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第8章 想世のタイザンフクン
第196話:ドンカイ・ソウカイVSニャル・ウーイェン
しおりを挟む「初めは……我らも驚いたものだ……」
還らずの都の廊下を進むキョウコウは、廊下に飾られた鋼板を横目にして、過去を振り返るように語り始めた。
「我ら灰色の御子が……新たな戦力を求めて地球に降り立ってみれば……古き神族や魔族の争いが……神話という形で伝えられていた……」
「それは真なる世界と地球に接点があった、という証拠ではありませんか?」
ダオンの見解にキョウコウは首を左右へ振った。
「儂もそう思った……だがな、あまりにも克明に物語られていたのだ」
神々と悪魔、仏神と羅刹、天神と地神──。
「そういったものが……地球の世界各地で、神話として語られていた……古き神族や魔族が地球に干渉していたのは……真なる世界の誰もが知るところだが……それにしては微に入り細に入り……真なる世界の出来事を伝えていた……」
それが不思議だった、とキョウコウは訝しげだ。
キョウコウの肩に腰掛けたネルネが、その顔を覗き込む。
「その古い神様や悪魔たちが、地球の人たちに教えたんじゃない? 『自分たちは偉大な存在でこんなことをやりましたー』って」
「有り得ない話ではありませんな」
ネルネの口にした推測にダオンは肯定した。
「人心を掌握するためにも、自らの偉大さを喧伝しておくべきでしょう」
「だとしたら、自分たちの失敗談や……国を滅ぼした顛末まで……語らぬだろう……神も魔も……自尊心の強い者が多い……」
「あ、そっか……わざわざ恥ずかしい話をすることもないか」
「自慢するなら都合の悪いことは伏せますからな」
ネルネとダオンが頷けば、キョウコウも頷く。
「そういうことだ……だのに、地球の神話は……真なる世界に赴いて、それを具に眺めてきたかのように……描かれていた……人間たちに都合良く編纂された神話でさえ……やはり……同じだったのだ……」
「日本神話やギリシャ神話、それに北欧神話やエジプト神話などは、為政者や国の権威を高める目的もあったので、人の手が入っておりますしね」
主な理由は『王は神の末裔である』と王権の正統性を示すためだ。
ギリシャ神話などはそれを各都市でやったため神話の傍流が乱立。統合性を取ろうとした結果、ゼウスの末裔(自称)まで乱立してしまった。
恋多き色男で浮気性――この性格をゼウスに付与した遠因がこれだ。
ダオンが丸い顎に手を当てながら同意する。
同意したが、キョウコウの台詞に「おや?」と疑問を感じたらしい。
「……人間に都合良く編集された神話もですか?」
「そうだ……真なる世界の、とある地方で起きた神族と魔族の抗争を、面白おかしくまとめたものもあった……存外、物語としてよくできておったぞ……」
真なる世界でその出来事に立ち会ったキョウコウは、思い出し笑いをしてしまう。ある姉弟神のしょうもない姉弟喧嘩だった。
弟「母ちゃん恋しいから黄泉の国行こ! あ、その前に姉ちゃんに会っとこ!」
姉「ちょ、待っ……弟が物凄い勢いで私の国に攻め込んできたんだけど!?」
この勘違いの後、世界が滅びる寸前までしょうもない騒動が続く。
とある国の神話は──それさえ克明に記していた。
「やっぱさー、誰かがお話を横流しでもしてたんじゃない?」
「そうだな……儂らも……最初はそう考えた……」
灰色の御子たちも、ネルネの仮説を最有力候補とした。
しかし、理由がわからない。
「何時、何者が、何故に……地球へと真なる世界の出来事を、物語として広めたのか……その理由がさっぱりだった……」
調べてみよう──と提案する灰色の御子もいた。
だが、灰色の御子たちには優先するべき使命があった。
「500年前……まだまだ文明的に未熟だった人類を教育し……自力で真なる世界に渡れるほどの技術を発展させること……」
それが灰色の御子たちの最優先事項だった。
「地球の人類を発展させ……精神的な成長を促し、新しい知識を与え……いずれ、真なる世界に渡るべき神族や魔族になれるよう……我らは人類史の陰となり日向となり……導いてきたつもりだ……」
「はい、その辺りはジェネシス在籍時にお伺いしましたが……」
「アタシはピロートークで聞いたー♪」
いらんことを言うネルネを、キョウコウはデコピンで小突いた。
「我らが歩んできた道程は……おまえたちに何度も語ってきたので省くが……儂らはその過程で……いくつか首を捻ることがあった……」
そのひとつが──物語だという。
「地球の人類が……文化的に向上し、文明を発達させ……精神的にゆとりが生まれてくると……彼らは、物語を書き始めた……いや、それ以前から物語を求める心は……人類のそこかしこに見受けられた……」
人々にとって物語とは──精神の成長に欠かせない糧。
「儂らもそれは認めていたので……物語を作る者たちには注目していたのだが……彼らの物語には……灰色の御子の誰もが……驚かされたものだ……」
──作家たちは物語を描く。
剣と魔法で覇を競う英雄譚、人間模様が入り交じる恋愛譚、呪いと怨嗟が渦巻く恐怖譚、多くの戦士が名を馳せる戦争叙事詩……。
「キョウコウ様、まさか、それらのお話も……?」
「真なる世界であった出来事を物語にしたみたいだったの?」
そうだ──キョウコウは断言する。
「作家たちの紡ぎ出した物語は……我らが真なる世界で伝え聞いた、神族や魔族、あるいは灰色の御子たちを描いたものだった……」
これは時代が進むにつれて顕著になっていく。
「2度の世界大戦を経て……仮初めの平穏が訪れた地球では……おまえたちも知っての通り、数多くの物語が創られた……漫画大国と囃された……日本で暮らしたおまえたちには……馴染みが深いはずだ……」
漫画、と聞いてネルネが目をパチクリさせる。
「えっ……もしかして、漫画のキャラもなの?」
ネルネの問いにキョウコウは答えない。
返事はしないが、廊下に飾られた鋼板を指差した。
そこには──世界中の誰もが知るキャラクターが描かれていた。
日本発祥の漫画からアニメ化もされた格闘系マンガの主人公で、その大人気振りから世界中に知らぬ者はいないほどの有名キャラクターである。
彼の周囲には、同じ漫画の登場人物を描いた鋼板がズラリと並んでいた。
だが──所々が微妙に違っている。
特に名前や概要情報、その人物が辿ってきた来歴などが少し違う。
だとしても、真似たとしか思えない出来映えだ。
「いや、先ほどから気になってはいたのですが……」
ダオンも廊下を見回し、飾られた鋼板を気にしていた。奥へ進めば進むほど廊下に飾られた鋼板の数は増えていたのだが、それらに目移りしていた。
「鋼板に描かれている、この世界の英雄たちなのですが……どう見ても現実世界の、それも日本で流行った漫画やアニメ、ラノベや特撮など……そういった物語に登場するキャラクターにそっくりなのが気に掛かっていたのです」
「ソシャゲのカードっぽく見えるわけだね」
ダオンの抱いていた感想にネルネも相乗りするように言った。
キャラクターの商業展開としてアニメや漫画のソーシャルカードゲームは星の数ほど販売していたが、そういったカードのデザインにそっくりなのだ。
「儂らは……何ひとつ、伝えておらぬぞ……」
弁解するわけではないが、キョウコウは念押しする。
「人の世が栄え……文化的にも文明的にも余裕が生じると……人々は挙って物語を書き始めた……それは、どういうわけか……真なる世界に生きた神族、魔族、多種族、灰色の御子……彼らを語るものが……多く、見受けられた」
「しかし、キョウコウ様を初め、地球に渡った灰色の御子は、人類の誰にも教えていない……なのに、人間の作家は真なる世界の物語を書く」
「しっかり脚色されていたり……ドラマチックな演出を加えたり……独自の解釈もなくはないが……概ね、真なる世界の人々を描いていたな……」
「“大体あってる”ってやつだね」
偶然の一致──にしては無視できない同調率。
「さすがに気に掛かったのでな……何人かの灰色の御子が……八方手を尽くして調べたらしいのだが……答えは出なかったそうだ……」
恐ろしいほどの偶然か──あるいは奇跡的な符号なのか。
灰色の御子たちにも説明がつかなかったらしい。
「ある灰色の御子が……とある人間の学説を持ち出して……ふざけたことを申しておったが……今にしてみれば理に適っていたのかもな……」
心理学者カール・グスタフ・ユング提唱──集合的無意識。
「大まかに言いますと、全人類の無意識の奥深くにある領域は繋がっていて、1つになっている。個人の経験を越えた巨大な意識野とのことですな」
「そうだ、その集合的無意識は……真なる世界に生きる者たちの意識とも繋がっている……地球の人類は……それを垣間見たのではないか……とな」
魂の接触──とでもいうべき現象が起きたのかも知れない。
無意識でも夢でもいい、真なる世界の様々な事件を垣間見た一部の人類は、そこにインスピレーションを感じて物語を作ったのではないか?
「確証はないが……尤もらしいと言えば……尤もらしい仮説だな……」
「う~ん、奥が深そうな話ですな……」
ダオンも博識な方だが、かなり門外漢な分野に及んだので大した意見を挟むことができなかった。代わりに、ネルネが鼻歌交じりに話し出す。
「ふっふーん♪ オッサンは学術的に物を考えるんだねー♪」
もっと幻想的な発想してみようよ、とネルネは鼻歌交じりに言った。
「オッサン……と言われるほど若くもないのだが……」
「自分はまだギリギリ20台なのですが……あ、もう30台入ったか」
キョウコウとダオンはオッサン呼ばわりに困惑する。
「ではネルネよ……おまえはこの現象を……どのように考える?」
尋ねられたネルネは、得意気に思いついた持論を明かす。
「んー? アタシはね、まるっと逆に考えてみたの」
『人類の紡いできた物語が──真なる世界を創り出した』
神話や伝承などに限らず、人類の思い描いてきた様々な物語が、真なる世界の種となり、この神と魔が共に暮らす多層多様なる世界を芽吹かせた。
「……って、アタシなりに考えてみた!」
どうだ! と誇らしげにネルネは貧相な胸を張る。
キョウコウは反応しないが、ダオンは感想に困ってしまう。
「逆、とネルネ様は仰いますが……それでは時系列が破綻しますよ?」
真なる世界と地球はほぼ同時に誕生している。
しかし、知的生命体が現れたのは真なる世界の方が遙かに早く、世界創世と同時に起源龍や巨神といった創造神が闊歩していたという。
「やがて、神族や魔族といった神々や悪魔に相当する方々が現れ、この真なる世界に繁栄していき、彼らが自分とよく似た新種族を別の世界に創ろうと計画して生まれたのが、我々人類なわけですから……」
ネルネの提唱する説では時系列が整わないのだ。
「鶏が先か卵が先か──どころの話ではありません。人類という卵が、真なる世界という鶏を生んでしまう妙ちきりんな流れになってしま……」
「卵から鶏が生まれるんだったら間違ってないじゃない」
「いえ、そういうわけではなくて……」
ダオンは執事らしく生真面目に諭すのだが、ネルネはキョウコウにしなだれかかったまま聞こうとしない。自分の説が正しいと譲らなかった。
「なるほど……そういう考え方もある、か……」
「キョウコウ様!?」
まさかの賛同者に、ダオンは頬の肉をタプつかせて驚いた。
「そう目くじらを立てるなダオン……常識的に考えれば、おまえが正しい……だが、真なる世界と地球の関係を鑑みれば…………」
あながち──間違いとも言い切れぬ。
ネルネの常識に縛られない、子供のように自由な発想。
そこにキョウコウは新しい着想を得た。
「そもそも、だ……真なる世界と地球の間には、時間と空間を越えた……不思議な因果関係があると……神族や魔族たちも頭を悩ませたものだ……真なる世界という幻想を肯定するために……地球に人類という種を誕生させた……? それとも……人類が夢想してきたものが時空を越え……真なる世界を産んだ……?」
どちらにせよ──面白い。
ネルネの説を試行錯誤していたキョウコウは、一時期よく読んでいたとある作家の言葉を思い出した。
あの作家の格言は、この考えに相通ずるものがある。
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと……か」
現世が幻想ならば、夢想こそが真実ではないか──。
ゆえにここは真なる世界であり──幻想世界なのだ。
「……真なる世界と地球が感応することで……作家たちがこの世界からインスピレーションを受けたのか……はたまた、作家たちの想像力がこの世界の礎となったのか……どちらにせよ……」
この真なる世界に迫る危機を察知した者もいるようだ。
「…………ハワード・フィリップ・ラヴクラフト」
彼は真なる世界が置かれた状況を、鋭敏に感じていたのかも知れない。
別の世界からやってくる異形の来訪者。
あの忌まわしき外来者ども──蕃神を見たとしか思えないのだ。
「神族と魔族の血を受け継ぎ……数百年と生き存えても……この世はまだまだ計り知れぬことばかり……学ぶことも多い……なあ、そうは思わぬか?」
ククリよ──とキョウコウは言葉を投げ掛ける。
廊下を行くキョウコウ一行の後ろに、静々とついてくる灰色の少女。
名前を呼ばれた少女は、狡猾な笑みを浮かべた。
~~~~~~~~~~~~
還らずの都──上層から数えて302階層目。
その回廊を舞台に大立ち回りを繰り広げるのは、現実でも大相撲において横綱の地位にまで登り詰めた、ドンカイ・ソウカイである。
3m近い身の丈は、アルマゲドンにおいて人間からオーガへと種族変更し、そこから神族・角力神へと進化したため、巨体という名残が残っていた。
いわゆるあんこ体型が多い力士の中において、ドンカイはスマートと評せるほどスタイルがいい。無論、他のアスリートに比べれば太くはあるものの、力士というよりレスラーみたいな体型なのだ。
「だからって……空中技が得意なルチャドールみたいに、そんなピョンピョン跳びはねられるものなのぉんッ!?」
そのドンカイの相手を務める無貌の怪人が悲鳴を上げる。
キョウコウ六歌仙が1人──ニャル・ウーイェン。
彼が無数の仮面から創った従者・ペルソナ兵。
神々を模した仮面から創られた彼らは、その神々に匹敵する実力を持つとニャルは豪語したのに、ドンカイ1人に翻弄される始末なのだ。
鎧袖一触──そんな四字熟語が相応しい。
ペルソナ兵たちはドンカイに近寄っても、軽々あしらわれていた。
ドンカイはその超重量級の体格にもかかわらず、疾風の如く駆け回り、時には軽業師のような身軽さで宙を舞う。
飛行系技能に頼らず──。
「ハッハッハ、メキシコ巡業で本場のルチャリブレに、覆面かぶって飛び入り参加したのも今では懐かしい思い出じゃのぉ」
「横綱のくせしてフットワーク軽いのねぇん!?」
海をモティーフにした着物を着込み、肩にはマント代わりに同じく海をデザインした単衣を羽織ったまま、ドンカイは軽快に跳び回っている。
時に相撲取りらしく摺り足での高速移動──。
かと思えばその図体から想像もつかない身軽さでの跳躍──。
そこから空手家を思わせる苛烈な踏み込みからの拳打──。
八面六臂の暴れっぷりだった。
相撲の頂点である横綱を極めただけではない。様々な格闘技やスポーツを嗜んできた、ドンカイならではの枠に囚われない体捌きである。
ドンカイの活躍振りに、ニャルは納得がいかないらしい。
「こっちは神の力を宿したペルソナ兵が108体よ! それで陣形を作って包囲し、押し潰すように攻めてるってのに……なんで堪えてないのぉん!?」
ドンカイを取り囲もうとするペルソナ兵。
しかし、包囲を完成させられず、ドンカイを取り逃してばかり。
攻撃することで足を止めようと試みるも、反撃を喰らってしまう。
間合いに踏み込めば、ドンカイの豪腕が音速の壁を破る音をさせて唸り、ペルソナ兵の顔面を叩き割る張り手をぶちかます。
仮面が割れるのは当然のこと──。
張り手が決まった瞬間、青白い衝撃波が縦に走るとペルソナ兵が真っ二つに割れたり、顔のみならず五体まで爆発四散するほどの威力を発揮する。
ドンカイの巨体が動くと、蒼い閃光が残像を棚引かせていた。
それは戦場を駆け抜け、一時たりとも止まることはない。
「力士は太ってるから鈍くさい……とか思ってなかろうな?」
そりゃ了見が狭いぞ、とドンカイは豪気に笑う。
「図体のデカさゆえ自重を支えなくてはならぬから、スタミナや持久力などは期待されても困るが、瞬発力ならば格闘技において最速の部類なんじゃぞ?」
「アンタはスタミナと持久力も兼ね備えてるように見えるけどぉん!?」
非難がましいニャルの指摘に、ドンカイは堂々と答える。
「無論じゃ、真なる世界で鍛え直したからのぉ」
相撲の取り組みは早ければ数秒──長くても3分は掛かるまい。
これは他の格闘技と比べても圧倒的に短い。それゆえに相撲から違う分野へ転向した力士たちは、スタミナや持久力で劣るため、その後の成績も振るわず、芳しくない結果しか上げられなかった。
だが、この真なる世界では言い訳などできない。
別次元の侵略者という慈悲の欠片もない、クトゥルフの邪神みたいな連中を相手にする以上、更なるパワーアップは必要不可欠だった。
若い世代を──子供たちを守るためにも。
「いやぁ、幕下時代を思い出したわい……あれほどの荒行はな」
ツバサが用意してくれた『時間の流れが恐ろしいほど遅い異相空間』という場所では、通常空間での1日が数年にもなる。
ドンカイに限らず、ハトホル一家はそこで猛特訓を積んできた。
おかげでLV999、習得した技能にも磨きを掛けてきた。
そして、過大能力の扱い方にも──。
「神様の物真似をした雑兵なんぞ、ものの数にも入らんわい」
ペルソナ兵を鼻であしらうように扱い、攻撃範囲に踏み込んできた者には容赦ない張り手を喰らわしている。
その一撃は確実にペルソナ兵の仮面を叩き、粉々に粉砕する。
仮面を失ったペルソナ兵の肉体は、塵となって雲散霧消していく。
これが立て続けに起きたので、ニャルは悲鳴を連呼させた。
「のぉぉぉぉぉぉんッ! なんでペルソナ兵の弱点がわかるわけぇん!?」
「ビジュアル的にわかりやすすぎるじゃろうが!?」
ペルソナ兵の本体は仮面──一目瞭然である。
普通なら両腕でガードされたり、首を逸らすことで躱されたりと、顔面はなかなか狙いにくいのだが、ドンカイは構うことなくガードを突き破る張り手をかまして、躱される前に正拳突きを叩き込む。
瞬く間に、何十体ものペルソナ兵が消えていった。
このまま雑兵であるペルソナ兵を1体残らず始末して、ニャルを再起不能に追い込むまで叩きのめせばいい。ドンカイはそう考えて行動していく。
こちらを包囲せんとするペルソナ兵の群れをかいくぐり、どちらかと言えば後退気味に動きながら、ペルソナ兵との距離を取る。
後ずさるドンカイに反応して、追ってきた者を1人ずつ着実に仕留める。
これを素早く繰り返し、ドンカイはペルソナ兵を減らしていった。
その流れが──唐突に止まる。
ペルソナ兵はドンカイを追うのをやめ、彼らもまた後方へ引いていく。
そして、ニャルの周辺に集まっていった。
剥き卵みたいにつるんとした無貌の覆面をかぶる男──ニャル。
ゆったりした貫頭衣を着ているようにも見えるし、適当な白い衣を身体に巻き付けているようにも見える。その衣には何十もの仮面をアクセサリーのように身につけており、同じ仮面はひとつとしてなかった。
「わかったわ……あなたを過小評価していたこと、そこは謝りましょう」
ニャルの口調から遊びが抜けた。
真剣味を帯びた声で、襟を正すかのように毅然と話す。
「ダオン君からあなたのことも伺ってるわ……横綱・呑海関」
ニャルの周囲をペルソナ兵が固めていく。
警護や護衛のため、というには動きにくそうに密集する。
「アルマゲドンでも名を馳せた高LVプレイヤー。決して侮っていたつもりはなかったし、舐めているつもりもなかった……でも、どこかで慢心があったかも知れないわね……なにせ、あたしたちは…………」
灰色の御子──その血脈だから。
この発言にはドンカイも耳を疑った。
思わず構えを緩めて、真顔で聞き返してしまう。
「おまえさんが……いや、幹部は皆、灰色の御子なのか!?」
キョウコウ一派は灰色の御子と深い関わりがある。
これまでの経緯から、その点に関しては疑う余地がないとツバサも予想していたが、まさか幹部全員が灰色の御子だとは思いも寄らなかった。
「その末裔よ──灰色の御子その人ではないわ」
我らの中で灰色の御子は──キョウコウ様ただ1人。
「だから、他のプレイヤーやGMよりも初期パラメーターや技能に優れていたとか……傲慢はあったかもね。だけど、あなたやキョウコウ様がお目に掛けていた爆乳小僧ちゃんを見て、考えを改めるべきだったわ」
ニャルは自戒するような台詞を続ける。
そんな彼とその周囲には異変が生じつつあった。
「父や母である灰色の御子から受け継いだ、他のプレイヤーにはない創造性に優れた過大能力も……誇りであり自慢だったけど……」
認めるわ──あなたたちの方が神として優れていると!
「だけどね……真なる世界まで来たら後には引けないのよッ!」
ニャルの周囲に集まったペルソナ兵たちに“個”という垣根がなくなり、各々の肉体が混じり合うように融合していく。
ペルソナ兵はひとつに融け合い、ニャルを中心とした個体に転じていく。
「あたしたちはキョウコウ様の理想にかけたッ! 地球が滅ぶとなった今、あたしたちの帰る場所はもう真なる世界しかない! この世界で生き残るには……絶望に抗う力が必要だということも教わったのよぉッ!」
70体を越えるペルソナ兵と融合したニャルは、自分の肉体をも急速に膨張させていき、その全身に何十何百もの仮面を浮かび上がらせていく。
ニャルの内側から高圧的なエネルギーが増大していくのを感じる。
まるで異なる世界から名状しがたい異形の力を借り受けているかのようだ。
現れたのは──千の貌を持つ異形の魔神。
「これがッ! あたしの最高潮──千の化身を持つ無貌なる者よぉッ!」
不定型な肉塊に、千の仮面を備えた巨大な魔神。
波打ち脈動する筋肉が巨大な腕を何本も作り出し、四本指のもあれば六本指のもある掌から伸びる節くれ立った指は鋭いかぎ爪を備え、大小無数の触手が下半身と足の代わりとして地を這い回り、不快な粘液で回廊を汚していく。
全身の仮面は口々にこの世を冒涜する呪文を唱え、ニャル自身の顔があった部分は野太い一本の触手へと転じており、先端を鞭のように唸らせながら、根本付近にある縦に割れた口から、鋭利な牙を覗かせて喋っている。
「キョウコウ様ほどの御方が! その強靱な精神を抉られるまでの絶望を味あわされた一件を、あたしとエメス様だけに明かしてくれた! その絶望から着想した、この魔神形態……いくら横綱でも太刀打ちできるものじゃないわよ!」
粘液をまき散らして、混沌の肉体が這い寄ってくる。
ドンカイは口を真一文字に閉じて、慌てることなく構えを直す。
左腕はいつでも攻防に転じられるよう緩やかに前へと出し、右腕は渾身の一撃のために身体の奥へと引き絞る。足はやや広めに開いて重心を下げる。
「あたしはぁ……わたしたちはぁ……千の化身を持つぅ……くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー しゃめっしゅ しゃめっしゅ にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん……にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!」
もはやニャルが何を口走っているかは聞こえない。
千の仮面も一斉に合掌しており、その意味を理解することはできなかった。
「誰しもが──それぞれの荷物を背負って生きとるもんじゃ」
ニャルの告白を黙って聞いていたドンカイは、彼の抱えていた使命にも似た思いに共感を覚えた。おぞましい異形と成り果ててまで、キョウコウという男に仕える忠義の心にも、男として尊敬の念を感じてしまう。
なればこそ、ドンカイは瞼を閉じた。
脳裏に浮かぶのは──ツバサとミロの後ろ姿。
ツバサから親分の杯を預かり、ハトホル一家に加わったあの日。
幽冥街などという姑息な罠に掛かった自分を救うために、そこに囚われた者たちを助けるために、我が身を省みず奮闘してくれた彼女たちに、感謝を忘れた日は一度とてない。
ツバサに恩を返したい──ミロの力になりたい。
地母神と英雄神となり、この世界に新たな“想世”をもたらすべく邁進する。
そんな2人に惚れたドンカイは、彼らを支えていくと決意したのだ。
彼らの剣であり盾となる──それが武人として自分ができる恩返し。
「おまえさんがそんなになるまでキョウコウとやらに恩義を尽くすように……ワシにも譲れない想いってもんがあるんじゃあッ!」
構えたドンカイの全身から、蒼い闘気が巻き上がる。
それは勢いこそあるが燃え上がるような熱さはなく、むしろ海風のように荒々しくも清々しい清涼感に充ち満ちていた。
過大能力──【大洋と大海を攪拌せし轟腕】。
どうやら海を司るドンカイの能力が反映されている。
蒼い闘気は全てを押し流す海流の如き力を溜め込み、ドンカイの周りをうねりながら物質的な何かを形作ろうとしていた。
それは──三叉の穂先を持つ大きな槍に見えた。
「にゃる・しゅたぁーん! にゃる・がしゃんなぁぁぁんッ!!」
無貌の魔神と化したニャルは何者かを讃えるような雄叫びを上げ、ドンカイを押し潰さんとのし掛かってくる。その身に這わす千の仮面は口々に攻撃呪文らしきものを唱えており、間近で浴びれば絨毯爆撃を受けるようなものだ。
ドンカイは──自ら打って出た。
ニャルの懐に飛び込み、蒼い闘気ごと掌底を叩き込む。
「──深淵の大帝が繰る三叉鉾ッ!」
蕃神に対抗できるという、旧神の名を付けた超必殺技。
海洋の気を凝らした、三叉鉾を思わせる闘気の塊。
それは過たずニャルの巨体に直撃し、体内へと沈み込んでいく。その様はまるでスポンジに水が染みこむようだ。直撃を受けた衝撃でいくらか後ろへ押されるものの、ニャル自身にダメージらしきものはない。
だが──ニャルはそこで止まった。
やがて仮面のいくつかがカタカタと痙攣みたいに震え出すと、触手と肉体で構成されたニャルの肉体があらぬ方向へ動き始める。彼自身、肉体の統制を取れなくなったのか、ドンカイに攻撃することすらできなくなる。
次第に全身の動きが激しくなり、ニャルは狂乱状態で踊り狂う。
ついには触手が綻び、肉体が裂けるまでとなり──。
「く、くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー……しゃめっしゅ! しゃめっしゅぅぅぅ……にゃるぅぅぅぅぅぅっ!?」
ニャルが断末魔の絶叫を上げた瞬間、その体内から無数の蒼い三叉鉾が飛び出してきて、無貌の魔神となった巨大な身体を食い破った。
千の仮面もひとつ残らず砕かれ、その破片の中には元の体型に戻ったニャルが倒れ込んでいた。相変わらず表情はわからないが、再起不能には違いない。
倒れた彼を見下ろしたドンカイは片方の手を立てて拝む。
殺してはないが一応、目礼もしておいた。
「背負った重荷は自分のもの……どんなに熱弁を奮ったところで、他人にその重さはわからんわい。ま、思いの丈ぐらいは伝わるかも知れんがな……」
同情の眼差しで見つめた後、ドンカイは背を向けて歩き出す。
「おまえさんが語った、キョウコウとやらの絶望も……」
当人にしかわからんのじゃろうな──ドンカイは独りごちた。
副将戦 ドンカイ・ソウカイ○ ── ニャル・ウーイェン●
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※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です
【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する
土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。
異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。
その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。
心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。
※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。
前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。
主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。
小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。
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