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第13章 終わりで始まりの卵
第314話:束の間の平穏~いろはにほへと?
しおりを挟む真なる世界には数多くの種族が生きている。
種族ごとに文化や風習が違うため、用いられる言語も多種多様だったと思われるが、蕃神との大戦争によって焼き尽くされてしまった。
しかし現在──意思疎通に悩まされることはない。
真なる世界では自分の知る言語を口にすると、その言葉を知らない相手にも理解できるように伝わるのだ。どうやら自動的に翻訳されているらしい。
訛りや方言でさえ、いい感じで訳されるようだ。
たとえばある人物が関西弁を喋っているように聞こえるのは、彼の身に着けた喋り方が、ツバサたちの知る関西地方の言葉遣いに似ているからだろう。
一定の知能を有すれば、どんな種族にも有効である。
このため文化や風習の違う多種族がどれだけ集まろうとも、会話が通じないことによるトラブルは起きない。その種族固有のわかりづらい単語であっても、言ってみればいい感じに変換してくれるのだ。
たとえば日本人にしか通じない言い回し。
犬も歩けば棒に当たるといった諺や、生き馬の目を抜くなどの慣用句。
諺や慣用句を用いない種族がこうした言葉を聞くと、意味そのままに聞こえるらしい。近しい言い回しをする種族ならば、よく似た言葉が当て嵌まるという。
かなり融通の利いた自動翻訳システムだ。
フミカとアキの情報処理姉妹が調べた結果、どうも古代の神族や魔族の何人かが協力して、真なる世界に自動翻訳の魔法を定着させたらしい。
せっかくなので有効活用させてもらっている。
しかし──この翻訳も万能ではない。
会話は翻訳されるが、文字は解読してくれなかった。
つまり口頭による会話は通じるのだが、自分の知る文字を手紙などに書いて文章化すると、その文字を知らない種族にはまったく読めないのだ。
この逆もまた然り、である。
たとえばスプリガン族は方舟クロムレックを管理してきたが、方舟の操船プログラムにはスプリガン固有の言語が用いられていた。フミカ曰く「現実の言語でいえばラテン語に近いッスね」とのこと。
一方、クロウさんの保護下にある鬼神族もまた、重要施設“帰らずの都”を守ってきた。このため他種族のように文明を破壊されておらず、独自の言語を維持してきたが、その言語はスプリガン族とは似ても似つかない。
フミカ曰く「古代日本で使われた秀真文字に似てるッス」とのこと。
そこで、ちょっとした実験をしてみた。
スプリガン族の総司令官ダグには鬼神族の書いた文章を──。
鬼神族のまとめ役であるヤーマにはスプリガン族の書いた文章を──。
それぞれ読んでもらったところ、どちらも一文字も読めなかった。
会話は翻訳されるが、文字には適応されていない証明だ。
フミカは四神同盟が保護した種族から、独自の文字を覚えている者から聞き取り調査をしたが、ひとつとして同じ文字がなかったという。
『類似性のある言語、似たような文字さえ見付かってないッス』
『これだけ広大な世界だ。種族間で交わることさえ大変だろうしな……』
現実世界ならば英語がその役割に近いのだろうが、真なる世界共通の公用語らしきものも発見されていない。
これらの情報を鑑みるに、翻訳魔法を定着させた理由を察した。
恐らく──蕃神との戦争がきっかけだ。
異次元からの侵略者である蕃神との戦争では、真なる世界全種族の総力を結集しなければならなかったのは想像に難くない。
だが、種族ごとに言語が違えば団結もままならない。
戦争では情報の伝達速度が将兵の生き死に直結する。連絡網すら構築できないとなれば、どれだけ兵力を集めても烏合の衆になるばかりだ。
そこで会話くらいはできるようにと語学が堪能な神族と魔族が協力し、この世界に自動翻訳の魔法を永続的にかけたらしい。
文字の解読はできなかったのか、難しかったのか、間に合わなかったのか。
とにかく会話を最優先したらしい。
現実世界から転移させられてきたツバサたちプレイヤーも、この自動翻訳の恩恵に与ってきた。しばらくして遺跡から回収した遺物の文字が読めないことに難儀したため、神族の高等技能“完全翻訳”を習得した。
この技能は、真なる世界のあらゆる言語を読み解くことができる。
ただし、蕃神とは会話できない。フミカがこの技能を超える“超次元翻訳”を用いて、ミ=ゴの言語の解析に成功していた。
四神同盟のプレイヤーは“完全翻訳”を習得済みである。
レオナルドが「神族として敬われることの多い我々が、多種族の言葉を理解できないのは体裁が悪いと思わないかね?」という提案によるものだ。
そんなわけで、ツバサたちは言葉に不自由していない。
だが、四神同盟に集った多種族の間では問題になりつつあった。
~~~~~~~~~~~~
「……文字の違いが問題になってきましたか?」
ツバサの問い掛けに、オサフネは背筋を正して答えてくれる。
オリベの後ろに控える従者コンビ──ウネメとオサフネ。
異世界転移の影響により伊達男から花魁のような美女に変わってしまったウネメは、傾き者っぽい女武者の出で立ちだった。
いつでもどこでも、外で会う時はこのエロ衣装で通している。
ハルカからの貰い物だというが、気に入ったらしい。
彼(もう彼女だけど)を見る度、一昔前の格闘ゲームにこんな格好のお姉ちゃんがいたな……などと格闘ゲームマニアな回想をしてしまう。
ちょっと露出度の高い、女サムライのキャラだったはずだ。
一方、オサフネは状況に応じて着替えている。
鍛冶場で采配する時は、職人らしく厚い革製の前掛け姿を見掛ける。神聖な刀剣を鍛える際には、白装束で精魂込めて鎚を振るっていた。
今日はオリベに習ったのか武士らしい格好だ。
落ち着いた紺でまとめた着物と袴、羽織には少しだけ金糸を織り交ぜて目を惹くようにあしらっている。多分、オリベの仕立てだろう。
髪を適当に結った生真面目な青年、団子っ鼻がチャームポイントだ。
ツバサに目礼した後、目を伏せたまま進言してくる。
「はっ、これまでは口頭で伝えるだけで済んでおりましたが、人の数が増えてきたため、間に合わないことも出てきました。そのため、頼みたいことを文章に書き付けて渡すのですが、それが原因でしくじることが増えてきまして……」
オサフネが書いたものを、妖人衆が受け取れば問題はない。
時代の差はあれど、同じ日の本で暮らした者同士。多少の文字の違いはあれど、「日本語なのでOK」と大体の意味はわかるそうだ。
しかし、言葉が通じるあまり「文字もわかるだろ」と油断して、まったく別種族に渡してしまうと、「なんだこの落書き?」と困惑するらしい。
こうなると連絡が正しく伝わらず、あれこれ滞ってしまう。
たとえば──オサフネの職場でもある鍛冶場。
ここでは国防のための武器や防具を作るだけに留まらず、国内で使われる金属製建材(釘とか鎹とか鉄筋とか)も生産している。
そのため、大量の鉱石とそれを溶かす燃料が入り用だった。
これらの発注を今までは鉱山から荷運びをしてくれる者に直接言葉で伝えていたが、最近はそれぞれの量が増えたのと鉱石の種類が細分化されてきたため、薄い木の板に黒炭の棒で書いた注文書を渡すようになった。
……紙や筆はまだ量産できない貴重品なのだ。
なるべく同族に渡すよう気を付けていたそうだが、それでも人間のやることだ。言葉が通じるという油断から、別の種族に渡してしまうこともある。
妖人衆がコボルトやノームの注文書を受け取ってもさっぱりわからないし、その逆でも同様だ。コボルトとノームでも使っている文字が違う。
「まだ些細な行き違いで済んでおりますが……」
いずれ大きな問題になりかねません、とオサフネは具申してきた。
彼の心配はもっともだ。ツバサも懸念していた。
四神同盟の中ではクロウ、ホクト、アハウ、マヤム、レオナルド、ジン、ハルカといった面々から、言語については問題提起されている。
──公用語を定めるべきでは?
四神同盟における共通言語を決めようという話だ。
特に多種族に生産系技術を教えているジン、ハルカ、ホクトたちからは「数値や単位を教えにくいから早く何とかして」とせっつかれていた。
「ダイちゃんもそうッスけど、物作りでは細かい数字が大事ッスからね」
執務室で仕事をするフミカは、いつも秘書スタイルだ。
デキる女なのは自他共に認めるところだが、形からも入っているのかスカートのレディーススーツが似合っている。ソファで休憩しながらもスクリーン型キーボードを叩き、思い出したように長い足を艶めかしく組み替える。
「グラム、キログラム、トン、ミリ、センチ、メートル、キロメートル、ミリリットル、リットル……生産系じゃ単位は疎かにできないッスよ?」
「わかってる、俺だって生産系の技能は持ってるからな」
調理系専門だけど、とツバサは小声で添えた。
料理だって塩ひとつまみで味がガラリと変わるのだ。衣類や工作物といったものは、㎜単位で間違えれば完成品に不具合が生じる。
ついでに公用単位も定めた方が良さそうだ。
手取り足取り教えている内はいいが、教わったことをに書き留めて仲間内に回したりすると、種族が変われば通じなくなってしまう。
「種族間でも『この文字はこういう意味だ』的な翻訳のやり取りがされてるので、相互理解に励んでるみたいなんスけど……焼け石に水ッスね」
フミカがチラリとこちらを盗み見てくる。
その一瞥は「この問題どうするんスか?」と訴えていた。
「公用語については議題に上がってるんだがな……」
ツバサは小さくため息をついて頭を掻いてしまう。言い訳がましいと思いながらも、公用語をなかなか決められない理由について説明する。
「アハウさんやクロウさん、それにレオとも話し合ってはいるんだ。候補としては日本語と英語、どちらかを四神同盟における公用語として普及させようって話で進んでいるだが……どちらにすべきかで悩んでいてな」
「あ、ウチやアキ姉も参考意見を求められたッスね」
フミカとアキの文渡姉妹は博識(姉はダメ人間ニートだが)なので、こういう時は役立ってくれる。四神同盟会議でも有意義な意見を出してくれた。
英語という単語にオリベも反応する。
「英語……というのはエゲレスの言葉でしたな。三浦按針殿の故郷の」
「三浦按針? というのは確か……」
日本史で聞いた覚えがあるのに、なかなかツバサは思い出せない。
すかさずフミカが助け船を出してくれた。
「本名ウィリアム・アダムス、徳川家康さんに仕えたイギリス人ッス。当時はまだイングランド王国だったはずッスけどね」
航海士にして貿易家だったという。
オランダの交易船リーフデ号に乗り込み、長い航海の果てに難破しかけるも日本へ到着。しかし海賊船と間違われて船もろとも全員捕縛される。
重体の船長に代わって航海士のアダムスとヨーステンが引見の場に引き出され、徳川家康の前で自分たちの状況を説明する。彼らの誠実な話し振りと物怖じしない態度を気に入った家康は、様々な手を尽くして彼らを江戸に招いた。
そして──部下に取り立てという。
ウィリアム・アダムスは三浦按針という日本名を与えられて重用され、オリベはその頃に何度か会っているそうだ。
「それがしが出会うた頃の三浦殿は、すっかり流暢な日の本の言葉を操っておりましたぞ。ですが、それを話題にしますと『この国の言葉は美しく、とても表現が豊かです。なので……覚えるのに難儀しました』と笑っておりましたな」
「アダムスさんほど才覚のある人でも難しかったんスね」
いいこと聞いたッス、とフミカはメモっていた。
なにせオリベは戦国時代の生き証人。伝説級の偉人の話が出てくれば信用に足りるし、博覧強記なフミカには堪らないようだ。
一方、英語と聞いて幼い娘たちが色めき立っていた。
「センセイ……どうして英語なんですか?」
ツバサの爆乳に抱きつきながらマリナが訊いてきた。
幼い彼女からすれば素朴な疑問だろう。
「この世界に飛ばされてるプレイヤーは日本人だし、現実からそのまま飛ばされてくる人たちも日本人ですよね? なのに英語を広めるんですか?」
イヒコは理屈っぽく尋ねてきた。
ツバサの乳房に頭を乗せるように小首を傾げる。
「んな! トモエ英語苦手喋れない! 置いてけぼりな!」
「トモエ、ギブギブ、本気で締め落としにくるな」
まだツバサの首に抱きついているトモエは、チョーク・スリーパー・ホールドを本格化させてきた。どうやら英語の成績に嫌な思い出がある様子。
「もしかして……英語のが簡単だからでゴザルか?」
思い掛けずジャジャが核心を突いてきた。
グルリと身体を反転させると、ツバサと正面から向き合う形で抱きついてくる。愛らしい幼女の顔が爆乳の谷間に埋もれていた。
胸の大きなお母さんが赤ん坊を抱くと、こうなるんだろうな……。
「知っていたかジャジャ、さすが中身は中学生」
「現実だったらもう男子高校生だったでゴザルのに……ムニィ」
抱え直してやりながら抱き寄せると、ますます谷間に埋もれてしまい、へちゃむくれのパグみたいになっていた。変な声まで漏らしている。
ジャジャの答えに、マリナたちは「ええ~ッ!?」と驚きを隠せない。
「英語が簡単って……なに言ってるんですかジャジャちゃん!?」
「あたし、英語の授業か~な~り嫌いなんですけど!?」
「んなあああーッ!? 赤点、居残り、お仕置き、もう嫌な~ッ!?」
マリナ、イヒコ、トモエ──この3人は英語が苦手のようだ。
「日本のお子様らしいリアクションッスね~」
読書中毒が高じて、英語はおろかラテン語を初めとした複数の言語までマスターしているフミカは、妹たちの反応を見て愉快そうに笑っていた。
「実は──日本語って難しいんスよね」
フミカは情報整理のために開いていたマルチウィンドウのスクリーンを片付けると、子供たちへ説明するための大型スクリーンを用意した。
オリベも「ほうほう」と興味深げだ。
フミカは道具箱から教鞭も取り出し、その先端でスクリーンを叩く。
「皆さんは生まれた時から日本語に触れているので『喋れて読めて当たり前』と思っているはずッスけど、国際的に見れば世界ダントツの難解さなんスよ」
アメリカ国務省(日本で言えば外務省)は、世界各国の言語を比較研究することで外国語の習得難易度をランキング形式にしていた。
カテゴリーは1から4まで設定されている。
「これを超えるカテゴリー5という難解な言語もあるッス。アラビア語、中国語、韓国語、朝鮮語……これらの言語がカテゴライズされているッス」
さて──問題です。
「日本語はカテゴリーいくつでしょうか?」
フミカのなぞなぞに、子供たちは我先にと手を上げて応える。
「はい! 話の流れ的にカテゴリー6ですねわかります!」
「はいは~い! カテゴリー6でしょ? インペル○ウンとかもそうでしたし! あ、それともロストナンバーとか永久欠番とかですか?」
「んな! 最強のカテゴリー№9な!」
「ちょっとヒント出し過ぎたッスかね、大体みんな合ってるッス」
日本語は──カテゴリー5+。
これは唯一無二のカテゴリーで、日本語以外はエントリーされていない。天下のアメリカ国務省が「頭おかしいレベルの難易度」と認定したのだ。
「──日の本の言葉が難しい?」
あまり話に参加しなかったウネメが、我慢できずに口を挟んできた。神族の女神化して大きくなったHカップの乳房の下で腕を組んでいる。
「でも、おれの頭でもわかるし喋れるんだぜ? 難しいとは……尻ぃ!?」
「話を聞いてたか? 一から覚えるのが難しいんだ」
話を混ぜっ返すな、とオサフネが注意する。
女性化しようと遠慮がなく、ウネメの尻をスパーンと叩いた。
物わかりのいいオサフネの言葉尻をフミカが拾う。
「オサフネさんの言う通りッスね。生まれた頃から聞いて慣れ、物心ついた頃から読み書きして触れていれば、すんなり話せるくらいにはなるんスよ。そこらへんは刷り込みみたいなもんなんでしょうね」
だが、他の言語を覚えた人間が一から覚えるのは地獄だった。
フミカはいくつかの理由を指折り数えてみる。
「まず漢字ひとつに音読みと訓読みがあるッス。カテゴリー5の中国語も漢字を使ってますけど、読み方は基本ひとつッスからね。この時点で頭おかしいって言われてるッス。ひらがなカタカタだけならともかく、そういった漢字も必須語彙として何千個も覚えなきゃいけないのがまた……」
フミカの小難しい話に、子供たちは目を回しかけていた。
オリベとオサフネは理解が及ぶのか、眼を好奇心で輝かせて逐一「ウンウン」と首を縦に振っている。さすが職人気質の知識人たちだ。
ウネメの瞳もグルグルと渦を巻いている。文系に造形はないらしい。
「──俺が聞いた理由は“ちゃんぽん”だけどな」
フミカの解説が途切れたところで、ツバサは自分の感想を差し込んでみた。
大好きなお母さんの一言に娘たちが食いつく。
「チャンポン? 今日の晩ご飯ですか?」
「あたし、ワンタン麺のが好きです」
マリナとイヒコの勘違いは可愛いものなのだが──。
「んな! チャー! シュー! メーン! な!」
「トモエ、そろそろ肩揉みに戻らない?」
裸絞めは継続中、お母さんを堕としたいのかコイツは?
腕を伸ばしてトモエの顔面を掴むと、反撃のつもりでベアクローでギリギリ締め上げてやれば「ギブギブな!」と喚いて肩揉みに戻った。
「バサママ、ちゃんぽんって……ごちゃ混ぜってことッスか?」
「大学時代に師事した教授の受け売りだけどな」
誰がバサママだ、と断ってから言葉の意味を説明する。
「世界の言語っていうのは大きく2つに分類できる。文字が音を表す表音文字と、文字ひとつひとつに意味が込められている表意文字だ」
代表的な表音文字は英語、アルファベットはまさにそれだ。
表意文字ならば中国語、一文字一文字に意味が込められている。
「日本語は──表音文字と表意文字をちゃんぽんで使うんだ」
これがカテゴリー5+の最たる理由だろう。
~~~~~~~~~~~~
そもそも日本固有の言語は複数あったとされている。
先ほどフミカが鬼神族の言語が「秀真文字に似ている」と言っていたが、これも古代日本語のひとつだという。今ではもう消えてしまったが……。
大陸から漢字が伝わると、時の朝廷はこれを公用語とした。
しかし、漢字は難しいため、宮中の女性が「わかりやすくしよう」といくつかの漢字を簡略化してひらがなという表音文字を開発。そこからカタカナを派生させ、国語の一種として浸透させていった。
「そのため漢字は男言葉、ひらがなは女言葉と呼ばれたんスよね」
「次第にこの2つを織り交ぜて使うようになるわけだ」
この変遷について、オリベが耳寄りな話を差し込んでくる。
「それがしの生きた時代には、ツバサ殿たちが用いた日本語の萌芽ができておりましたな。お堅い文面こそ漢字で埋め尽くしましたが、柔らかい文章にはひらがなを混ぜて……そうそう、太閤殿下はひらがなを巧みに用いておりましたぞ」
女たちへの恋文にですが──オリベはいやらしく小指を立てた。
これを聞いたフミカはすぐさま逸話を思い出す。
「あ、そういえば……おね様や大奥の娘たちに、出張先で手に入れたみかんと一緒に送った手紙が残ってますけど、あれってひらがな多めッスよね」
女性陣には小難しい漢字より、読みやすいひらがなを使う。
そうしたところに豊臣秀吉の心配りが汲み取れた。
「そうでしょうともそうでしょうとも、殿下は気遣い上手でしたから……」
秀吉のエピソードに触れ、オリベは嬉しそうに相好を崩した。
「そうやって段々と漢字とひらがなを良い案配で混ぜて使うようになり、俺たちの時代には“日本語”ができあがったんだろうな」
最初に表意文字である漢字を公用語にしようとした。
その漢字から平仮名や片仮名といった独自の“いろは48字”なる表音文字を作り出し、いつの頃からか漢字と仮名を織り交ぜて使うようになった。
表意文字と表音文字が入り乱れる、他に類を見ない言語。
そうした経緯を経て──日本語は世界屈指の難解な言葉になってしまった。
「これが日本語の普及に踏み切れない理由だ」
四神同盟会議の度、アハウやクロウが難色を示すのだ。
『いくら言葉が通じるとはいえ、国語としてはハードモードですね』
『現地の人々にいきなり日本語を教えるのは……ハードルが高くないか?』
クロウは学校の教師だった過去があり、アハウは現役の大学講師だった。言葉の意味と教えた経験がある以上、日本語の難解さを熟知していた。
一から教えるなら英語が圧倒的に簡単だ。
公用語として多種族に教えるには打って付けである。
レオナルドも「英語の方がいいのでは?」と推すのだが、いずれ転移してくるのがほぼ日本人だと考えると、二の足を踏んでしまう。
これにはミサキ君の意見も大きかった。
(※レオナルドは愛弟子バカなのでミサキの言葉に弱い)
『いずれ大勢の日本人が転移してきますよね。それなら現地の人々が日本語を使えれば、相互理解がスムーズに進められると思います。いえ、決してオレが英語苦手とかそういうのはありません。ええ、決して。ジンと一緒に居残り食らった理由が英語のテストが壊滅的だったとかありませんから、はい』
やけに念入りな弁解にレオナルドは訝しげだった。
『ミサキ君、まさか……英語が苦手なのか?』
『……………………』
『口を真一文字にして頬を膨らませて目を背けない!』
師匠の目を見なさい! とレオナルドはミサキの細い肩をしっかり掴んで揺さぶっていた。ミサキは頑なに『そんなことないです』と否定していた。
この男はどれだけ愛弟子が可愛いのか……過保護である。
しかし、ミサキの意見は大人たちに一考を誘った。
保護した多種族に公用語として教えるには、利便性が高く覚えやすい英語に勝る言語はない。しかし、ミサキや子供たちではないが、未だに英語に不慣れな日本人も多い。そういった人々がいずれ大勢やってくるのだ。
ならば──日本語を広めるべきではないか?
どちらも一長一短あるため、四神同盟会議でも決めあぐねていた。
「そういえば……フミカとアキさんは日本語を推してたな」
「そッスね。ウチらはお父さんの影響ッスかね」
フミカとアキの父親は──高名な日本語学者だ。
ツバサの父親も大学教授なので名前を知ったアハウが驚いていたが、彼女たちの父親の名を知ったアハウはひっくり返っていた。大人物らしい。
父親を尊敬しているフミカは誇らしげに語る。
「オリベさんが教えてくれた、ウィリアムさんの言葉が真理ッスよ」
『この国の言葉は美しく──とても表現が豊かです』
「世界で唯一、表音文字と表意文字を組み合わせて使う日本語……人々の思いの丈を言の葉に乗せて伝えるのに、これほど優れた言語はない! というのがウチのお父さんの持論ッス。そして、アタシもお姉ちゃんも大賛成ッス」
「思いの丈を言の葉に乗せて伝える、か……ふむ」
ウィリアムさんも『覚えるのに難儀しました』と苦笑した通り、日本語は複雑なゆえに難しい。だからこそ豊かな表現に恵まれている。
この世界に転移してくるのは、ほとんど日本人のはずだ。
ツバサたちも日本語には愛着があるわけだし、いつか日本からやってくる人々に配慮するなら、ちょっと難しくても現地の種族には日本語に慣れてもらい、移民としてやってくる日本人を受け入れてもらえる一助になれば……。
会話は通じるのだから、教えるのも覚えるのも苦にならないはずだ
何より、美しい日本語を残したいという想いに駆られた。
フミカの目も「日本語推しッスよ!」と口ほどに物を言っている。
彼女やアキ、それにミサキの協力を得られれば、レオナルドたちも説き伏せられるかも知れない。迷っているからこそ、彼らも決断できないのだ。
「…………そろそろ決着をつけるか」
小さな吐息で呟くと、オリベ越しにオサフネへと視線を振る。
「オサフネさん、少し待っててくれ。今度の会議で公用語に関する話を決めようと思う。多分、日本語で大丈夫だろう。最初は平仮名から順々に教えていくつもりだから、それだけでも連絡の間違いがグッと減るはずだ」
「ご配慮、ありがとうございます」
オサフネが気を付けして頭を下げると、ツバサは鷹揚に頷いた。
具体策に関しては有能な次女が動いてくれた。
フミカが目配せすると、勘のいいオリベはわずかに首肯する。
「あとオリベさん。妖人衆の中で学校……寺子屋のが通じるッスかね? そういうとこで先生やったことある人いれば推薦してほしいッス」
「教育係の選抜ですな。畏まりました」
承りましょう、とオリベはチョビ髭をつまんでニヤリと笑う。
「さて、休憩もお開きにするか」
話が一段落したところでツバサは立ち上がる。マリナやイヒコを優しく離すと、膝の上に乗せていたジャジャを抱き上げて、自分の代わりにソファへと座らせた。まだ首に縋りついてくるトモエはアバウトに振り解く。
子供たちの視線に追われるのを感じながら、ツバサは自分のデスクに戻ると真紅のジャケットを羽織り直すと、外へ出る準備をした。
「あれ、バサ母さんお出かけッスか?」
「誰がバサ母さんだ。呼び方ブレブレじゃねえか」
バサ姉とかバサママどこ行ったよ? と悪態めいた返事をしてしまう。
フミカはテヘペロと舌を出して「お試し中ッス」と意地悪そうに微笑んだ。
ツバサは襟を正して出掛ける理由を告げる。
「ちょっと来客があったみたいなんでな。俺も会ってくるわ」
来客? と聞いて一様に小首を傾げていた。
そこへ執務室のドアをノックする音が響いた。一斉にそちらへ振り向き、来客というのが誰かを見届けようとする。
ツバサが「どうぞ」と扉越しに言えば返事が返ってくる。
「──失礼しもっそ」
ドアを開いて現れたのは──ガンザブロンだった。
スプリガン族の娘たちの父親にして、スプリガン防衛総隊長(この度、めでたく昇格した)、大型ロボ親父のガンザブロンだ。
執務室に入ってきたガンザブロンはツバサに敬礼した。
誰もが来客とはガンザブロンのことかと思いきや、敬礼を終えたガンザブロンは両手を後ろに回して、とんでもない報告をする。
「密入国者を発見したとじゃが……こいが厄介な男でして」
どげんしたらよろしかやろ? とガンザブロンも困惑しきりだった。
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