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第三部 父と子

第5話 幻影水晶①

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 朝食とは思えない量を食べた後、4人は二手に分かれた。

 南の離宮で必要なものを、セツがいくつか探したいと言う。
「サフィード、セツをお願い。正午にまた同じ場所で会おうね」
 イルマの言葉に、サフィードが頷いた。

  町の中心にある大きな鐘は、一日に6回鳴らされる。次に鳴るのは、正午の三の鐘だった。

 イルマとシェンバーは、早速市場を巡り始めた。
 屋台と食料を売る市場の露店は近いが、少し離れれば織物や宝飾品、異国の品々を並べる露店が登場する。

「シェンは、陛下に何か贈りたいものはある?」
「⋯⋯特には」
「ぼくには、あれこれ贈ろうとするのに」
「父とイルマでは、話が違うだろう⋯⋯それに」

 シェンバーは立ち止まって、イルマの耳元で囁いた。
 ──イルマだから、贈り物をするのが楽しい、と。

 イルマは、自分の頬がじわじわと熱くなるのを感じた。ちらりと見れば、瑠璃色の瞳が悪戯な色を宿している。

「いつもお茶ぐらいしか受け取ってくれないけれど、もっと色々強請ねだればいいのに」
「そんなに欲しいものはないよ。それに、今日はぼくの物を買うわけじゃないの!」
 陛下の買い物なんだから!と目を逸らすイルマは、耳まで赤くなっている。シェンバーは、愛おしくて仕方がなかった。

 ──この心優しい王子は、華美なものに関心を示さない。
「フィスタは小国だから、元々贅沢には慣れてないんだ」
 そう言って、何度贈った品々を返されたことだろう。
「気持ちだけ受け取るね、ありがとう」
 と、必ず言い添えて。
 それまで、自分が贈った品を断る者などいなかった。

 贈り物に自分が悩むだなんて⋯⋯。

 セツにイルマの好みを聞き、お茶が一番だと聞けば、国中に騎士と馬を走らせた。
 国一番の茶園で最高級品と呼ばれる茶を贈った時に、イルマは言った。

「とても美味しい。シェンも、これが好きなの?」と。
 正直に飲んでいないと応えると、イルマはセツに言って茶を淹れさせた。
 一緒に飲んだお茶は、今まで飲んだことがないほど美味しかった。美味しい、と言えばにっこり笑う。

 あの日、イルマの笑顔を見ながら決めたのだ。
 これからは自分の満足したものだけを彼に贈ろう、と。


 金細工や宝石を使った装飾品が並ぶ一角に来た時、イルマの足が止まった。

 宝飾品を扱う店々は、市場の中でも一線を画している。華やかなだけではなく、売り手の商人たちにもどこか怪しげな雰囲気が付きまとう。
 町中にある店より雑多で値段は安く、時には掘り出し物もある。おかげで、客足は途絶えることがない。

 シェンバーの心は、ドキンと跳ねた。
 宝飾品は、贈ろうとしてはやんわり断られてきたものの代表だ。
 ⋯⋯何か気になる物があるのか?

 何の為の買い物だったかは頭から消えて、手に力が籠もる。
 イルマが欲しいと言うなら、それこそ、いくらかかっても構わない。
 ああ、でも品だけは、しっかりこの目で確かめなくては。
 目まぐるしく頭の中であれこれ考えていた時だった。

「シェン、あれ」
 イルマが振り返り、露店に並んだものを指さす。
 瑠璃色の瞳が素早く台上のものを捉え、息が止まりそうになる。

「イ、イルマ。それが⋯⋯欲しいのか?」
「うん? ちょっと、見てみたいんだ。いいかな?」
「もちろんだ」

 台の上には黒布が敷かれ、金細工の指輪や腕輪がずらりと並んでいた。
 腕のいい職人がいるのだろう。どれも細部に至るまで精巧で美しい。

 二人は一番前まで進み、イルマがじっと台に顔を近づけた。
 イルマの隣に立つシェンバーの胸は高鳴るばかりだ。
 特に指輪から目が離せない。

 ──どれだ、どれが欲しいんだ!?
 シェンバーは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 イルマは台の上に並んだものをじっくり見た後に、ぴたりと一つのものに目を留めた。
 それは、細工物の隣に置かれた石だった。透明な水晶の中に、他の石の形が見える。

「それが気に入ったのかえ? 黄金の瞳の御方」
「⋯⋯気のせいかもしれないんだけど。何か、呼ばれたような気がして」

 店の主人は年老いた女だった。全身に黒い服を纏い、皺だらけの顔の中で瞳だけが力強く輝く。

「石が呼んだなら、必ず意味がある。その石の名はご存知か?」
 イルマは首を振った。

「幻影水晶」
 ぽつりと、しわがれた声が告げた。

「水晶の中に、さらに異なる石の姿を映す。それがこの名の由来。ただ、見る人によっては中の石が何者かの姿を映し、想いを語るとも言う」
「だから、って言うんだ…」
「煌めく瞳を持つ御方。貴方には女神の守護がおありになる。貴方ならば、この石を渡しても構わぬだろう。どうなさる? 石をお持ちになるか?」

 イルマはじっと、水晶を見つめた。親指一本ほどの大きさの透明な石の中に煙るような白い影がある。

「うん。これを買うよ。いくら?」
「イルマ、待って。それは私が買おう」
「シェン?」

 老婆はシェンバーを見上げて、そっと手招きした。
 言われるがままに近づくと、耳打ちしてきたのは法外な値段だった。
 世に希少な石であっても、そんな値段は聞いたことがない。目をみはる美貌の王子に、老婆はにやりと笑った。

「何、損はさせませぬ、お美しい方。その、またここに参られよ」

 ちらりと視線を走らせれば、イルマが心配そうに自分を見ている。シェンバーは、店主の言葉に頷いた。
「これで足りなければ、南の離宮へ」
 シェンバーの渡した革袋の重さに店主は頷き、二人は露店を後にした。
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