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第13章 終わりで始まりの卵

第315話:怪しいジジイがやってきた

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 密入国者──という言い方は語弊ごへいがあるかも知れない。

 彼は真正面から堂々と入国してきたのだ。

 もう数日前のことになる。

 飛行系技能や空間転移の魔法を使うこともなく、ヒョッコヒョッコ千鳥足みたいな足取りで、物見遊山ものみゆさんよろしく歩いてきた。ツバサが侵入者に気付けるエリアへ踏み込むなり、わざわざ精神念波テレパシーまで送ってきたのだ。

『ちょいと邪魔するでー、あんちゃん』
『邪魔するんだったら帰ってくれ』

 関西弁に聞こえたので、吉本新喜劇なノリで返してしまった。

 すると相手も心得たもので──。

『はいよー……ってオイ!』

 完璧なノリツッコミで応じてくれた。

 容姿や動作までは読み取れないが、精神念波からして関西弁のオッチャンといった感じだ。いや、もっと高齢のオジイちゃんかも知れない。

 神経を集中させて正体を探ってみる。

 種族は……神族のようだが、プレイヤーらしくない。どちらかと言えばオリベやイヨに似た雰囲気だ。体格的には痩せた男性の老人らしい。

 おまけに、初対面とは思えない馴れ馴れしさ。

『堅いこと言いなや兄ちゃん。おまえさんほどの神さんなら俺が人畜無害なんわかるやろ? 悪させぇへんから意地悪なこと言わんといてぇなぁ』

 自己申告されると怪しみたくなるが、確かにこの老人からは悪意を感じられない。むしろ親しみやすい安心感を覚えてしまう。

 しかし、ハトホル国の女王として油断は許されない。

『──誰が女王様だ!?』
『言ってへんがな!? ちくっと被害妄想が酷すぎひんか?』

 ツッコまれた上、なんだか心配されてしまった。精神念波なので腹芸や演技がない分、素の返事が届きやすいのでちょっと凹みそうになる。

『……アンタ、何者だ?』

 気を取り直したツバサは精神念波の正体を問い質した。

 すると老人から楽しそうな感情が伝わってきた。

 名乗れることが嬉しくて堪らないといった様子である。

『よう聞いてくれた! 俺こそ三千世界にその人ありと謳われた、過去現在未来の三世さんぜを渡り歩く術を体得せし偉大なるマハー・聖賢師リシ! ノラシンハ・マハーバリ様や! 親しみと敬いを込めて師父しふと呼んでんか?』

『アンタから学んだことは何一つないけどな』

 師父と敬えとか図々しいにも程がある。

 ただ、この厚かましい自己紹介からひとつ読み取れたことがある。

 この爺さん――恐らくは真なる世界ファンタジアの神族だ。

 発言する内容が地球から飛ばされてきたプレイヤーらしくない。口振りからして「俺は生まれも育ちもこん世界やで」と主張しているのを感じ取れた。

『ま、細かいことはええわな。おまえさん方からすりゃ俺なんざ棺桶かんおけに片足突っ込んだヨボヨボのジイさんにしか見えへんやろうしな。初老の紳士でもジイちゃんでもジジイでもクソジジイでも、好きに呼んでくれたらええがな』

 すると、ノラシンハは「ちょっと待った」な念波を送ってきた。

『──誰がクソジジイやコラ!?』
『好きに呼べと行ったよなジイさん!?』

 ジイさんならええわ、とノラシンハは念波で頷いた。

『もしも問題起こしたったらスプリガンの嬢ちゃんたちにフルボッコにさせるなり、兄ちゃんが出てきてボッコボコにして牢にぶち込むなり、好きにしたらええがな。俺の力じゃ兄ちゃんたちにゃ逆立ちしたって敵わへんからな』

 わかるやろ? とわざわざ力の差を伝えてきた。

 神族としての格差は歴然だ。ツバサたちはLV999を筆頭に、全員LV900を超えている。この老人はいいとこLV900強だ。

 おまけに老いている。かなり高齢なので衰えは隠せない。

『ええがなええがな。んじゃ、邪魔するで──兄ちゃん・・・・
『あ、おい待てジイさ…………んッッッ!?』

 この時、ツバサはようやく違和感に気付いた。

 この老人ほど精神念波テレパシーが巧みならば、ツバサがありあまる女性ホルモンに満ちあふれた女神だと気付いている。口調や態度がどんなに男らしくとも、地母神の気配は誤魔化せない。この老人はツバサが女神だとわかっているはずだ。

 なのに──ツバサを“兄ちゃん”と呼んだ。

 ツバサの精神的な部分、あるいは心の有り様まで読み取り、本人の性意識は男であると理解して、わざわざ“兄ちゃん”と呼んだのだ。

 馴れ馴れしくも奇妙な気配りと、こちらの心の奥底を見抜く勘の良さ。

 このジジイ……ツバサの背筋を冷たいものが這い上がる。

   ~~~~~~~~~~~~

 ツバサはフミカとガンザブロンを連れて執務室を出た。

 子供たちは念のため我が家マイホームで留守番させておく。

 オリベには妖人衆の腕利きを集めた自警団の手配を頼んだ。

 ──ノラシンハは侮れない。

 そもそも得体の知れない人物だが、老人とか低LVとか甘く見ていると痛い目に遭わされそうだ。ミロの固有技能“直感&直観”にはまだお窺いを立ててないが、ツバサの勘がそう囁いていた。

 ミロはヴァトとともにウネメやケハヤと稽古中のはずだ。

 ウネメが剣術を、ケハヤが蹴脚術を、2人に教えている頃だろう。

 万が一に備えて――子供たちは近付けない。

 ノラシンハには、ツバサが直接対処することを決めた。

 フミカには豊富な補助魔法でサポートを頼み、ガンザブロンは自ら肉弾盾タンクを買って出てくれた。頑丈さなら折り紙付きである。

 あと、ジャジャの分身は連れてきた。

 現在ノラシンハはフリーダムだが、監視の目に抜かりはない。

 ジャジャの分身が尾行中である。

 分身を介してリアルタイムな情報を聞くためなのだが……。

「母上、件のご老人なのでゴザルが……こちらが忍法で完全隠密しているにも関わらず、ウィンクを送ってきたり手を振ってくるでゴザル」

 ツバサに肩車されたジャジャは申し訳なさそうだ。

 まさか尾行がすぐにバレるとは予想外だったのだろう。LVだけならジャジャのが上なのだ。ノラシンハに見破れるはずがない。

忍神おまえの隠密を見破るか……やっぱり只者じゃないな」

 過去現在未来、三世を見通す眼という触れ込みも嘘ではないのかも知れない。

 LVの低い老人と侮るべきではない。しかし――。

「ふざけてるのか、バカにしてるのか、茶目っ気があるだけなのか……」

 ノラシンハの人物像が掴めないツバサは眉間を寄せた。

 意思のみが伝えられる精神念派テレパシーからして関西弁に聞こえる辺り、ユニークというかユーモアたっぷりというか、お笑い芸人みたいに周りの人間のウケを狙わずにはいられないタイプと見た。

 似たタイプにジンがいる――愛弟子ミサキの親友だ。

 アイツの場合はスラップスティック派で、身体を張ってでも笑いを取らないと気が済まない。真性マゾな気質がそれに拍車をかけていた。

 彼と比べたら、ノラシンハは話術トークで笑いを取るタイプらしい。

 そう考えるとお笑い芸人でも若手とベテランぐらいの差がありそうだ。

「――いや、申し訳なかツバサ様」

 現場までの案内役でもあるガンザブロンが振り返りながら謝ってきた。

 ポリポリと金属の頭を掻いている。

 2m超えの巨漢ロボだが、一目で優しいオッサンとわかる外見。

 防衛拠点である上空のハトホルベースでの仕事はダグたちに任せ、地上に降りて畑仕事に精を出す半隠居を謳歌おうかする……はずだったのだが、世知辛い情勢のため、地上を守るスプリガン族の防衛総隊長に再任された。

 以前は衣服を着ずにロボの外観をさらしていたが、他の種族からの視線に配慮したのか警備員めいた制服を着るようになった。

 これもハルカ&ホクトの合作――“ハルクイン”ブランドだ。

 もはや服飾関係は彼女たちの独占市場である。

「謝ることはないよガンさん、あのジイさんを通したのは俺なんだから」

 ガンザブロンだと長いので“ガンさん”の愛称で通っていた。

 ツバサはガンザブロンの横に並ぶ。

 わざわざ振り返らなくてもいいようにだ。

 それでもガンザブロンは護衛として、いつでもツバサ、フミカ、ジャジャの盾になれる姿勢を取った。守護者ガーディアンの心構えに感謝する。

 男気あふれるガンザブロンは言い訳を好まない。

 だがノラシンハの密入国を見逃した経緯けいいや、彼がどうやってハトホル国へ踏み込んだのかを報告しないわけにはいかないようだ。

四重結界クアドラに足止めさるっことなっ抜けてきて、クロコ様やジャジャ様にも目こぼしされて、平気の平左で街へ入ってきたでお声を掛けはしたとじゃが……」

「どうせこう言ったんでしょう?」

『おまえさんのボスに了解は貰っとる。ええがなええがな』

 ノラシンハはスプリガンたちが立ちはだかっても臆せず、飄々ひょうひょうとした態度でそう言い張ると、ガンザブロンを胴をポンポン叩いて「ご苦労さん」と忠勤振りをねぎらってから、スルリと脇を抜けていったという。

 ノラシンハは痩せても枯れても神族だ。

 神族のオーラを発する彼には、かつて神族の守護者を務めたこともあるスプリガン族としては強く出られるはずもない。

「いくら四重結界を抜けちょっとはいえ、とどめちょくべきやった……」

 責任を感じてガンザブロンは表情を曇らせた。

 するとフミカが「仕方ないッスよ」と慰めの言葉をかける。

四重結界クアドラを通れる=ウチら公認みたいなモンッスからね」

 ハトホル国における防衛ライン――四重結界クアドラ

 文字通り、四重に重ねがけされた結界網のことだ。

 一番外側を守る結界はツバサの担当領域。

 ハトホル国を起点に半径数百㎞(ツバサのバイオリズムで変動するが、大体400~600㎞)をドーム状に取り巻いている。この結界は基本的に出入り自由なのだが、悪意や害意のある者は追い出されるようになっていた。

 LV700を超えれば意に介さないかも知れない。

 ただし、ハトホル国へ接近中なのはバレている。場合によってはツバサが出向き、相手の出方次第では殺し合いに発展することもあるだろう。
(※第273話のマーナ一味がいい例)

 内側二番目の結界はジョカの担当領域だ。

 彼女の結界はハトホル国を起点に半径200㎞を取り巻いている。

 起源龍オリジンである彼女の力はLV999のプレイヤーに匹敵し、マリナ同様に守る力に秀でているため、広範囲に強力な結界を張り巡らせることができた。

 彼女の兄は終焉龍エンドを名乗り、この世界を滅ぼそうとした。

 そんな兄を自分と一緒に結界へと封じ込め、結界の中で兄を止めるために死力を尽くした戦いを繰り広げたという。決して兄を外へは出さず、100年もの長きに渡って結界内へ押し留めてきたジョカの能力は賞賛に値する。

『ただ結界を張るだけなら楽だよ。多分、10000年は余裕だと思う』

 頼もしすぎる言葉にツバサたちは絶句したものだ。

 内側三番目の結界はマリナの担当領域である。

 過大能力オーバードゥーイングからして防御や結界に特化した彼女は、家族でも随一の防衛能力を誇っている。本気で守りに入られたらミロでも手こずるくらいだ。

 謂わば――マリナの結界は最終防衛ライン。

 ハトホル国を起点に100㎞圏内を守ってくれている。

 最後の結界を管理するのはフミカだが、彼女の結界は特殊だった。

 ツバサ、ジョカ、マリナ――。

 この3人の女神が守る結界を連結リンクさせ、相互作用することで防御力を上げるように調整し、結界の内外に異常がないかを管理してくれていた。

『ほら、卵の内側に白い膜があるじゃないッスか? あれって薄っぺらいけど、卵の殻を内側から補強する役目があるんすよ』

 ウチはサポート重視ッス、とフミカは自分の仕事を謙遜けんそんした。

 これが“四重結界クアドラ”のシステムだ。

「あのジイさん、その四重結界を何日もかけて歩いてきたからな」

 ツバサの結界に踏み込んだ時点で『お邪魔するでー』の念波を送ってきて、自分を誇示したのだ。怪しさ大爆発だが、あまりにも開けっぴろげだった。

 ツバサはノラシンハに持ちかけてみた。

『そこからここまでは遠いぞ――迎えに行ってやろうか?』

 無論、相手の出方を探るためだ。直接会って正体や素性を暴いてやろうとも思った。場合によってはその場で対処することも辞さない心構えもあった。

『歩くの好きやし、道中いろいろと見物させてもろとるわ』

 しかし、やんわり断られてしまった。

 ツバサとノラシンハのやり取りは、フミカにも聞かせておいた。

 フミカから防衛を担当するマリナ、ジョカ、ジャジャ、クロコにも伝わり、哨戒任務のスプリガン族にも連絡は回された。

 ガンザブロンも報告は受けていたのだが……。

「まさか本当にほんのこて徒歩でやってくっ神族がおっとは思いもはんじゃした」
「自分も聞いた時は耳を疑ったでゴザルよ」

 ガンザブロンの独り言にジャジャも同意していた。

 ツバサに肩車されたジャジャと目を合わせたガンザブロンは、困ったものだと言いたげに苦笑を浮かべている。

「ウチも方々ほうぼうへどう知らせるべきか迷ったッスからねぇ……」
「あれにはみんな混乱していたからなぁ……」

 フミカもツバサも似たような半笑いを浮かべる。

『――変なジイさんがウロウロしてるけど放っといてヨシ』

 フミカは防衛に携わる者たちへの連絡網に、このような一文(原文ママ)を回したのだ。ツバサたちはともかく、現場は相当混乱したらしい。

 そこでフミカが機転を利かせてくれた。

『――なんかあったらハトホル様がなんとかするッス』

 この一文(原文ママ)が加えられたことにより、渋々納得したという。

「実際、俺がなんとかするというか……相手させられたんだよな」

 おかげでここ数日、ツバサの脳内はやかましかった。

 ハトホル国の街に辿り着くまで暇を持て余したノラシンハは、精神念波で『お話せぇへん?』と、ツバサに雑談を持ちかけてきた。たまに聞き捨てならないことを言うので無視もできなかった。

 例えば――ツバサを“兄ちゃん”呼ばわりとかだ。

 他にも『還らずの都はどうなってん?』とか『スプリガンおるんなら方舟もそこにあんのか?』とか『世界樹の跡地は行ってん?』等々……。

 ノラシンハの振ってきた話題を上げると、フミカは目を細めて警戒する。

真なる世界ファンタジアについてあれこれ知ってそうッスね。まさか……」

 ――神族の生き残りでは?

 フミカの抱いた懸念けねんはツバサも初期接ファースト近遭遇コンタクトから考えていたことだ。

 真なる世界最強の二大種族が神族と魔族である。

 しかし、どちらも絶滅寸前だった。

 不老不死のため繁殖力が低いので種の絶対数が少なく、蕃神との大戦争では最前線で戦ったため、ほとんど戦死してしまったのだ。

 神族や魔族の力を混血という形で受け継いだ“灰色の御子”には何人か出会っているが、純粋な神族や魔族には数えるほどしか出会っていない。

 厳密に言えば、神族の1人にしか会ってない。

 その人物も出会えてすぐ、鬼籍に入ってしまったが…………。
(※第33話参照)

 ツバサたちのように現実世界から転移させられてきたプレイヤーを別とすれば、真なる世界純正の神族や魔族はどれほど生き残っているか……。

 ノラシンハは──生き残りの可能性が高い。

「そこも気になるが、話題の内容がもっと深刻なんだよ」
「わかってるッス……全部、ウチらが関わってきたことなんスよね?」

 ウチの次女は頭の回転が早くて助かる。

 ノラシンハがツバサに振ってきた話題は、真なる世界の住人でなければ知らないことばかりなのは勿論のこと、そのどれもがこれまでツバサたちが出くわしてきた事件にまつわるものばかりだったのだ。

 どうして――この怪しい老人が知っている?

「そこんとこ問い質さなかったんスか?」
「……俺がしないと思うか?」

 思わないッス、とフミカは首を左右にフルフルと振った。

「思わせ振りな発言で匂わせてくるし、俺たちのやってきたことを間近で見てきたような口振りだからな。どうしても耳を傾けてしまうし、そこんところをほじくり返して問い詰めてやろうとしたんだが……」

 その度にくだらない馬鹿話にすり替えられてしまった。

 変なギャグを飛ばしてわざとツッコませてきたり、鬱陶しいくらいバカの振りやボケ老人の演技をして、ほとんど強制的に話題を変えられてしまう。

 老獪ろうかい、とはよく言ったものだ。

 気付けばツバサは、幾度となくノラシンハに丸め込まれていた。

「あからさまに話をはぐらかされてるッスよね?」

 フミカから指摘されるまでもない。ツバサはほぞをかむ思いだ。

「ああ、しかも精神念波テレパシーの態度が『面と向かったらちゃんと話してやるさかい、俺が行くまで待っとってや』と匂わせやがって……」

 お望み通り――つらを拝みに行ってやる。

 ツバサたちはノラシンハの許へ足早に向かった。

   ~~~~~~~~~~~~

 ハトホル国は順調に市街地を拡げつつある。

 ハトホル一家ファミリーの暮らす我が家マイホームがハトホル国の中枢だ。

 我が家の周辺には技術指導のための学校や魔法や武術を学べる訓練場。いくつかの重要施設が建ち並び、そこから放射状に街が広がる。

 比較的高度な建築技術を保ってきたスプリガンと妖人衆がタッグを組み、良質な鉱石、石材、粘土、これらの扱いに長けたコボルト族とノーム族が力を合わせて建材を揃えたため、とても近代的な町並みができていた。

 おまけに、街作りを主導するのはダインだ。

 木造建築、石造りの家、煉瓦レンガの家、鉄骨にコンクリートを打ったビル……様々な建築法を試しながら、日本的な建築様式の建物が並んでいる。

 綺麗に整えられた石畳の道も、蜘蛛の巣状に延びていく。

 大きな通りは車道であり、馬車や牛車が行き交う。歩行者は左右に敷かれた歩道を歩く。ツバサたちも現地まで歩いて出向くことにした。

 どうせノラシンハは逃げやすまい。

 ツバサが顔を見せるのを今や遅しと待っている感があった。

 歩いていると住民たちとすれ違う。

 新しい建築現場に向かう大工、資材を積んだ馬車を駆る御者、田畑の世話が戻って帰る途中の農夫、学校が終わってお菓子屋に向かう子供たち……。

 誰もがツバサたちを見付けるとキチンと挨拶してくれた。その場に立ち止まり、深々とお辞儀をしてくれるのだ。

 ツバサたちは微笑みながら手を振る。

大分だいぶマシになったな……ちょっと前は迂闊うかつに出歩けなかったからな」
「大名行列さながらだったッスからね」

 そう、これでもマシになったのだ。

 以前はハトホル一家の誰かがちょっと散歩に出ただけで、行き交う住民たちはその場で地面に額づいて土下座し、こちらの姿が見えなくなるまでピクリとも動こうとしなかった。

 ツバサたちを敬ってくれるのはいいが……やり過ぎだ。

 この行き過ぎは妖人衆が原因だった。

 彼らの中には江戸時代から飛ばされてきた者が多く、大名行列への作法を覚えていたため、神王であるツバサたちが往来に現れると同じ態度を取った。

 その行為が伝播でんぱしたらしい。

 ツバサたちは慌てて「敬いの気持ちはありがたいが土下座はいい。挨拶や会釈で十分だ」とお触れを出して改善させたのだ。

 住民たちとすれ違い、住宅街でも賑わっている界隈かいわいへ向かう。

 そこにはハトホル国で一番大きな食堂があった。

 まだハトホル国内では貨幣制度がない。

 衣食住といった生活必需品は配給制だ。ただし、働かざる者食うべからずの精神にのっとり、ちゃんと仕事をした者に配給チケットが与えられる。

 食堂で食べられる料理やお酒なども例外ではない。

 朝昼晩は混んでいるが、午後3時過ぎになれば食事に訪れる者も少なく、ちょっと気取った女の子たちがお茶を飲みに来るくらいだ。

「あんご老人、入国すっなりこう言ったんですよゆたど

『長旅でクタクタやしお腹もペコペコやわ。なあデカいの、飯食えるとこ知らへんか? 安くて美味くて綺麗なネーチャンがいたら最高やな』

 あまりの不貞不貞ふてぶてしさにガンザブロンは呆れたという。

腐ってもねまってん神族、無礼に対応すったぁ……て思うたでな」
「ガンさんは大人だなぁ。俺ならそこでかかと落としを決めてるよ」

 請われるまま、食堂の場所を教えたそうだ。

 その食堂の軒先、オロオロと落ち着かない様子の女性が一人。

「……あ、ガンさんガンさん! こっちこっち!」

 ガンザブロンを視界に捉えるや否や、片手を挙げて激しく手招きした。足があればピョンピョン跳びはねそうだ。

 生憎、彼女の下半身は数mはある蛇体になっている。

 ハトホル国に暮らす種族──ラミア族。

 上半身から太股の付け根までは見目麗しい女性なのだが、そこから先の下半身は大蛇になっている半人半蛇の種族である。例外なく美人揃いの種族で女性しかいないため、他種族の男を夫に迎えて繁殖するという。

 ガンザブロンに手を振っている女性はエトナさん。

 ラミア族の族長でもあり、食堂の女将おかみとして切り盛りしていた。

 人間ならば年の頃30代前半、女盛りの美女である。

 美人揃いのラミア族の中でもトップクラスの美貌の持ち主だ。

 蛇特有の鋭さはあるが柔らかく暖かみのある面立ちのため、食堂の常連たちから女将さんと慕われるだけの包容力を持っていた。

 割烹着かっぽうぎをまとっていても隠しきれないグラマラスさも人気の理由だ。

 真紅の長い髪は料理の邪魔にならないよう結っている。

「良かった、ツバサ様たちを連れてきてくれたのかい? 助かったよ、あんなの・・・・、アタシたちだけじゃどうしていいかわかんなくってさぁ……」

 ガンザブロンに礼をいうエトナは、すぐさまツバサたちに頭を下げた。

 困った顔をつくろいもせず、エトナは縋るように訴えてくる。

御足労ごそくろうをかけてしまい申し訳ありません、ツバサ様……ですが、あの方たち・・・・・にはどう接すればいいのかわからなくて……ああ、勿論、神族の方だというのはわかりますので、粗相そそうを働いたつもりはないのですが……」

「大丈夫だよエトナさん。大体わかっているから」

 あなたや食堂の従業員たちに非はない、とツバサは優しく諭した。

「……んんん? ちょっと待ってエトナさん」

 だが、ある一点がちょっと気になった。

「あの方たち? ノラシンハとかいうジイさんだけじゃないのか?」

 複数形だと? 他にもいるのか?

 正体不明ということもあって、ツバサは入念にノラシンハの気配を調べ、同行者がいないかもチェックした。しかし、隠れ潜む者などいなかった。

 フミカに目線を送ると、目を丸くしてウンウンと頷いている。

 彼女の索敵に引っ掛かったのもノラシンハだけだ。

 となると──エトナのいう「あの方たち」の正体は?

 百聞は一見に如かず、戸惑うエトナに誘われるまま食堂内に足を踏み入れると、夕方近くとあって店内は空いていた。等間隔で並んでいるテーブルには数えるほどのお客さんしかいない。

 彼らもツバサに一礼するが、すぐ店の奥へと視線をズラしていく。

 その表情は口ほどに物を言っており、どれも「ツバサ様があの光景を見たら確実にカミナリが落ちるよなぁ……」と書いてあった。

 嫌な予感がするも、ツバサもみんなの視線を追ってみる。



 その光景を目にしたツバサは――こめかみに怒りの青筋を走らせた。



 食堂の奥には靴を脱いで寛げるお座敷がいくつかある。

 その一角にたむろする4人の神族──。

 1人は見慣れない老人(恐らくノラシンハ)だが、他の3人は毎日顔を突き合わせているので、見覚えがある面子めんつだった。

 いつも黒ずくめの酔いどれ剣豪、いつも浴衣姿の尻マニア横綱、いつもメイド姿のエロ特化な駄メイド……ハトホル一家のアダルト組である。

「だあっはっはっはっ! イケる口だなジイさん!」

 ほれ駆けつけ三杯! とセイメイは瑠璃色るりいろ瓢箪ひょうたんを差し出した。

 色黒の痩せ細った老人は節くれ立った指でぐい呑みを持つと、溢れんばかりに注がれた美酒を水のように飲み干して酒臭い息を吐いた。

「ひょっほっほっほっ! こんなもん俺にしてみりゃ水みたいなもんや! ソーマやアムリタといった極上の神酒しんしゅをがぶ飲みしたんが懐かしいわ!」

「ほう、この呑兵衛のんべえの持っとる“永劫のエターナル・極酒瓶”デュオニソスの中身より美味い酒があったのですかな? 是非とも味わいたいですな」

 老人の次にセイメイからご相伴に預かったのはドンカイ。

 こちらは野太い指で朱塗りの大杯を持っており、グビグビと美酒をあおっていた。空いた手は座卓に並べられたさかなに伸びている。

「美味しいお酒ならセイメイ様の瓢箪でも十分でございますが、カクテル派の私としましては、色んなお酒をちょびっとずつ楽しみたいものでして……そのアムリタやソーマというお酒には興味津々でございます」

 クロコはお猪口ちょこを両手に持ち、澄ました顔で呑んでいる。

 途中からセイメイの瓢箪を預かると、ノラシンハ、ドンカイ、セイメイにメイドらしく酒を注いで回り出す。自分のお猪口にもお酒を注いで、クピクピと可愛らしい音をさせて飲んでいた。

 座敷のテーブルには、所狭しと並べられた料理の数々。

 どれもが酒の肴に適したもので、大半は食べ尽くされている。

 この食堂の女将はラミア族のエトナだ。

 食堂で働くウェイトレスも同じラミア族の女性が多い。

 不思議と男心をくすぐる制服を身にまとったラミアの娘たちが料理を運んできてくれるのが人気なのだが……そのウェイトレスのラミアたちは、ノラシンハのいる座敷にはべらされており、給仕としての接待役をやらされている。

 早い話──キャバクラのキャバ嬢だ。

 キャバ嬢というワードが頭の中に閃いた瞬間、ツバサは先刻の脳内に送られてきた“自分がキャバ嬢をやらされた”イメージがぶり返してきた。

「な、な……なっ、なに……」

 肩を怒らせて両手を戦慄わななかかせ、長い髪がザワザワと蠢き出す。

 ツバサの全身からバチバチと電光が湧き上がる。

 ──あ、やばい。

 フミカはジャジャをツバサの肩車から引き剥がすと、ガンザブロンとエトナの背を押して避難した。テーブルでお茶していたお客たちも逃げ、キャバ嬢をやらされていたラミアたちもそそくさと退散する。

 逃げ遅れたのは──酔っ払いのダメ神族4人。

「なにしとんじゃおまえらああああああああああああああああーーーッ!!」

 ツバサは全身から轟雷ごうらいを解き放った。

「「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーースッ!?」」」

 セイメイ、ドンカイ、クロコはまともに浴びる。

 身体が透けてスケルトンめいた骨の構造が浮かび上がるほどの強力な雷撃だが、クロコだけ恍惚の表情で涎を垂らしているのは見ない振りをする。

「真っ昼間っからなにどんちゃん騒ぎしてやがる!?」

 この不良大人どもがーッ! とツバサのボルテージは上がる一方。

 釣られて轟雷の威力も跳ね上がる。

「アガガガガガガッ!? し、神族でもこれ死ぬってツバサちゃん!?」
「ムギギギッ!? む、むかし、こんなヒロインがおったのぅ!」
「ツツツ、ツバサ様の愛の鞭チチチチ乳ちッ! もっと電圧上げてぇーッ!」

 三者三様に泣き叫ぶダメな大人たち。

「ひょっほっほっ、そうカッカすんなや兄ちゃん」

 すると、雷撃から逃れるノラシンハはのんきな声でなだめてきた。

 どう見ても藁で編んだ編み笠にしか見えないのだが、それを被ったノラシンハには轟雷が当たらず逸れてしまう。

 特殊装備? 魔法攻撃を逸らす効果があるのか?

「この黒いのやでっかいのやエロいのはな、俺を試しとったんよ」

 わかっとるんやろ? とノラシンハは笠越しに覗いてくる。

 ──浅黒い肌の痩せた老人だ。

 痩せてはいるが病的ではない。苛酷な修行を重ねてきた修験者のような痩せ方なので、枯れ枝のように細い体ながらも、限界まで絞った筋肉が骨格にまとわりついていた。その手足も蜘蛛のように細長い。

 絞った痩身そうしんにボロボロの白衣をまとっている。

 様式的にはインド風? 修行僧サードゥーのような出で立ちだ。

 ギョロリと飛び出た大きな眼に、くちばしの大きい鳥を思わせる長い鼻。口髭は整えているのか、一本の長いタスキのようで腰まで伸びている。

 総白髪だが癖っ毛らしく、頭の後ろで適当にまとめていた。

「得体の知れない神族が来た──と勘付いたんやろ?」

 帯みたいな白髭をシゴいて含み笑いを漏らす。

「俺が入ってくるなり歓迎するフリで近寄ってきて、酒だご馳走だ宴会だ、と親切を装いながら、しきりにこっちの出方を窺っとったで。ちょこっとでも怪しいことしよったら、問答無用で始末するってプンプン匂わせてきよったわ」

 違うか? とノラシンハは悪そうな笑みを浮かべる。

 ツバサは轟雷を放つのを止めた。

 見せ掛け・・・・の雷撃を浴びていたドンカイとセイメイは、白けた表情で訝しげにノラシンハを睨みつける。もはや演技をする意味もないからだ。

 クロコだけ「もっと……」と抱きつこうとしたが足蹴にする。

 それで喜ぶんだから手に負えない。

 いやらしいジイさんだ──こちらのタヌキ芝居・・・・・をお見通しと来た。

 LV999は全員、ノラシンハに気付いていた。

 セイメイやドンカイは独自に動いてノラシンハに接触。尾行していたクロコも女の色香を使って接近し、酒や食事で老人を食堂に誘い込む。

 呑ませて食わせて油断を誘い、尻尾を出させようと目論んでいたのだ。

 アダルト勢の動きを察知していたツバサは、知らない振りをして食堂までやってくると、激怒する振りをして昼間から飲んだくれる大人たちに折檻しつつ、巻き添えを食らったノラシンハがどう出るかを見たかったのだが……。

「……こっちの演技まるっとお見通しかよ」

「面白いコントやったで。酒も飯も美味かったし、大満足や」

 ネーチャンも綺麗やしな、とノラシンハはラミアのウェイトレスやクロコに向けてウィンクや投げキッスを撒き散らす。エロジジイだ。

 かと思いきや――ふと真面目な表情を垣間見せた。

「おまえら、ええチームやな。用心深いのがまたええ」

 セイメイ、ドンカイ、クロコ、を孫でも愛でるように見つめていた。

「こんな怪しいクソジジイがや、愛想笑いのしたり顔でノコノコやってきたんや。警戒してナンボ、甘い顔で出迎えて背中に刃物隠しとくんが正解やで」

 ええがな、とノラシンハは口髭をしごいた。

 爪楊枝で歯を掃除して、ノラシンハはツバサに向き直る。

「そんで、ようやく会えたな──兄ちゃん・・・・

 ギョロギョロと忙しなく動いていた両眼が、ビタッとこちらを見据える。

 その視線に貫かれた瞬間、ツバサは無意識に身構えていた。

 この眼は──あらゆるものを見透かす眼。

 あのインチキ仙人そっくりだった。

 ツバサを地母神と見做みなさず、一人の男として話し掛けてくる。

「改めて自己紹介させてもらうわ。俺はノラシンハ・マハーバリ、修行に修行を重ねた末、現在過去未来の三世を見抜く心眼を得た聖賢師リシや」



 助っ人・・・に来たで──ノラシンハは臆面もなく言い切った。


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