腕を広げて空を仰いだ。
そして、堪えてきた苦悩をおもいっきり吐き出す。
「セイコはツバサの姐さんに気に入られたのか、付き添いの護衛役で引っ張りダコ。ガンリュウは持ち前のハンサムのせいか用心棒へ駆り出される度にファンが増えに増え、現地の人たちがファンクラブ作ってるし……」
悩みを締め括るようにダテマルは叫ぶ。
「なして――オラたちにスポットライトが当たらなかったズラ!?」
穂村組には精鋭と呼ばれる強者たちがいる。
組長や四大幹部には及ばないが、実働部隊としては最強なので組でも一目置かれているのだ。その中に三強と敬われるトップスリーがいた。
爆肉――セイコ・マルゴゥ。
爽剣――コジロウ・ガンリュウ。
駆掌――ダテマル・サガミ。
みんな腕が立つばかりではなく、気立てが良くて人付き合いもそつなくこなせるので、自然とツバサたちからの信用も評価も上がっている。だから護衛や用心棒を頼まれる機会も増えているのだが……。
「……どうも兄者は自分だけ『影が薄い!』と思い込んでおりまして」
「評判は同じくらいのはずなのですが……」
ドンとソンはバリーたちの前まで戻ってくると、「兄がご迷惑をかけて……」と申し訳なさそうに頭をペコペコ下げていた。
ふむ、とケイラも双子へ同情するように首を傾げる。
「セイコ君がツバサ君のお供で株を上げた話は聞かないでもないが、コジロウ君やダテマル君もちゃんと活躍しているわけだし、それは我々の誰もが認めているところだ。そこまで気にすることはないと思うのだが……?」
ケイラの言うことは最もだった。
端で聞いていたバリーやミコも「うんうん」と同意して頷く。
ドンとソンは困ったように眉を八の字にする。
「はい、我ら兄弟もそのように進言するのですが……」
「兄者はちと厄介な固有技能を習得しておりましてな……」
地獄耳なのか、ダテマルは拳を握り締めて声高らかに明かす。
「そう! オラの『田舎者シックスセンス』告げているズラ!」
――オラにスポットライトが当たっていると!
「今こそ名を上げる時だと! オラの第六感が囁くんズラ!」
「ひでぇネーミングの固有技能もあったもんだ」
バリーが本音を漏らすと、ケイラに「失礼でしょ」と蹄で爪先を踏まれた。とても痛いはずなのだが、バリーは平然としていた。
気合いの入ったダテマルの勢いは止まらない。
「そのシックスセンスがオラに囁いてるズラ! 今まさに! オラたち兄弟に燦然としたスポットライトが当たっていると! ここで功を上げずしていつ名を上げるのかと! 第六感がオラを突き動かしてくれてるんズラ!」
「「兄者! お気を確かに!?」」
双子の坊主は大にした声を揃えて長兄を宥めた。
「活躍の機会ではありますが、ライトなぞ照らされておりませぬぞ!?」
「被害妄想が加速しておりますな……お労しや兄上」
ドンは声を荒らげて諫め、ソンは慮るあまり涙目になっていた。
「案ずるな弟たちよ! オラの勘に狂いはないズラ!」
ついてくるズラ! とダテマルは血気盛んな笑みで走り出す。飛行系技能を使っているので、空中を猛ダッシュで進んでいく。
数歩で音速を超えると、巨獣の群れの第三波に突っ込んでいた。
自慢の“駆掌”が千里を駆け抜け、巨獣と片っ端から蹴散らしていく。
このペースなら10分経たずに全滅するだろう。
巨獣たちの断末魔に入り交じってズラズラ笑う声が聞こえてきたところで、双子の坊主は我に返ったように無鉄砲な長男を追いかけた。
「兄者! 単騎による一騎駆けは危険だと口が酸っぱくなるまで!」
「兄上お待ちください……兄上ぇぇぇコラァァァーッ!?」
ドンとソンは巨獣と乱戦をくりひどげるダテマルの元に駆けつけ、援護という名の世話焼きに終始していた。ナイスフォローのしっぱなしだ。
どっちが年上かわかったもんじゃない。
思い込みが激しい勘違い(本当にそうなのかな?)に熱を上げるダテマルの獅子奮迅な戦い振りのおかげで、巨獣はほぼ撃退することができていた。ダテマルが取りこぼしても、ドンとソンが確実に仕留めてくれる。
「……もう全部あいつらでいいんじゃないかな」
「あ、こら! やることないからって店仕舞いしてんじゃないの!」
ダテマル三兄弟の働きぶりが凄まじいので、バリーは援護射撃も必要ないと見たのか拳銃を仕舞っていた。それを見咎めたケイラに叱られている。
現状、巨獣の大軍は防衛ラインで食い止められていた。
ククルカン森王国に迫っていたバッドデッドエンズの幹部も、日之出一家とカズトラがそれぞれ一人ずつ撃破もしている。
少しずつ、一歩ずつだが、着実に脅威を減らすことはできていた。
「あとはアハウ様が勝ってくれれば……」
ケイラの背中に倒れ伏したまま、カズトラは起きようとしない。
大人ミコの幻影はまだ彼に取り憑いており、精霊の加護で少しでも治癒力を上げようと努めていた。もう少しで致命的な重傷は塞がりそうだ。
治療の手を止めず、ミコは遠くの密林で行われている戦いを見遣る。
二匹の光り輝く蛇神が――死闘を繰り広げていた。
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虚無を司る“顎”と、旱魃をもたらす“光”が交錯する。
龍蛇神となったアハウの光る巨体が大地を撫でれば自然を回復させるが、ジョージィの“愛の光”を宿す蛇身が上書きするように干上がらせていく。
一進一退の攻防、あるいは完全にイタチごっこだ。
ジョージィの操る“愛の光”を帯びた大蛇。
両腕から何十匹と生える多頭蛇は戦いを追うごとに頭数を増やしていき、一匹一匹の胴体の太さこそ変わらないものの、長さは倍以上に伸びていた。
そのためジョージィの全長も増えている。
当初は1㎞に達しそうな龍蛇神と化したアハウが大きさで勝っていたが、質量的には劣るものの大きさでは追いつけ追い越せ状態である。
戦況的には――ジョージィが押していた。
大蛇の数が増えたので、その分だけ攻撃の手数が増えたのだ。
無数の大蛇でアハウの巨体に絡みつき、拘束しながら“愛の光”で干上がらせることで蝕んでいく。振りほどこうとしても更に縛り上げ、引き千切ったとしてもすぐに再生し、倍の大蛇で絡みついてくる。
アハウは虚無の“顎”をいくつも召喚、それを放つことで牽制する。
だがジョージィは抜かりなく攻撃用の大蛇とは別に、防衛用の大蛇も備えているので“顎”を撃墜されてしまう。
アハウは喉を震わせて、慟哭の破壊砲を発射する。
それさえもジョージィは大蛇の口から発する“愛の光”で相殺した。
肉体的質量と巨大さではアハウに軍配は上がるも、数え切れないほど数を増やした大蛇を手足のように扱うジョージィが優勢になりつつあった。
攻撃回数、その回転の速さは威勢となる。
威勢は時として戦力や実力をも覆す武器となるのだ。
圧倒的な手数の多さで、ジョージィはアハウを追い込んでいた。
おやおやぁ? とジョージィの口調が戯ける。
「そろそろギブアップなされた方がよろしいのではありませんか?」
攻撃の手がほんの少し緩んだ。
有利になったことで勝機を確信したのだろう、劣勢にあるアハウを煽るように、ジョージィは挑発的な言葉で囃し立てる。
「私の“愛の光”を浴びた部分は痛覚を刺激することなく、遺伝子の断片に至るまで干涸らびさせることであなたの肉体を崩壊させる……そのことに恐怖こそすれ、痛みや苦痛は感じないはずです」
でも再生は痛みを伴うでしょう? とジョージィは見透かした。
確かに――その通りだ。
ジョージィの“愛の光”は彼が自負する通り、相手を滅ぼす際に痛みや苦しみを与えることはない。安楽死が許されるならば最高の手段である。
その失った部分を再生するのは苦痛だった。
怪我でも治りかけに痛みを覚える。理屈は同じだろう。
巨大な龍蛇神となっているため被弾率も大きく、全身を治すともなれば至るところに隈なく激痛が走る。桁違いの体積に痛覚も比例するようだ。
まだアハウは人間なのかも知れない。
神の肉体が治ろうとする鈍痛に、人間の脳が沸き立ちそうだった。
痛みにまつわる神経伝達物質が過剰供給なので、脳細胞の処理が追いついてない可能性もあった。それでも冷静になれる自分に驚いていた。
そういう部分では神になりかかっているのか?
「痛いか……と痛みの張本人である君が聞くのか? そうだな……」
痛いよ、とアハウは弱音を吐くように呟いた。
この返事を待ちかねたかのように、ジョージィは加虐的に笑う。
「ならば楽にしてあげましょう! この“愛の光”で!」
手を休めながら力を溜めていたらしい。
今までで最大の攻勢をぶつけてくる。大蛇たちは牙を剥いてアハウの肉体に食らいつき、皮を破って肉を噛み千切っていく。身体のそこかしこを貫き、“愛の光”で内側からボロボロにしてきた。
蛇身による拘束もきつくなり、レーザー状に放射する光も増える。
懐刀を笑っていられなくなってきた。
アハウもまた血みどろとなり、滂沱のように血流を滴らせる。
流れる血潮が密林と荒野に落ちて、血の池を作るほどだ。
「すいませんね、どうも……」
何故かジョージィは謝ってきた。
しかし、その表情にはいやらしい笑みが張り付いている。
「この蛇神の力を与えられてからというもの、どういうわけかしつこくなってしまいましてね……どうしても獲物をこれでもかと嬲りたくなるんですよ」
あれだけの攻撃なのに、トドメに繋がる重さはない。
あくまでも甚振るだけに留めた攻撃、加虐的というには楽しんでいる節があるので嗜虐的と正すべきだろう。
「ふっ、気にするな……なんとなく、おれもわかるからな……」
アハウは軽口でも叩くように鼻で笑う。
その態度が鼻についたのか、ジョージィの笑みが薄らいだ。対照的にアハウは血に塗れながらも、皮肉な笑みで口角を釣り上げていく。
「おれはククルカン……今の姿は、ケツァルコアトルという……」
またの名を――羽毛ある蛇。
「おれも君と同じように……蛇の属性を帯びた神となった……だからなのかな、しつこいと言われると……呆れるくらいしつこくなったよ」
蛇とは執念深い性質だと言われている。
手負いの蛇は加害者を決して許さず、必ず復讐するとの俗信がある。
また執着を拗らせて蛇となった人々の伝承は数多い。愛した男に裏切られ、怒りの大蛇と化した少女。道成寺の鐘で知られる清姫の伝説は有名だろう。
多かれ少なかれ蛇神としての神性を得たアハウやジョージィは、その気質にいくらか影響を受けていてもおかしくはない。
だから――いつまでも忘れられない。
仲間に惨い仕打ちをしたナアクという狂的科学者のことを。
だから――いつまでも覚えている。
そのナアクに何もできない異形へと変えられた仲間たちを。
だから――いつまでも引きずっている。
殺してくれと懇願する7人の仲間の命を絶った時のことを。
「我ながら……しつこくなったものだよ」
皮肉から一転、アハウは自嘲のため息をついて目元を伏せた。
「ああ、なんと悲しい……蛇の本性に迷い、妄執に囚われて苦しむとは……あなたのような方こそ、この“愛の光”にて救済されるべきです」
ジョージィは同情を寄せるように言った。
だが、その言葉が帯びる感情はアハウを愚弄している。
愚か者め――そう腹の底で嘲笑うものだった。
ジョージィの大蛇がまた数を増し、アハウを責め苛むため襲い掛かる。
「獣王神の負けです。さあ……楽におなりなさい!」
ドン! と重苦しい音がした。
アハウが爆発的に動いた衝撃によって引き起こされた爆音だ。
何百匹にも数を増した大蛇に全身を覆い尽くされようとも、お構いなしに動いたアハウは突っ込んでいき、またしてもジョージィの首を掴んだ。
「そう、楽になれたら……どれだけ幸せなんだろうな」
文字通り、首根っこを引っ掴んでいた。
「ははっ! 最期の悪足掻き、今のあなたは見苦しいですよッ!」
ジョージィもお構いなし、アハウを仕留めるための手を止めようとしない。
だからこそ――気付くのに遅れてしまった。
アハウの鬣が生き物のように蠢き、自身に絡みつく大蛇を逃がさぬよう、逆に絡め取っていることがわからなかったのだ。
それだけではない。
龍蛇神となったアハウの表皮には、獣の毛と龍の鱗が入り乱れるように生え揃っているのだが、その鱗が変形して鉤爪のような形になっていた。それらの変形した鱗は、絡みついているジョージィの大蛇を捕らえて離さない。
拘束しているつもりが、逆に拘束されつつあるのだ。
「楽になる? ああ、お断りだな……見苦しい? 当たり前だろ……」
重低音で呻くアハウは本心を吐露した。
牙を剥き、目尻を釣り上げ、眉を怒らせて、アハウは吠える。
「苦しむだけの仲間を殺すことしかできなかったおれが……死んで楽になれるわけないだろう……生きて生きて生き抜いて……無様にみっともなく醜態をさらそうとも、足掻いて藻掻いて苦しんで…………ッ!」
――生きねばならないんだ!!
「この世界をより良い方向へ導き、いつか世界へ還った仲間たちが、新たに生まれ変わってくる日まで……おれは生きていかねばならないんだッッッ!!」
それがアハウなりの贖罪だった。
漢の迫力にジョージィは思わず気圧される。
その直後、ようやく鬣や鱗の変化に気付いたようだ。
「こ、これは……拘束しているつもりですか!?」
アハウの意図までは読めないが、「ろくなことにはならない」と推測したジョージィは振りほどこうとする。だが逃がしはしない。
「君は言ったな……おれの攻撃では自分を仕留めきれない、と……」
その言葉――そっくりお返ししよう。
「君の攻撃もまた……おれを仕留めきれていないのだよ」
そこを指摘されたジョージィの顔色が段々と青ざめる。白蛇のような青白い鱗で覆われていたが、本当の青に染まりつつあった。
アハウの総身を包むのは、“愛の光”を発する大蛇の群れ。
いくら巨大化しようとも、ここまで浴びせかければとうの昔に木乃伊となっていてもおかしくはない。なのに、アハウは血みどろでボロボロに傷ついてこそいるが目は死んでおらず、身体の芯もまったく揺らいでいない。
「私の“愛の光”……き、効いてないッ!?」
耐性があって抵抗されている、その事実を思い知ったようだ。
「不思議だと思わなかったのか?」
問い掛けながらアハウは、背中にある六枚の翼を広げた。
大蛇たちによって散々に傷つけられているが、力強く打ち振るわせると綻んだ部分は瞬く間に再生していき、龍蛇神の巨体を空へと押し上げる。
昇龍という言葉が相応しい光景だろう。
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
密林に獣の王の慟哭が響き渡った。
ジョージィを捕らえたまま、アハウは上空へ飛んでいく。
「君からの攻撃が面白いくらいおれに直撃すること……おれからの攻撃が堪えないほどに温かったこと……虚無による攻撃が数こそ多いが、小さな“顎”ばかり使っていたこと……わざとらしく君の攻撃でおれが身を苛んだこと……」
そこまで打ち明けたところでジョージィは戦慄する。
「ま、まさか……すべて故意だとでも……ッ!?」
「傲慢な者は優越感に自惚れる……精々、付け込ませてもらったよ」
ツバサ君のように用心深い者には通じない手だ。
尊大で偉そうに振る舞うジョージィの性格からすれば、アハウが「自分より弱い」と思い込んだ瞬間、油断すると信じていた。
「だからといって、私の攻撃を甘んじて受けるなんて……ッ!?」
正気ですか!? とジョージィはアハウの理性に問い掛ける。
正気だとも、とアハウははっきり言い返した。
「おれは……仲間をろくに助けることもできなかった能なしだからな」
少しは痛い目に遭わないと……アハウは力なく微笑んだ。
独りよがりなのはわかっているが、無能な自分を恥じ入るように責め立てられる気持ちはいつもつきまとう。今回の一件はいい機会だった。
「なので、君の攻撃はわざとすべて身に受けた」
それさえも作戦――子供騙しな演技の一環だったわけだが。
「ぜ、全部が全部、わたしの油断を誘うためだったと言うのですか!?」
「ああ……君を確実に葬るためにな」
蛇の属性を帯びたアハウだが、他者を嬲り殺す趣味はない。
どうしても殺さなければならないと決めたら、苦しませずに一瞬で息の根を止めると心に誓っていた。あの極悪人ですらそうやって裁いたのだ。
「君を油断させるため……同時に、君の目を勝利へと向けさせて、空の変化に気付かせないよう……細心の注意を払わせてもらったよ」
「空? え、な、なんですか……どうして空がこんなにも暗い!?」
時刻はまだ朝9時を回ってもいない。
だというのに空は墨を流したかのように真っ暗な闇に染められ、太陽が何処にも見当たらなかった。雲は目につくので単純に空が暗いのだ。
その暗い空へ向かって、アハウは登り詰めていく。
「君は“愛の光”という強烈な光を放っているし、おれも対抗して自然を育む陽光をまとっていた……いい目眩ましになったよ」
こいつを隠しておくには――アハウは奥の手を紹介させてもらった。
ジョージィは顔色を絶望一色で染め上げる。
「こ、これは……虚無!? 虚無の“顎”なのですかこれも!?」
その規模はアハウ自身も計り知れない。
かつてツバサたちとともに撃退した――超巨大蕃神。
後に“祭司長”と名付けられたそれは、六本指の右手だけでこの大陸を握り潰さんとした。アハウは戦女神ミサキや冥府神クロウとともに決死の抵抗をしたのだが、対して攻撃が通じなかった苦い経験を味わっている。
その経験に基づき修練を重ね、編み出した奥義がこれだ。
「――煙を吐く鏡」
空を埋め尽くすほど大きい虚無の“顎”は仮面の形をしていた。
黒と白に塗り分けられた――鋭利な歯を持つ仮面だ。
螺鈿細工や瑪瑙細工を施された、髑髏をモティーフにする不気味なマスク。眼窩に当たる両眼には漆黒の宝石が埋め込まれたように輝き、大きく開いた口には人間の歯というには刺々しい牙が並んでいる。
この“顎”にはモデルがあった。
1400年から1500年頃にメキシコで製作されたもので、テスカトリポカという邪神を象っているという。後に大英博物館へ寄贈されている。
オリジナルは人間の頭蓋骨に、黒曜石や翡翠で飾り付けがされたものだ。
邪神の仮面を模した巨大な“顎”。
以前から何度か使っている大技で、その時から湖を一呑みにできるサイズはあったのだが、超巨大蕃神の途方もなさには通じなかった。
そこで限界を超えた巨大化を図ったのだ。
努力の甲斐もあり、今では国ひとつ楽々飲み干せる。今ならあの超巨大蕃神の指先を噛み切るぐらいの成果は出せるはずだ。
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
アハウの慟哭に煙を吐く鏡は呼応する。
邪神は大きく“顎”を開き、犠牲者を待ち侘びていた。
捕獲したジョージィを連れて、アハウはまっしぐらに虚無へ向かう。
「もしかして……相討ち狙い!?」
離せぇぇぇッ! とジョージィは全身の大蛇で身悶える。
「おっと……今さら離れるとはつれないな」
ジョージィが暴れれば暴れるほど、アハウの鬣は皮膚へと食い込んでいき、鉤爪に変形した鱗は深く突き刺さっていく。
「私ごと虚無に飛び込んで、あなたも無理心中するつもりですか!?」
「自分の刀で傷を負う武士もいないだろう?」
そんな間抜けなことはない、とアハウは虚無を見つめたまま言った
「あなたには……虚無が無効化されるのですか!?」
アハウに虚無は通じない、と暗に示唆した。
「お、おのれぇぇぇーッ!? 離せ、離さないかぁぁぁぁーッ!?」
自分だけが虚無に消える、その宣告にジョージィは慌てふためいた。
冷静さを失い、取り乱したのだ。
この場を脱する最良の方法を思いつく余裕もあるまい。
その混乱と狼狽もまた――アハウの策だった。
出会った頃の余裕たっぷりの態度はもはや見る影もなく、ジョージィは手足の代わりである大蛇を振り回して暴れことで脱出を試みる。
だが、何もかもが手遅れだ。
「ジョージィ君だったか……ひとつ弁解しておこうか」
虚無の“顎”まで残りわずか、煙を吐く鏡は待ちくたびれている。
ここまで近付くと吸引力が発生しており、こちらから近付かなくとも“顎”が引き寄せてくれた。もう逃げるのも難しい強風でだ。
「おれは神族となり、獣王神とか神王とか讃えられるようになったが……未だに神様になったという実感に乏しい。心はまだまだ人間なんだよ」
だから――普通に嘘もつく。
「この虚無はな――おれだって何もない世界へ堕とすんだ」
これを別れの言葉に、アハウは緊急離脱をした。
龍蛇神の巨体は硬質化させた抜け殻にして、ジョージィを身動き取れないように固めたまま、アハウ本体はそこから肉体を切り離す。
彼と最初に出会った、悪魔のような姿でこの空域から離れていく。
ジョージィは――絶句した。
「……き、き、ききき……キシャアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?」
裏切られた絶叫を上げ、ジョージィは虚無に飲まれていく。
いかなる抵抗も無駄に終わる。
虚無の“顎”はソバでも啜るかのように多頭蛇をも吸い込む。ジョージィは死に物狂いで藻掻くが、体積の半分が消えかけていた。
虚無に堕ちる寸前、ジョージィは狂おしい笑顔で宣言する。
「は、ははは……ああ、悲しい、私は悲しいですよ、アハウさんッ!」
この程度で――私の心を折れるとでも?
「窮地にこそ、逆しまに考えることで活路を開いてきた……私の信念を打ち明けたのに、それを理解されないとは……ああ、なんて悲しい!」
下半身は跡形もなく消えて、腹まで虚無の向こう側だ。
右腕に当たる大蛇をこちらに伸ばして、ジョージィは末期の言葉を紡ぐ。
「何もない虚無! いいでしょう、自らそこへ飛び込んで見せましょう! そして、その虚無を我が“愛の光”で満たし、私だけの楽園に…………ッ!」
どうやら――間に合わなかったようだ。
台詞を言い終えること叶わず、ジョージィは虚無へと旅立った。
供犠を平らげた煙を吐く鏡も消えていく。
一面の虚無に塞がれていた世界に、清々しい青空が戻ってきた。
ジョージィの消えた虚無に薄ら寒いものを感じながら、鬱積した感情に突き動かされるまま世界廃滅を願った青年について考える。
「死よりも惨い消滅という土壇場に追いやられながらも、そこまでポジティブに考えられるとは……正直、その前向きさが羨ましいよ」
今なお仲間の死を引き摺る、ネガティブなアハウには真似できない。
それゆえに納得しがたいこともあった。
「なのに、どうして……君は道を踏み外したのだろうな」
何事に対してもポジティブに捉えられるのならば、差別や迫害などものともせずに生きる道を模索できたのではと訝しむ。
もっと柔軟な生き方を選ぶことができたのではないか?
「……それが残念でならない」
──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!
黙祷の後、アハウは手向けの慟哭を捧げた。
守護神と破壊神の盤上――№16のコインが煙のように消えていた。
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